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かーどげーむ

紙巻タバコの煙をくゆらせ、夏の夜空を見上げるジイちゃんの頬に橙色の提灯の光が張り付いて揺れている。工事現場で焦がしたじいちゃんの右手の甲は煤けて腫れぼったく、老いによるものではない加工が施されていた。硬くて、ザラザラして、ヒンヤリしている。湊川神社の石段に座って、ボク達はたこ焼きを買いに行ったバアちゃんを待っていた。ボクは屋台のくじ引きで当たったパチモンの遊戯王カードをじいちゃんと手を繋いでいない方の手で、五枚ほど握っている。先頭のカードは『ブルーアイズホワイトドラゴン』のパチモンで、朔太郎との戦闘では使えないだろうなと諦観する一方、屋台主の努力が見受けられてその創作工程に感心に近い思いを巡らせていた。しかし、本物の『ブルーアイズホワイトドラゴン』のカードをプリンターで印刷し、7歳の妹のコトネが爪に塗っていたようなラメを垂らしただけだろうかと、案外簡単に粗製乱造されていることを追想して、やっぱり腹が立った。二枚目以降のカードを見ようと、一旦、下腹部に五枚カードを置くと、『ブルーアイズホワイトドラゴン』が一枚パラッと石段の上に落ちた。前かがみになって拾おうとして、続けて残りの四枚も石段の上に全部散らばった。両手を使うため、ジイちゃんに繋がれていた手を離すと、「ヴッ」という唸り声がする。人混みの中で手を離そうとすると鳴るジイちゃんの音だった。この音にボクの手は今まで幾度となく、引き戻された。しかしながらこの緊急事態、片手だけでは疾風にカードを奪取されてしまうと焦りが湧く。風で飛ばされたカードを拾いにいくほどみじめな事はないと、朔太郎と住吉川で叢をかき分けた経験から学んでいる。瞬時にしてジイちゃんの眼を見、散らばったカードを見、再度ジイちゃんの眼を見ることによって、その事態を暗黙のうちに知らせ、大急ぎでカードを回収していると、石段の陰に黒いオサムシが徘徊しているのを発見した。さっき手に握っていた時に三枚目ぐらい位置していた『モリンフェン』というパチモンではない雑魚カードで救い上げるようにして、石段の外に飛ばした。朔太郎が大事そうにクワガタの雌として二カ月ぐらい育てていたのがオサムシだと、サトル君に悪気なく判明させられた時の、朔太郎の口先を細めて硬直した淡い表情が今でも少しトラウマで、それが思い浮かんだ。ジイちゃんが短くなったタバコを、両手で携帯灰皿に入れているのを下から見ていて、もう少し待っていれば自然と手は離され、じいちゃんの「ヴッ」は聴かずに済んだと考える。丁度そのタイミングがバアちゃんを引き寄せるようにして、「おまたー」と言わせた。僕はたこ焼きの味よりも匂いが好きで、食べ終わるまでのどの工程の中でも、渡される瞬間が一番好きだった。だから一目散にトレーを受け取った。トレーの蓋を少し開けると白煙がホワワッとボクの顔に纏わりついて、少しだけカアちゃんの顔が過ぎった。ボクのカアちゃんは去年の十一月、肝硬変とかいう難しい病気でいきなり死んだ。「死んだ」という言葉にピンとこないが故に、学校では「死んだ」と言いまくった。勿論、朔太郎にも。その後『死者蘇生』の激レアの魔法カードを朔太郎に手渡された。励まし方としては不謹慎だと他の人の考え方を意識して受け取らなかったが、個人的に『死者蘇生』はもの凄く欲しいカードだった。一度、死んでしまったモンスターを墓地から蘇らせることができる最強カードだ。「僕のお母さんはかんぞうの難しい病気で死んで、お父さんは僕を育てるための仕事がいそがしくて、昔よりかは家にいません」と、家族紹介の作文を書いた時、いないとしたら、どこにいるのだろう、と変な事を考えた。その続きにボクの想像を書いて、タミコ先生には今育ててもらっているお爺ちゃんやお婆ちゃんの話も書いたらどう? と言われて、納得したように三回頷いたけれど、書かなくてもいるからと変な事を思って、自分の後頭部を一周するように撫でまわした。


『ポケットのクジラ』 

花田まさ人

僕のお母さんはかんぞうの難しい病気で死んで、お父さんは僕を育てるための仕事がいそがしくて、昔よりかは家にいません。僕を育てているので仕方ありません。まわりの景色は川です。砂利道があります。ヤナギの木があります。鳥やカニもいます。細長い砂利道です。むぎわらぼうしをかぶって赤い服を着たお母さんが石の上で本を読んでいます。お母さんがおいでと言って僕に本を見せます。本にはクジラの絵があります。クジラの赤い目は動きます。お母さんがクジラを本からつまみ出すと5センチぐらいです。クジラはヌメヌメしていて、背中がゾクッとします。川のクジラはこうなのかと思いました。お母さんは大切に持つように言います。僕はクジラをポケットに入れてお母さんに手をふります。お母さんも僕に手を振ります。たぶん笑っています。むぎわらぼうしのかげに隠れて正確には分かりません。でも多分笑っています。僕には自信がありません。お母さんが笑っているかどうかをはっきりさせることに自信がありません。でももっと自信がないのは、クラスの子の前で僕の意見を言う時です。身体測定のとき、保健の先生が皆にうるさいと怒りました。そのあとタミコ先生が終わりの会で反省会をひらいて、「どうして保健の先生は皆に怒ったと思う?」と言った時、僕はすぐに、保健の先生にめいわくだったからだと思いましたが、手があがりませんでした。そのうちにサトル君が、手をあげて、僕が思っていたことと同じことを言いました。タミコ先生はサトル君を褒めました。僕はサトル君に先に言われてショックでした。でもサトル君は言う勇気があったのだと思います。僕は無かったのでした。その勇気はいつもお母さんにもらっていました。もし、間違えていたり、変なことを言ってしまったら、僕はみんなに変な目で見られるのが怖いし、実際みんな僕が意見言っているときはうなずきが少ないし、下を向いている子も多いとお母さんに言うと、お母さんは「お話しながら、他の人の反応みるのはすごいと思う。あんたが言いたいと思う事はまず言ってみて、変な感じになったら、なんでだろうって考えてみた方が進歩あると思う。でもお母さんは言えなかったってことにも、それなりの理由があると思うから、そのことをくやむ必要はないと思うけどあんたはどう思う?」と僕に質問しました。僕は「くやしいもんはくやしい」と泣きべそをかきました。その時はちょうど学級委員に推せんで、皆の前で話せなくなって結局、糸井くんと五票の差で選ばれなくて不満がたまっていた時でした。お母さんは「よっしゃ。じゃあ、あ、でも、う、でも、とにかく声を出していこ。それでどうなったか、後はまたお母さんとお話しよ」と僕の頭のてっぺんに手を乗せました。それで、僕は次の日、前の日よりも多く手をあげられるようになって、間違っても、間違った話をお母さんにすると、一緒にマリオカートしながら、僕が意見を言ったことを「すごいすごい」と言って、それで結局マリオカートの話になりました。お母さんはマリオカートが下手でした。すぐに道の下に落ちました。だから、お母さんが落ちて上がってくるまでの間、僕はカートを近くに止めて待ちました。でもお母さんは僕を待ちませんでした。すぐに発車しました。僕は道で固まっています。バグです。ポケットからクジラを取り出して川ににがします。クジラにとって大切にされるとは川に逃がされることだと思いました。鳥やカニが連れていきます。クジラの赤い目が川ぜんたいに浮かびます。終わりです。


「会社の上司ぶん殴る」と検索し、会社の上司をぶん殴った他人の体験談を読んでいる。ぶん殴って退職になった人のコメントに「殴ったら終わりです」「すぐに心療内科をお勧めします」とのコメントが連なっている。私は「よくぞやってくれた。我々、新赤軍派。企業の悪態を暴力で是正するのだ。権力に屈するな。これからも正義の為の暴力は辞さないでくれ。犬丸」とスマフォをカッカいわせながら入力し、投稿。「ふわー……ああああああ」と、1Kの部屋を内側から拡大させるような声を放っては、差し込む西日に呆然自失となった。フローリングに溜まった髪の毛を見つめる。落ちている髪の毛は運気を下げると、どこかの易者が言っていたことを朧気に思い出して、立ち上がる。トイレットペーパーを適当に毟り取って、髪の毛を掬い上げ、燃えるゴミの袋に突っ込むとスマフォが鳴った。通話ボタンを押すと勝手に画面が起動し、0歳の甥を抱えた母親が「おばちゃああん。元気かああ」と左右に身体を揺さぶっている。続けて「ロト6当たりますようにー」とふざけたことを言うので「それはてめえの願いだろうが」と突っ込みつつ、今日が七夕であることを思い出す。「あー口悪いねえ。おばちゃん怖いねえ」と放つ母親はどうしても私におばちゃんというアイデンティティを付与したいらしい。私はこういう出来事をひっくるめて『家族の吸収』と頭の中で定義付けている。地元東京昭島市の小学校に勤務しなかったのも実家に戻りたくなかったから。何より、私への愛情が行き過ぎている。それには涙するほどだったが、根本的な思想に月とスッポンの違いがあり、つまりは、こうして弟に産まれた赤子を二十九にもなった独身女の私の眼前につきつけて、家族の普遍的な繁殖作業への執着を私に植え付けようとしている母親の策略は虚しく、そもそも子供が苦手であり、無防備な赤子の身体を観察したところで、観察以上になり得ないという私の冷徹な理性によって失敗に終わっている。左右に揺さぶられ続けた赤子はその緩やかな衝撃によって捻り潰されたウシガエルの鳴き声のような脱糞を披露し、母親は「ウンコかえるからまたね」と電話を切った。いやはや、日本語がおかしい。「ウンコかえる」となると、他のウンコに「入れ替える」ということだろうか。このような歯がゆさは綾香とチーちゃんとのグループLINEで昇華させるしかなく、一連の有様を記述して送信するも両者既読無視。休日を休日然りとして過ごすことにアホらしくなって、私はデスクに座って子供達の作文をクリアファイルから引っ張り出した。添削途中の花田雅人君の作文を五行目から読み直す。前作の亡くなった母親の事を物悲しく書き連ねた文章の空虚さに私は苛立ち、「今育ててもらっているお爺ちゃんやお婆ちゃんの話も書いたらどう?」と感想も言わずに花田君に圧力をかけたつもりだったが、400字詰め原稿用紙5枚分の立派な作文を再提出してきた。その出来事には、ちょっかいをかけてきたむかつく男子にやり返して実は自分の事が好きだった時のような小さな驚きと恥じらいが感じられた。私は繰り返すが子供が嫌いだ。だから教師になったとも言える。仕事にするなら自分が最も嫌悪感を催す対象への奉仕を仕事にした方が良いと思った。私には仕事という営みそのものへの憎悪があった。資本主義のうちに市場価値=価値として組み込まれた人間の思考放棄による、腕力と溌剌さに私は一旦ゴミ集積所のゴミとなって下の方に埋め立てられた経験がある。教育大学を卒業してから私は、両親の反対を受けつつも兵庫県の広告会社の企画職に契約社員として入社した。荒廃しかかった地域の細川商店街を活性化させるために、アーケードの下に並ぶお店の面白いポスターを無料でネット上につくってお客様を取り戻すという新人の突飛で無邪気な企画は、有馬という会社の利益の為に自我を捨て切った機械人間によって「儲からない」と一言闇に葬られ、その後は有馬の潤滑油として、有馬の企画の書類をデータに取り込む作業や請求書の処理、日程調整の雑務を任され続けた。それには最初、有馬の固いウンコのこびり付いた尻の穴を拭き続けるような屈辱を感じたが、次第にそれが快感へと変容していった。有馬への完璧な奉仕を遂行することが、恍惚と感じてきてしまったのだった。私は私の才能を信じていたからだ。つまり、そのようにしか私を機能させることしかできない社会の才能の欠落を、有馬への服従によって見事に体現していた私の才能への自己陶酔だ。多少の無理はあった。私の身体を犠牲にした私という作品に私はたった一人で意固地になって感動し続けていた。しかしながら細川商店街は私の手によって間違いなく繁栄していただろう。私が入社二年目となった年の九月に老朽化したアーケードは撤去され、そのついでに長らく経営を続けてきたインド料理屋も立ち退き完全なシャッター街となった。荒廃した商店街はレトロな雰囲気が残って美的でさえあった。数か月前にはいた細川商店街の店主たちは気さくで、優しく捨て犬や猫を善意で保護していた。少しでもPRの演出が加われば瞬く間に顧客の回復も見込めただろう。私のアイデアと共に細川商店街は葬られたのだ。しかし、本当の美しさや才能が消えていくことがむしろ、私の社会に服従することによる反逆精神を養った。後輩の企画を悉く多弁のうちに無視し、自分の企画を叶えるために後輩をこき使う有馬の愚鈍さに気が付かない組織を心から軽蔑した。その心は私が有馬という機械人間の付属品として機能し続けることで表現可能であったはずだが、ある時その部品はネジ穴を喪失した。ポロととれてしまった。ボカと有馬を殴ってしまったのだ。有馬が私を安い海鮮居酒屋『魚基地』に仕事終わり頻繁に連れて行った際の事だった。店は奇しくも細川商店街の一角にあった。「安くてうまい」という費用対効果の最大化をプライベートでも目指すべきものとしていた有馬には最適な場所であった。商店街は会社から自宅とは逆方向に二駅行った場所に立地していたが、勿論、私は彼の思想を支えるため、「行くか」に対して「はい」と紋切り型の返答をし続けた。「はい」と放つ一瞬のうちに、次の朝まとめる書類の枚数や会議で座る位置について考えられるようになった程だった。引き戸をガラガラと空けて、常連気取りで注文がてらいつものカウンター席に座る。私は有馬からコートを受け取ってハンガーにかける。ビールサーバーからグラスに液体が注がれる光景を間近で見ているほど、店員との距離は近い。その日は見慣れないプリン頭のバイトの男の子が入っていた。近くの服飾大の子だと私は彼を記号付けた。有馬はかに味噌あえと生ビールを持ってやってきた店主に「バイトの子?」と予定調和の様子で聞く。店主は「バイトの子だよ」とわざわざ「子」と付けた。私とキョンッとグラスを突き合せた後、頓馬な有馬はかに味噌あえを箸でつまみつつ、バイトの子をただ眺めて私に意識を向けるフリをする。味噌あえの味の方に大方の意識は向かっている。

「タミコはバイト経験あるんだっけ?」

「はい。学生時代は」

「何やってたの?」

「カラオケ屋と焼肉屋です」

「あー前聞いたね」

「はい」

 味噌和えを口の中に入れるのと同じぐらい当たり前のように、カイワがなくてはならないようで有馬にとってカイワの内容はカイワ風であればなんでも良かった。

「時給いくらだったの?」

「カラオケの方ですか? 焼肉の方ですか?」

「じゃあカラオケは?」

「900円でした」

「夜?」

「昼です」

「へー結構高いんだね。ウチも時給に換算したら結構バイト並みだよ」

「そうなんですか」

「夜とか考えないの?」

「夜?」

 先ほど腑抜けたタレントみたいな声で同じように「夜?」と言った有馬の語調を真似てみた。セクハラの開始はだいたい「夜」から始まるので、「夜」を拾っておいて、さっさとセクハラし終えさせ、半分サディストを演じて適量ため口でも叩けば「冷たいなあ」と有馬は歓喜して私は終電で帰宅できる。しかしこの日の有馬は今考えてもやっぱり、私にポカと殴られて正解だったと思うぐらい、実直だった。

「ごめんね」

「はい?」

「いやあ、あの、むかつくでしょ。俺のこと」

 マグロと鰤の刺し身が到着し、新しい視線の居場所としてその赤身を凝視した。有馬は「あっす」とバイトの子に発声してから、「むかついているでしょ」と再度左目の黒目を私の方向へ動かした。

「どういう意味ですか?」

「俺は今日、決めてきた。今メール送ったから見て」

「メール?」と私は妙な悪寒を少しでも消毒するためビールを飲み干し、スマフォを取り出し、親指でカッカッとメールを開いた。

「送った!」

 

 タミコへ。

俺には今、タミコの事をこき使っているという自意識がある。タミコの発想をなるべく摘んで、都合の良いものは暗に奪って、俺の出世の為に奉仕させようと俺はしている。俺は社長と深い所で繋がっている。麻雀や競馬を休日に一緒にやっているからだ。掛け金は会社の資本金から捻出している。総合的に儲けていれば何の問題もないと社長は言う。余剰は互いの懐に入っている。負けた場合は、借入金として平気で勘定を付けている。その場合は大抵、憂さ晴らしに飲みの席で君のエロスについて語り合う。社長は夏時の君のうなじの形が好みだと言う。俺はやはり春夏秋冬、オッパイだと言う。二人とも半勃起して渋谷のソープ街に出掛ける。社長は俺に指名無しでタミコと似ている相手と当たった方が勝ちでソープ代を奢りにしようと博徒としての一癖を見せる。しかし、そうとなれば証拠写真をプレイ中に隠し撮りせねばならない。個室に入ってきたのは髪が茶髪のストレートのギャルで、タミコとは似ても似つかない。アイプチが痛々しく感じられたが興奮はした。でも行為中に社長と駆けをしている事が頭から離れず、懸命にタミコの表情を想像したのに社長の顔がオーガズムの際に現れて最悪だった。ピンクの蛍光灯が点滅する建物の前で待っていた社長は俺に、「行為中にお前の顔が過ぎって集中できなかったよ。タミコには全然似てなかったし、俺の負けで良いよ」と言った。俺は「同じくです」と笑ってドローとなった。広告代理店としての社会的使命は金稼ぎだと俺と社長は肩を組み合って、互いにオーガズムに達している。女は俺達にとって消費するものに過ぎない。タミコを企画部に入れたのは、同志である俺になるべく近づけるためだ。そうすれば、俺を通して社長は君を「吸収」する事ができる。俺は君をこれからも「吸収」続ける。前回のココの商店街活性化の企画はコンセプチュアルで素晴らしかったと思う。しかし、ただコンセプチュアルで素晴らしかっただけだ。予算の組み方もマーケティングも現実味が全くない。この商店街はもう駄目だ。駅前建った商業施設の方が食材は断然に安いし、色々な物が揃っている。しかし、タミコの考えたコンセプトだけは頂いた。勿論、俺の企画として俺は発表するだろう。タミコが発言権を持ち始めると、今までのセクハラについて、公言しようという意志を持たせてしまう事を俺は恐れているからだ。今日こそはタミコは飲み潰れた後、俺の部屋に連れられ、俺に脱がされ、淡い乳房を俺に吸い付かれる。そして俺にその乳房の色を社長に報告されるだろう。この文章を読み終わったなら、机を2回コンコンと叩いてくれ。俺はそれから君の方に5秒向き合った後、酔っ払ったフリをして抱きつく。そこを右ストレートで俺の左の頬をぶっ飛ばせ。左で右でも良い。退職届は郵送で良い。今すぐ俺達から逃げろ。慰謝料を請求する場合は、絶対に俺達と関与しない弁護士を探せ。賭博でつながっている奴もいくらかいる。


ゴマダラカミキリムシの事をバッタって言った保健の梅本先生は大人やのにさすがにあほやと思う。というか、虫に興味ないんやと思う。その証拠に「先生虫苦手だから」って虫を大きなまとまりでしか考えへんから、窓の隙間から入ってきたときも、バッタって言ったんやと思う。こっちは裸足の足が冷たくて、片一方の足の甲でもう片方の足の裏を温めていたりしている時に急に叫ばれたから、右に二三歩よろけた。しかも「サトル君!」ってこっちの名前を呼ばれて、ドキッとした。ゴマダラカミキリムシは触覚を波のように動かしながら梅本先生の白衣を着々と上に登ってて、その時には自分の足の裏の冷たさも忘れていたと思う。姫路ではけっこう見たけど、神戸のこの辺では珍しい。こっちは「絶!」と唱えてから気配を消して、背後にゆっくりと近づいた。でも、その時、梅本先生が変に白衣をばたつかせたせいで、ゴマダラカミキリムシは飛ばされてしまった。その勢いをそのまま使うように窓の方に飛んでいって、透明ガラスの方にぶつかって床に落ちた。「誰か箒と塵取り!」と梅本さんが叫ぶから朔太郎と森岡さんとかが「はい!」とか言って教室に取りに行ってしまった。虫を殺しても、殺さなかったような顔でいる大人たちにこっちは疑問を感じていた。その証拠といってはなんやけど昔、この間母さんが台所に入ってきた蟻の行列を手で摘まんで弱らせながら、外に放り投げていたのを見て、思いっきり母さんの背中を叩いたことがある。母さんはこっちの方に「何すんのよ! 痛いなあ!」と蟻よりも大きな声を出せた。こっちは急いで廊下を走って自分の部屋に隠れた。それでもなお、蟻は必要以上の力を加えられて母さんによって弱らされていると思うとやるせなかった。次の日、こっちは蚊に腕の血を吸わせたまま母さんに見せに行って自慢した。母さんには「また血吸わせとんか」と言われて、前にも同じことしたと思い出した。でも、母さんの眼光にしっかりとその黒い点を焼きつけてやった。ムカデが家に出た日にはバケツで掬い取って、「燃やさな。燃やさな」と慌てふためく母さんを鼻で笑って、そのまま外に出て神社のある方の森へ逃がした。こっちは強烈な正義感で興奮していた。ムカデを逃がした帰り際、コンクリートを歩いていた石亀を拾って、青い蓋の虫篭に入れて買うことにした。石亀のためにお小遣いからカメの餌代を捻出して、母さんの買い物についていったついでに『カメのエサ』というカメの餌を購入した。石亀に『カメのエサ』をあげたが間近で見てばかりで口を空けようともしなかった。こっちは心配になって、神社の森にやっぱり逃がすことにした。神社の方向には感覚的に池がある気がした。それは低学年の頃、父さんが僕にその森で女の子が溺れて亡くなったことを教えていたからだった。しかし、亀を神社の森の方に向かって放した瞬間に、あれはこっちを森に行かせないための口実で、池なんてものははなから無かったのではないかと、石亀よりも危機感を先取りして、石亀を探しまわったがどこにも見当たらなかった。帰って父さんに池があったかどうか聞いてみたら、昔はあったと言った。でも事故のせいで、町内会で埋め立てが決まったらしい。石亀のことを話すと、そん時の池の近くの卵が孵ったんちゃうかと、ダウンタウンの冠番組を観ながら、こっちの方へは二割ぐらい意識を向けるようにそう言った。いびきをかき始めた父さんの腹はコガネムシの腹のようにぷっくりと膨らんでいて、呼吸と共に上下していた。こっちはこの大きな虫が寝ていることに緊張感を催した。今、この虫が眠っている間に何かバレないようにすることをしたくなった。漫画の『HUNTER×HUNTER』の世界で敵にバレないように任務を遂行するような緊張感を実際に感じたくなった。でも何をするかはパッとは思いつかなかったけれど、身体は父さんの部屋に向かった。この日、母さんは事務のバイトで夕方まで帰ってこなかったので、父さんの存在だけを感じていれば良かった。石亀の事を後ろめたく思いながらも父さんの部屋に入ると埃っぽかった。でも、それは窓から差し込んだ太陽の光のせいでたまたま多めに見えただけかもしれないと思った。父さんの部屋は父さんが寝ているリビングから、廊下を越えて、僕の部屋と隣合わせの場所にある。いびきをずっと聞いておくため、リビングの扉を閉めないようにしておいた。勿論、父さんの部屋の扉も閉めない。万が一のことがあれば、急いで僕の部屋に逃げ込めばいいと決心した。僕は父さんの茶色っぽい木机の前に座ると引き出しを開けた。緑色の分厚い手帳が裏向きに置いてあり、他は下敷きや水のリ、鉛筆、輪ゴムやバイクのフィギアがあった。一番、触って緊張感があるのはやっぱり手帳だった。いびきの、吸う時か、吐く時かどちらかの時に出る音をしっかり聞きつつ、思い切って開いた。父さんはそれから十二日後に駅のホームに飛び込んだ。


1月4日。正直に言う。苦しい。何が自分にそうさせるか、分からない。セルフネグレクトという言葉を知った。それかもしれない。正直今、足元が寒い、でも布団をかけてくれる人もいないし、美津子は僕に構わないようになった。苦しい。苦しいと言えば、苦しみは加速すると霊媒師は言っていた。でも、僕は苦しみを書かない方がもっと苦しいように感じる。苦しいという言葉は不便だ。自分の心を表すのに足りていない。

1月5日。うさんくさい。どうしよう。人からどう思われているかを想像すると、必ず悪い方に考えてしまう。実際に人と話すと、それは消えていくのに。僕の妄想が僕を閉じ込めるようだった。寒い。テレビ会議が苦手。足元に風が溜まっている。風は入れ替えておきたい。常に。

1月6日。今日から頑張る。僕は、絶対に僕を認められるようになる。

1月7日。

1月8日。悲しい。連絡が返ってこない。僕はグランタブローで、彼女は僕と向き合っていたはず。でも動画で見た占いは的を射ていた。僕の妄想みたいなのがどうやら彼女にとってしんどいらしい。でもそれを表現しなければ、僕は僕の使命を果たせないような気もする。

1月9日。ぐしゃぐしゃの手紙を送ってしまった。ぐしゃぐしゃにすることが、僕の気持ちのメタファーだったのに。ぐしゃぐしゃなこと自体を嫌悪されてしまったら、僕はどうしたら良いのか分からない。

1月10日。眠気が強い。この年になって、やはり肉体的にかなり疲れやすくなっている気がする。長い睡眠が必要になる。しかし、どれだけ眠っても、眠い。これはどうしてだろう。夢の中も汚い。汚い夢を見たくない。サトルはどんな夢を見ているのか。きれいなのであれば少し分けてもらいたい。彼女とそこで暮らしたい。

 1月11日。おめでとう。本当におめでとう僕。今まで色々とあーだこーだ言いながらもチャレンジしてきた甲斐があった。言葉は苦手だったのに、まさか、何でも出してみるものだと思った。おめでとう。本当におめでとう。

 1月12日。肩が凝った。人の視線が怖い。人からどう思われているか気になる。気になっていても仕方がない。僕は僕。色んな色。おもち。占師は偽物だ。先に「おめでとう」と書いてしまえば、良いことが起きるなんて、嘘だ。私は彼女を愛している。そう思いたい。


楠木正成が自刃した湊川の河川敷沿いに、ヒサコの影を探している。ヒサコがいなくなったとケイタ君から連絡をもらったのは、午後四時半を過ぎた頃で、日は既に西に傾きつつあった。プロテオグリカン入りの機能性表示食品を2粒口に含ませ、軽トラックのエンジンをかける。助手席のケイタ君は運転できないことを私に謝ったが、むしろもっと早く相談して欲しかったと苛立ち、「いやいや」とだけ言った。しかしいなくなったと認識するまでには一定の時間「いなくなる」事実が必要で、その間に「いなくなった」と宣言するのは難しい。それに、「いなくなった」とはあくまでこちらの見地であり、久子側からは家を出た、逃げたに過ぎないのかもしれない。事実、昨夜は雅人の目の前でひどい喧嘩をしたらしい。喧嘩の原因はケイタ君から話さない限りこちらからは聞かないようにしていたが、自分でも言うに及ばないというように原因に関してはすっ飛ばして、私に連絡をするまでの情景を客観的に語ってくれた。話は唐突でケイタ君が久子の方に向かってダイニング椅子を投じるシーンから始まった。ケイタ君が投げた椅子の脚が襖を突き破って解れた雅人の体操ズボンを手縫いしている久子のすぐ傍に突き出し、その光景に発狂した久子が針を握ったままこちらに立ち向かってくるのに慄き、トイレに鍵をかけて籠ったらしい。せいぜい襖に当たって轟音を鳴らすのみで終結するはずだった椅子投げが予想外に大袈裟なパフォーマンスを発揮したことによって、どうやらケイタ君はまずケイタ君自身の場当たり的な怒りを喪失してしまったらしい。よって、その襖から突き出た椅子脚を真に受けた久子の発狂振りに、フェアな喧嘩を阻害する他者性を感じたらしい。他者とはつまり突き出た椅子脚のこと。ケイタ君がそこで謝った場合、襖を突き破って久子に直撃させる攻撃をするために椅子を投げたことを認めることになる。まずは、そんな派手にやるつもりじゃなかったんだという解説が必要になるはずだが、ケイタ君は「わーわー声でかいねん!」とだけ、頑固に言い放ってしまったらしい。ヒサコの気配は消え、トイレから出ると雅人が立っていたらしい。雅人はズボンから裏返しにはみ出たポケットを触って、一目散に子供部屋の方に走っていったかと思うと「とうちゃんのアホカス!」と捨て台詞を遠くの方から吐いたらしい。椅子とセットであったテーブルの上の隅にはいつも通りの場所に財布が無防備に置いてあったらしい。財布は夫婦で一緒のはずだったので、久子は手持ち資金なしで家出をしたか、自分だけのヘソクリを隠し持っていたに違いないと勘繰ってはまた頭にきたらしい。次の日は文化の日で祝日だということから、雅人の弁当を作らなくても良いと奔放になれたのだろうと思ったらしい。そして、きっと実家に一旦帰ったのだろうと思っていましたと、時速30キロ前後で進む車の窓から、川とは反対方向の隣接した幼稚園と小学校の方へ視線をやっているケイタ君を見て、私はさすがに気を引くための咳払いをした。川沿いにいるかもしれないと言ったのはケイタ君の方だ。久子は住家の立地条件として、イノシシが出没しない事と川が近くにあることを挙げた。異常気象が続いており、新湊川の氾濫も記憶に新しい私は地盤もどうなっているか分からないと反対したが、それには耳を貸さなかったほどの川好きだった。小さい頃からの馴染みだろう。イノシシがトラウマなのも、六甲山で小さい頃にお気に入りのビームスのスカートを食いちぎられ、その反動で転倒して捻挫したことを根にもっているからだろう。二十六歳の久子にはまだあどけない危うさが残っている。家出の衝動もその幼き感情の端くれを体現したに過ぎない。久子の遺体は川に抱かれて、雲間からの閃光に細胞の隅々までを暴かれるように発見された。それはおそらく私の涙の現身であったであろうか。死体とはありありと人間を存在せるきっかけでもあると思案した。溺死ではなく肝硬変によって力尽きたのち、ケイタ君が死体を川に流したらしい。自白によって紐解かれようとするケイタ君のこわばりを私は少なくとも、責め立てようとは思えず車が向かう先の確定性に鳥肌が立った。私は今、娘の死に、そして娘との一生を誓い合った男の激白に、流れゆく景色に夢想されっ放しの恍惚感をおぼえた。いずれ訪れる憎しみや悲しみ以前のアプリオリとして感情を私は今、ハンドルを握り締め、さすれば、娘の過去の姿を愛撫しようとさえしている。私の隣に座ったこの男の使命は、どうして、彼女の遺体を川に隠すことに至ったのか。そして私に報告したのか、私は娘の亡骸を早くこの眼で見たいと高揚した。新宅の石塀の前で鼓動しなくなった久子の心臓の音を探した際、ケイタ君は病院や警察などの解説的な機関よりもなおさら、久子とケイタ君との間に流れた彼岸に託すことにしたらしい。久子は死の間際の衝動を全てケイタ君にぶつけたらしい。私は雅人へ、死人の行方については工事現場で働いているという虚構の内に附帯させ、お母さんは肝硬変で死に遺体は川葬として独自に埋葬し、決して他言してはならないと告げるとは既に、七番町を越えた辺りで決心していた。ケイタ君の私への気遣いは共犯関係に巻き込むことで実現した。私は、そう、イノシシに破られた久子のスカートを縫ってやろうと触れた際、久子からは嫌悪の眼差しでもって、否、生理現象のかのように、私の全存在を拒絶し、イツネとの家族三人分の絵を描いては私の顔、腕、脚、骨、輪郭を青く塗り潰した。私はその塗り潰された絵を見て一遍の詩を書き、マッチの火で燃やして、久子が子供であるという認識を時たま放棄していた。夕暮れに逆らう事のできない憂鬱を夜の川面に映しながら私は大いに脱力した。


私の身体に痛みは存在しない。

空間を分かち合ったついでに失敗した。

全てにおいて失敗した。

女性的な流れの中から逸脱した我欲もろとも、生をかけて生み出すはフジバカマの発見。

苦い青い硝子体から握りつぶされた。

明日が来て、今日に気が付く。

凝視する方とは反対側に誕生のために核融合はあった。

迂闊だった。

徒労だった。

こんなにも産まれ返されることが辛いとは思わなかった。

そんなにもひらつかせたスカートの裾に私自身の面影を探究するとは思わなかった。

記憶に新しい産まれ直しを知っているか。

根から吸った水は全て、誤解だった。

葉から吸収した光は全て、気のせいだった。

潤いに力尽きた、五歳児の威張りっぷりに、三途の川に住めない魚だけを与え続けてご機嫌取りをしていた私はこうにも無残に記憶から抹消されようとしているのか。

なおさら張り付いているから。

なおさら張り付いているから。

なおさら張り付いているから。

滅法弱いのさ、君の愛らしさに犬のおまわりさん。

困ってしまってワンワンワワンと歌って最高金賞。

誇り高き娘のサディズム。

お馬さんになった私のマゾヒズム。

詩ではない。エクリチュールだ。

消しゴムで姿諸共消せば、また新しい家族を迎えるための空白ができるようだよ。

もう一度私を書いてとは言わない。

塗り潰される為の私なら。

来週こそはセントラルパークに連れて行ってやるから。少しはタイガーの黄色も使ってやりなさい。

やりなさい。駄文だ。フンッだ。


キミのデッキは輪ゴムで縛っているから、カードの真ん中に圧力がかかって曲がっているカードが多くなる。それが可哀想に思えたから、灰色のカードケースを貸してやった。キミは気に入ったようで、ビックリマンチョコシールを無造作に貼って、そのうち青い髪の女のシールはボロボロだった。遊戯王なのに節奏がないなと感じたが、キミのカードをカードケースから出す一連の動きのスムーズさを見ると気に入ってくれて良かったなと思う。夏休みは僕の団地のマンションの階段のスペースでキミとはデュエルをしていて、たまにキミが連れてきた妹ちゃんにはよく邪魔されて、無視をしていたらカードをマンション外に投げ飛ばされたり、おちんちんを強く掴まれたりするから大変だったな。キミは妹ちゃんにも遊戯王を教えたようだけど、キミが教えていては妹ちゃんは強くならないなと思った。何故なら、キミは妹ちゃんに対する罪悪感を引きずっている。キミが妹ちゃんに嘘をついて無理矢理交換して手に入れた『ダイヤモンド・ドラゴン』のキラカードを意気揚々とはひらつかせない感じが、妹ちゃんへの指導を完全なものにできない原因だよなと。僕が見たところ、そりゃあ妹ちゃんのデッキは無駄な効果モンスターばっかりで、文章をまだ完璧には理解できない妹ちゃんにキミが嘘ばっかり教えるから、カードの事よりも兄ちゃんであるキミとのコミュニケーションが叶う満足感だけによって、遊戯王をやる意義を掴んでいるから、キミと妹ちゃんの間にいる僕は敵になるよな。モンスターで攻撃するより、実際に妹ちゃんのその手で僕を攻撃した方がそりゃあ早いことになるよな。でもそれはそれとして、やっぱり、キミが罪悪感無しで妹ちゃんに遊戯王を教えてやれば、その怒りもゲームの中で展開できて、へたしたら僕らよりずっと強くなると思う。嘘でも良いのよ。今まで雑魚カードと交換ばっかりしていた事がバレてしまうのが嫌なのであれば。ただ、その場合キラカードはやっぱり返してあげて、フェアな立ち位置でデュエルし直すことが大切。キミが母ちゃん死んだって思いっきり何回か僕に言ってきた時ぐらいから、妹ちゃんはキミから今までよりもキミの横顔を見る回数が増えたことキミは気が付いているか? 妹ちゃんにはキミが立ちションしに行っている間に『融合』のカードを渡しておいた。キミと妹ちゃんはフュージョンして、二人三脚でやっていくべきだなと思う。だからこそ妹ちゃんを騙すのは良くない。妹ちゃんの力を大いに借りるべき。キミにあげた『死者蘇生』のカードは商店街の中古屋で見つけた100円の中古。妹ちゃんにあげた『融合』のカードはその時、店員のムーチンさんがおまけでつけてくれたやつ。ムーチンさんも、閉店セールや顔ひきつらせながら笑ってて、正直100円なのが申し訳なかった。千円でも一万円でもその時のムーチンさんには渡してやりたかったな。キミにそれを伝えるべきか僕は迷っている。キミは今、何かを失うことにとても敏感なんじゃないかな。妹ちゃんが、キミを見ているのも、キミが妹ちゃんをしっかり見ないようになったからだと思う。キミはたぶん、まだキミの母ちゃんを探している。失ったことをまだ全然、これっぽっちも信じてないな。僕にはそれが分かる。だから『死者蘇生』の『死者』はキミの母ちゃんだとわざわざ僕の方からも示した。キミが「死んだ」「死んだ」と言っていたのは、母ちゃんと今もつながっていようとしたからだなと思ったから。基本、誰かが死んだ時、人は黙るよなと僕は思う。だから。妹ちゃんは一言も「死んだ」言わないよ。それは分かっているから。キミとの融合を待っているから。キミのバアチャンがキミに遊戯王のBoxごと買ってあげようになったのも、同じことだなと思う。正直、それに関しては多少は羨ましい。サトルだってそこそこ君には気を使っていると思うよ。にしてもあいつの家族は良いよな。皆、仲良さそうで。おばちゃんちょっとヒステリーっぽいけど。


僕のターン! ドロー! 『エルフの剣士』を攻撃表示で召喚! カードを二枚セットし てターンエンド!


お兄の掌はピンクっぽい。水で溶かしたクレヨンを握った後みたいに。お兄はコトネのララちゃんを触らせたくない。持ち方が下手。手に乗せるのが基本なのに、お兄はすぐ掴むそのせいでララちゃんギーギー鳴いた。ギーギー鳴いて、勝手に人間用のヨーグルトあげる時もある。そのせいでララちゃん血吐いて、回し車の下で冷たくなった。私はお母とシクシク泣いた。ララちゃんすっごい冷たくて悲しかった。小さい埃とか、綿とかかが身体についていたからとってあげた。お兄のせいにして、お兄をいっぱい叩いた。でも、今思うと、寿命だったかもしれない。一年と九ヵ月も生きたのだから。たったそれだけしか生きていない。私を追い抜いたのは何年何カ月の時だろう。生き物は死んじゃうのが早い。お母にはララちゃんを買う時、死んだときは可哀想よと言われた。コトネはその時、ララちゃんと出逢いたかったから「うん。分かってる」と言った。でも実際に死なれてみるのとは、その時の決めた感覚とはまた違う。悲しいというより、冷たくて硬い。ララちゃんがこんなわけがない。庭の土に埋めたら、生まれ変わるかもと思って、月桂樹の下に埋めた。お兄は栄養になるだけだと言った。それならそれで良い。葉にでも茎にでもなって、温かくなれば良い。おばあにもその話をした。おばあも昔、三羽の九官鳥を飼っていて、死んだから野良犬にやったらしい。おばあは同じ事のようにそう話したけれど、コトネにはちょっと変に聞こえた。そっちの方が死ぬってことがもっとひどい事のように思えたし、何より「動き」があると思った。野良犬はコトネのイメージでは、茶色で歯は剥き出しで、涎が垂れている。涎の量が足りなくならないか心配になる。コトネは勇気があったから試すことができたけれど、犬は勇気じゃなくて、ダダモレ。九官鳥の死体の方に中心があって、忘れちゃったんだと思う。コトネはおばあの腰を揉んであげる券をおばあの誕生日に二枚あげた。折り紙を半分に切って、白紙の方にクレヨンで「コシモミ券」と書いた。おばあは肩たたきが苦手だった。肩を叩かれると頭がグワングワンして、冷蔵庫に保蔵してあるタクワンの場所を忘れてしまうそうだ。私はばあちゃんには秘密でタクワンの瓶から、タクワンを二、三枚つかみ取ってまた戻したことがある。ぬめぬめして、手は台所のタオルで拭いた。食べるのは少し気が引けた。腰を揉んでいる最中に野良犬に九官鳥をやった場所をおばあに聞いた。六甲山だと言った。だからコトネは、家族で夏休みに登った時に、お見舞いした。だいたい、敷き詰められた枯葉の上にトゲトゲが刺さる葉っぱが揺れていた。川の水の音がチョビュビュチョビュビュと聞こえた。空は見上げないで、家族の方を少し見て、コトノの方をなるべく忘れるぐらいまで、山を一緒に登ったかいがあって、コトネは一番後ろにいられた。それで、九官鳥の死体がここの下に埋まっていると感じた。全部感じたみたいだった。全部というのは、コトネがどうして九官鳥が野良犬に加えられてここで食べられなきゃいけなかったかの理由と、黄色いくちばしが黄色でなきゃいけない理由との、ふたつの理由が感じられた。九官鳥は人間の言葉をしゃべるからすっごいと思った。あとはモノマネにする。笑われるのは嫌いだけど、笑うのは好き。お兄が笑うのも好き。でも、遊戯王をしている時はあまり笑わない。九官鳥は「どうして、どうして、めぐちゃんに、はなそうとしなかったの、こしがいたいよね、いま、きみきみ、こしがいたいよね、めぐちゃんにいわないから、きみきみ、ほら、ほら、おきて、さんじかんめのやすみじかんのかどっこ、ほこりがたまってる、きみきみ、みどりがめのしいくたんとう、すてた、うわばき、はしって、きみきみ、ろうかにそれは、おちちゃった、うんどうかいに、わたしは、どべ、なんにもできない、ゆうしゃみたい」と言ったから、やっぱりすっごいと思ってメモした。お兄は眠っていた。夜中は涼しかった。お兄の背中を人差し指ですーっとした。「動き」はなかった。お兄がもし、野良犬のエサになったらと考えるとちょっと面白い。多分「あううっ」ってとまどう。お兄は夢でよくコトネと庭にビオトープを作った。お兄が起きた時、お兄はコトネに、「スコップ持ってきてって言ったでしょ!」と怒った。コトネは慌てて「ごめんなさい」と言ったけれど何か変な感じだった。コトネは言葉にするのがうまくない。でも自分はまだ7さいだから、と自分でそう思ってるから、チャンスだと思う。今日、明日、明日、明日をちゃんと意識することができるから。でも、言葉が上手くでないことはもどかしい。言葉が上手くでますように。短冊には、国語の点数があがりますようにと書いた。お兄が算数の点数がと書いていたから、コトネもって言ったら、マネしないでと言われたからそうした。最初は空白にしようと思った。言葉がうまくまとまらないのはずっと空白の気分だったから。私は学校に所属していないみたいに、皆の言葉の中の中で「動い」た。だから、食べられる感覚は、ホノコちゃんより、お兄より、おばあより分かるもん。コトネ、お兄が、皆に話している時、うなずきが少ないこと、お母に話していたの知ってる。コトネの方はうなずきが少ないより、その前に、コトネが発表している間は、先生も友達もじっとするわけだから、ごめんねって思っちゃって、コトネが発表しているのをコトネが退屈そうに見ている方にコトネが分かれて、むしろ見ている方に意識はあって、何を言っていたか分からなくなって、忘れちゃいましたって言う。言えたときはまだマシで、ぐちゃぐちゃの言葉を話して、座って、食べられるように待つ。クスクス皆笑ってる。「なんて言ったのー? おにぎり?」「こらー馬鹿にしないの」「じゃんけんぱー」色々聞こえた。コトネの空白も大きくなって、身体におさまっている感じが変。実験室のテーブルで仰向けになって、周りにオトナが四人いて、男、男、女、黒っぽい人。コトネの右足を冷たい手でつかんだのは黒っぽい人で、顔はあんまり見えない感じ。でもコトネはどうしてか、それをお母だと知っている。黒っぽいのは、コトネを産むのが最後の役目だから。だから、これが終わったら、お母は食べられる。コトネをコトネの中におさめる作業を終えたら。男、女、男の顔は社会科研究の旅先で出会った、旅館のおばさんや、シーツ替えのおじさんとほとんど一緒だったから、怖くはなくって、お母の味方だとすぐわかった。そうしたら、突然ガラガラって前の方の扉が開いて、サトル君の声が入った。「でっかいクモ解剖するで!」コトネはでっかいクモと聞くとお兄から渡された効果モンスターの『地雷蜘蛛』の形を思い出した。コトネの『ダイヤモンド・ドラゴン』と交換したカード。お兄は鼻の穴を広げて「こいつは、攻撃力レベル4で2200もあるでしょ? こんなのめったにいないんだよ。本当にいないよ。いけにえ無しで召喚できるんだからね!」と言った。お兄は何か誤魔化したいとき鼻の穴が風船ガムみたいに横に広がる。コトネは、うさんくさいなと思ったけれど、あんまり遊戯王には興味がないからオッケーにした。カードには興味があって、こんなにペラペラなのに、どうして、胸元にぎゅってして大事にしてるんだろうと不思議だった。コトネのあげた『ダイヤモンド・ドラゴン』もぎゅっとして、まるでカードの中にいるドラゴンを野良犬のように可愛がるみたいだった。


 このカードの攻撃宣言時、コイントスで裏表を当てる。当たりの場合はそのまま攻撃する。ハズレの場合は自分のライフポイントを半分失い攻撃し、おばあの腰揉み15分。おばあが、おばあから出ていかないように気をつける。カアちゃん―


A子、B子と商店街の撮影を終え、俺は店長の伊弉冉さんに「助けてくださってありがとうございます」と頭を下げた。撮影中に、二重のゴロツキに絡まれて、撮った素材を全部消せと威圧された。彼女達に向けていたカメラのレンズの先にたまたま通りかかった奥二重が、自分を映されたと勘違いし、短絡的で突発的な怒りでもって体当たりしてきたのであった。俺は最初、何が起こったのか分からず、転倒し、背骨に鈍い痛みがはしり、A子が顎舌に両手を構えているようなポーズで静止している姿を確認してから、何かされた、と気が付いた。カメラは純正の一眼で、二十五回払いで買った代物だったので、本能的にも、バイト中に客に呼ばれた時の返事をする当り前さで、上下左右と手を伸ばした―が、しかし、最悪なことにカメラは既に二重の手中にあり、手当たり次第ボタンを押し始めたので、俺はカメラのみに向かって突進した。二重はカメラを上方にあげて、俺の身体を交わし、反撃とみなしたとして、カメラを地面にぶつけた。カメラはコンクリートの上で一瞬の想像よりも鈍い音を出した。ブチぎれたのはB子で、奥二重の前に半泣きで立ちはだかると、「あんた今なにしたか分かってる? この子、作品制作にどれだけ命かけてるか知ってる?」と、泣いた。俺も、それを見て泣いた。半日かけて撮った素材のことよりも、芝居の時よりも叙情的なリアリズムを彼女の中に見出して泣いた。二重の台詞はだいたい決まっている。「なんやお前」ゴロツキがゴロツキらしすぎて阿保らしくなった。映画祭に一本も選考通過したことがない俺でもさすがに、そんな演出はしないというほどにゴロツキっぽかった。竹垣に少し似ている。不思議に思う。「ヤンキーやギャルってクリシェだよな」と俺はB子にLINE電話で話した覚えがある。B子はそん時、金がない金がない言う俺に『魚基地』でのバイトを紹介してくれた。B子は健康サプリメントのモニターのバイトと掛け持ちで『魚基地』のホールもやっていたのだった。不動産会社の入口に建っている「安く売ります」のピンクに白字の旗の下にカメラは横たわっていた。奥二重に倒されて、起き上がる過程のうちに自然な形でカメラに手を伸ばす必要がある。なぜなら、一旦起き上がってからいざ! という姿勢を見せれば、奥二重が面白がって先にカメラを蹴り飛ばすかもしれない。俺と奥二重のカメラまでの焦点距離は、同等に等しく、B子は俺と奥二重の中間地点に立って奥二重と睨み合っている。A子は泣いているB子の背中を擦っている。ここまでの事態、となれば、奥二重は去ってもおかしくないと俺は思った。カメラを地面に叩きつけることなど、日常ではそうそうないことで、おそらくはオンナを泣かすのと同じぐらいない。で、あるのならば、どうして奥二重の怒りはすっとばないのか。俺だって、大学で竹垣に「ハゲ草」とふざけて呼ばれ続けた時は、腹が立って、「しつこいねん!」と叫んだことがあるが、思ったより響いた自分の声に冷静になった覚えがある。それに、「しつこいねん!」と言いたいだけではなかった。ハゲているのでなく、デコが広いだけであった。親父、はたまた、祖母の遺伝。代々少しずつ、狭くはなってきているようで、祖母のデコの広さときたら、東窓から差し込む朝陽を反射させるには充分で、籐椅子に座ってコーヒーを啜っている時間帯には薄暗い部屋の中に再度光をプロジェクションしていた。比喩ではなく物理的にそうだったのだ。デコが広いほど脳みそがいっぱい詰まっていて賢いんやという祖母の宣言は、脚本に行き詰まりを感じた時に思い起こされる。デコが広いのに書けないはずがないという優生学的な執着ではなく、単に思い出される。特に、祖母は頭が良かったと聞いている。主婦となってからは、その賢さを生活のために集約したため、名声は得られなかったが、学術的な成功を望めたとも母親から聞いたことはある。天体に関する知識に長けているらしい。ただ、それ以上は知らないし、祖母の口からは星の話も宇宙の話も出ない。俺も聴かなかった。祖母と打ち解ける為に宇宙の話は必要なかった。それよりも「ハゲ草」と呼ばれて、困っていると話した時の祖母の堂々とした構えっぷりの方がはるかに宇宙的で、脳みそいっぱいのシニカルなかわし方も、見習おうと思ったし、そもそもそういういなし方が賢いと思った。竹垣に対しての無視の態度は、明らかに気にしていると饒舌に語っていることを示しているのではないか。俺は脚本が書けない時、他に用事を抱えている。他のことを考えてしまう。自分が書けていないという事実を埋めるために文字数だけを稼ぐ。例えば、60分の映画であれば、400字詰め原稿用紙凡そ60枚書くわけだが、1日1枚と決めてしまえば、2か月で脚本は完成する。しかし、日によってテンションは異なる。賢さも変わってくる。登場人物への感情移入の度合いも違う、となれば、全くの荒唐無稽な展開になる。登場人物によって書かされることがあるという脚本家もいるが、信じられない。俺の文章は確実に俺が書いていて、何もこの先に見えなくとも、星のような閃きを期待して、文字だけを重ねていく。「あ」だけで、400字を構成したとしても俺の物語は完成する。「あ」の物語を俺は、撮ることにした。「あ」は味の「あ」。「あ」は「塩梅」の「あ」。「あ」は「愛欲」の「あ」。そうやって文字数だけをとにかく稼いだ脚本はA子やB子といった素人の役者に配られた。撮影現場に向かうまでの間に、俺はFaceBookを開いた。高校時代同じクラスだった竹垣が大学で作った映画が神戸の映画祭で賞をとったらしい。さすがに落ち込んだ。というか、あんな奴、と思った。電車の中で俺はもがいた。あんな奴、が順風満帆に映画撮っているなんてありえないし、到底みとめられない。竹垣は監督しかできないという事を俺の前で雄弁に語ったことがあった。その時、俺はカメラを回していて、機材との関わりによるストレスから、その言葉も甘んじて無視した。「ハゲ草はとんがった映画撮るんやろうな」と目を細めて言った。俺がカメラマンをしたくなかったが故にもがいた時に生じた諸々の所作と言動が竹垣には突飛に感じられたらしく、「とんがっている」と解釈された。俺は竹垣とは二度と映画を撮りたくないし、金輪際関わりを持ちたくないと思ったほどだった。無論、ハゲ草と称してデコが広いだけであるという真実を平気で己の世界観によってのみひん曲げて満足しているその姿も俺は許せなかった。俺がまるで彼の手中にあるかのように彼は俺を把握している態度を見せた。俺は未だに竹垣の事を許せないでいる。というより、つまらない。彼の映画は心底つまらないと思う。どうつまらないかと言えば、彼自身が己の見識、つまり異人を異人としてしかとらえられない彼の狭量な心の狭さに彼自身が気が付いていない。軽蔑と言い換えても良い。例えば、彼が監督する映画に出て来る悪党はそれぞれの葛藤や二面性を放棄され最後まで悪党としてのみ描かれ、討伐の対象として最も適切であるかの如くキャラクターの一義性に依存している。馬鹿だ。竹垣は馬鹿だ。それゆえにほとんどが馬鹿を占める大衆には受け入れられやすく、映画も評価されやすい。彼の獲った賞も観客賞だった。馬鹿は馬鹿とつるんで、それっぽい人生を歩んで幸せそうに死ねば良いと思う。だから「あ」しか書いていない俺の脚本はそういう馬鹿がまるで世界の中心に君臨しているかのような錯覚を起こしている世界への幻滅提起でもある。俺にとっては竹垣と出逢ってしまった事が真の不幸の始まりだった。監督という役割に資本主義における社長の如く、彼は抱いた女の数、観た映画の数、撮った映画の数を自慢げに公言し、数こそが他に勝り得る要素として定義付け、最悪の瞬間は『魚基地』での泥酔した彼が「オレの信仰」と、自分の信仰告白をした瞬間に訪れた。その時俺はその時キッチンでヤリイカを捌いていた。ヤリイカを絞めずに、生きたまま捌くパフォーマンスを『魚基地』では踊り刺しと名付け、プラス100円で見せていた。竹垣は「オレ見てられんかも」などと、言いながら、いざ捌き始めてみると、切り刻まれていくイカの胴体を見ながら、やはり映画の話をした。そしてついでに俺に関係する話もした。その時に感じた苛立ちはイカの胴体をなるべくゆっくりと痛めつけていくことに転化し、胴体を切り離されても動き続けるイカには、俺の敗北をまるで笑っているかのような動きを見出して、さらなる怒りを内側で膨らませた。金輪際関わり続けて俺の創作の中でお前を壊してやると俺はいつの間にか、のたうちまわるイカゲソを頬張って噛んでいた。しょっぱく、甘い。いや、甘すぎる。うまい。俺は立ち上がって、カメラではなく奥二重の前に立つと、間合いの良い台詞を互いにかわす間もなく、俺の拳は奥二重の左目にめり込んだ。ごめん、俺は別にお前に恨みはない。できればお前に、殴り返されて、カメラはこなごなに潰して欲しい。俺の監督人生をここで終わらせてくれ。俺は竹垣のあの『魚基地』での発言をまだイカの甘さと共に咀嚼している。お前は竹垣に少し似ている。だから、殴れば当時のそれなりの過去へのシミュレーションが成功するのだ。あの時、殴っておけばそうなったか、お前に教えてもらおう、俺はお前なんかに使われるような技術者ではない。俺はお前より、絶対に面白い映画を撮る。というより、お前みたいな馬鹿の言葉に左右されない、人格を手に入れて、雲の上で美的な作品群とともに、俺は俺の世界を生きてやる。お前のために費やす時間は勿体ない。できればこれで終わりにしたい。お前に馬鹿にされたことは許さないが、そうすることによって自分がお前の幻影と対話し続けることに俺はもう疲れたんだ。もうやめにしよう。戦争は終わりにしよう。お前はお前の映画を撮れば良いさ。だからマウントをとらないでくれ。お前が雄として生きていきたいのと、それへの執着或いはコンプレックスを抱えていることも良く分かったし、俺にはもう関わらないでくれ。お前とは見ている世界が違うんだ。感じている温度も、目的も、人種も全部違うんだ。もしも、俺とお前が許し合えるような仲になれば世界から戦争は消えるだろうな。お前が言った事は俺に対する宣戦布告で、俺はそれを受諾しつつ、そもそもお前の土俵で戦うことが既に負けであるという葛藤から逃避した。お前はもう俺を追うな。そして、俺もお前をもう思い出さない。過去は水に流れるというだろう。許さない俺は、許されなかったお前と共に流れていくさ。戦争が愛を生むような世界の方に。俺はもう疲れたんだ。お前の相手をしている暇はない。俺はこの映画を完成させて、俺の第一歩を踏み出した。俺は俺の世界を作ってからお前の発言と向き合う事にするよ。お前の事は本当に嫌いだった。

親愛なる竹垣へ。


「ハゲ草って呼んでごめん。俺はたぶん男をやめたかった。男である俺は男っぽい言動や仕草をしてみることで自分の人生を虚ろにしていた。俺は女に産まれたかった。お前の方が俺よりずっと面白い。こういう言い方で満足できるか? かかってこいや」


六本木の高層ビルに立ち込めた黒煙を眺めつつ、昨日のタミコとの会話を思い出した。タミコは箸の持ち方は変だった。付き合って二カ月目でようやく気が付いた。言葉で説明するのは難しいが、薬指の可動域が広いのだ。よって、物を掴む度にカチッという音が多少鳴っていて、それに気が付いたのも昨日。タミコは、俺が作ってやったシーフード炒飯をたいらげながら、陰謀の話になった。関東大震災の時、「井戸に毒を入れられた」と嘘をついた人間のせいで大量の朝鮮人が虐殺された話をタミコはした。どうしてそのような話になったのかを遡って追想していくと、黒猫が横切ったら不吉だという話が思い出される。でも、それがどうして陰謀に繋がったのかが思い出せない。「黒猫が横切る時って、不吉なことが起きる知らせを神様がしてくれてるんやで」とタミコは言って、俺は「それやったら、そもそも黒猫が横切ることが不吉って事を本人が知っとかなあかんちゅうことやろ?」と答えた。海鮮チャーハンにはなるべくエビの存在を際立たせたかったので大きなエビを投入した。冷凍を解いたあとでの生のエビを二匹つまみぐいした事も思い出される。いつか出逢う猫にはエビを生で与えてみたいとも感じた。僕は猫の動画をYouTubeで良く見ている。中でも猫が生魚を喰っている映像を見るのが日課となっている。朝、だいたいタミコより俺の方が先に目が覚めるが、不細工かもしれないタミコの寝顔を見たくないのと、万が一屁でもこかれたら恋情の全てを失ってしまうかもしれないという恐怖心に付随した防衛本能により、僕はイヤホンを両耳に突っ込んで、YouTubeの動画を漁り出す。タミコは出勤時間の三十分前には起きたがる。アラームをかけているクセにほとんど聴こえないかのように爆睡しており、俺が肩をトントンとするか胸を無造作に揉みしだくかしないと起きない。アラームが鳴るまで僕は、猫、スペース、魚で検索して出てきた動画をかたっぱしから観ていく。まだ吊り上げられて間もない息のある魚にメリッと牙を喰い込ませて、かみ砕いていく猫の無邪気な残酷さに、僕は没入する。身体が半分になってもなお、まだ生動が感じられる尾鰭にも容赦なく食らいつく三毛猫に僕は何か自分の生きづらさを凌駕してくれる何かを見出そうとしている。僕は現在、休職中で、精神科では双極性障害の疑いがあると言われた、というよりも言わせた。病院に行くのであれば、何らかの病名を貰っていた方が後々、周りに説明もつくし、医者には申し訳なかったが、多少はおおげさに立ち振る舞った。例えば質問に対して、なるべく絶望的な応答をし、ある程度の自分の見解を踏まえつつ、双極性障害らしい振舞を意識しなかったわけでもない。気分の浮き沈みはかなり激しいが、確かにこうしてタミコと背中をくっつけあって眠っている時は、どちらにせよ精神的安定が得られ―昔母親と背中合わせで眠っていた記憶と重なるかであると思うがタミコには勿論言っていない―猫の動画を観ることで欲求に躊躇のない姿に確からしさを発見し安堵する。タミコの胸を揉みしだく行為にリビドーは欠落しており、むしろ、一日の始まりへの不安を払拭するための母性的な愛へのコミットと言い換えられる。今日も安定して憂鬱な一日が始まる。おそらく僕はもう職場には復帰できない。僕はそのように守護霊に言われた気がする。守護霊という言葉を放った瞬間に人間関係は分断される。守護霊を信じる人と信じない人に。守護霊がいるのであれば、事故に遭うこともない、病気にかかることもない、受験に失敗することもない、というリアリストの理論を招くことになる。しかし、一方で、あなたも感じていたのね! という熱烈な共振を得ることも同時に叶う。それがタミコとの恋愛。タミコは教員になる以前に働いていた広告会社で上司及び社長からの多大なるパワハラ、セクハラのもと、会社を退職せざるを得なくなった。しかし、それらはタミコ自身との共犯によって自己都合退職に追い込まれ、タミコはそれを会社と完全に縁を切るためだったと言った。僕は然るべき法的な手続きによって、糾弾すべしという趣旨の話を半熟オムライスの卵をフライパン一杯に広げる際中に柔らかく伝えたはずであったが、タミコはもう良いと言った。タミコは、広告会社で理不尽なこじつけによってクリエティブな仕事を奪取されているストレスから占いを始めたのだった。元々はネットにあがっている占い動画を観て一喜一憂する程度であったが、その操作性を自分側に移行させることで、世界の動きを何とか自分の方へ取り戻すべく、書店にてルノルマンカードを手に入れた。解説書とセットになっており、値段は4000円を超えた。初心者でも簡単に占えるようになっており、出たカードには基本的な意味づけがされていた。ルノルマンカードは西洋風の男性と女性の姿が描かれたカードをキーカードとして使用し、占いの対象者の男性性が強ければ男性、女性性が強ければ女性を使うとタミコは言っていた。それはおそらくジェンダーについて問われるようになった現代だからこその新解釈であると僕は捉え、守護霊もその話には頷いた。僕の守護霊はクリミア半島で教会を追放され資格を失った自称牧師であり、世間の動向に関しての鋭い視座を僕に与えようとする。目の前の張りぼての事象に惑わされぬための真理追求によってのみ、開かれていく道を歩めと僕に言う。僕は、窓から差す燐光の欠片に一瞬少年の嘆きを聞いた。その少年の話を後でタミコにするとどうやらタミコの教え子らしく、生霊として立ち現れたのだと分かった。少年は薄暗い壁に向かって背を向け、おそらく学校でグループワークとして作成したのであろう自分の新聞を見つめながら深く絶望していた。ニュアンスとしては、拒絶、自信喪失、諦観、悲しみ、倦怠、憂い、自己嫌悪といったところか。どうやら制作過程に何かしらの問題があったらしい。彼は集団に属すれば属するほど、孤独を見つけてしまうようだった。彼はその反面、期待をしていた。人は人に対して、無償の愛による根本的な関わりがあると。彼は勇気を振り絞って意見を言ったようだが、彼の言動に無償の愛は与えられず、集団論理のうちに否定され、彼自身もその論理に納得し、彼自身を責めているような感覚がある。とまで、タミコには語った。付き合って欲しいという契約提示以前に、どうしても僕達の間にその少年の姿が纏わりつき、言及せざるを得なかった。タミコはパフェを食べていた。白くて甘い。あるパフェのようなものを形容する場合、その素材、味、値段、形、重さ、色と様々な要素からヒントを得られるはずだが、白くて甘い。ただ、それだけの言葉しか出ない不自由さを抱えている気がするのもその少年の性質が乗り移ったかのようで、僕は絶対に少年の味方でいたいと思った。タミコは少年の事を、雅人君と言った。そしてタミコは次に子供嫌いの話を滔々と語り、さらには子としての自分の話をし、挙句の果てにはその視点からの親嫌いの話までに発展した。垂水のバーでせっかく良い雰囲気になっていたのに、タミコは容赦なく、唇を細めて不満そうに天井の一点を見つめながら、僕に次の様に語った。内定を貰う前、両親は頑なに教員になることを推してきていた。母親は「公務員は安定だから」の一点張りで、父親は「何のための免許だ」「怖くないのか」の二点張りだった。特に父親の言う「怖くないのか」には意味が分からなかったが私を逆上させるなんらかのニュアンスが含まれていて、「あんたらみたいに普通に生活して、普通に死んでいく方がよっぽど怖いわ!」と、当時家族に吸収されていた私だからこその刃を向けることができた。親というのはみっともない存在だ。これぐらいの未来を想定してSEXした夫婦が世の中にどれぐらいいるのだろうかと考えた。子供に振り回され、暴力を振るわれ、親が精神を病むケースなんて幾度となく見てきた私にとって当時の自分と親との関係性を振り返っても、やはり親存在そのものの放埓さに苛立つ。だから私は結婚なんてしないし、ましてや子供なんて生まない。こんな世の中に何の希望を持たせて子供を生もうとするのか、よく分からない―と。僕が、じゃあ結婚はやめておこうと言った事がタミコへの求愛行動となり、彼女も承諾した。僕はどうしても気になった。どうしてタミコは神様を信じているのにそんなにもニヒリストになれるのか。僕はタミコを霊視しようとしたが、輪郭が霧のようになって見えるだけで、それ以外は特に何も見えない。僕は、水を一杯注文し、酔っ払ったタミコに与えた。付き合うという段階においても、アルコールの勢いというのは僕にとっては邪魔に感じられ、そもそも僕には全く関係無いはずの花田君の幻影が見えるのも、実は彼の事を相当に気遣うタミコの想念を受け取ってのことかなと感じた。僕はタミコのどういうところが好きでアプローチをかけたのか、再度、酩酊状態のタミコを部屋まで送り届け、壁にゲロをぶちまけた時に考えた。タミコには秘すれば花なりとは全く真逆の魅力を感じる。つまり、何も隠していないその汚さが僕の奉仕の精神を呼び起こし、愛おしくてたまらなくなる。恋情というより、愛であるが、愛というより、恩寵であった。会社で僕は隠されている全てに怯えていた。例えば、僕に顧客データをまとめるように要求するリさんに対して、「顧客データをまとめておいてください」と僕にそのように発声したリさん以外の全てのリさんが気になって仕方がなくなった。リさんは一体何のためにこの会社に属し、どういう経緯で、どのような心情で僕に顧客データをまとめるように言うのか。僕は気になった。僕はリさんの言動によってPCに向かい、電源を入れ、EXCELを起動させ、リさんから送られてきた顧客データの資料を、項目に分けて、数値化し、整理するだろう。しかし、リさんがそれさえ僕に対して言わなければ、僕のその後の行動は消滅する。代わりに、契約して頂いたお客様へのアメニティグッズについて考えただろう。僕は、法人であれ、個人であれ、目の前にいる人それぞれとの関係性に繊細になった。無論、法人の場合は、会社の意向を暗に背負っているため、半ば操り人形のように、取引のお客様の肉体も発声されることに、これまたその言葉に至るまでのその人の全てに興味をそそらざるを得なかったが、ある一定時間に私も操り人形として同じく場を離れねばならぬ事から、強制的に揺らぐ感情もシャットアウトされるが、リさんは僕の後ろの席に座り続けていた。つまり、沈黙の共有がある。沈黙に生産はできない。何かを発して、初めて人は行動し、物が作られ、売られる。沈黙はそれぞれがキーボードを叩く音によって否定され続ける。何かを発しているから、私たちは生産の過程に属しており、正しいという満足感。でもしかし、顧客データをまとめる正しさに僕はまだ気が付かないまま、数値を入力し続ける。新入社員の頃、分からない事があったら聞くようにと言われた。分からない事ならたくさんある。どうして、この会社は成り立っているのか。どうして会社はできるのか。どうしてCO2削減はうまくいかないのか。どうして廃棄物は周辺国へと投機され、隠蔽されるのか。リさんはどうして日本へやってきたのか。日本とは何か。国境とは何か。境目を通過するとは何か。どうして、こめかみに汗を濡らしているのか。業務と関係のないこととは何か。関係するとはどういうことか。疑問を持つとはどういうことか。雑と丁寧は何が違うのか。笑い方が官房長官に似ているとはどこがどう似ていて、政治とは何か。投票とは何か。紙とは何か。叱咤されると何か。叱咤。そうそう、リさんの叱咤によってようやくこういった思考回路も断絶し、業務サイクルの中に自己肯定感を見出せるようになる。僕は一体何なのか。音楽とは何か。リという名前はどこから来たか。核とは何か。恒星は核融合を使って誕生したらしい。恒星は死ぬ時、これまで貯めてきた生を爆発させ、広大な光を生む。分裂した星の欠片はまた星の誕生の原石となる。輝きは消えるものではなく、敷衍していくもの。花田君は誰かの欠片を手にして、カードを引く。カード。「このカードに俺の全てをかける」と、山札から一枚カードを捲った。捲ったカードを見て花田君は笑った。命を含む全てをかけたその折れ曲がったものを伸ばしたようなカードには、花田君の光が宿っている。その光にまたある女性の幻影が浮かぶ。おそらく母親であろうか。スーパーで小さな花田君がポケットを裏向きにして泣きじゃくっている。どうやら、大切にしていた何かをどこかに落としてしまったらしい。母親は花田君を宥めながら、躊躇なく商品棚の下を、海老のように背を曲げて覗いている。そこへやってくる店員の眼鏡の男、母親に何らかの事情を聞いている。母親は頭を下げて、花田君を抱えてすぐに立ち去った。ああ、なるほど、お母さん、花田君が落としたのはあのキラキラのカードですね、それはスルメイカの駄菓子のケースの横にすっぽりハマっているようです。あと半日後に眼鏡の店員が朝清掃の際見つけるようです。しかし、母親はさすがに諦めて、泣き止まぬ花田君を強引に助手席に乗らせて、車を発進しました。カアちゃん、僕のためにカアチャンには興味の欠片もない遊戯王カードの話を聞いてくれてありがとう。カアちゃん、ボクはね、良く分からない。カアちゃんは何でもよく分かってるみたいに車を動かせるから凄いと思うよ。カアちゃん、ボクはね、大人がね、動いた方にね、世の中は流れていくみたいに見えるけどね、ボクは同じようにその流れに乗る自信がないの。ボクより先に産まれてきた人はね、ボクより前に世界を知っているような顔をしていてね、その中にボクを位置付けようとしてね、それでもしできなかったらボクはいないことにされるの。カアちゃんはしっかりいたと思うよ。だって、皆「死んだ」って言えたもん。ボクはまだ死んでいるようなものだよ。仮に流れに乗れたとしても、乗れない子達の才能の輝きをボクはずっと探すと思う。サトル君のトオちゃんはもしかしたらそれを探しに行ったのかもね。自殺はいけませんよって先生が言う頃には次の新しい死に方ができているから、そうやって言う先生は、全部から逃げているんだ。自殺する人って自殺はいけないことだと分かってるからするんだよね? いけないことってうまく生きている人に決められた世界に納得がいかないからするんだよね。逃げた人の方が流れに乗れる世界にバーカって言ってるんだよね。皆がサトル君のトオちゃんの事を知らないフリして逃げなかったら生きていたよ。僕には分かる。学校なんて苦い壁みたいだよ。カアちゃん。ボクは新しい誰にも負けないデッキをつくるから、もうあんなカードいらない。ボクはもう泣かないよ。泣かない。生きていかなくちゃ。

カアちゃん、

コトネの新しい口癖知ってる?

「滅びの爆裂(バースト)疾風弾(ストリーム)!」

 へへッ―

 (終わり)


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