シーン3:生活のケア ― 人の手による回復
ティエナは癒しを呼ばなかった。
精霊に向けて意識を整えることすら、しなかった。
代わりに、目の前の作業に手を伸ばす。
水桶を運ぶ。
薪の束を肩に担ぐ。
エルネが無意識に庇っている側に、自然と自分が回り込む。
重いものは、ティエナが持った。
寒さが骨に残らぬよう、火を少し強める。
乾いた喉に、温い水を渡す。
「少し、座って」
命令ではなく、提案として。
エルネは素直に腰を下ろす。
その間に、ティエナは作業を進める。
仕事が終わるまでの時間配分を、静かに組み替える。
休む時間が生まれる。
意図して作られた、余白だ。
痛みは消えない。
関節に残る鈍さは、朝と変わらずそこにある。
だが、悪化もしない。
顔をしかめる回数が減り、
動作の途中で止まることがなくなる。
耐えられる。
今日をやり過ごせる。
それだけの状態が、維持される。
時間はかかる。
劇的な変化はない。
癒しのように、瞬間で結果は出ない。
だが、途切れない。
一つひとつは小さな行為だ。
持つ、温める、飲ませる、休ませる。
それらが積み重なり、
回復ではなく「崩れない日常」を形作っていく。
ティエナは気づく。
これは代替ではない。
別の回路だ。
精霊に頼らずとも、
人の手は、人を今日まで運べる。
癒しが消えたわけではない。
ただ、ここでは使われていないだけだ。
そしてそれは、
不足ではなく、選択だった。




