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―コンコンコン―
「どうぞ」
私は部屋に入ると既に足の踏み場の無い程、様々な物が転がっていた。
駄目だわ、やはり私かファルスが定期的にこの部屋に来なければそのうちに虫が涌いて大変な事になると思う。
「お久しぶりです。ようやく仕事が落ち着いたので来てみました」
私はアルノルド先輩と近況報告をしながら転がっている素材や錬金物を片づけていく。
「マーロア、ありがとう。そういえばもう少しで卒業だな。卒業パーティは誰と出席する予定なんだ?」
「うーん、それなんですよね。父にお願いしようかと思っています」
「もうドレスは作り終わっているのか?」
「まだです。すっかり忘れていました! 今からならギリギリ間に合うはずっ」
私はすっかり忘れていた事にとっても焦った。とりあえず……アンナに忘れないうちに魔法鳥を飛ばした。
すぐに返信が返ってきてアンナからは『そうだと思っていました。
私の方でドレスは数点選んでおりますので、帰宅後、ドレスをお選び下さい』流石アンナ。出来る侍女だわ。焦っていた私はホッと安堵の息を吐いた。
「家の方でドレスを用意していたようです。良かったです」
「ははっ。いつもきっちりしているマーロアも忘れる事があるんだな」
「忘れることもよくあるんです。いつもファルスがチェックしていたから忘れずにすんでいた部分もありますね」
アルノルド先輩は錬金の作業が一段落したようでソファへと座り、お茶を淹れる。私も反対側のソファへ座り、お茶を頂いたわ。
「そういえばファルスはどうしているんだ? 暫く連絡がないが」
「ファルスはきっと一人暮らしを満喫中なんだと思います。それに新人だから慣れるのも大変でしょうし、アルノルド先輩の寮へたまに遊びに行っているのだと思っていましたわ」
「あぁ、私はここで半分暮らしているようなものだしな」
……そうだった。
イェレ先輩のように綺麗好きでは無かった。錬金に没頭して寝食を忘れるほどの人だったわ。
「マーロアは仕事の方はどうだ? 零師団に君の名が有った時はびっくりした。身の危険はないのか?」
「この間は敵に捕まりました。作戦中だったので黙ってか弱い令嬢を装ってましたが、仕事じゃなかったら速攻で攫った人たちをコテンパンに伸していましたね!」
「それもそうだな。そういえば最近狩りに行っていないがマーロアは行っているのか?」
私は首を横に振る。
「行きたいのですが、仕事が手一杯で行っていないです」
「今度のマーロアの休みに行かないか? ちょうど素材も少なくなって取りに行こうと思っていたんだ」
「行きたいです。ずっと訓練と勉強ばかりで飽き飽きしていたところなんですよね」
「では今度の休みに」
そしてアルノルド先輩は思い立ったように立ち上がり、棚の引き出しからゴソゴソと何かを取り出して私に差し出した。よく見ると小さな魔石の付いた指輪だった。
「先輩、これは?」
「ああ、これは物理的な攻撃を一度だけ弾く指輪だ。自分で魔力補充する事ができ、魔石が壊れるまで何度かは使えると思う。
不意を突かれた時に十分活躍してくれるだろう」
「いいのですか? こんな素敵な物を頂いて」
「俺は作るだけしか出来ないからな。少しでもマーロアを守れるものが作れたらそれでいい」
「アルノルド先輩、嬉しいです。卒業パーティを終えたらレヴァイン先生と冒険者の旅に出るので当分王都に戻ることは無いし、大切にしますね」
「……そうか、もうすぐ旅立つのか。寂しくなるな」
珍しくアルノルド先輩が少し寂しそうな表情をしている。
「私は冒険者でもあるけれど、零師団員スカウト部ですから。アルノルド先輩の魔道具を宜しくお願いしますね。それに珍しい素材があったら送りますから心配しなくても大丈夫ですよ!」
「……あぁ、そうだな。冒険にもスカウトにも役立つ魔道具を沢山開発する」
アルノルド先輩は頷いた後、お茶を飲み干す。雑談をしていると、鳥が私の周りを飛び回っている。よほど卒業パーティに着るドレスの話がしたいのだろう。
アンナにとっては普段からドレスに興味のない私が思い出した今こそドレスを決めるのが一番だと思ってそう。
「そろそろ家に帰ります。侍女がドレスの事で首を長くして待っていそうですし」
「私が卒業パーティのエスコート役を引き受けられないのは残念で仕方がないが、その前の狩りを楽しむ事にしよう。詳細は後で鳥を飛ばす事にする」
「分かりました。ではアルノルド先輩、また片づけに来ますね」
私は早々に先輩の部屋を後にする。
卒業パーティか。気が重い。でも、最後だし出席しないといけないわよね。
それにファルスだってこの日はうちに来てくれる手筈になっているんだもの。
あれ? ファルスの衣装はどうするのかしら? 家に帰ったらすぐに手配しなくちゃ。
ファルスは我が家の従者では無くなったけれど、後ろ盾になっている。
ファルスにはみすぼらしい恰好をさせられないわ。
私は馬車乗り場まで行き、馬車に乗って邸へと帰った。
「お嬢様、今日はお早いお帰りですね」
「今日は少し早めに帰ってきたの。卒業パーティのドレスの事をアンナに聞きたくて鳥を飛ばしたのだけれど、アンナはいる? いたら部屋へ呼んでちょうだい」
「畏まりました」
私はそのまま自分の部屋へと戻ると、動きやすいワンピースに着替えてソファでゆっくりしているとアンナが数枚の紙を持ってやってきた。
「お嬢様! ようやく卒業パーティのドレスを思い出したのですね。ずっと待っていたんですよ。この間のゴンボット商会の件で久々に乗り気だったのは仕事で、だったんですね。
お嬢様がどこまでもドレスに興味のない事にショックを受けております。今日こそはしっかりとドレスを選んでいただきますからね」
アンナはヤるきだ。その意気込みに私の方が尻込みをしてしまう。
「ファルスの衣装はどうなっているの?」
「ファルス、ですか? ファルスの分はもうとっくに注文し終わっていますよ? 後はお嬢様と装飾品を合わせるだけです。旦那様とファルスとお嬢様の三人で装飾品を合わせようという事になっております」
へぇそうなんだ。三人で装飾品を合わせるのはなんだか嬉しいわ。アンナはデザイン画を一つ、一つ、丁寧に、説明してくれている。
「……という事です。どれが宜しいでしょうか?」
アンナの鼻息が聞こえてきそうだわ。
「そ、そうね。この赤いドレスなんてどう? 普段着ないし、お父様とファルスの衣装に映えそうよね」
私が選んだのは赤いAラインのドレス。なんとなくの思いつきなのだけれど、偶には目立つ色にしてみてもいいかなぁと選んでみた。
どうやらアンナのおすすめの一着だったようでとても喜んでいる。私が目立たない色を選ぶものだと半ば諦めていたらしい。
「お嬢様のドレスは金の刺繍が入っておりますのでファルスの衣装に金の刺繍を追加致します。ふふっ、楽しみですね」
アンナはそう言うと、ベルを鳴らし、従者を呼んで衣装と装飾品が描かれた絵をすぐに商会に持っていくように伝えた。
これで私のドレス選びという一大イベントは大方終わりを告げた、と思う。