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妄想内でならば逆らってもいいよね!?

作者: 白寺 迅

 太陽すらまだ眠っているような薄暗い時間に目をこすりながら身支度を始める。誰が決めたのか知らないが、社会人の朝は早すぎる。

 今日も例によって、ぎゅうぎゅう詰めの電車に揺られる。網棚にもしぶとく張り付いている広告ポスターを眺めながら、目の前に立つ人の肩に寝そうになっているサラリーマンに、自分の未来を重ねてみたりする。私のような気力のない会社員たちを乗せて、今日も電車は揺れ続ける。


 私はIT企業に勤めている。

 パソコンの前に座ってコードを書いたり、資料を作ったり、他人の作ったくそコードに頭を抱えたりしている、ごくごく普通の会社員だ。


 何度か「この仕事って自分に合ってるのかな?」と疑問に思ったこともある。でも、転職サイトを開いてみるたびに「やっぱここしかないな」と画面をそっと閉じてしまう。


 学生時代は接客のバイトもやったことがある。あれは地獄だった。

 理不尽なクレーム、声だけで威圧してくる謎のベテラン客、マニュアルに書いてない対応を求められた挙げ句に「対応が悪い」と怒鳴られたり。あれを毎日やってたら、私の精神はとうに崩壊していたに違いない。


 営業職? 絶対ムリだ。そもそも初対面で明るく話せる人ってどうやって育つの? 私が緊張で舌を噛んでいる間に、きっと隣の営業職の人は満面の笑みで契約を勝ち取っていることだろう。


 他の業界も一応検討はした。でも結局、どれもピンとこなかった。

 気がつけば、「消去法で残ったIT職」が、いちばん“しっくりくる”職業になっていた。


 ――とはいえ、天職か?と問われれば、即答で「違います」と答えるだろう。


 なにせ、環境がひどい。


 まず、給料と責任のバランスが崩壊している。明らかに重すぎるタスクが、涼しい顔で「よろしく」と振られてくる。定時? そんなものは都市伝説だ。退勤ボタンを押す頃には、外は真っ暗で、晩ご飯のタイミングすら逃している。


 そして、なにより――最悪なのが、上司。


 名前は咲多さきた。30代半ば、身長は平均くらい、ちょっと猫背。メガネをかけていて、いかにも「チーズ牛丼に温玉乗せが好物です」と自己紹介してきそうな見た目をしている。

 さらに、咲多の場合は中身もやばい。


 確かに、業務知識はある。勤勉で真面目。仕事に対する姿勢だけを見れば、部下としては「見習うべき点もある」のかもしれない。でも――

 致命的に、コミュニケーション能力が欠落している。


 何を言いたいのか分からないくどくど長い説明、こっちの理解度を完全に無視したマシンガントーク、そして極めつけは、こちらが一言でも言い間違えようものなら、鬼の首を取ったように揚げ足を取り、論破してくる。


 たとえば、こちらが「資料の更新、終わってます」と言ったとしよう。

 すると「“終わってます”というのは主語が曖昧ですね。誰が? いつ? どの時点で終わったのか、はっきりしてください」などと、まるでラップバトルのごとく詰めてくる。言葉の粗探しが趣味なのか? それとも、それしか自分の存在価値を確かめる方法がないのか?


 そんな毎日が続いて、私はいつしか慢性的な睡眠不足に悩まされるようになった。

 原因は明白だ。咲多である。


 仕事が終わって布団に入っても、咲多のあの無駄に滑舌の良い説教が、脳内で繰り返しリピート再生されるのだ。

 「あの発言はどう考えてもおかしいよな?」

 「私、ちゃんと伝えたのに、あれ、曲解されたんじゃない?」

 「あのとき、こう言い返せてたら……!」


 布団の中で反省会が始まる。いや、別に私が悪いわけじゃない。悪いのは、あのコミュ障ラップマスターの方だ。なのに、なぜ私が一人、暗い部屋で謝辞と反論を何度も繰り返しているのだろう。


 もう、限界だった。


 でも――私だって、ただのやられっぱなしじゃない。

 せめて、妄想の中だけでも逆らってやる。


 どうせ、就寝前の脳内トークルームに咲多が出しゃばってくるのなら、今度は私が主役だ。

 現実で言えなかった一言を、脳内でぶつけてやる。

 あの無表情な顔を歪ませて、ぐぬぬと唸らせてやる。

 時には資料をビリビリに破り、時には立ち上がってガツンと机を叩いて――

 いいか、これはあくまで妄想だ。誰にも迷惑はかけない。


 だから……咲多、お前は今夜も出演決定だ。


 覚悟しろ。

 本日の妄想、上司を完膚なきまでに叩きのめします。

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