Episode58.皇宮書庫室②
「ここにある本は無暗に開こうと思わない方がいい。開くと精神が病んでしまう魔導書、大昔の魔女が作り出した禁忌目録、魔導師を食い殺した伝説のある本などなど、ホントに禁忌とされる本ばかりだ。ま、興味あるのは邪神だけだろうけど」
傾斜角度のきつい階段を上ろうとすると、前を歩くカルロス皇弟に手を伸ばされた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
彼の手を借りて階段を上ると、開けた場所に出た。
厳重にガラス張りされている箱の中に、古びた本があった。
二十個はありそうだ。
「ここが邪神関連の本を集めている場所」
「これだけ……?」
「そう思うでしょ。ほとんど焚書しちゃったから、本当にこれしか残ってなくてね」
残っただけでも奇跡なのだ。
眺めていると、一つだけ本が入っていないガラスケースがある事に気付いた
「あれ、盗まれたやつ。呪いの源である邪神ミラについて、ヨハネスという男が記述したもの。ミラの心や生い立ちについて深く記述されていたらしいから、邪神を崇拝する連中にとっては、聖書みたいなものなんだろうね」
(あそこにあったのが……)
いったいなぜ、盗んだのだろう。
そんなに、邪神ミラの心が知りたかったのだろうか。
「さて、どれを読みたい? どれでも好きなのを選んで。取り出してあげるから」
「本当によろしいのですか?」
「大丈夫大丈夫。あくまで邪神や呪いに関しての私見や論文だから、向こうにあった魔導書みたいに触れた瞬間どうにかなっちゃうものでもないし」
「ではお言葉に甘えて、そこにある本からお願い致します」
カルロス皇弟は、ガラスケースに触れるか触れないかの位置で、手を伸ばした。
五芒星の魔法印が輝く。
小気味の良い音が鳴ったあと、彼はガラスケースを持ち上げた。
(魔法の力で取り外せるようになってるのね。殿下は特別な権限があるから、自由に閲覧できる……)
魔力による認証装置。
登録された魔力を持つ人物が任意の魔法を出せば、簡単に取り出せる仕組みになっている。軽々とガラスケースを持つ彼を見ていると、視線に気づいたのか皇弟がにやりと笑った。
「ちなみにこのガラスケースは特殊加工、ちょっとやそっとじゃ壊れないんだ。あれが盗まれた時も壊した形跡がなかったから、皇宮内に内通者がいたんじゃないかっていう話になったんだ」
「よいのですか。そのような話を部外者に話して」
「ラティアーノ伯爵令嬢はまさしく関係者と呼べる存在でしょ?」
「…………」
(経典を盗ませ、帝都で大きな集会を開いた犯罪組織が、ラティアーノ領内に潜伏しているかもしれない……)
その首謀者たるのがソニバーツ侯爵。
確かに無関係とは言い切れない。
「どうぞ」
カルロス皇弟が本をロサミリスの前に差し出した。
年季が入っているものの、意外と綺麗な見た目をしている。めくった瞬間に破けてしまうような本を想像していただけに、拍子抜けする思いだ。黒い手袋を嵌めた両手で本を受け取り、表紙の題名を確認する。
「『呪いの起源と由来』」
呪いとは邪神ミラがこの世に産み落とした怒りと悲しみそのものである。肉体が朽ち果てようとも呪いは残り続け、輪廻転生を果たしても魂が生浄の楽園に向かう事はない。魂が新たな肉体を得ると、染みついた呪いが発現し、邪神ミラの“想い”がその大地に再び根をおろす。
呪いとは邪神ミラがこの大地と繋がるための唯一の手段なのだと、古代帝国語で書かれていた。
ロサミリスでも読めない事はないけれど、研究者テオドラのようにスラスラ読むことが出来ない。
一文節を読み解くだけでかなりの時間を費やした。
(改めて呪いとは何か考えさせられたけれど、本当にどうしてミラっていう神はこんなのをばら撒いたのかしら。はっきり言って大迷惑だわ)
そんなにこの世界を愛しているのなら、もっと違う手段を考えてほしい。
(呪いを受けたわたくしの身も考えてほしいわ)
思わず愚痴と不満が出てしまう。
本は分厚く、とてもロサミリス一人が解読できるような代物ではない。当初の予定通り、写本するつもりだ。どんな内容がテオドラの研究に役立つか分からないため、要約しようなんて考えずに丸写しするのである。
印刷できればいいのだけれど、大事な史料をぞんざいに扱えないので、禁止されている。
(骨が折れそうね……)
この本があとニ十冊近くあるのだ。
げんなりしてしまう。
「────そんなの写して、どうすんの?」
一文節ずつ写し始めたロサミリスを、皇弟殿下が頬杖をつきながら見ている。
「人に見せるために写してるんでしょ?」
「はい」
「俺に怒られる、とか、止められるって思わなかったの?」
「禁じられている行為だとすれば、フェルベッド陛下が許可を出すはずがありませんもの。許可を得ている時点で、皇弟殿下にも咎められるとは思っておりませんわ」
「まぁでも心情的にさ? 普通は気になるじゃん?」
「気にしておりません」
「あっそう」
ただ監視するだけの時間が、彼にとってつまらないのだろう。
机に突っ伏したり、立ち上がったり、歩き回ったりと忙しなかった。
「全部写すのは大変でしょ。写本は俺が引き受けるよ」
「お手を煩わせるわけには……」
「いっつも俺を追いかけ回してくるインテリ眼鏡がね、速筆の鬼と言われてるぐらい筆が早くてね、分担すればもっと早く終わると思うよ」
「皇宮近衛隊の方でしょうか?」
「そ」
(護衛してくださる近衛隊の方を、追いかけ回してくるストーカー扱いって…………その方が不憫に思えてくるわね)
カルロス皇弟の護衛係になったのが運のツキだ。
「本当によろしいので?」
「ばっちり。俺は手伝わないけど」
「ご本人の都合も聞いておかないといけませんので」
「真面目だねぇ。でもさ、ちょっとでも早いほうがいいんじゃないの?」
顔を上げると、カルロス皇弟と目が合った。
彼は自分の手の甲を、もう片方の指で示している。
「早い方が良いよ、ソレ。手からとんでもなく不気味なものを感じる。今のところ、その手袋とよく分からない手の術式が何とか抑え込んでるみたいだけど、早いに越した事はない」
ジークに気付かれたくらいだから、魔導師として才能がある者には分かってしまうものなのか。魔法の才能をすべて兄サヌーンに吸い取られ、搾りカス程度の魔力しかないロサミリスには、よく分からない。
けれど、ここで肯定することは出来なかった。
目の前にいるのは、皇帝の弟たるカルロス殿下。ただでさえ呪いが厄介な性質を持っているのに、皇族が絡んでくるとなると殊更に厄介なことになる。何度も転生していると身に染みてくる。
(迷いなく禁忌棚に案内してくれたのは、初めからこの呪いの存在に気付いていたからなのね)
顔をあげ、ロサミリスは笑みを浮かべた。
「なんのことでしょうか?」
「シラを切るのは構わない。何も間違ってないからね。でも、俺からの提案は受けておいた方がいいと思う。自分のためを思うならね」
彼の言葉に、茶化したい意図はなかった。
呪いにタイムリミットがある以上、この提案は受けておいた方が良い。
「ありがとうございます。では、写本をお願いしてもよろしいでしょうか」




