scene4 調停官イセルとの対話
調停官イセルの執務室は、街路と同じく整っていた。
書類は分類され、机の上には余分な物がない。窓から差す光も、白く均一で、影を強く落とさなかった。
イセルは立ち上がり、丁寧に一礼した。
「お時間をいただき、ありがとうございます。旅の癒し手殿」
声は穏やかで、抑揚が少ない。
警戒も、期待も、そこには含まれていなかった。
ティエナは席につき、率直に切り出した。
「この街では、精霊が応えません。拒まれているわけでもない。ただ……沈黙しています」
イセルは、わずかに頷いた。
「ええ。そうでしょうね」
否定も驚きもない。
事実確認を受け入れるような反応だった。
「ですが、精霊の存在を否定しているわけではありません」とイセルは続ける。
「癒しの力も、記録上は理解しています。過去に通過した癒し手の報告も、残っています」
それでも、と彼は言葉を切った。
「この街では、争いが起きません」
その断定は、ラグナの説教とは正反対の静けさを持っていた。
主張ではなく、結果としての宣言。
「交易は滞りなく、人々は契約を守り、声を荒げない。仲裁が必要になる事例は、年に数えるほどです」
ティエナは、慎重に言葉を選ぶ。
「疲れや、重さは……あります。それでも、癒しを求めない」
「はい」
即答だった。
「人々は満足しています」
その言葉には、感情が伴わない。
だが、空虚でもなかった。
「困っていない以上、変える理由がありません」
イセルは、あくまで行政官として語っていた。
理想ではなく、方針でもなく、運用の結論として。
「癒しは、改善をもたらすものでしょう。ですが――」
彼は一瞬、言葉を探すように視線を落とし、続けた。
「この街において、改善とは不安定化を意味します」
良くなる、という変化。
それ自体が、秩序を揺らす。
「現状が維持されている限り、人々は争わず、恐れません。それが、我々にとっての“救い”です」
ティエナは、反論しなかった。
否定する言葉も、肯定する言葉も、浮かばなかった。
ここでは、救いは到達点ではない。
変化を必要としない状態――停滞ではなく、固定。
イセルは、最後にこう付け加えた。
「癒しが不要なのではありません。ただ、この街では、必要とされていないのです」
精霊が沈黙する理由を、ティエナは理解した気がした。
呼びかけが足りないのではない。
声を必要とする隙間が、どこにもないのだ。
問題がないことが、最上位の価値。
救いは、何かを加えることでなく、何も起こさないことで完成している。
その街は、あまりにも静かに、満たされていた。




