Episode79.想いがあふれて(ジーク視点)
2023/03/21_加筆修正版投稿
決意したジークの行動は早かった。森で魔獣に喰い殺される黒髪令嬢を救うためだけに、己を鍛え始めた。魔法武術を磨き、魔法の研鑽に精を尽くした。悪夢のことも気にしなくなった。彼女を守りたい、その想いがあれば何度同じ悪夢を見ても心が折れることはなかった。
ロサミリスという少女は、とても天真爛漫で、可憐で、可愛らしい女の子だった。
口数が少なく表情が乏しいジークに積極的に話しかけ、にこにこ笑う。
何がそんなに嬉しいのかと問えば「ジーク様の隣にいるだけで幸せです」と彼女は頬を染めた。
『ジーク様! ご覧になって、あそこに可愛らしいお花がありますの!』
『今日は上手に踊れましたわ!』
『ジーク様、この本とっても面白いと思いましたの! お読みになってはいいかがですか?』
『ジーク様、魔法を使って倒れられたとお伺いいたしました。体調はいかがでしょうか』
彼女と過ごす時間が増えるつれ、恋慕の想いが強くなっていく。
同時に、彼女を失う恐怖も増えた。
いつか自分も、シリウスという男のように、海を閉じ込めた貴き青の瞳に涙を浮かべさせてしまうのだろうか。暗い森の中で息絶えさせる未来を歩ませてしまうのだろうか。
この想いを、愛を──伝えても良いのだろうか。
伝えたら、何かのきっかけで彼女を悲しませてしまうのではないだろうか。
不安に苛まれたジークは、ますますロサミリスに仏頂面を貫くようになった。
必要最低限のことしか話さない。
でも彼女の好みは把握しているから、茶会を開くときは必ず彼女の好きな茶葉と甘さ控えめな焼き菓子を調達した。こうすれば少しは、少なくとも好意を抱いていると彼女に伝えることが出来ると思っていたから。
でもジークの意図に反して、最初は積極的に話しかけてくれた彼女も、徐々に口数が減っていた。態度はよそよそしくなり、目を合わせてくれない。嫌われたかもしれない。それはそれでいいかと思った。彼女を救うのが使命だ。別に両想いにこだわる必要はない。
初めてロンディニア次期公爵として夜会に参加したとき、彼女は自分の晴れ姿に見惚れていた。自分だって彼女の可愛らしいドレス姿に見惚れていたくせに、ソレは棚に上げて、彼女が自分を嫌いなわけではないと嬉しくなったものだ。
それでも、頭のどこかで悪夢がちらつく。
悪夢の中の金髪令嬢と瓜二つの娘が、ロサミリスの姉としてやってきた時も。
オルフェンにそそのかされて騎士団の事務部に入った時も。
魔獣がよく出現するというローフェン地方に行った時も。
胸が締め付けられて痛くて苦しいほどに、不安だった。
『ジーク、様…………こ、ここにいては危険です。早く、早く、安全な場所に!』
暗黒竜と決着をつける。
かなり『シリウス』寄りの感情を抱いて、ラティアーノ次期伯爵たるサヌーンルディア卿に同行し、魔獣討伐に参加した。そして暗黒竜の討伐に成功した。
また一つ悪夢と異なる結末に出来たことに、ジークは安堵した。
次に彼女の声を聞いたのは、医務室だった。
『じ、じ、ジーク様っ!? おき、起きてっ!?!?』
あぁ良かったと。
心の底からほっとした。
次にジークは、彼女に愛を伝えてみることにした。
言葉にして伝えなければ、察しが良い彼女でも誤解してしまうと知ったから。
彼女は顔を真っ赤にして恋慕の気持ちを伝えてくれた。
『愛してます、ジーク様』
悪夢とは別の結末を迎えることが出来た。
だが悪夢を見なくなる、ということはなかった。
金髪令嬢や婚約破棄のシーンはほとんど見なくなったが、かわりに黒髪令嬢が森の中で死んでいるシーンは繰り返し見せつけられた。
──ああ、まだダメなんだ。まだ足りないんだ。
彼女から呪いを宿している事実を知ったときに、悪夢の中で黒髪令嬢が死んでいるのは、呪いによってロサミリスが死ぬことを暗示しているのではないかと推測した。
呪いが他者を傷つけるものだと知っていたから、彼女は離れたいと言ってきた。触れたくないとも言ってきた。念願かなって両想いになったのに、こんな仕打ちはあんまりだ。ジークは強い衝動のまま、柔らかい彼女の肢体を掻き抱き、無理やり上を向かせ、深海の瞳を覗き込んだ。
──絶対にロサを幸せにしてみせる。
口づけを始めとした婚前交渉を禁止する、という家同士の約束さえなければ、彼女の唇を奪ってしまいたかった。怖いから触れたくない、などとわがままを言わせないように、どれだけ愛しているか体に刻み付けてやりたいとさえ思った。
彼女が呪いを打ち消すため、敬虔なる信徒の基地に囮として潜入すると言った時は、本当に肝が冷えた。死んだら元も子もない。失いたくない思いで拒絶したが、行動力のある彼女はカルロス皇弟に直訴してしまう。怖かったが、同時になんて強い女性なんだと胸を打たれた。
──ロサを守るのは俺の役目だ。
そして、敬虔なる信徒を二人で打ち倒し、呪いを消す方法を手に入れた。
テオドラ先生の協力のもと、見事呪いを打ち破った彼女は、本当に嬉しそうに微笑み、胸の中に飛び込んでくる。
凛としたロサの顔が好きだ。
恥ずかしいとすぐに耳が赤くなるロサが好きだ。
逆境に負けないロサの生きざまが好きだ。
離したくない。離れたくない。
ずっと傍にいたい。
ずっと愛して、ずっと愛されたい。
そう、ジークは想い続けていた。
「悪夢……………そういえば見なくなったな」
ロサミリスの手から呪いが消えた翌日から、あれだけ毎日のように見ていた悪夢を見なくなった。
怨念から解き放たれた、とでも言うかのように。
ジークが上半身を起こすと、隣で眠っている愛おしい女性がもぞもぞと体を捩らせる。きっと寒いのだろう、小さくて可愛らしい手で布団の中に潜り込もうとしている。長い睫毛が小さく震え、時折その唇から「ん……」という声が漏れた。
昔、彼女に黒髪よりも金髪が好きなんだと誤解されたことがある。
そんなわけがない。
初めて見た時から彼女の艶やかな髪が好きだったし、ことあるごとに触れたいと思っていた。長かった髪を短く切った時は驚いたし、『他に好きな男が実はいて、その男にフラれたのではないか』と思ってしまった。馬鹿みたいな心配だ。だって彼女は婚約者で、例え他に好きな男がいても結婚する運命なのに。
彼女を、あの悪夢のような未来から救うために隣にいる。
最初は、彼女が自分を好きでなくても構わないと思っていた。
いつだろうか、彼女の心も欲しくなったのは。
(…………我ながら、己の強欲さに驚くな)
思わずジークは苦笑してしまう。
それからジークは、眠るロサミリスの頬に触れる。指でふにっと押しても反応がない。熟睡している姿を見ると愛おしさを感じるとともに、起きて構ってほしい気持ちも芽生える。
しばらく彼女の黒髪を指で遊んだあと、ジークはロサミリスの唇に軽い口づけを落とした。




