表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/9

旅立ち

 やがてマコトは叩き起こされた。

 人というのはこんなときでもよく眠れるものだと呑気に考えて、寝たのではなく意識をなくしていたのではないかと思いついた。

 獣は柵の二段目から憎たらしいほど冷たく見ていた。言葉はわからないままだし、夢でもないことは理解した。まだ暗く、朝もやに覆われた中、小さな広場で縄が解かれた。深い山に囲まれた村だと気づいた。稜線から差し込んでくる光は神々しい。眠れずに見るサッシ越しの光とは何が違うのかわからないが。

 不意に首に革紐を掛けられた。騒がしく暴れなければ殴られることはないと学んだ。

 真は膝立ちで一人の少年と対面した。

 額の眼がない。

 整ってはいるが表情もない。

 言葉もない。

 喜びも悲しみも消した顔だ。

 サンダル履きだが、少し上等の編み込みを施され、甲から膝下まで革が巻かれていた。肌は薄黒く、黒い髪は耳の上で短く刈られ、真を見た黒い瞳は他の村人以上に死んでいた。

 少年は粗末なシャツの上から革のリュックを背負わされ、革の外套をまとわされた。

 真は棒きれで立つように命じられた。殴られないだけマシだと思い立ち上がると、不意に若者に脇腹を殴られた。若者は少年の拳を握らせて、うずくまった真に殴るように教えた。たぶん人に言うことを聞かせるにはこうしろと教えているようだ。少年は真を力任せに殴った。

 真は情けなさと怖さで体が震えた。再び立たされて何度か若者に殴られ、何やら言われたが、少年の言うことを聞けよと教え込もうとしてるような気がした。

 解放された後、真も人の頭ほどの重さのリュックを担ぐように命じられた。肩から外套を巻くように言われ、わからないので殴られて巻き方を覚えた。少年は無表情で見つめて、手には真に繋がる編み込んだ革紐を持っていた。

 老人が真の肩に手を置いて何やら言いつつ微笑んだ末、手にしていた杖を腹に突き入れ、転がる真を両手に持ち替えた杖で突いた。


「いちいち」


 もちろん頭に来たが話す術がない。


「殴らないで話せ」


 次第に村も白んできた。

 光が村人の顔を染めた。

 底意地の悪い顔だ。

 少年と真が村の出入口の橋を越えたところで歓声が起きた。旅立ちの祝いかもしれない。後に後ろめたさの裏返しだと気づいた。


 ☆☆☆☆

 村が見えなくなるところで、透き通る青い空を支えている樹に出くわした。改めて見上げた樹は荘厳で、真は少年に殴られるのではないかと心配しながらも、帰れるかもしれないという期待を天秤にかけて樹に額を押しつけた。

 ぶつけてみた。

 蹴飛ばした。


「帰れないのか」


 気落ちして呟いた。

 少年は無表情に一瞥して、革紐をグイッととした。もう行くぞとの合図だろうが、真は抵抗した。こんな扱いでは聞くに聞きたくない。


「言葉で話しほしい」


 真は自分の唇と耳を交互に指差して伝えようとしたが、少年は無表情で脇をすり抜けた。


「どこへ行く。僕は何だ。なぜおまえの額には眼がない」


 どんなにわめいても相手に響いている様子もないので諦めて、真はしようがなく着いていく途中、何とはなしに少年の額を撫でた。そのとき少年の拳が頬に食い込んだ。睨んだ黒い瞳が見る見るうちに涙に沈んだ。彼は真を殴った自分自身の拳を見つめながら震えていた。


 あ、この子は女の子だ。


 真は気づいた。


「ごめん」


 真は少女の小さな背を見ながら歩いた。次第に重いリュックのベルトが肩に食い込んだ。逃げるにしても、どこへ行けばいいかもわからないのだから、もう着いて行くしかないのだろうなと何度も言い聞かせた。不意に前の彼女が止まったのに気づかずにぶつかった。彼女は真を見上げるように振り向いてたので、また殴られるかと思って転げる勢いで腕で防いだ。


 ☆☆☆

 真は殴られることに慣れているような気がする。もちろん痛いのは嫌だが、殴られたときの怖さは、まだマシだ。しばらく堪えれば済む。うずくまっていれば終わる。いつまでも続くことはないと知っている。

 問題は殴られる前に察することができないことだ。それができれば逃げられるのに、どうしても気づいたときにはうずくまるしかない。


『おまえも食いたいか?』


 ときどきどこかからこんな声が聞こえて気がそぞろになる。木立の木漏れ日の中、ふと自分はどこにいて何をしているのか考える。


「美月さん、どうなんだろ」

「好きなの選びなよ。まだ遠慮してるの?」


 コンビニエンスストアのアイスクリームを前にして、いちばん安いものに手を出そうとしたときだ。


『あのさ、せっかくおごってもらえるんだからさ。高いの食べなよ』


 美月は肩を抱いて囁いた。


『いいからいいから』


 はじめて美月と一緒にカップのバニラを食べたとき、こんな旨いものがあるのかと、美月を見た。あれは夏の夕暮れの公園でのことだ。


 紐でクイッと引っ張られて現実に戻った。現実?異世界が現実になっているのかと首を傾げた。真はこの分なら、ここに馴染むのも遠くはないなと呆れてしまった。

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ