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scene7 名乗らない選択
レナが去ったあと、
広場には、わずかな間が残った。
誰も集まらない。
だが、何人かが、まだその場にいる。
修理屋の手が止まり、
井戸の桶が縁に掛けられたまま揺れている。
「……あんた」
声をかけたのは、
年配の商人だった。
探るような目つきで、
エルフを見る。
「名前は?」
それは礼でも、問い詰めでもない。
ただ、整理のための質問だった。
何かが起きたとき、
人は名を欲しがる。
ティエナは、少し考える素振りを見せたが、
答えは短かった。
「通りすがりです」
それだけだった。
肩書きも、理由もない。
商人は眉をひそめる。
納得はしていない。
だが、追及するほどの力も、
場の勢いもない。
誰かが咳払いをし、
別の者が井戸に戻る。
広場は、また“用事の場所”に戻っていく。
ティエナは、
そこに名を残さない。
誰かの物語の中心に立つつもりはなかった。
彼女はただ、
通り過ぎただけだ。




