scene8 章の締め ― 善意が残したもの
誰も倒れていなかった。
誰も泣いていなかった。
誰も、助けを求めてはいなかった。
街は、いつも通り整っていた。
物流は滞らず、取引は円滑で、
笑顔は礼儀正しく配置されている。
変わったものは、ひとつだけだった。
この日を境に、
この街から「休む」という行為が、
少しずつ姿を消し始めた。
休憩は規則として残っている。
座る場所も、水も、日陰もある。
誰かが止められることはない。
だが、座らない。
止まらない。
「まだ立てる」という言葉が、
静かな合言葉として共有されていく。
倒れる者はいない。
だから、問題は存在しない。
沈黙は続いていた。
精霊は語らず、拒まず、応えもしない。
それは答えではなかった。
肯定でも、祝福でも、本来はなかった。
だがティエナは、
その沈黙を「大丈夫だ」という意味に翻訳した。
不安を鎮めるために。
期待を裏切らないために。
誰も傷つけないために。
善意で選んだ言葉だった。
その結果、
誰も悲鳴を上げない街が生まれた。
誰も限界を口にしない街が生まれた。
誰も、自分が削れていく音を聞かない街が生まれた。
癒しは拒まれていない。
だが、呼ばれなくなった。
沈黙は、
祝福として定着してしまった。
それが、
ティエナ・ルー・リードにとっての、
最初の致命的判断ミスだった。
そしてこの日から、
彼女は知ることになる。
善意は、
間違えた翻訳をした瞬間、
誰よりも深く、人を追い詰めるのだと。




