29話・ネルケ夫人に情報を流した者は
「トールと同期の? ああ、ザルトか。あいつは一年前に辞めさせられている」
「コーエン兄さま、彼のこと知っているの?」
「近衛隊の中では、ある意味有名だからな。女が出来て身を持ち崩したって」
「女? 彼女ができて態度が変わったと言うこと?」
「ああ。分かりやすく変わったよ。あいつは仕事に忠実だし、生真面目で知られていたんだけど、彼女が出来た途端、急変したのさ」
「急変ってどのように?」
「今までは仕事優先だったのに、彼女優先になってしまったのさ。彼女が風邪引いたと言っては仕事を休み、彼女が寂しがるからって夜勤は断る。彼女と同棲をすぐ始めたのもあって、彼女の機嫌次第で仕事を休むことが露骨に増えた。そこで隊長に注意されても直らなくて、仕事にならないと辞めさせられた」
「そのザルトさんの彼女は、仕事はしていないの?」
「いや、確かザルトと出会った頃には、どこかのお屋敷に勤めていると聞いたことがある。もしかしたら二人でネルケ夫人の屋敷で働いていたりしてな」
その言葉に、ある事が頭を過ぎった。
「それだわ」
「どうした?」
それまでコーエンと私の、二人の話を黙って聞いていた家族達が何事かという顔を向けてきたので、今日見てきた歌劇とその内容、リヒモンドと話していて抱いた疑問について話した。
「つまりお前は、そのザルトが彼女に大公家での情報を流していたと言いたいのだな?」
「はい。ザルトさんは一年ほど前に辞めたのでしょう? ネルケ夫人は、私に大公さまは寝付いていて起き上がれないと話していたの」
私の話を聞いて、父や兄らは顔を見合わせた。
「その情報は1年ほど前のものだと、リヒモンドさまからは聞いたし、宮殿から遠ざかっているはずのネルケ夫人が、どうやって大公さまの体のことを知り得たのか気にもなっていた」
「なるほど」
コーエンは頷き、ゲアートと父は思案していた。母は心配したようだ。
「あなた、ネルケ夫人にはよく会うの?」
「いいえ。そんなに会うことはなかったのだけど、夫人はディジーさまとご縁ができたようで……」
「ディジー嬢と? どのような繋がりがあるの?」
「ネルケ夫人の話では、街中で買い物の途中でひったくりにあい、そのひったくりから奪われたバックを彼女が取り返してくれた事から、親しくなったとか」
ネルケ夫人から聞き出したことを言えば、コーエンとゲアートは訝る様子を見せた。
「ひったくりか。公都は治安が良いからなかなかそういった手合いには出くわさないものだけど。誰かが何者かに頼んで仕込まない限りは起きない出来事だな」
「じゃあ、ディジー嬢がそのようなことを?」
「その可能性はあるね」
コーエンは、ディジーがネルケ夫人と繋がりを作る為に、ひったくりを誰かに頼んで仕込んだのではと言った。
あり得なくも無い話だが、そうなるとディジーは、ネルケ夫人を知っていて接近を図ったことになる。しかし、今まで隣国で平民として暮らしていた彼女が、ネルケ夫人を知る機会はないだろうし、知っていたとは考えにくい。
しかも、あの彼女ならば、誰かにわざわざひったくりを頼むぐらいなら、自分で体当たりでもしそうだ。
ひょっとしたら──。
「反対だわ。夫人の方が知っていたんだわ」
「バレリー?」
私はある事に思い立った。ネルケ夫人が例のことを知っていたのではないかと。もしそうならば近々何か起きそうで嫌な予感がした。
そして後日。ウォルフリックと私の婚約披露パーティーが一ヶ月後に行われることが決まった。




