第1章:疲れ切った街に、風が来る scene1 止まらない王都
王都カレディアは、朝の鐘で目を覚ます。
澄んだ音色が石造りの街路を渡り、屋根から屋根へ反響していく。
それは祈りを促す音ではなく、合図だった。
始めろ。
遅れるな。
鐘が鳴り終わる前から、街は動き出す。
馬車が軋み、車輪が石畳を叩く。
商人の声が値を叫び、荷運びの男が怒鳴り返す。
役人の命令が空気を切り裂き、書記の羽根ペンが紙を削る音が続く。
音と音の間に、沈黙はない。
人々は歩く。
速く、正確に、止まらずに。
誰もが前を向き、目的地だけを見ている。
足並みは乱れず、列は詰まり、流れは途切れない。
だが――
その中に、呼吸は描かれなかった。
肩は上下せず、胸は膨らまない。
息をしていないわけではない。
ただ、意識されていないだけだ。
王都では、呼吸は数えられない。
市場では、果実が積まれ、布が広げられ、硬貨が鳴る。
人々は交渉し、笑みを作り、頭を下げる。
だがその笑みは、目的を果たすための形に過ぎない。
喜びはなく、余白もない。
立ち止まれば、流れに押し戻される。
座り込めば、邪魔者になる。
空を見上げる理由は、誰にも与えられていなかった。
王都は繁栄している。
数字も、建物も、人の数も、確かに増えている。
それでも、楽しそうな者はいない。
疲れている、という自覚すら持てないまま、
人々は今日を消費していく。
王都は止まらない。
止まれない。
立ち止まる理由が、どこにも用意されていなかった。




