37話・アリアンヌ大公妃の意向
「大叔母さま」
「そろそろあなたに話してはおかなければと思っていました」
前大公夫人ベアトリスは、サンルーム付きの応接間で私の訪れを待っていた。この部屋は大叔母のプライベートな部屋で、訪れる者は限られていた。つまりあまり他人には聞かれたくない話や、交渉事で使われる部屋だ。
大叔母に呼び出しされて赴いた私の為に、彼女自らお茶を入れてくれた。
「あなたには何となく分かってきたこともあると思うのだけど、10年前記憶を無くしたのはウォルフリックではなく、ベレニスだったのよ」
事の発端は、それだったと大叔母は言った。今のウォルフリックには齟齬を感じていた。彼の語る隣国での暮らしは10年前から始まってはいたが、彼の養父母とされる親との暮らしはその前からのものに思われた。
「驚かないのね? もしかして予想していた?」
「何となくは。大叔母さまが修道院にいる私に会いに来て『ウォルフリックが帰ってきた』と言いましたが、そこで気になったのは、その『ウォルフリック』は、私が10年前に親しくしていた『ウォル』なのかどうかでした」
「それで?」
「大叔母さまはこうも言いました。私の産む子が後に大公の座に就くと。その言葉で、帰ってきたウォルフリックはウォルではないと悟りました」
10年前に消息を絶ったウォル。どこかで生きていて欲しいと願っていた。彼女は女子なのに男子の振りをさせられて生きてきた。当時、彼女は6歳。もしも、誰かに誘拐されて女の子だと分かり、なぶり者になどされていたらと思うと気が気でなかった。
彼女が母親の期待に応えようと、理想の公子を演じれば演じるだけ痛ましいものを覚えていたのだ。
10年ぶりに現れたウォルフリックが本物かどうかなんて私の中ではどうでも良かった。それよりもウォルがどうなったのか、彼女の無事を知りたかった。
「ウォルは……、ベレニスはどうして隣国へ?」
「それにはアリアンヌが関係しているわ」
「アリアンヌさまが?」
アリアンヌとは亡き大公妃で、10年前に息子の失踪に心を痛めて亡くなったとされている。
「アリアンヌは素晴らしい大公妃だった。政略結婚の意味を正しく受け止め、良き妻、良き母親であろうとした。でも、大公家に嫁いで来たことで、彼女には相当なプレッシャーがかかっていたのね。その為にウルガーとネルケのしでかしたことの尻拭いまでして、心が壊れかけていたのかも知れないわ」
「ベレニスの存在ですか?」
「ええ。ベレニスはウルガーとネルケの子。ネルケが妊娠して嬉々として報告してきたそうよ。そこで彼女から相談されたわ。ネルケが産んだ子を自分が産んだ子として育てたいと」
どのような思いで大公妃は、そのような事を言い出したのだろう? 夫と関係を結んだ女から妊娠をほのめかされて面白いはずがない。それを姑の前で言うまでに、相当な葛藤があったと思う。
大叔母の顔が曇る。
「私は反対したのよ。アリアンヌは20歳になっていたけど、まだ子を産めない年じゃない。よりにもよってあの女が産む子を養子にしなくても良いと」
大叔母としては当然だろう。夫の愛人だった女ネルケが息子に手を出した。それだけで憤然たる思いがあるのに、その上、妊娠したと言う。
「それなのにアリアンヌさまの意思で、ベレニスを受け入れたのですね?」
「アリアンヌは言っていたわ。自分の実家の領地では、子に恵まれない夫婦が養子をもらうと実子に恵まれると」
確かに民間療法でそういった話を聞いたことがある。私がいた修道院近くの民家では、子供に恵まれない夫婦が実際に遠縁から養子をもらい、実子に恵まれた例があった。




