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野宿

[レイ]

 額の眼に触れられて、レイは拳を出した。頭で考えることすらしないで殴りつけた。


「わたしは村の奴らと同じだ」


 やがて森を抜けた。

 視界一面が草原だ。

 レイはまことがいつ拳が飛んでくるか恐れていることに気づいていた。


「ゴメン」


 これは謝る言葉だとも気づいた。殴らないでという意味なのか、気にしていることをしたからなのかわからないが、彼は抵抗することもなく一言「ゴメン」と呟いた。レイが謝らなければならないのに、うまくできない。どうすればいいのかわからないまま無言で歩いた。

 ずいぶん腫れていた。

 休憩できるところを探した。なかなか見つからないので余計に急いだのが悪かった。


[マコト]

 真は必死で歩いた。

 次第に体が熱を帯びていた。

 あれだけ昨日から殴られたのだからしようがないが、ここで倒れるわけにはいかない。意地でも何でもなく、真には見知らぬ土地で捨てられて生きていく自信はない。

 背後の森が特殊で、基本的には低木の雑木林が点在する草原が広がる地域だ。青く澄んだ空には薄い雲が見える速さで流れ、草原は風のいるところを示すようにざわめいた。


 秋だな。

 風は気持ちいい。


 でも不安な気持ちになる。

 真は両手を頭上で組むように伸びをした。

 全身が軋んだ。

 すると革紐がグイッとした。

 彼女は歩いた。

 もし今が秋だとすれば、いずれ冬が来る。収穫や広葉樹の葉の具合からして秋と言える季節には違いないが、間もなく冬になる前に捨てられたのかもしれない。真には捨てられることのつらさはわからないが、せめてこの子が前向きにいてくれればいいがと考えていた。

 また少女は革紐を引いた。

 遠くの白い岩を指差した。指の汚れ具合から少女は村で懸命に働いていたことがわかる。


「あそこへ行くのか」


 少女は革紐で答えた。

 真は彼女と主従関係など結んでなるものかと反抗した。奴隷でもなければ家畜でもない。わからなくてもいいから、せめて言葉で伝えてくれと訴えたものの通じてはいない。

 草原の中の道は遠くに見える岩から離れ、また近づいて、また離れを繰り返していた。このまま一直線に行けばいいのに。真は革紐を掴んで抵抗し、直線方向を指差した。

 ようやく意思が通じた。

 顎で命じられた。


「顎か」


 真は草原に踏み入れた。

 しかし一歩目で諦めた。

 沼地だ。


「どうすればいい?沈んでる」


 少女は革紐を真の脇に巻きつけて力任せに引き上げた。泥塗れで歩いた。溜息に似た空気が流れた。乾いた泥が落ちる頃、夕暮れが近づいてきた。一つの塊に見えていた岩が、いくつもの巨石が積まれていることが見えてきた。

 何やら弦の音が聞こえる。

 声がする。

 空に人の熱気が昇る。

 ここは町だ。かつては白かっただろう巨石に囲まれていた町だ。出入口からそう見えた。


「町かなあ」


 真は彼女を覗き込んだ。彼女は一点を見たまま答えない。町には入らずに迂回し、草原と道と壁の外れで腰を降ろした。周囲に同じような身なりの連中がいた。同志よとはならない。なぜなら真のように首輪があるのは、牛や馬のような奴らだけだからだ。皆四足や六足だ。


「獣扱いだな」


 腰を降ろした彼女は、面倒そうに隣へ座るように地面を叩いた。誰もいないくぼんだ場所を選んで、荷物を盗まれないように背と壁の間に押し込んでいた。

 真は獣と寝るのは勘弁したい。糞尿の臭いと涎に塗れた地面で屁を聞きながら寝るのは一晩でいいと思いつつ覚悟もしたが、彼女の隣でいることを許された。外套を地面に敷いて、同じようにしろと指差した。

 彼女は腰の鞄から出した一尺ほどの棒を小指ほどに食いちぎると、短い方を渡してきた。


「そっちはそれ全部なのか」


 彼女と肉を交互に見た。

 彼女も同じだけを口に含み、残りは丁寧に鞄に戻したので、真は少し恥ずかしかった。

 ずっとしがんでも、いつまでもなくならないし、味ははじめからついていない。わずかに塩味はついていたが、すぐ消えた。たぶん何かの肉だとは思うが、ゴムを噛んでいるようなとはこのことだ。真は彼女のするようにずっとしがみ続けながら、壁際に降ろしたリュックを枕にして、巨石の縁から見える星を眺めた。彼女はかれこれ一時間はしがんでいたが、ついに身を起こし、革製の水筒に少し口をつけた後、肉片のときのように差し出してきた。

 真も同じように飲んだ。

 こんなもので腹は満たされない。

 真はあれこれ考えた。

 新しい家族とはじめて行ったキャンプのことを思い出した。たいした出来事もなく済んだはずだ。迎え入れられてすぐのことだということくらいしか覚えていない。

 義父は気を使っていた。すべてはじめに真に渡した。肉も焼きそばもおにぎりも飲み物もすべてだ。

 寝るとき、美月姉とテントに入った。これは今も忘れられない。隣で少し大人の美月がいて、子どもながらに充満した、たぶん安い香水の匂いに当てられて一睡もできなかった。途中、トイレに行くとき、たしか怖くて必死で堪えていた。


『わたしも眠れなかったよ』


 当時、中学生だった美月は三年後にあっけらかんと笑っていた。他も誰か寝ていた気がするが、もう遠い昔のようで覚えていない。


『でもさ、トイレ行くとき一緒に行ったの覚えてる?真が起きたまんま固まってて。怖がってたの』


 まったく記憶にないが、たまに美月はおもしろおかしく話した。


『手繋いでいってあげたのよ』


 美月の手はやわらかかった。汚れてもいいスウェット姿の後ろ姿は曲線の影を薄っすらと覚えている。


「美月さん……」


 涙が目尻を流れた。うつらうつらしているうちにも腹の底が焼けるように熱くなる。ここで倒れれば捨てていかれるかもしれない。口も唇も腫れて食べるどころではないはずなのに、気合いでどうにかしようとしていた。

 少女が見つめているような気がしたが、熱のせいで何も考えたくなくなっていた。手の平が頬に触れたときは体が緊張した。また殴られるのかと覚悟したが、腫れたところを何度も撫でられた。夢では夜空に深紅の星が流れて彼女の額に吸い込まれたような気がした。


 少女の眼は「深紅」だ。


 なぜか真は思った。


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