二人
真たちはよろよろと歩いて、すぐに山の途中で夕暮れを迎えた。つまらないことをしたせいで歩くのもつらくなってきた。岩の陰で焚き火をして、干し肉を食べ、寝ることにした。彼女は真の外套の下、うずくまって寝た。夜中何度も蹴飛ばされて起きたが、目覚めは清々しい気持ちがした。彼女の表情が柔らかい。少なくとも真は、ようやく二人の旅になったような気がした。夜になる前に焚き火をして、二人で粗末な夕食をしがんで、彼女を抱えるように寝た。朝は二人で一緒に歯を磨いて、顔を洗い、日が昇りきらない間に歩き始める。夜には寝て、朝とともに起きて、昼はひたすら歩いく二人の旅だ。食べられるものは食べて、盗めるものは盗む。しかし人殺しはしない。何が起きるかわからないのに、まだ起きてもいないことで頭を悩ましている暇などない。
昼過ぎ、真は川の畔で洗濯をした。寒いので水には入れないものの、粗い目の布巾で体を拭うことくらいはできた。これだけでも清潔に保てるので心地よい。ちなみに僕は彼女の下着(褌)も洗わされた。単なるさらし布だが。どうも気にもしていないらしい。女の子の入浴を覗こうとしたときは叱られた。この世界の常識は自分自身で経験するしかなかった。この世界に限らず、どの世界でも同じようなものかもしれない。経験ほど強いものはないということかなど考えながら洗濯をして、枝に干した。
真が洗濯をしている間、レイは焚き火を起こしてバグダの毛を繋げて、サワガニに骨でてきた針を付けて魚を釣っていた。
今日はここで泊まるのか考えた。
しかもよく釣れる。
焚き火から魚の焼ける匂いがしてきた。
「問題は旨いかどうか」
懐かしい。調理した魚など久々だ。
唾が溜まる。
「マコトが来るまで我慢だな。とにかく本名はやめさせないといけないけど」
☆☆☆☆
外套にくるまったレイは、ときどき焚き火の魚を返して焦げないようにした。今夜はたらふく食べられる。真は洗ったものを岩に干し、石ころで飛ばないようにしていた。慌ててレイは竿のところに戻ると、真が焚き火を覗いてきた。
「ナマズ?」
真が言うのが、おそらく魚の名前だろうとは思うがレイも知らないので首を傾げた。
真は匂いを嗅いだ。
レイも興味津々として見つめた。喜んでくれるかなと期待したが、真が幸せそうな顔をしたのでホッとしたところ、また釣れた。
片腕ほどの大きさがある
格闘の末、岸に引きずり上げたのは、焼かれている魚に似てはいるが、緑と青の混じったような色で、ヌメヌメとした皮をしていてた。
「食えるの?」
何か尋ねられたので、レイは焼かれている魚と釣ったのを交互に指差した。
真はうめいた。
レイは革のホルスターから汚いナイフを抜いて、急所を突き刺して締めた。
レイは水辺で腹を割いた。内臓が溢れ、とんでもない臭いに襲われた二人は吐いた。
「臭っ!」
目に染みて涙が出てきた。
何とか二人で焚き火に戻ると、レイは焼けた魚を食えと差し出した。どんなものでも生では臭いが、焼けば何とかなるはずだと促した。
真はかじると笑った。レイも安心して背にかぶりついて、すぐに吐いた。
何度歯を磨いても臭いは落ちず、歩いていても数日は藻のような臭いがこみ上げてきた。
誰も釣らないはずだ。
だから釣れるんだ。
☆☆☆☆
比較的大きな村が現れた。あれからしばらく彼女の急ぎ旅は影を潜めていた。少し休憩がてらに寄ろうということ話になった。ここは彼女のいた村とは大違いで、宿や食堂がある。どちらも贅沢すぎて使えないが、お互いに興味は捨てきれない。さすがに覗かせてくれとは言いにくいが、彼女は食堂の女主と話をつけた。
彼女ついて旅で理解したことがある。
誰にでも話せるコミニケーション力があるということ、隠しごとがあるときは動きが忙しなくなること、ラストはやさしいこと。
暗いので、彼女の希望で道に面した窓際の薄い板のテーブルについた。出口にも近い。頭上にはむき出しの梁が通っていて、二階の床と天井が一体になっていた。これではすき間から丸見えだなと思っていると、彼女はすき間と自分の股を交互に指差した。情けないくらい考えていることは変わらないのかと苦笑した。
二人の前に冷えたどろっとしたものが運ばれてきた。豆のようなものが入っていて、肉のようなものも入っている。焦がしたシチューのようなものだが、これは食べてみなければならない。一緒に出された丸い焦げたものは湿気たパンだな。フォークもスプーンもないが、どうやって食べるのかお互い観察した。
真はパンをちぎった。
これですくって食べる。冷えきってはいるが、まさしく素材の味しかしないシチューだ。パンは膨らんでいないが、味はパンそのものだ。がっつりと食べ終えた頃、女主人がフォークとスプーンを持ってきた。
真は指で呼ばれた。
彼女は目で出入口を見た。そして頷いたかと思うと、荷物を抱えて一目散に逃げ出した。
まさかなあ。
もちろん真は逃げ遅れたが、ここで謝っていてもしようがないことくらいはわかる。追いかけられながら村を駆け抜けた。こうなれば二度と村には来ることなどできない。
来ないけど。
来ないからいいのか。
なるほど。
☆☆☆☆
次の村では彼女は目ざとく潰れた木桶を見つけた。そして子どもに何やら尋ねた。同じような背格好なのに彼女は子どもではなく、一人前の旅人に成長していた。わかったことは彼女はコミュお化けだということだ。たいてい好かれる。子どもたちは彼女の手を取り、無邪気に裏へと案内した。四角く長い樋から湯けむりが溢れているのが見えた。
「風呂だ」
この村は山から温泉を引いているようだ。大量に溢れるお湯に頭を突っ込んだ。ぬるいが気持ちいい。脂で固めた灰を頭に塗りつけて髪をこすった。バサバサになるがネチョネチョよりマシだ。彼女も同じようにした。もっと大胆で、軒下に立てかけてあるタライを勝手に使い、全身を洗った。ほっと一息ついたときだった。怒声が響いた。眼光鋭い老人が睨んでいた。とっさに彼女は外套で裸を隠した。真以外には決して見せようとはしないのは、彼女なりの価値観があるのかもしれない。誰が勝手に使っていいと許可したんだと怒っているらしいのだが、普通に考えると、謝るしかない。
子どもたちが老人のズボンを引っ張った。ん?どうした?という顔をしていた老人から笑みが零れた。そして何やら彼女に話した。
交渉だ。
風呂を許す代わりに、五人の子どもたちを湯に入れてやれというようだ。服を脱がせて、体を洗ってやるのは彼女で、洗濯は真がした。どこからか話を聞きつけて、子どもがどんどん増えた。収拾がつかないようになってきて、干すのは村の若い子、子どもを洗うのは老婆に任せ、終わった頃には日も落ち、また自分も入らなければならないくらい汚れた。体のゴツい老人は、桶の湯を捨て、新しい湯を溜めた。
「極楽極楽」
「ゴクラクゴクラク」
「マネすんな」
真は彼女に笑った。
真たちは今夜、久々に屋根の下、狭く暗くて冷たいもののベッドで眠ることができた。たまにこんなこともある。二人で寝て、翌朝目を覚まし、裏庭でいつものルーティンをし、苦いお茶と暖炉で焼いたじゃが芋を食べた。
村のはずれまで子どもたちがついてきて、派手に何やら歌っていた。やがて石柱のところで、一人大きな子が止まると、枝で真と彼女の両肩にトントンと打ち、大げさに空に両腕を広げた。真たちも同じようにした。身を守るおまじないのようだった。一度振り返ると、すでに子どもたちは山の向こうに消えた。真も彼女も機嫌が良い。なかなか食料も補給できたし、気持ちの良い湯も浴びたし、何はともあれ久々の布団で寝られた。自然と笑みがこぼれる。




