1話・秘めた想い
ある夜。目が冴えてしまって寝付かれなかった私はベランダから外へと繋がる階段を降りて、中庭に降り立っていた。宮殿の中は静かだ。誰もが深い眠りについている。
見上げた空には、満天の星が輝いていた。寝間着で外に出てきたせいか、肌寒さを感じて腕を摩っていると、肩にふわりとショールが掛けられていた。
「眠れないのですか? ベアトリスさま」
「カール」
白髪の彼は私を見て微笑んでいた。その笑みをここのところ見てなかったと思う。彼は私をベンチへと誘った。
「お座りになっては如何ですか?」
中庭の花壇は彼が手入れをしている。昼間宮殿を訪れる人々の目を楽しませる美しい花々達も、静かに眠りについているようだ。物音一つしない暗闇の中、ベンチ脇に立つ街灯がほのかな明かりを発していた。
そこに誘われる様に腰を下ろせば、当然のように彼が隣に腰をかけてきた。大公妃となる前の自分に、彼は気安く接していた時期もあった。その日々が懐かしく思える。
「今日は星が綺麗ね。こうしてあなたと星を眺めるのは久しぶりね」
「大公妃となってからのあなた様はお忙しかったですから」
彼の横顔に「そうね」と呟く。大公家に嫁いでくる前はよく、彼と夜空を眺めていた。あの頃が恋しかった。あの頃はまだ夢があったから。
恋をして、好きになった人と家庭を築きたいという夢が。叶わぬ夢だからこそ切なく愛おしく思っていた。
この国の大貴族の娘として産まれた時から、自分は大公家に嫁ぐことが義務づけられていた。その運命から逃れることも出来ないことを知っていたから、自分の秘めた想いには封をして生きてきた。
姑は大公家に望まれて嫁いで来たのが誇りだったようで、舅が他の女性に手をつける度に悋気を起こし、相手の女性を痛めつけていた。苛烈で醜かった。
夫には政略結婚で結ばれた以上の想いはなかった。自分から見れば、夫のロアルドは親戚のお兄さん感覚で、夫も自分を女性として見られなかったようである。初夜以外で同衾したことはなく、ただ一度の交わりで息子に恵まれたことは幸いだった。
星空を仰いでいると、キラリと星が瞬いた気がした。
「あそこで明るい二つの星が輝いているのは何かしら?」
「ああ。あれは銀星と金星ですね。兄弟星とも、夫婦星とも言われています」
「そうなの。二つの星が寄り添うなんて仲が良さそうね」
カールは博識だ。彼はヘッセン家の執事をしていたし、甥であるローダントの養育係も務めていたこともある。庭師なんてさせておくのは勿体ないと思うが、本人がローダントの養育係を終えた後は、好きなことをしたいと言って庭師に転向していた。
「カール。あなたはどうして庭師になったの?」
「大公家に望まれて嫁がれたあなた様の、お気持ちが少しでも癒やされる場所を作って差し上げたかったからです」
「ありがとう。カール」
カールは幼い頃から私の側にいた。子供の頃は執事見習いとして側にいて、私から見れば頼れるお兄さんと言った感じで、実の兄よりも慕っていた。そのうちその思いは、自分達の成長と共に様変わりした。
彼は黒髪に黒い瞳をしていた。子供の頃は愛らしい顔立ちをしていたが、成長するに従って美麗で凜々しい若者となっていく。私と同様に彼に惹かれる侍女達が大勢出始めた。その侍女を蹴散らすようにして私は彼の側に居続けたが、それは嫁ぐ前までのこと。私はその想いを封印して大公家に嫁いだ。
「あなたには色々とお世話になったわね。甥のローダントや、リヒモンドのこととか」
「ベアトリスさまに頼っていただけて、有り難かったですよ。ローダントさまや、リヒモンドさまは好奇心旺盛で教えがいがありました。さすがは父子ですね」
何も言わなくとも、カールは察していたらしい。ローダントやリヒモンドが実の父子であることを。あの二人の仲を取り持ったのは彼だったのだろう。
「いつ分かったの?」
「初めてお会いした時から、お二人の顔立ちがベアトリスさまに似ておられましたから」
ヘッセン家特有の顔立ちをしていたと彼は答えた。彼は何でもお見通しのような気がする。彼になら真相を話しても問題ないだろう。
「ネルケ夫人が産んだ子は死産だったらしいの。それで乳母がヘッセン家で赤子が産まれたと聞きつけて、入れ替えたそうよ。そのせいでヘッセン家は、優秀な長男を失う羽目になった」
「前大公さまがリヒモンドさまを、自分の子だと認めてしまったせいですね」
「そうよ。そのおかげでいらぬ反大公派が発生するし、とんだ目に遭わされたわ」
「大変でしたね」
憤慨して言えば、カールはフッフッフと笑う。昔の仲に戻ったようだ。彼の前では何でも言えた。
「私はね、ごくごく普通の暮らしがしたかったのに。そして好きな人と結ばれて温かい家庭を築きたかった。ヘッセン家の娘として産まれたばかりに、それは叶わぬ夢だったけど」
「そうでしょうか? あなた様は夫には恵まれなかったかも知れない。でも、温かな家族には恵まれたのでは?」
「家族?」
「そうですよ。ウルガー大公にウォルフリックさま。バレリーさまに、ディジーさま。そしてリヒモンドさま。皆さま、あなたさまが大事にしてきた大公家の家族では無いですか」
カールの指摘にそうかも知れないと思った。




