シーン6:臨界 ― 言葉が物語を要求し始める
広場の空気が、わずかに変わった。
ざわめきではない。
恐慌でもない。
だが、均されていたはずの不安が、形を持ち始める。
群衆の中の一人が、抑えきれずに声を上げた。
「……誰が、救うんだ?」
その問いは、責める調子ではなかった。
懇願でも、怒号でもない。
ただ、空白を埋めようとする声だった。
別の場所から、続く。
「敵は……誰だ?」
「何と戦えばいい?」
それらは質問の形をしていたが、
本質は問いではない。
――配置の要求だった。
ラグナは、言葉を止めない。
止めれば、沈黙が来る。
沈黙が来れば、不安が暴発する。
それを、彼は知っている。
だから、語る。
「世界は――」
「今、大きな分岐に立っています」
それまでと、何も変わらない語り口。
曖昧で、抽象的で、断定を避けた言葉。
だが。
「選択が、迫られている」
「耐える者と、抗う者が……」
その瞬間、
言葉の流れが、わずかに歪んだ。
ラグナ自身が、気づくより先に。
彼の内側で、何かが引っ張られる。
説明しないはずの場所に、
対比が生まれる。
名指ししないはずの部分に、
役割が滲む。
「……立ち上がる者が、現れるかもしれない」
言った瞬間、
広場の空気が、確かに応えた。
ざわめきが、一斉に向きを持つ。
誰かを見る。
誰かを探す。
無意識に、中央を求める。
ラグナの胸に、嫌な感触が広がる。
(違う)
彼は分かっている。
これは、自分の意図ではない。
自分は、誰も選んでいない。
だが、言葉が――
言葉そのものが、
「物語」を探し始めている。
終わらない語りは、
いずれ終わり方を欲する。
恐怖は、循環し続けるうちに、
原因と結末を求め始める。
救う者。
救われる者。
立ち向かう敵。
簡単で、分かりやすく、
皆が納得できる配置。
ラグナの言葉は、
それを否定していない。
否定できない。
語り続けるために、
彼は構造から逃げられない。
魔導院の観測室では、
数値が静かに変化し始めていた。
精神波形の安定値が、
一点に収束しつつある。
誰かに向かって。
院長が、低く呟く。
「……始まったな」
精霊は、いない。
奇跡も、ない。
それでも世界は、
終わり方を欲している。
翻訳を失った世界は、
次に――
物語を要求し始めていた。




