Episode69.「誰って? ロサの、婚約者だが?」-敬虔なる信徒《ロドル・ゲマイン》④-
いきなり頭突きをされたソニバーツは、尻もちをついていた。
すっと通った鼻からは、頭突きの衝撃で流れたであろう血がしたたっている。銀の麗人と持てはやされ、さぞ女性からおモテになられていただろう男が、鼻血を出して尻もちをついている様子は中々に滑稽で、頭突きの反動で悶絶していたロサミリスの気分も晴れた。
「昔話でもすれば同情して命を差し出すとでも思ったのですか?」
「多少の効果はあると踏んでました。見当違いだったようですね」
「同情はしても命を差し出そうなんて思いませんわ」
そんなことをすれば、周りがどれだけ悲しむだろう。
婚約者はとても悲しむだろうし、妹大好きなサヌーンは確実に荒れるだろう。
侍女のニーナや、父と母、ここまで手助けしてくれたオルフェンやセロース、テオドラにだって迷惑をかけるのだ。幸せになりたいから頑張ってきたのに、死んだらその努力も水の泡である。
服で乱暴に血を拭き取って立ち上がったソニバーツに、ロサミリスは射抜くような視線を投げた。
「ソニバーツ卿はミラを救いたいからこんなことをしているのでしょう?」
「そうです。だからこうやってミラの心をみなに聞かせ、信者を増やし、貴女を殺して聖像にする。間違ってもミラを邪神だなどと言わせないようにする。そうしなければミラは救われない、裏切られ絶望の淵に立つ彼女の魂を救済できるのは私だけだッ! どんな手を使ってでも私がしなければならないのです!」
「断言致します。そんなことをしても、絶対にミラは救われない」
「バカな…………っ!」
「万が一にでもありえません」
今まで穏やかな表情をしていたソニバーツが、不愉快そうに眉根をひそめた。
強くロサミリスの腕を掴み、ひねりあげる。
「こんな細腕、少しでも力を籠めれば簡単に折れてしまいますよ」
「これから殺そうという相手にそんな事を言うのですね」
ロサミリスは不敵に微笑んだ。
「いいですか。あなたの愛するミラという女性は、本当は嫌でも周りの人が幸せになるのならと、自分の運命を受け入れる芯の強い女性だとお見受けいたしました。そんな彼女が誰かを生贄のように殺してまで、救われたいと、自分が邪神ではないことを広めてほしいと願うなんて、本気で思っているのですか?」
ソニバーツが話すミラは、明るい笑顔を振りまいて周りを笑顔にさせる人。それでいて芯は強く、ヨハネスと一緒に逃げることをやめ、皆が幸せになるのならと己を犠牲にして、神を宿した。
「あなたの行いでは、彼女は決して幸せにはなりません」
ロサミリスはソニバーツに掴まれている腕を強く振り払った。
呆然とした表情で、ソニバーツは数歩後ろに下がった。
顔を手で覆い、かなり動揺している。
「あなたはわたくしを三度も怒らせました。頭突きをしたのを根に持たないでくださいね?」
「怒ったって、もしかして殺そうとしたからですか」
「つくづくあんぽんたんですわね」
「あ、あんぽんたん…………?」
「わたくしが怒ったのはそんな些末な事ではありません。一つ目は、リリアナ様を傷つけた事です。リリアナ様を守り監督する立場でありながら、イゼッタさんとの仲を引き裂きましたよね。ベルベリーナさんも優秀な侍女だったのに、横領を手伝わせ彼女の侍女としての未来を奪った」
このときから、ロサミリスはかなりソニバーツに腹を立てていた。
「二つ目はニーナを泣かせたことですわ」
自慢の侍女がソニバーツの放った刺客によって傷つけられ、涙を流した。
刺客を殴りに行こうと風呂場から飛び出したほどに、頭にキていた。
「三つ目は……いや聞くまでもありませんね。貴女を犠牲にしてミラを救おうとしたから」
「ミラの事がなくても死にたくないので全力で抗わせてもらいますわよ? 七度目こそ幸せになってやるって決めてますから」
「わがままですね」
「わがままですわ。自己中だと罵ってもらっても構いませんのよ?」
「なら、私も己のわがままを通させてもらいますね」
ソニバーツは軽く手を上げる仕草をした。
ぞろぞろとやって来る黒い服を着た者たち。始めから抵抗されると分かって、人を用意していたのだろう。ざっと数えて三十人弱のマント集団が、隙間なくロサミリスを取り囲んでいる。剣ではなく縄を持っているのは、目立つ傷を作らせないためだろうか。
ソニバーツの周りにも、五人のマントが囲っている。彼らはロサミリスを誘拐したメンバーだ。おそらく、この中で彼らが一番強い。立ち姿に隙が無いのだ。
(絶体絶命…………ね)
ロサミリスは口角をきゅっと吊り上げた。
「だいたい一時間強ってところかしら」
「なんです……?」
「わたくしがここに来てから経過した時間ですわ」
「もしかして、この絶望的な状況で何か策でもあるのですか?」
「もちろん」
「面白い事を言う人だ」
ソニバーツは肩をすくめた。
「貴女が特別な魔導具や隠し武器を持っていない事は調べがついています。ここは地下、しかもカルロス殿下や騎士団にも知られていない秘密の場所。入り口は複数個所存在し、周囲に溶け込むように細工なされています。そんな場所に、どうやって救援が駆け付けるというのです?」
「駆け付けますわ」
「なに?」
「ほ、報告します!!」
大慌てで男が入って来たのは、ちょうどそのときだった。
「どうしたのです?」
「この場所から百メートルほど離れた陸地に、突如カルロス皇弟が現れました!!」
「っカルロス殿下が!?」
「それだけじゃありません! 後方にはシェルアリノ騎士公爵率いる騎士団の軍勢が見えます! その数、ざっと二百!!」
「な…………っ!」
「彼らはまっすぐ入り口に向かって来ています! 早く別の出口から逃げないと、このままじゃ袋の鼠です!」
部下の報告を受けて、ソニバーツが苦々しくロサミリスを見た。
「これを仕組んだのは貴女ですか」
「はい。任せられた役割は、わざと捕まってアジトに入り込み、わたくしの居場所──つまりソニバーツ卿の居場所をカルロス皇弟殿下に伝えることでした」
「それは無理ですね。貴女は魔導具などを持っていなかった」
「ねえ。ソニバーツ卿は、転移魔法をご存じかしら?」
脈絡がないように聞こえる言葉に、ソニバーツの柳眉が寄った。
「転移、魔法……? ああ、知っていますとも。あらかじめ魔法印で描いた場所に、瞬間的に移動できる魔法。莫大な魔力と緻密な座標計算能力が必要とされる高難易度の技ですよね。でもそれは………」
そこまで言って、ソニバーツはハッとした顔になる。
「まさか、貴女───」
「ご想像の通り、わたくしの体には、目には見えないジーク様の魔法がかけられていますの」
ロサミリス自身が、座標なのだ。
ジークは自分が施した転移魔法の魔法印の位置を、どれだけ離れていても把握することができる。ロサミリスが誘拐されたその瞬間から、どのあたりの場所にいるのか逐一カルロス皇弟に伝え、とても静かに騎士団を動かしていた。
ただ、あくまでも位置を特定できるだけ。
騎士団をロサミリスの近くに転移出来るわけではないので、騎士団が到着するまでの間、ロサミリスは出来るだけ時間を稼ぐようにカルロス皇弟から指示を受けていた。
「そんなもの、今さらですね」
ソニバーツは吐き捨てた。
「どれだけ早くても、カルロス殿下がここに辿り着くのは時間がかかるでしょう。入り口からここまでは迷路のように入り組んでいて、迷わずここに辿り着くのはまず不可能です。それだけの時間があれば、この人数で貴女を殺すことくらい可能です」
ソニバーツの指示で、マント集団が一斉に攻めの姿勢に転じる。
確かにこの人数では、日ごろから魔法武術を研鑽していたロサミリスであっても、逃げ延びることは出来ないだろう。
「一人で出来るのは、ソニバーツ卿に頭突きをかますことぐらいでしたわね。いいでしょう。わたくしの気は晴れました。申し訳ありませんが、お力をお借りしたいですわ」
「「「?」」」
一同は動揺した。
「いったい誰に向かって言っているんだ?」
一人が抱いたその疑問は、次の瞬間、突如伸びて来た誰かの足によって、体ごと吹っ飛ばされた。盛大な音をたてて床に数回バウンドし、くぐもったうめき声をあげた数秒後、沈黙。
仲間がいきなり誰かに蹴り飛ばされたことを判断した別の男は、危険を察知してナイフを抜いた。けれどもその刹那、強烈な足蹴が男のみぞおちに炸裂し、ろくに反撃することも出来ず無力化させられる。
「だ、誰だてめえ!?」
勇猛にも、大柄の一人の男が声をあげた。
流麗な仕草で足蹴りをかましていた“誰か”は、その声に気付き、片手に炎の玉を浮かべた。
「誰って────」
金色の髪が彼の動きと共に一筋の線を描き、大柄の男が放った一撃をかわす。そのままの勢いで男に接近し、彼は炎を浮かべた手を使って、男の頭を真上から掴み上げた。
ぞっとするほどの冷たい深緑の瞳を、呆然とした顔で男は見ていた。
彼の、かたちのよい唇が開く。
「ロサの、婚約者だが?」
彼の作った炎が爆散し、男が泡を吹いて気絶する。
「ジークフォルテン卿!」
ジークはソニバーツの声には反応せず、ロサミリスを囲っていたマント集団を魔法で焼き切った。死んでいるわけではないだろうけれど、痛そうに呻きながら地に伏している。
残ったのは、ソニバーツとソニバーツを守る五人のマント男だけ。
「ジーク様!」
「ロサは動くな」
ロサミリスを守る様に手で制し、ジークが一歩進み出た。
「まだこの間の礼をおまえにしていなかったな」
「く……っ」
ニーナを襲ったあのときのマント男が、ジークに睨まれて声をあげる。
「あの時は暗い森の中だったが、今回は違う。来い」
「この……っ」
マント男がジークに迫った。
素早い動作で小型の武器を構えたマント男が、下からすくい上げるように短刀を振るう。ジークは半身をずらしてかわし、続けざまに放たれたマント男の徒手空拳を手でいなす。何度かそれを繰り返した後、マント男の後ろ首をジークが掴んだ。
「どうやら魔法武術でも俺の方が上だったようだな」
「な……っ!」
「眠れ」
ビリビリと稲妻のような光が迸りながら、ジークはマント男を地面に叩きつけた。
衝撃で地面が軽く割れる。
「ジーク様、すごい…………」
奇怪な音を立てていたから、骨が数本折れたかもしれない。
でも息はしている。
無力化させるために、あえてやったのだ。
改めて、彼の凄さをロサミリスは思い知る。
「さて……」
ジークの深緑の瞳が、強い感情を宿して仄暗く光っている。
これはまずい、とロサミリスは違う意味で心配になった。
(完全にお怒りモードだわ。声までは届いてなかったはずだけれど……)
ジークがタイミングよく現れたのは、ロサミリスが合図を出したからだ。
声ではなく、魔力の波動による合図。
魔法印の効果があるときだけ、離れた場所にいる対象の魔力を感じ取ることが可能。ロサミリスが強めに魔力を放つことでジークに合図を出し、転移魔法でこっちに来てもらったというシナリオだ。
おかげでピンチは凌げたけれど、ロサミリスの感情を魔力の波動で感じ取っていたのか、はたまた「ロサミリスを殺す」という単語を地獄耳で聞いたのか、今にもソニバーツを殺しそうな雰囲気である。
ロサミリスは慌ててジークより前に進み出た。
「ソニバーツ卿、降伏してください」
地響きのような音が聖堂に木霊している。
騎士団がやってくる足音だ。
残った四人のマント男が、一斉にソニバーツを見た。
「ご命令を!」
「我ら四人であの二人を血祭りにします!」
「ソニバーツ大司教!」
ソニバーツは何も答えない。
チャンスだと思って、ロサミリスは声をあげる。
「今この場所は、カルロス皇弟殿下とオルフェン様率いる銀白翼騎士団によって包囲されています」
「他の通路を使って逃げようとしても、俺がいる限り逃がしはしない。もう終わりだ、ドラクガナル・ソニバーツ」
ジークの冷たい視線。
ことの首謀者は、膝から崩れ落ちて自嘲気味に笑った。
「みなさん、今までよく私に仕えてくれましたね」
「「「「ソニバーツ大司教!?」」」」
「あなたたちでは、四人が束になってかかってもジークフォルテン卿には敵いませんよ。保有する魔力量が違うのです。化け物ですよ、アレ」
一拍の間があった。
「降伏しましょう。敬虔なる信徒はおしまいです」




