scene5 違和感
被験者は、測定台から一歩退いた。
指示はなかったが、実験の一区切りとして、そうするのが当然であるかのように。
姿勢は安定している。
ふらつきもない。
呼吸数、脈拍、どれも基準値の範囲内だ。
それでも、彼は立ち止まったまま、しばらく動かなかった。
「……どうですか」
研究員の一人が問いかける。
確認のための質問であり、答えは想定されている。
被験者は少し考えてから、曖昧に頷いた。
「楽に、なった……はずなんですが」
語尾が、落ちない。
断定にならない。
胸に手を当て、確かめるように息を吸う。
肩の力は抜けている。
だが、表情は晴れなかった。
「重さが、ないわけじゃない」
言葉を選ぶように、彼は続ける。
「痛いとか、辛いとかじゃない。ただ……残っている感じがします」
その場に、沈黙が落ちる。
短いが、密度のある間だった。
内壁に浮かぶ数値は、変わらない。
精霊反応値、正常。
波形、安定。
警告も、注意喚起も表示されない。
ヴィクスは、何も問題を検出していない。
「主観的な揺らぎでしょう」
誰かが、記録を取りながら言う。
否定ではない。分類だ。
「数値的には、十分な回復が確認されています」
ミレイアも、表示を見つめたまま頷く。
「測定上の異常はありません」
被験者は、それ以上何も言わなかった。
言葉にできない感覚を、これ以上説明する術がないと悟ったように。
ティエナは、静かに彼を見ていた。
風は通った。
反応も出た。
けれど、その風は、どこかで止まっている。
装置は異常を示さない。
数値は正しい。
ヴィクスは、嘘をついていない。
違和感を抱いているのは、人間だけだった。




