12話・きみは自由だ
「ディジー嬢。ちょっと良いかな?」
そう言われて連れて来られたのは裏山だった。幼い頃に皆に内緒で会っていた場所だ。
「きみはベレニスなのだろう?」
唐突に聞かれて息を飲んだ。彼のこちらを伺う目線に、何もかも知られていそうだ。
「ベアトリスさまにでも聞きましたか?」
「いや。ベアトリスさまからは何も聞いていない。きみを見てそう感じた」
今の自分は赤毛で、幼い頃の自分とは髪色も違う。周囲はネルケ夫人によく似ていることに注目し、誰も自分を大公と血が繋がった者と認識さえできていないのに。あのバレリーさえ、自分には気が付かない中、彼は何で悟ったと言うのだろう?
「いつ、気が付かれました?」
「きみと墓場で会った時だよ。きみが去ってから私はバレリーに、きみがベレニスかもしれないと言った。それを聞いて彼女は倒れた」
「なぜ?」
「バレリーはきみがいなくなってから、教会通いを始めた。神さまにウォルの無事をお願いしていた。ウォルフリック君からは聞いていないのかな? バレリーはね、修道女だったのだよ」
「修道女?」
「その様子だと何も聞かされていないようだね。ベアトリスさまが、ウォルフリックが戻って来るのに合わせて還俗させた」
「そんな……!」
わたしはてっきり彼女は、ヘッセン家のご令嬢として、真綿に包むように大事にされて、暮らして来たと思っていた。だから八つ当たりのようなことまでして羨んでいた。わたしは死人扱いにされ、平民のディジーとなった。一方でウォルフリックは、公子として迎えられ、バレリーと何事もなかった顔をして生きていく。それが許せなかったのだ。
「大公家がきみにしたことを、許して欲しいとは言わない。でも、バレリーに当たるのは止めて欲しいな」
彼はあの頃と何も変わっていなかった。
「私には何をしても良いよ。私はきみの現状を知りながら助けてあげることができなかった」
そんなことはない。わたしは知っている。リヒモンドは、アリアンヌ大公妃にわたしの教育は厳しすぎないか? もう少し優しくしてあげてほしいと言ってくれたのだ。
その日、あの人は機嫌が悪く、「おまえが余計な事をあのリヒモンドに吹き込むから」と、鞭で打ってきた。
「もう少し優しくしろ? これ以上、何を望むというのよ。わたくしに」
何かに当たるように、鞭打つあの人は悪鬼のようだった。わたしはただ、耐えるしかできなかったけれど、自分のことを気に掛けてくれたリヒモンドの気持ちがありがたかった。
でもそれはもうすでに過ぎ去った遠い日の出来事だ。そのことでリヒモンドに、罪悪感など抱いて欲しくなかった。
「もうすでに終わったことです」
「きみはあの人と、手を結んだのかい?」
リヒモンドは警戒するように聞いてきた。彼の言うあの人とは、亡くなったアリアンヌ大公妃のことではなく、ネルケ夫人のことに違いなかった。
「手を結ぶかどうかは思案中ですが、計画は聞かされました」
自分の事をベレニスだと見破った彼の事だ。自分の動きなど分かっていることだろう。彼は有能だ。影の女帝である祖母のお気に入りでもある。次期宰相の座も近いと言われている彼が何も手を打っていないはずも無い。
誤魔化しが利かなさそうな相手に、正直に反大公派に誘われはしたと言えば、彼はあからさまに嫌な顔をした。
「きみはあの女や、狸爺には関わらない方が良い」
「リヒモンドさま」
「これまできみは大公家に散々、振り回されてきた。これ以上、きみに苦しんで欲しくない」
「それはあなただって……」
「きみと同じではないよ。私はすでに大公家に籍がある。前大公によって息子だと認められた。それは覆せない事実だ」
自分は大公家の者だと、リヒモンドは言った。彼は実の両親が誰なのか悟っているようだった。もしかしたら祖母のベアトリスに聞いたのかも知れないし、または自分でその答えにたどり着いたのかも知れなかった。
「きみは自由だ。大公家の事情に振り回されることは無い。もう好きな未来が選べる」
ベレニスという公女は亡くなったのだからと、彼は言った。政略的な駒は必要ないのだと。彼はディジーとして好きに生きて欲しいと言った。
今の自分が好きに生きると言うことは、平民ディジーとして暮らしていくことだ。隣国の養母達と暮らしていくことに不満などない。今までその生活がずっと続けば良いなと、望んでいたくらいだ。
でも、その言葉をリヒモンドからもらった時点で距離を感じた。彼に突き放されたような気がしたのだ。
平民として生きて行けばもう彼に会うことは無くなる。それが寂しいのだとここにきて分かった。こんな想いを抱くのなら再会などしない方が良かった。彼に会いたくなどなかった。
「10年前に言って下さいましたよね? きみは女の子にもどれたら、なにがしたい?って。その時、あたしは髪の毛を伸ばしてリボンで結んで、綺麗なドレスを着てダンスをしたいって言いました」
「あの頃のきみは大公に似せるべく、大公妃に言われて髪を染めていた。しかも赤毛は下品だと言われていたのか、地毛に戻すのに抵抗があったのだろう? 赤毛の自分は嫌いかと聞いてきたね」
「あなたはあたしの髪が黒だろうが、赤だろうが、金だろうが、茶色だろうが関係ない。きみはきみだと言ってくれました。あの言葉は自信を与えてくれました」
その頃から抱いてきた淡い想いが、本人を前にして一層膨らんだ気がする。思えば再会してからこのように二人きりで話したこともなかった。
「あたしあの日、言えなかった言葉があります。赤毛の女の子に戻ったら綺麗なドレスを着て、可愛く髪を結い、ダンスを踊る相手には、あなたがいいと」
「……!」
わたしの想いは伝わっただろうか? それ以上は上手く言葉に出来なくて、恥ずかしさにその場から逃げ出した。彼からの返事など必要ない。平民の娘が大胆にも大公弟に想いを伝えただけだ。
宮殿内では評判の悪い自分だ。いつまでもここに居座る気はない。ここに自分の居場所などない。あの隣国の養父母達に無性に会いたくなった。




