3連行と処理
ヘリの中には赤髪の女性と似たような黒スーツの人達が複数いた。
どの人も、正直に言って深禄の住んでいる世界の基準に照らし合わせると美形であった。
しかし、移動中は誰もが口を開かず、そんな空気のせいもあってか深禄も何も話さなかった。
人間とはやはり、無い物ねだりな存在なのかもしれない。
今までの人生で深禄は何度も美男美女に囲まれてみたいと願ったことがあったが、いざその時が来ると今までの平凡な顔が懐かしく感じられた。
美人たちが皆漆黒のスーツで装い、表情も姿勢も一切変えずに自分を囲んでいる。
そんな状況は、彼女にとっては思いの外恐ろしく、ただただ自身に緊張を強いるだけのものであったようだ。
プロペラの轟音だけが静かな空間に規則正しく響いていた。
* * *
「ついたぞ」
深禄を連行した赤髪の女性。
口調は淡々としていたが、彼女の態度からは時折自身を労ってくれているような感覚を深禄は感じられた。
赤髪の女性は移動中、体は微動だにしていなかったものの、何度も視線を深禄の方に向けていた。
初めはその視線に怯えていた深禄であったが、徐々にその深緑の瞳からは敵意は全く感じられず、むしろ慈悲のような何か柔らかい感情が感じられることに気付いた。
唯一「保護する」と深禄のこれからの所在を述べてくれた人物だからそのようなことを感じてしまうのだろうか。
ヘリの扉が開くと、そこはどこかの高層ビルの屋上のヘリポートのようだった。
しかし、自分の目線の高さには他にはビルはない。この建物が、ここら辺で一番高い建物であるようだった。
(思えば、私ヘリコプターに乗るのも初めてだよ…)
そのまま赤髪の女性に連れられ、エレベーターらしきものに乗る。
ここが何階なのかは深禄にはわからなかったが、下った先の階には洗練されたこの建物と比較すると少々ギャップを感じるような、無機質な廊下が広がっていた。
廊下では時折、赤髪の女性と同じようなスーツの人々や白衣を着た人、言葉では言い表せないが個性的な服装の人も見かける。
秩序があるかと思えば、少し混沌とした、この建物の中にはどこか不思議な空気が流れていた。
「この部屋で待っていてほしい」
そう言われ、通された無機質な部屋には机の上に緑茶とお茶菓子らしきものが置かれていた。
深禄が恐る恐る部屋に入ると、女性は戸を閉めて、どこかへ行ってしまった。
施錠音は聞こえなかったが、もうこの部屋からは出られないようなそんな何かを感じざるを得ない。
(食べても良い…ということなのだろうか?)
この建物の外観は見られなかったが、近未来的な機能を持ち合わせたエレベーターのようなもの。
そして、唯一エレベーターの扉が開かれたこの階層は、ただただ長い廊下と白い壁、そして壁には等間隔に扉があり、深禄が招かれたこの部屋もその扉の中の一つであった。
綺麗ではあるが、通りすがりに目に入った個性豊かな人々の影は全く感じさせられない綺麗すぎる奇妙な部屋。
このビルが持っていたのは深禄が暮らしていた世界のビジネス街のオフィス…といった感じの空気ではなかったため、深禄の目の前にある机に置かれた緑茶とお茶菓子の組み合わせは少し奇妙にも見える。
兎にも角にも、深禄はスーツの人々の指示にただ従うしかなく、ただその部屋で時間を過ごすことになった。
* * *
「このお茶菓子…めちゃくちゃ美味しい…」
意外にも、緑茶とお茶菓子は美味しかった。
おそらく、多分、高級なヤツだろう。
お茶もお菓子も感じる甘みの種類が深禄の世界で市販されているものたちとは違っていた。
「白髪のイケメンや赤髪の美女は『処理』とか、物騒なことを話していたけど、流石に殺されるとかはなさそうだな…」
(夢とはいえ、よかった。よかった。)
お茶の香りのお陰か、何も物騒なことが起こっていない現状に深禄はひとまず安堵したのであった。
(結構長い時間を待たされているのは本当につまらないけど、私にはどうしようもない)
「夢とはいえ、リアルすぎ…」
深禄がそう、真っ白な壁の方に呟いた時だった。
「夢じゃないぞ?」
(!?)
聞こえてきたのは、なんとも優しそうなおじいちゃんの声。
しかしその声はあまりにも突然で、静かな空間に慣れ始めていた深禄には意表を突くものだった。
深禄が慌てて後ろを振り向くと、そこには象の頭が生えている人間?らしき存在がいた。
「ガ、ガ、ガ、ガネーシャ様?」
ヒンドゥー教の神様の一人であるガネーシャ。
頭は象で体は人。
その特徴は一致していたが、目の前の人物は深禄がインドカレーのお店でよく見たタペストリーのような、そんな感じとはどこか少し違ってもいた。
(チャイナ服っぽい生地の衣装をまとっているし…)
例えるならば、キョンシーが着ているような伝統がありそうなアジアの装束。頭部を除けば、かんふーでもしそうな服装…しかし、それもどこか違う。
「ホホ。ワシは神様なんかじゃないぞ?マスター・ゾウじゃ。マスターと呼んでおくれ」
マスターと名乗る頭が象で体は人間の老人は気さくにそう話す。
「は、初めまして…私はみろく…神田深禄と申します」
「ほお。ミロク、よろしくのぉ。して、キミをここまで連れてきたのが」
―コンコンコンー
「失礼します」
ノックをして入ってきたのはあの赤髪の美女だった。
「エラ・ミナーヴァじゃ」
深禄をこの建物に連行した女性の名は、エラというらしい。
エラは深禄に会釈をする。
深禄もつられて頭を下げる。
それから、深禄はエラから様々な話を聞いた。
深禄は現状をリアリティのある夢としか認識していなかったため、物語を聞くかのように興味深く、しかしどこか他人事のようにその話を聞いていた。
マスターと名乗る老人はニコニコした表情で深禄の隣で話を聞いている。
彼ら曰く、ここは夢の世界ではないという。
ここは気海―キカイ―と呼ばれている世界。
理の世界で、この世界で起きていることが宇宙の様々な場所に影響する。
一見、精神世界のような構造をしているように見えるこの世界だが、深禄は決して死んだりしたわけではなく、きちんと生きた状態でここに実体を保ってここにいるという。
そして、この世界では時折色々な次元から人や動物が作為的、自然発生的にこの気海に転移されてくることがある。
転移されてきた人を「転移人―テンイビトー」と便宜的に呼んでおり、深禄はこれに当たる。
先ほどの荒々しい戦場は、この理を捻じ曲げ、支配しようとしている存在である、溯上渾―ソジョウコンーと言う者と、深禄に口付けした青年によって作られたものだった。
両者は共にこの世界で強さにおいて頂点に立つ者だという。
戦いは荒々しくありながらも、両者の均衡は見事に保たれていた。
そのような中で、やっとあの白髪の青年がその均衡を破った。
しかし、主人の危機を感じ取った金髪イケメン僧侶の転移によって深禄がこの世界に招かれ、突如あの場所に姿を現した。
深禄が腹に手を突っ込まれたのは、寄生虫を埋め込まれていたらしい。
(何それ。最悪だ…)
もちろん、深禄の住んでいた今までの世界にいたような寄生虫とは勝手は違う。
そして、彼女の体を人質にして、彼らはあの場を撤退したという。
「キミは、奴のいわば分霊箱として奴の存在を飼っているのじゃよ」
「あの時寄生虫を殺さなかったら、あの寄生虫が貴女の核を蝕み、それが起爆剤となってそのままこの世界ごと破壊しかねなかった。アイツが貴女に入ったのは、その最後のエネルギー体となるためでもあったの」
(何、某魔法学校ファンタジー的な展開)
(私が分霊箱?)
「それじゃあ、なんかその人の影響を受けてうなされたりとか、自分の意思を乗っ取られたりとか、そういう都合の悪いこととかがこれから私に起こるってことなのでしょうか…?」
深禄にとって、これは確認しておかなくてはならない重要なことだ。
「いいえ。それはないわ。あくまでもエネルギー体として貴女と癒着しているというだけ。そのままではなんの影響もないし、干渉も受けないわ。アイツの意志はそのエネルギー体とはまた別の場所に存在しているの」
「あの…どうにかして、その、エネルギーを引き剥がすことはできないのですか?」
それさえできれば問題は解決である。
入ったということは出ることもできるのではないだろうかと考えるのは至極真っ当であろう。
しかし、エラから帰ってきた答えはある意味、深禄にとって想定内のものだった。
「そうね…今は難しいでしょうね。それに、こちら側としても、その力を貴女から分離するのは望ましくないと言うのが本音かしら」
「はぁ…」
話の中では、深禄が元の世界に戻れるのかどうかについては一切触れられていなかった。
そして、深禄自身も怖くて聞くことができなかった。
「いきなりこんな場所に連れてこられて自分達を信じろと言われても、そう簡単ではないじゃろう」
「まずはこの世界が夢、幻ではないということだけでも理解してほしいんじゃ」
「そして、その間はワシらがオヌシの安全を守ろう。さっきの戦いを見てわかるように、オヌシはこれから奴らに狙われる身となる」
「それからのことは、その後に考えても遅くはない…」
そんなことを聞けるような雰囲気ではなかったのだ。
マスターは優しそうな声で終始話していたが、その話の内容はとても優しいものではなかった。
(もう、私は…否、少なくともしばらくの間は私はこの世界でどうにかやっていかなくちゃいけないってことか…)
深禄の夢と現実世界が少しずつ融合し始めていた。