scene2 前言の再確認 ― 誤訳が公式化されている
評議官は、手元の文書に一度だけ視線を落とし、それから広場を見渡した。
声は穏やかで、抑揚がない。
強調も、説得も、必要としない読み上げだった。
「先日の癒し手ティエナ・ルー・リードの見解を、我々は次のように整理しています」
広場に、微かな緊張が走る。
だがそれは不安ではなかった。
確認を待つときの、整った沈黙だった。
「――我々は、精霊に依存せず、すでに立てている」
言葉が、空気に定着する。
ざわめきは起きない。
多くの市民が、静かに頷いた。
それは納得というより、再認識だった。
すでに共有されている事実を、改めてなぞる仕草。
「ゆえに、癒しおよび休息は、必要に応じて各自が判断する」
「一律の介入は不要であり、現行の生活体系は、健全に機能していると評価されます」
読み上げは淡々と続く。
そこには、疑問符が存在しなかった。
広場の端では、子どもたちが大人の隣に立っていた。
背伸びをする者も、地面に視線を落としたままの者もいる。
だが、泣く子はいない。
騒ぐ子もいない。
彼らは、この言葉を“初めて聞く”世代だった。
そして同時に、この価値を“最初から知っている”世代でもあった。
ティエナは、自分の胸の奥が、ゆっくりと冷えていくのを感じていた。
それは、否定されている感覚ではない。
奪われている感覚だった。
彼女が口にしたはずの言葉は、
もう、彼女のものではなかった。
不確かな沈黙から引き出された一文は、
整理され、磨かれ、角を落とされ、
街の原則として据えられている。
ここにあるのは、誤解ではない。
修正可能な行き違いでもない。
これは――基盤だ。
この街が、自分たちをどう定義するか。
何を健全と呼び、
何を不要と切り捨てるか。
その判断の土台に、
彼女の“あの一言”は、すでに組み込まれてしまっている。
だから、今ここで否定するということは。
「言い間違えました」と言うことではない。
「真意が違いました」と説明することでもない。
この街が築いた秩序そのものに、
それは違う、と告げる行為だった。
誤訳の訂正ではなく、
価値体系への反逆。
その重さを、
ティエナは、広場に立つ誰よりもはっきりと理解していた。




