STORIES 069: 彼女はとてもそそっかしい
STORIES 069
#STORIES 069
彼女はとてもそそっかしい
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僕はリビングでくつろぎながらTVを眺めている。
すると、キッチンのほうから派手に食器の割れる音が聞こえた。
しょっちゅうなので、驚きはしない。
少しため息が出ただけ。
だから…
お気に入りのグラスなんかは、迂闊に出しておけない。
彼女はとてもそそっかしい。
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2人でバスに乗り、テーマパークへ向かっていたとき。
バスを降りて暫くしてから、カバンの中の財布が見つからないと、彼女が騒ぎ始めた。
忘れものや、何かを失くしたりすることも多いのだ。
バス会社に連絡して、ターミナルまで戻り…
無事に手元に返ってくるまでに、かなりの時間が過ぎてゆく。
まぁ、仕方ないけどね。
またやっちゃった。
ごめんね。
彼女は申し訳なさそうに笑う。
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ある時は旅先で。
温水プールを出て、チェックインした旅館。
部屋に戻ると、干そうと思った水着がないという。
そんなもの…
本当に失くしたり忘れたりするだろうか。
ロッカールームが割と綺麗な施設だったし、置き忘れたものがあれば、すぐに気付きそうなものだ。
カバンの中身をひと通りひっくり返した後で…
施設に問い合わせの電話をいれようかと言いながら、ふと手が止まる。
そういえばバッグを分けて、車の中に置いてきたような気がする、なんて言い始めた。
だからさ、最初からそう言ったじゃない。
そのバッグの中じゃないんじゃないの、と。
あまり人の話を聞いていないよね。
彼女は思い込みも激しい。
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将来、子供なんて生まれたら…
買い物に夢中になって、子供を置いて帰っちゃうんじゃないの?
そんな冗談も、あながち間違ってないんじゃないかと思ったりして。
でも…
そういう人たちって、記憶力が悪いわけじゃなかったりする。
付き合い始めた頃の出来事とか、一緒に何を食べたとか、誰かの誕生日だとか…
いつまでも鮮明に覚えていたりするから。
たぶん…
大切にしている物事の順番が、他の大多数の人たちと違うだけなんだろうね。
慌てて何かやろうとするのも、同じような理由からなのかな。
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確かにね…
一緒に過ごしている人との楽しい時間や、そこでしかできない会話なんかに較べたら、自分の財布の所在なんて、どうでも良かったのかもしれない。
これから一緒に宿泊する宿への期待が大きくて、着替えた後の水着のことなんて、すっかり忘れてしまったのかもしれない。
洗い物なんてさっさと終わらせて、一緒にゆっくりと珈琲を飲みたかったのかもしれない。
モノは失くしても買い直せばいいけれど。
今しか出来ないこと、取り戻せない時間もある。
それを他の人たちよりも強く、感覚的に感じ取って彼女は行動しているのかもしれない。
…あるいは、ただのオッチョコチョイかも。
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あれはお気に入りのグラスだけれど…
大事にしまったままじゃ乾杯も出来ないね。
割れちゃったら、また買い直しに行けばいいか。
2人で一緒にね。
いまこのときは…
過ぎてしまったら、もう戻って来ないのだからね。