Episode72.呪いと祝福①
スパートかけます。
本日更新1/2回目。
帝都──
大神殿の上空には、大きな満月が顔を覗かせていた。
天気は心配していたが、見事に晴れ渡っている。
聞くところによるとこの大神殿は、三千年前にミラが神を宿した場所とされている。戦を繰り返し、数々の国が消えては生まれ、そしてロヴィニッシュ帝国の前身となる王国が誕生した。
戦によって崩れかけていた神殿を修繕し、国王の求心力を高めるために、当時まだ技術として確立していなかった魔法で人々を癒していた乙女を、大神殿に召し上げて巫女として祀り上げた。
魔法技術が進歩し、魔法使いが魔導師と呼ばれるような時代になると、巫女の神秘性が薄れて王国は大神殿を重要視しなくなった。
大神殿はただの文化遺産となり、帝都の観光地となった。
その大神殿の、中央にて。
ロサミリスは星空を見上げていた。
(帝都だとこれくらいが限界ね…………)
一度修復された大神殿だが、何百年か前に大きな戦があり、その際に帝都に攻め込まれたという記述がある。戦自体は勝ったけれども、大神殿はその時の激しい攻防のせいで屋根が崩れ落ちてしまった。ロサミリスが神殿の中央から星を見ることが出来たのは、コレが理由である。
(ここでミラは神を宿したのね…………)
ミラという少女が器となり、神を宿した。
そして大戦が始まり、神を宿した人間を所有していた国家同士が争い、ミラは力を使い続けた。
最終的には、ミラは邪神として処刑された。
しかし巨大な力を持つミラは、感情を呪いとして世界に産み落としてしまった。
もう三千年も昔の話だ。
(わたくしの手に宿るのはミラの悲しみそのもの)
手を掲げる。
今はもう、手袋はしていない。
もう少しで儀式が始まるというときに、ロサミリスに近づいてくる影があった。
白い正装を身に纏ったジークだ。
「緊張していないか、ロサ」
「もちろん緊張していますわ。呪いに勝つか負けるか、今夜が一発勝負ですもの」
「一緒だな。俺も緊張している」
ロサミリスは驚いた。
何でもこなす多才がジークでも、緊張することがあるのかと。
いつも仏頂面で、何を考えているのか分からない。家柄も容姿も頭脳も魔導にも隙がなく完璧なジークの、普通の人っぽい部分を見た気がして、ロサミリスは少し笑った。
「何か変な事を言ったか?」
「ジーク様でも緊張されることがあるのだなと思っただけですわ」
「緊張自体はほとんどしないが、今日はロサの勝負の日だからな。何もできず見守る事しか出来ないから、緊張しているんだと思う」
ジークはこの儀式の為に、裏で駆けずり回ってくれた。
文化遺産である大神殿を貸し切り状態に出来たのも、彼がフェルベッド陛下に掛け合ってくれたからだ。ロサミリスが着ている衣装も、舞の練習に集中してほしいとのことで彼が用意してくれたものだ。
いわゆる本場の踊り子衣装とは違い、生地は厚く上質で動きやすさが重視されている。露出度については、露出させたくない(曰く他の人間に肌を見せたくない)ジークと、踊り子マライシャを参考にするなら神に注目してもらうために止む得ないとするテオドラ&リリアナで論争になり、かなり議論が重ねられたという。
ロサミリスは、呪いを取り除けるなら二の腕と腹くらい見せても気にしない立場だったのだけれど、やはり婚約者としてジークが中々立場を譲らなかった。
結局、儀式の最中は大神殿に男子禁制令を敷き、儀式を見守ることが出来るのはリリアナとイゼッタ、ニーナ、そしてロサミリスの両親だけで、他の男性陣はみんな追い出された。
ちなみにこの男性陣の中には、儀式を見守りたいテオドラや、「なんか面白そうなことやってんね」と噂を聞きつけてやってきたカルロス皇弟、さらには「ねえ俺も家族なんだけど?」と不満たらたらのサヌーンも含まれている。
『父親がよくてお兄様がダメな理由がよく分からないよ。説明してくれるかい、ジークフォルテン卿』
『お義兄様が妹離れしてくれるなら考えておきますよ?』
『……。ねえ、君にお義兄様と呼ばれる筋合いはないのだけど?』
『俺にはありますが?』
ロサミリスの知らないところでジークとサヌーンがバッチバチ火花を飛ばしていたらしく、一触即発状態だったらしい。周囲が灰にならなくてよかったとロサミリスは思った。魔導師と剣豪の戦いだ。戦えば、たぶん半径百メートルにわたって火の海になる。近くにいたカルロス皇弟は「男の嫉妬って怖いねえ」とニヤニヤ笑いながら眺めていたらしい。
────と。
「ロサ」
ジークの手が、伸ばされる。
ロサミリスも手を伸ばす。
指先が触れ合いそうになるその手前で、二人の指先がとまった。
触れるか、触れないかのギリギリのライン。
今のロサミリスが出来る、彼への最大限の愛情表現だ。
手を重ねることは、まだできない。
指を絡ませるのは全てが終わったあと。
彼の温かさにもう一度触れるのは、ロサミリスが世界で一番幸せを噛みしめている瞬間。
人生で初めて、彼に甘えるのは、もう少し先の話だ。
(今は、この儀式にすべてをぶつけますわ)
◇
大神殿は、実は皇宮の塔から見下ろすことが出来る。その事実に最初から気付いていたカルロス皇弟は、儀式を眺めるために塔に上り、特等席で頬杖をついていた。
魔法とは異なる異能を持っていた人間は歴史上に何度も登場し、すべてそれは邪神ミラの呪いだと言われていた。邪神の呪いを受けた人間は捕らえられ、処刑されることが常だったという。
今の時代でも、ミラへの邪神観念は弱まっていない。
呪いの真実が明るみに出れば、ロサミリスは捕縛され、貴人牢に一生幽閉されるだろう。
魔法でも何でもない未知の力を持ちながら、しかも制御も出来ないとなれば、間違いなく民衆が混乱する。避けるには、ロサミリスの身柄を押さえるしかない。
フェルベッド陛下なら、間違いなく民衆の混乱を避けるためにロサミリスを幽閉する。
ゆえにカルロス皇弟は、ロサミリスが宿した呪いのことをフェルベッド陛下に報告せず、秘匿状態にしていた。
(じゃじゃ馬姫をうまいこと更生させて、気味悪ロン毛男に頭突きをかまして降伏を促した大功労者……邪神の呪いに侵されているってだけで、未来を詰むのは俺の好むところじゃないし。……それに)
眼下にいるロサミリスを上から下までじっくり眺めて、カルロス皇弟は口角を上げた。
(あんな恰好して、古い思考で凝り固まった連中が見たら騒ぐだろうなぁ)
ロサミリスの衣装は踊り子のソレだ。
亡くなったヨルニカ妃へのあたりの強さでも分かるように、皇宮内には踊り子を「男を篭絡する卑しい娼婦」だと捉えている者が多い。帝国の東から伝来してきた踊り子の舞は、神への捧げものであり神聖なものだったはずなのに、昔の偉い神父が「女がケツを振って男をたぶらかしている」と言い始めたせいで価値観が変わってしまったのだ。
ただ、今から儀式に臨もうとしているロサミリスは、そんな価値観すら吹っ飛ばしそうな神々しい雰囲気を纏っていた。
(美人は何着ても美人って聞くけど、あれは別格なんだな……)
艶やかな黒羽の髪に月の光があたり、幻想的に輝いている。
舞い始める前の構えの姿勢で停止している彼女の横顔は、とても凛としていた。
それなりに露出しているはずなのに、彼女が着ると全くいやらしさがないのが不思議である。
「カルロス殿下っ!」
「お、やっと来たんだー眼鏡」
「また寝室を抜け出しましたね。いい加減外に出る時は私に一声かけてください!」
同じく塔にやってきたのは、カルロス皇弟の皇宮近衛隊の一人。
インテリ眼鏡と勝手に命名されているズリッチは、一息ついて、眼鏡をくいっとあげる。
「何を見ているのですか?」
「巫女の舞」
「巫女の舞? ……ああ、そういえばジークフォルテン卿が何やら大神殿を貸し切ったみたいですよね。何かの催し物ですか」
「見れば分かるよ」
「見ればって…………」
息を呑む声が聞こえて、カルロス皇弟は笑った。
面白かったのでズリッチの尻を手で鷲掴みにしてやると、彼は「殿下!!」とすごい形相で睨んできた。
カルロス皇弟は悪びれなく「ごめんごめん」と謝る。
(さてさて、ワンコ君に結果を伝えなきゃいけないし、真面目に見るとしますか)
ロサミリスの前世について一番早く真実を知ったのはオルフェンだったが、呪いの事を知ったのは意外にも最近。ロサミリスが敬虔なる信徒に捕まる前、騎士団をどう動かせば効率がいいかチェックを行っている時に、ロサミリスのかわりにジークがオルフェンに伝えた。
オルフェンはロサミリスの事が好きだったが、結ばれる事はないと知って三年前に諦めている。ただ、ロサミリス個人が好きな気持ちは変わらず、呪いのこととジークとの関係がどうなるのかを心配していた。
(儀式は見ない。英断だよワンコ君、君の誠意の高さは評価に値する)
儀式の結果は、カルロス皇弟がオルフェンに伝えるつもりだ。
ちょうどそのとき、ロサミリスが踊りの構えを取った。
それだけで、空気が張りつめたものになる。
普段彼女は社交界で踊るダンスとは、まったく別次元の雰囲気だ。
(これ、明日には皇宮中の噂になってるんじゃない?)
大神殿が貸し切りにされていることは、皇宮に勤めている者なら周知の事実。
いまカルロス皇弟が確認できるだけでも、何をしているのか気になって侍女たちや皇宮付きの庭師が、塔の上から大神殿に熱い視線を送っている。人が人を呼び、これからもっと増えるだろう。
人を惹きつけて離さない。
(まさしく女神、…………いいや、聖なる巫女の風格だな)




