ぴよぴよ魔王と勇者
今ここに一人の男の命の灯が消えようとしていました。
ゆらゆら、ゆらゆらと、か細いその命の灯。
今にも消えようかと云う、その瞬間に、それは一際強い光を放つと言われています。
それは、最期の祈りに応えて輝くと言われています。
その男の灯も例外ではありませんでした。
(…もし…もしも…輪廻転生が本当にあるのなら…)
男は祈ります。
(…次は…次の人生では…)
ゆらゆらゆらゆらと力なく揺れていた灯が、高く高く天を突き刺す様に燃え上り輝きを放ちます。
(…争いのない…平和な世界に…)
可哀想な事です。
男は辛い世界で生きていたのでしょうね。
(…のんびりと…ゆったりとした…そんな人生を…)
白いシーツの上にある男の指がぴくりと動きました。
(…もう、上から下からの板挟みなんて、まっぴらごめんだ…!!)
……なんて…?
(…………)
最期の輝きを放ち、男の命の灯は消えてしまいました。
言葉から察するに、男は所謂『中間管理職』と呼ばれる地位にいたのでしょう。
上司と部下の板挟みで、神経をすりにすり減らしていたのでしょう。
ええ、きっとそうです。
安心して下さい。
次はきっと、良い人生になります。
ですから、これまでの事は忘れて。
再び目覚めるその日まで、ゆっくりとおやすみなさい。
◇
「やあああああっと、見つけたっ!! なあんでお前がこんな処に居るんだっ!?」
「…はい?」
今日は朝から快晴で、その男は気分良く草むしりをしていました。
素手で、ブチブチと。或いはズボズボと、毟ったり、引っこ抜いたりしています。
これは、この男の趣味です。
男の住まいの横にある、小さな畑。
のんびりと時間を掛けて、その手入れをするのが、この男の趣味でした。
土の中からうねうねとミミズが出て来ては『いつもご苦労様』と、声を掛けてあげたりしています。
仕事? ええ、これが、この男の仕事です。
本来の仕事は周りの者に丸投げです。その方がスムーズに事が運ぶので。
その様な仕事をしていた処で、先の叫びを発した謎の男の登場です。
謎の男は、仕事をしていた男…髪が黒いので黒男と呼びましょう…の背後から、ビシィッと中指を立てて怒鳴ったのです。ええ、いきなり、何の前触れも無くです。
そんな訳の解らない叫びを浴びた黒男が、土の中へ戻そうとしていたミミズを指に絡ませながら、ゆっくりと立ち上がります。
そして、黒男に向かって真っすぐと左腕を伸ばし、指を突き付けたまま、何故か顔を赤くして硬直している男…謎の男なので、謎男と呼びましょう。謎男を観察する事にしました。
謎男の見た目は、黒男と同じぐらいの二十代半ばぐらいでしょうか? 若い男です。
髪を切るのが面倒で、腰よりも下にある黒男とは違い、首が隠れるか隠れないかの長さで切り揃えてあります。黒男は思いました。
(今は新緑の季節だから良いけど、冬は寒そうだ)
と。
そして、更に観察を続けます。
髪の色は明るい茶色です。光の加減によっては金色に見えるのがミソです。
服は、ピカピカに磨かれた銀色の鎧に全身を覆われていて解りません。因みに黒男は襟のある白いシャツに、カーキ色のゆったりとしたズボンを穿いています。靴は長靴です。土いじりをしているので。
顔の造りは至って平凡です。特に良くも無く、悪くも無く、見る人に不快感を与えない、そんな顔です。瞳の色は、今日の空と同じ、曇りの無い、澄んだ青です。
至って平凡な謎男ですが、不思議と黒男は目を惹かれてます。いえ、ピカピカの鎧が眩しいのではなくて、おそらく下げた右手にある、謎に光り輝く抜き身の剣のせいかと思いますが。
じっくりと観察する黒男に見詰められた謎男の顔は、ますます赤くなり、額から流れる汗も尋常な量ではなく、口もパクパクと酸欠の金魚の様に開閉させています。
「あ…!」
そんな謎男をじっくりと舐る様に観察していた黒男が、何かに気付いた様にポンと手を叩きます。憐れな事に、指に絡ませていたミミズは潰れてしまいました。ので、黒男はミミズだったものをポイッと無造作に土の上へと落としました。
「ああ、お客様ですか?」
黒男が謎男の目を見ながら笑い掛けます。
そうしたら、ますます謎男の顔が赤くなりました。
笑い掛けながら、黒男は記憶を辿って行きます。遠い遠い過去の事を。まだ両親が健在だった頃の事を。
目の前の男の格好は、父さんから聞いたお客さんと一致している気がする。顔とかは置いといて。何やら重い金属製の鎧を身に着けて、やたら輝く剣を持っている。それが、お客さんの特徴だって、父さんが話してくれた。父さんが死んでから、初めてのお客さんだ。と云うか、父さんが生きていた時だって、たまにしか来なかったし、お客さんの対応はいつも父さんがしていた。
…そう云えば、お客さんが来た後は父さんいつも怪我していたな。
まあ、母さんが治していたし、膝枕して貰いながら、よしよしと治療して貰ってる父さんは嬉しそうだったから、まあ良いか。
「って、あれ? 俺が怪我したら誰に治して貰えば良いんだろう?」
「…は?」
ぽつりと零した黒男の言葉に、謎男が間の抜けた声をあげました。ようやっと硬直がとけたようです。顔は赤いままですが、それでも額から流れる汗を拭う…いえ、その全身鎧では顔を傷付けてしまいますね。拭う余裕が出来た様ですが、残念ながら汗が引くのを待つしかないようです。剣の他には何も持っていない様ですから、ハンカチなど持っている筈がありません。
「ああ、すみません。独り言です。それで、どのようなご用件でしょう? 俺で解る事なら良いのですが…」
首を傾げながら黒男が尋ねれば、謎男は赤い顔のまま、ずびしっと、突き付けた指に力を籠めて叫びます。指が攣りそうでハラハラしますね。
「そ…っ、それっ!!」
「それ?」
それとは何でしょう? 黒男は訳が解らず、こてんと首を傾げます。
「なんで魔王が、こんなボロ小屋に居るんだっ!? こんな広大な敷地の隅っこでっ! なんで土いじりして、ミミズと戯れてんだよぅっ!? 城の広間とかにある豪華な椅子で、手下侍らせてふんぞり返っているんじゃないのか!?」
ええ、そうです。ここは、広大な森の中にある、それは広い広いお城の敷地の一角になります。隅っことは云え、この森の中で一番に陽を拝む事が出来る、陽当たり良好の一等地なのです。
謎男の言葉に、黒男は笑顔のまま答えます。
「ああ、俺、城は広くて落ちつかなくて。なので、両親が他界してから、敷地内に自分で小屋を建てて…って、え? …ま、お…う…?」
笑顔のままで答えていましたが、ふいにその黒男の笑顔がぴしりと固まり、語尾も小さくなりました。
魔王とは、文字通り、魔の王。魔族の王です。ぶっちゃけ一番偉い人です。下には沢山居ますが、その上に立つ者はいません。ええ、板挟みになる事はないのです。
「…あ…」
「…魔王?」
ぷるぷると身体を震わせた黒男に、今度は謎男が首を傾げます。
指も腕も攣りそうになって来たので、そっと下へと下ろしながら。
「…は? え? 魔王…? 俺が? え? 何で? あれ? 確かに、父さんの後を継いだけど…王なんて…それも…魔、王…? 俺…のんびりって…権力争いとか…無縁の…って、あれ…? 何だ…この記憶…?」
おや? 黒男ではなくて、魔王の様子がおかしいですね?
もしかして、古い記憶を辿り過ぎて、以前の生の事まで思い出してしまったのでしょうか?
あら、まあ、イレギュラー。
ですが、魔王ですから。
一番偉いのですから、満足ですよね。下から突かれる事はあるかも知れませんが、上から突かれる事はありませんからね。私の様な神でも出て来ない限りは。ええ、私、良い事をしました。
「ピヨレカ様ーっ!! 数百年ぶりに、お客様がっ、お客様が殴り込みに…うおっ!?」
あら、騒々しいですね。
まあ、それも仕方の無い事なのでしょう。
数百年ぶりの勇者の来訪なのですから。
きちんとおもてなしをしてあげましょう?
貴方の御父上、先代の魔王の様に、ね?
とは云え、畑で対峙する魔王と勇者だなんて初めてですね。
青い空に白い雲、茶色い土に青々とした草草や木々。種を蒔き、実った野菜たち。
なんてのどかなのでしょう。あ、ミミズが一匹旅立ちましたが、のどかですね。
「…あ、あのぉ…お尋ねしたい事があるのですが…」
ぷるぷると震えながら自分の身体を両腕で抱き締めていた魔王が、駆け付けて来たお城の衛兵やら、魔術使い達に語り掛けます。遅れて宰相やらが走って来るのも見えますね。
「…お、俺って…魔王、なんですか? だ、だって、ここは辺境の森の中の領地で…皆、父の事を領主様って…呼んでました、よ、ね…? ね?」
涙目になり、首を傾げる魔王に語り掛けられた皆(勇者含む)は、うっと、唸り、顔を赤くして胸をきつく押さえました。
「…実は…」
と、遅れて到着した宰相が語り出します。
先代の魔王は争いが嫌いで、魔王と呼ばれるのを嫌った。
辺境へ引き篭もったのも、無用な争いを避ける為。なのに、どう云う訳は人族は勇者を召喚し、この辺境の地へと乗り込んで来る。
「…え、じゃあ…あの…たまにやって来るお客さんって…」
「…はい、我らの隠語で勇者の事です」
「…父さんが怪我してたのって…」
「勇し…お客様にお戻り戴く為の、死んだふりにございます」
「…あの…じゃあ…俺も…怪我をして…死んだふりをした方が良いのかな…?」
「………」
宰相は答えずに、悲し気に目を伏せます。
だって、今更です。
死んだふりって、勇者の目の前でぶっちゃけているのに、ふりも何もあったもんじゃありません。
「…そんな…昨日…新しい種を蒔いたばかりなのに…それの…成長を見られない…のか…?」
はらはらと涙を流す魔王に、皆(勇者含む)は畑…地にひれ伏します。
(…だって…!! こんな美人の涙なんて、見ていられない…っ…!!)
宰相は年の功か、両脚を踏ん張って立っていますが、膝がガクガクと震えています。
そうなのです。
この魔王、めちゃくちゃ綺麗なツラ、いえ、顔をしているのです。本人に自覚はありませんが。両親が揃いも揃って美形でしたので、それが当たり前、普通だと思っているのです。刷り込みとは恐ろしい物です。
畑仕事をしていますので、それなりに筋肉はついていますが、クソ重い鎧を平然と纏っている勇者と比べたら、その差は歴然です。勇者が雄々しく空を羽ばたく大鷲なら、魔王は地を這う鶏の雛。黄色いぴよぴよなヒヨコです。因みに魔王の名前の由来は、そのヒヨコです。幾ら可愛い赤子だったとは云え、何と云う親なのでしょうか。
「…お客様…いえ…あの、勇者様…無理を承知でお願いがあります…その…死なない程度の怪我を…俺に…うう…」
胸の前で手を組んで、はらはらと涙を流しながら、魔王は勇者の目の前まで歩いて行きます。
琥珀色の瞳から涙を溢れさせ、人とは形の違う長い耳をへたりと下へと向け、頭にある二つの天を向く角の向きは変えられませんが、それが出来るのなら、その角も下へと向けられていた事でしょう。
「…どうか…ご慈悲を…」
勇者の前で膝をつき、はらはらと涙を流しながら魔王は言います。その琥珀の瞳から溢れ、流れる涙は朝陽に照らされた朝露の様に、きらきらと輝いています。紅なぞ勿論ひいてなどいませんが、つうっと涙が伝う唇はとても赤く艶やかに見えます。顔を上げた勇者の喉がごくりと鳴りました。
「…解った…」
そう答えると、勇者は畑、いや、地面に置いていた剣を…光り輝く聖剣を手に取ります。
そうして立ち上がり、右手に柄を持ち、左手に剣先を持った勇者は、その中心へと向かって右膝を思い切り高く上げました。
「ふんっ!!」
ぽっきんと、音を立てて光り輝く聖剣が真っ二つに折れました。
「………は…?」
目を丸くする魔王とその他大勢に向かって勇者は良い笑顔を浮かべて言います。
「勇者やめるわ」
「…………………は…?」
頭上にハテナマークを浮かべる魔王を見ながら勇者は語ります。
勇者召喚に必要なのは、この聖剣だと。
これが無ければ、もう勇者が召喚される事は無い。
だから、魔王が怪我を負う必要は無いのだと。
「…えぇと…では…俺は…これからも種の成長を見られる…と云う事で良いのでしょうか…?」
問題はそこでは無い様な気がしますが、魔王にとって手塩にかけた作物は我が子同然なのです。収穫した物を持ってお城の厨房へ行けば、それはとても美味しい御馳走になるのです。
「ああ! 俺と一緒にな! あんたに惚れた! 結婚しよう、魔王! 俺、治癒術使えるし!」
「――――――――はい?」
良い笑顔で笑う勇者に、魔王とその他大勢は暫く動く事が出来ませんでした。
――――――――それからどうなったのかと言うと、勇者は魔王お手製の小屋に住み着き、二人で仲良く畑仕事をしていたと言われています。たまに、うっかりミミズを潰しながら。
「いつもご苦労様です」
その人は、うっかり土の中から掘り返されてしまったボクを二つの掌の上に優しく乗せて、ゆるりと琥珀色の瞳を細めて笑ってくれた。
長い黒くてすべすべと艶やかそうな髪は、今日は頭の高い位置で一本に縛られている。頭にある二つの角は、その髪よりも更に黒いけど、おひさまの光できらきらと輝いて見えた。
そんなボク達のご主人様の後ろで、片手で胸を押さえて顔を赤くして鼻息を荒くして土の上に蹲っている男が一人。
「俺もピヨちゃんに…優しく包まれたい…何処をとは…んふ…っ…!!」
サイショー、ヘンタイはここですよー。
ボク達はこのヘンタイが嫌いだ。
乱暴だし乱暴だし乱暴だし。
このヘンタイにどれだけの仲間が潰されたか。
ボク達のお仕事はもりもり土を食べて、もりもりウンコをする事。そうすると、土が元気になるんだ。そんなボク達に、ご主人様はいつもえらいね、いつもありがとうね、って笑ってくれる。でも、ヘンタイは何も言わない。言わないどころか、ボク達を見るといや~な顔をするし、ひっこ抜いた草の根についた土にボク達が絡まっていても、土の中に戻してくれない。それで沢山の仲間が干からびた。だから、ボク達はこのヘンタイが嫌い。
「ピヨレカ様、昼食をお持ちしました」
白い服を着た男が木で編まれた籠を持って来た。
そこからいい匂いがする。
ボク知ってる。あの中にあるのは、美味しい土だ。
「もう、そんな時間ですか。では、休憩にしましょ…あ…」
ご主人様が、パンッて手を叩いた音が聞こえたけど、そこから先をボクは知らない。