お兄様の独白(サヌーン視点)
サヌーンルディア・ファルベ・ラティアーノは、あらゆるものに秀でた男だった。代々優秀な武人を輩出してきたラティアーノ家においても、サヌーンほど魔力量も多く天賦の才能を持った人間はいない。ひとたび剣技大会に出場すれば、一回りも歳の離れた相手でも臆することなく突っ込み、あっという間に相手を倒して優勝トロフィーをかっさらう。
黒羽の髪と青玉石の瞳を持つサヌーンは、見目の麗しさと丁寧な口調からも異性同性問わず心を鷲掴みにし、本来18歳以上で卒業できるはずの学校を16歳で飛び級卒業するまでの学生時代は、両手に抱えきれないほどのラブレターを貰い、大層モテていた。
ただ、サヌーン自身はあまり異性に興味を持たなかった。それはおそらく、サヌーン自身が幼少期から『お姫様』の相手をしていたから、身近にいる可憐な女の子に目を奪われると、ほかの異性など眼中に入らないからであろう。
『サヌーンお兄様!』
今日も今日とて、お姫様がお呼びだ。
まだ十歳ながらも抜きんでた美しさと可憐さを持っていた我が妹は、目をキラキラさせてこちらを見つめていた。
『今日はなんだい?』
『向こうの木に成っている果物を取ってほしいです!』
どうやら本日は、伯爵邸に植えている果樹の実を取れと仰せだ。
しかし果樹は低木で、まだ幼いロサミリスでも足場なり何なりを使えば手で掴み取ることが出来そうだ。十四歳の頭で妹の考えを導き出したサヌーンは『仕方ないね』と肩をすくめ、武器庫から一振りの剣を持ってロサミリスの傍に戻った。
そして、その場で剣を構え、一思いに薙ぐ。
剣に帯びたサヌーンの膨大な魔力が見えない刃を作り出し、果樹に成っている果物を地面に落とした。赤く熟れている果実をいくつか適当に拾い上げ、ロサミリスに渡す。
『わあ……っ!』
『ロサは本当に俺の剣を見るのが好きだね』
『はい!』
『どうしてそんなに好きなんだい?』
『かっこいいからですわ!』
『かっこいい?』
『わたくしが持っても何の反応も示さない古びた剣が、ひとたびお兄様が手にすれば美しい光を放ち、お兄様の手足となって自由に動くさまがとても素敵です!』
『そう……?』
『はい!』
サヌーンの剣術は今時点で達人の域にまで洗練されている。それを褒められることは数多くあれども、お姫様が大喜びだと、サヌーンも嬉しくなるものだ。照れを隠すために果実をかじる。
サヌーンは、ロサミリスが物心つくときからロサミリスをお姫様として扱っていた。見ていて飽きない女の子なんて妹くらいなもので、行動一つ一つに目が離せなくなる。まぁ、たいていは絶対に自分で降りられない高い木に登って「助けてくださいお兄様!」と半泣きで叫ぶなどの危なっかしい行動をするので、物理的に目が離せないのだが。
『あぁ、わたくしも剣のお稽古がしたいですわ』
『ロサはダメ』
『どうしてですか? もしかして、わたくしが女だからですか』
『違うよ。婚約者がいるだろう? 婚約者に守ってもらえるから、ロサには剣も武術も必要ないよ』
『確かにお優しいジーク様なら守ってくださるかもしれませんが……』
残念そうにするお姫様を、サヌーンは真顔で見つめた。
サヌーン自身、この時なぜ自分が苛立ったのか分かっていなかった。分かったことといえば、“ジーク”という単語にひどく不快な感情を覚えた、ということくらいだろう。
不快に感じた理由について確かな確信を得られたのは、サヌーンが飛び級で学校を卒業し、ラティアーノ伯爵家に戻ってきたときのことだった。
ロンディニア公爵家の嫡男であり、妹の婚約者であるジークフォルテンが伯爵家に遊びに来ている。
このときのジークの年齢は十四歳。自分とは違った意味でジークの顔は整っており、あまりの表情の動かなさから人形のようだと人並みの感想を抱いた。
サヌーンはジークを注意深く観察することで、自分が彼に対して抱いた不快感の理由を探し出し、──結論付けた。
(ロサが好きなのに、あえて感情を殺してる? 意味が分からない)
ジークはいつもロサミリスの姿を目で追いかけていた。
言葉数が少なく表情に乏しいジークが、ロサミリスに話しかけるときだけ柔和な表情を浮かべる。ダンスの練習の成果を披露している最中、ロサミリスが足をもつれさせて転びそうになれば、誰よりも早く手を差し伸べ「大丈夫か」と声をかける。ここまで徹底した溺愛ぶりを見ると、きっともう「好き」だの「愛してる」だの、そういう類の言葉をかけているのだろうとサヌーンは思ったが、実際は違った。
そういった感情を本人には伝えていない。
我が妹は他人の思考を汲み取るのは上手いくせに、想い人からの感情にはとんでもなく鈍感で、直接言葉にしないと伝わらないだろう。『わたくし嫌われているかもしれませんわ』と相談してくるくらいだから、絶対に気付いていないはずだ。
さらにジークもジークで、必要以上の触れ合いを一切しない。手を握るのはダンスの時だけ。仏頂面のせいで拒絶されていると思い込み、ロサミリスはどんどん誤った方向に勘違いしていくのだ。
(あの男、何を考えているんだ。あんなにロサは一途に想っているのに、両想いなのに、なぜ正直に伝えない? 男だろう? お姫様に悲しい思いをさせないのが騎士の仕事だろう? 俺から大事な妹を奪っておきながら、何様のつもりなんだ)
サヌーンがジークを嫌いになったのは、これが理由。
(あとシンプルに顔が整ってるのが腹立つね)
プラス上記。
サヌーンがジークに嫌悪感を抱いたように、この時ジークもサヌーンに対して嫌悪感を抱いていた。『兄なのに妹にベタベタしすぎ』という、とても分かりやすい理由だった。
以降、サヌーンとジークは犬猿の仲だ。
ジークがロサミリスに自身の想いを伝えた時、サヌーンは一応ジークに「妹を任せてもいい」と思えるようになったが、それでも完全には認めていない。もしお姫様を泣かせるようなことがあれば、両親を巻き込んででも婚約解消を進めるつもりだった。
まぁ────結局はそんなことにはならず、今日お姫様はジークと結婚し、幸せ満開の笑顔を浮かべているのだが。
たまに、サヌーンは貴族令嬢達にこう聞かれる。
『あなたは妹に恋愛感情があるのか』と。
サヌーンは『ノー』と答えた。
あくまで自分の役目は、『お兄様』としてお姫様を守ること。それ以上でも以下でもない。ただ、サヌーンのお姫様に対する愛情は世間一般的な兄妹愛から逸脱しているのは確かだ。そのせいで何度か修羅場も経験している。しかしサヌーンはかたくなに「そういう感情はない」と断言していた。それが正しい『お兄様』の姿だと思っているからだ。
「ジークフォルテン卿が公爵になる前に、一発くらい殴っておけば良かったかな」
ロサミリスが嫁いだことで静かになってしまったラティアーノ邸を見渡しながら、サヌーンは独りごちる。未だにジークに”義兄”と呼ばせないようにしているのも、昔のことを許していないからだ。むしろ最後まで許すことなく、一生負い目を感じさせてやろうと思っている。自分を兄と呼んでいいのは、後にも先にも、長く艶やかな髪を靡かせた、可憐で可愛い黒蝶のお姫様だけだ。
(まったく。世話のやける二人だったよ……)
サヌーンはワインを取り出し、用意したグラスに流し込んだ。
トトト……っと、小気味のいい音がする。
サヌーンは付き合い程度にしか飲まないタイプだったが、今日は……無性に飲みたくなった。
「騎士とお姫様に、祝福を」
祈るように言って、サヌーンはワインを一気に呷った。
サヌーンは根っからの武人なので、お姫様(女)を守るのが騎士(男)の仕事だろという、漢精神旺盛な人間です。だからロサミリスに不安な思いをさせているジークのことがずっと嫌いでした。
という話をそういえば本編で語ってないなーと思っちゃったので、番外編として更新してみました。
嫌い嫌いと言ってはいますが、ジークは妹が惚れた男でもあるので、結局は二人のことを祝福しています。




