scene5 癒しが成立しない瞬間
ティエナは、子どもの前に膝をついた。
無理に距離を詰めることはしない。
いつも通りの、静かな所作だった。
「少し、風を通しますね」
答えを待たず、彼女はそっと手を差し出す。
精霊に触れるときと同じように、空気の流れを整える。
――風は、通った。
だが、それだけだった。
子どもの表情は変わらない。
肩も、呼吸も、目の焦点も、そのままだ。
「……何か、感じますか」
問いかけに、子どもは首を横に振る。
「いいえ」
間もなく、付け加える。
「もう大丈夫です」
その声に、安堵はない。
感謝も、期待も含まれていない。
大丈夫だから、終わり。
それ以上の意味を、言葉は持っていなかった。
ティエナは、精霊を探る。
拒絶の気配はない。
拒む意志すら、感じられない。
呼びかけが、成立していない。
助けを求める前提が存在しないため、
癒しは始まる場所を見つけられない。
泣かない子どもは、癒しを求めない。
求めない以上、癒しは届かない。
その事実が、はっきりと形を持って、彼女の胸に落ちた。
ここでは、癒しは失敗するのではない。
発生しないのだ。
そしてそれは、誰にとっても「問題」ではなかった。




