シーン5:非難できない混乱
最初に出た言葉は、怒りではなかった。
「……では、誰の判断だったのですか」
魔導院の会議室。
問いは静かで、責める調子を持たない。
院長は答えなかった。
答えようがなかった。
誰かが続ける。
「ティエナ・ルー・リードは、何かを禁止しましたか」
記録官が首を横に振る。
「いいえ。公式な禁令は一切ありません」
「癒しを破壊した?」
「いいえ。術式も、精霊回路も、そのままです」
「誰かから力を奪った?」
「それもありません」
沈黙が広がる。
事実だけを並べれば、単純だった。
彼女は、
何も奪っていない。
何も壊していない。
誰にも命じていない。
ただ――
以前やっていたことを、やめただけだ。
「要請を……受け取らなかっただけです」
その言葉が落ちた瞬間、
場の空気がわずかに歪んだ。
受け取らない。
拒否ではない。
否定でもない。
空白。
「それを“罪”と呼べるか?」
誰かが呟く。
答えは出ない。
世界は確かに混乱している。
精霊は滞留し、
癒しは終われず、
現場は疲弊している。
だが――
「因果が、繋がらない……」
分析官が呻く。
原因はある。
結果もある。
だが、
責任を背負う主体が存在しない。
彼女は選ばなかった。
同時に、誰かを選別もしなかった。
世界は、
“翻訳者がいる前提”で動いていた。
その前提が、
本人の意志で静かに外されただけだ。
「非難できないな……」
その言葉には、安堵も含まれていた。
悪がいない。
敵もいない。
だからこそ、
怒りの矛先が定まらない。
世界は壊れかけているのに、
誰も糾弾できない。
ティエナは、
善を放棄したわけではない。
悪を行ったわけでもない。
ただ、
“答え続ける役”を降りただけだ。
そして世界は、
その不在を前にして、
初めて気づいてしまった。
――自分たちは、
答えが与えられることに、
依存していたのだと。




