2ヒーロー
「っっは!」
深禄はようやく自由を得て、自分のペースで呼吸ができるようになった。
(こんなこと人生で初めてだ…)
(こんなイケメンに強引に…キス…されるなんて…)
(っていうか!キス自体初めてなのに…!!)
全ては夢だと思いながらも、どうしても理性というものが働いてしまうのが神田深禄という人間であった。
深禄は恥ずかしさのあまりに俯き、両手で顔を覆う。
喜んで良いものかダメなものか。
(さすがに夢でもはしたなすぎる…)
夢なのか現実なのか。
(しかし、なんとも…感触が…ぬくもりが…)
深禄はあまりに咄嗟のことで思考がまとまらなかった。
「あの…なん!?」
事の真相を確かめようとした時だった。
顔を上げると、その目の前に映ったのは、キラキラと輝く白髪と真っ赤な瞳の綺麗なイケメン…
…とその口には大きなムカデのような生き物の一部が。
「え!?きもちわ!?」
ソレは青年の口に咥えられながら、うにうにと肢体をうねらせている。
(気持ち悪い!!)
深禄は咄嗟に言葉を飲み込んだ。
ほぼ飲み込めてなかったが。
その青年は何やらむしゃむしゃとそのムカデらしき物体を咀嚼している。
しかし、昆虫の王は、まだまだご存命のようである。
みろくは瞬時に顔を背ける。
(夢とはいえ流石にこのリアリティーさはキツい…)
「ヤ、ヤバすぎる…」
みろくの胃に急なムカつきが襲いかかってくる。
(なんか体調でも悪かったのかな〜?それともなんか嫌なことでもあったとか?)
こんな夢を見る理由を自問自答していると、青年はおそらくその物体をしっかりと飲み込んだのだろう。
ゴクっと、しっかりとした嚥下音が聞こえた。
何かが胃の奥から上がってきそうな感覚が深禄を再び襲う。
みろくは嗚咽が出そうなのをなんとか我慢した。
「さてと、これでコイツは処理したとして…」
(処理って、食べてるんじゃないよ!!!)
夢に必死にツッコむ深禄。しかし、青年はいたって真面目に、淡々と話す。
「次はオマエだな」
(ん…?おまえ?)
深禄が振り向くと、青年の視線は明らかに彼女の方に向いていた。
「それって…私のことでしょうか…?」
ムカデを食べていたその人物に深録は恐る恐る尋ねてみた。
(悪食的な、なんかそういう夢の中なのか!)
「ああ、そう。アンタのことだよ」
(っはい!私でしたー!!)
青年の返答にみろくは賢い頭脳を瞬く間に働かせ、これまでの情報を伝達し、あらゆる可能性に思考回路を巡らせる。
(ちょっと、これからどうなるの!?)
(流石に夢っていったってもうちょっとマシなのがあるでしょー!?)
(確か、なんか死ぬ夢って新しい始まり…とか夢占いではそんなんだった気がするけど…
私って生まれ変わりたかったの?)
(…にしたってこんな夢じゃなくたっていいじゃん!)
(せっかくのイケメンとイケメンライフなのに、なんでこんなゲテモノが出てくるのさ!)
(いや…それとも、私の満たされない欲求がこんな悪夢を…いや、いいところも少しはあるけど…)
彼女の頭の中で欲望と理性との葛藤が見事に渦巻き、互いの主張をツッコミ合う。
みろくが乙女らしからぬ妄想を頭に繰り広げていると、その青年は何やら自身の耳に手を当て話し始めた。
「あーオレ。アイツは逃した。回収物あるから、こっちに迎えにきて」
「んー。危険物。っそ。よろしく」
青年は何やら誰かと通信して話している様子だ。
(ブルートゥース…?)
混乱のあまりかそんなどうでもいいことを深禄は真面目に考える。
「あの…これは一体、どういう状況なのでしょうか…?」
「貴方は誰?」とか、「ここはどこ?」とか、今の彼女には聞きたいことが色々あった。
しかし、夢の中でそんなこと聞いても意味がないだろう。それぐらいの意識と理性はあった。
しかしながら、このカオスな状況に、ついていけていくことはできなかったのだ。
(せめて夢なら楽しませてほしい…)
そう思い、深禄はこの脳内の物語のヒーローと呼ばれるその青年に尋ねてみたのだ。
「今の状況…?そうだね…」
青年は頭を掻き、面倒臭そうに答える。
「大魔王を倒そうとしていたんだけど…魔王のクソ手下がクソ転移人を使って大魔王を逃しちゃった…んで、勇者様は転移人を処理しなくっちゃいけないって感じだね」
(へー。…んで、それってどういうこと?)
「へー。どうでしたか…」
(夢だからかな。全然わけわかんない)
(まあ、敵を逃しちゃったってことはいいとして、テンイビトって何?私のことのような気もするけど…なんでだろう?…でも「くそ」ってついていた気がするんですけど…)
(あと、処理ってどういうこと…?)
気怠そうに、しかしこの地に堂々と立っているこの青年の姿。
(処理ってどういうこと…?)
(怖いんですけど。)
深禄には爽やかに話すその人が怖く見えた。
悠々としているが、よくよく見るとスーツのような服には砂埃や血痕のようなもの、土や衝撃痕のようなもの…その他諸々がついており、よくみると少し怪我もしている。
深禄は、なぜだかその青年を見ていると、カッコ良くも、怖くも、美しくも、かわいそうにも思えた。
「あのー。処理って具体的にはどんな感じにですかね…」
「それはもうすぐわかるよ…」
「あと、さっきの生き物はどこからきたんですか。なぜ貴方は食べていたんですか」
深禄は表情はほぼ無になりながら、しかし捲し立てるように質問を投げかける。
疑問を晴らしておかないといけない。
彼女の中でそんな強い直感が響いていた。
「それは気にしなくていいよ。食べていたのは、美味しいから」
「お、美味しい…から!?」
(な、なるほど…)
(なんと。言いたい言葉と心の声とが逆になってしまった)
(こ、このイケメン…げ、ゲテモノ好きだったのかー)
(それともこの世界ではそういう食事が当たり前とか?まさかね)
そんなことを次々考えながら思考をどうにか整理しようとしていると、遠くの空からババババっとヘリコプターのプロペラ音が砂埃を割ってあたりに響き始めた。
よく見ると、そこには黒塗りのヘリが見える。
そしてその黒い影が二人の頭上に近づいてくると、その影から徐々に小さな黒い塊が二人の方に降ってきた。
(!?)
それは音を立てずに地面に降り立った。
降ってきた、というのが正確な表現なのだが、そんな無骨な登場ではなかった。
「回収に参りました」
青年の着ている黒スーツと似た服を着た女性らしき人。
緩やかにカールする赤髪をシンプルに後ろにまとめている。
青年と似たようなスーツを着ているものの、柔らかい曲線からその人が女性であろうことは容易に想像できた。
その声は少し低めでカッコ良く、凛とした強さを秘めた響きを持っている。
「あ。これ。頼む」
相変わらず深禄のことを酷い扱いをするこの青年はその女性に何やら指示を出している。
二人の関係は上司と部下であるようだ。
「承知しました。速やかに遂行します」
「んじゃ、よろしく」
深禄が二人のスマートなやりとりに目を奪われていると、その女性は深禄の方にやってきた。
「突然のことで色々驚いただろう。だが、ひとまずは安心してくれていい。私が貴女を保護する」
(綺麗な人…)
深禄が言葉を失い、目の前の女性を見つめる中、女性は淡々と続ける。
「しばらくは色々融通が利かないと思うが、我慢してほしい」
―ガチャー
女性の凛とした姿に目を奪われていると、深禄は突然の聞きなれない音と手首への冷たい感触に襲われた。
「え?」
(ん?ガチャ?)
「えぇ!?」
自分の手元を見ると、その女性は深禄に手錠のようなものをかけていた。
何か犯罪をしたのだろうかと考えるも、状況が飲み込めない。
夢だと片付けるには、深禄を拘束したその手錠はあまりにも冷たく、重すぎた。
「ちょっと、なんで手錠なんて!事情を説明してください!外してください!」
(手錠なんて初めてはめられた)
手錠は深禄が刑事ドラマで見た物や、おもちゃ屋で見たことのあるものとは質もデザインも異なっており、どこかハイテクな雰囲気を醸し出していた。
いくら夢だと思いつつも、こんな物騒なものを両手にはめられれば、流石に少しは抵抗するというものだ。
「事情は後で説明する。とりあえず大人しく私たちについてきほしい」
何を言っても、彼女に深禄の言葉は受け入れられなかった。
こうして神田深禄は22歳の夏、異世界へと転移し、どこかも知らない場所へと連行されたのだった…