51話・二人の母親
「ここは少し乾燥しているみたいですね。喉が渇きませんか? ちょうどここにワインがあります」
「ワイン? そうね、頂こうかしら?」
ディジーは持参した手籠の中から今度は、ワインを取りだした。丁度廊下には置き場のなくなった講演台らしきものがあった。その上に手籠の中から取り出したグラスを置き、ワインのコルクを開けて中身を注ぐ。その背にしみじみとした口調でネルケが語りかけた。
「あなたも大きくなったわね。確か16歳だったかしら?」
「はい」
「もうそんなになるのねぇ。あなたを妊娠したあたしは、静養地でアリアンヌと過ごしていた時期があるのよ。正妻と、その立場を奪い取ろうとしたあたし。二人仲良くやれるわけがないと思うでしょう? でも、そう悪くなかったの。二人で生まれてくる子を楽しみに待っていたのよ。あたしの膨らんでいくお腹に、アリアンヌはよく触れて話しかけていたわ。まだ産まれてもないのに、お腹の赤ちゃんに聞かせるのよと言って、絵本の読み聞かせをしたり、童謡を歌ったりしていた。静養地にいた使用人も秘密保持の為に多くはいなかったけど、その場にいた誰もがあんたの誕生を待っていた。あんたが産まれた時には、皆が涙を流して喜んだ」
あの日の事を、昨日の事のように思い出せるわと言うネルケは鉄格子から手を伸ばした。ディジーはグラスを持ったまま、動けないでいる。
「それ頂戴。喉が渇いて仕方ないの」
「これには……」
「分かっている。あんたをそこまで追い込んでしまったのはあたしの罪。全て持っていくから安心して」
「どうして、どうして。そんなこと今更、言うの?」
ディジーはワイングラスをその場に叩き付けた。そのディジーにネルケは言った。
「あたしの罪は他にもある。もうそろそろ清算しなくちゃいけないの」
「ディジーっ」
「ディジー!」
静かな牢屋に、ドタドタと人の駆け込む音が響いた。ディジーは駆け込んできた面々を見て目を見開いた。
「バレリー、兄さん。母さん、どうしてここに……?」
「良かった。留まってくれたようですね?」
私が声をかけると、ディジーは両手で顔を覆った。石畳の上のガラスの散乱に、何となく事情は察したけれど、踏みとどまってくれて良かったと思った。
「ディジー、馬鹿なことを考えるのはお止しなさい」
「母さん……」
ロズリーヌは、ディジーを抱きしめた。
「妙な胸騒ぎがして仕方なかったの。あなたが気になって仕方なくて……、こっちに来ちゃったわ」
「母さ……」
ディジーは、迷わずロズリーヌに縋りついた。声にならなかったものが泣き声に変わっていく。
「あなたは記憶を取り戻していたのに、気遣ってあげられなくてごめんなさい」
私達はロズリーヌには、何も言っていない。それなのに母娘の絆は深いのか、一目見ただけでロズリーヌはディジーの状態を察したようだった。
「苦しかったわよね? 記憶喪失の振りをさせてきたあたし達にも問題があるわ」
「違う……、違う。母さん達……、関係ない。これはあたしが勝手に……」
泣きすがるディジーをあやすように、その背を撫でる。ディジーが泣き止むまでそうしていたロズリーヌは、ディジーが落ち着くと、鉄格子の中のネルケと向き合った。
「初めまして。あたしはロズリーヌと申します。隣のアルノ国で花屋をしています。この子はこの年まであたし達と一緒に暮らしてきました」
「あたしはこの子の産みの母よ。あたしを殺そうとするなんて恐ろしい子だわ。さっさとこの子を連れて行ってくれない?」
ネルケは命を狙われただけあって、ディジーを突き放したように見えた。ロズリーヌはディジーの手を握った。




