Episode56.黒幕と
同時刻──
ジークフォルテンとロサミリスの様子を眺める、一人の影があった。
(素晴らしい……)
彼が使用したのは、遠視と盗聴の魔法。
さきほどロサミリスと接触した時に服に仕込ませた魔導具によって、周囲の音を拾わせている。小ささを売りにしている魔導具のため、魔力を流すと10分程度で壊れてしまうが、証拠が残らないため都合が良い。
遠視は彼自身の目が望遠鏡のように、遠く離れた人物を盗み見る。
(やはり、私の目に間違いはなかったようですね)
ソニバーツ侯爵は、歓喜に打ち震えた。
もちろん喜んだ理由は、盗み聞いたジークフォルテンとロサミリスの会話内容である。
こんなに早く、ロサミリスが呪いを宿していると判明する日が来るとは思わなかった。いいや、ソニバーツ侯爵自身は確信していた。彼女の体から香る芳醇なその匂いを、敬虔な信徒であるソニバーツ自身が感じ取れないはずがない。
(ああ、今日はなんと良い日なのでしょう。よもやミラの〈祝福〉を六回もその身に受けられるほど、高潔の存在と出会える日が来ようとは……)
ただし、手放しでは喜べない。
彼女の御手を覆い隠す黒い手袋を、はぎ取って引き裂かなければ。
(忌々しい。…………どこの下賤の者があのような術を施したのでしょうか)
あれでは、ミラの〈祝福〉が体全体を満たさない。
(まあ。手袋は他の者に任せましょうか)
大司教が自ら手をかける時は、彼女を基地に迎え入れた時でいい。
(今日はロサミリス嬢と挨拶が出来ただけで良しといたしましょう。〈祝福〉を賜った貴女とまた出会えることを楽しみにしておりますよ)
かたちのよい唇を歪めてから、ソニバーツ侯爵はその場から離れる。
そのまま皇宮に入れば、侍女や仕官たちが頭を下げ、宮宰を迎え入れた。
宮宰として宛がわれた執務室へ入り、上質な執務椅子に腰をかける。
しばらくして、部屋に一人の侍女がやってきた。
彼女の名前はベルベリーナ・ハルヴィカ。
ソニバーツの美貌に心奪われ、様々な命令を忠実にこなしてくれる優秀な侍女である。
「お、お呼びでしょうか……」
いつもなら恍惚の表情を浮かべているはずのベルベリーナが、今日は暗い。
その様子に、ソニバーツ侯爵は「おや」と頬杖をつく。
「カルロス皇弟殿下に何か言われましたか?」
「……っ!」
「図星、ですね」
(ベルベリーナが私と繋がっているのは誰の目に見ても明らか。あえて彼女に言ってきたということは、牽制の意味もあるのでしょうね……)
帝都の宗教集会。
ミラ教を広めるためにソニバーツ侯爵が開かせたもの。帝都でも比較的に治安が悪く貧民が入り混じる場所で集会を開いたのは、大きな理由として二つある。
一つは真の意味でミラを広く知ってほしいという意図。
もう一つは、皇宮のお膝元である帝都で大規模集会を開くことで、カルロス皇弟の目をそちらに向かせることができる。
「想定内です。貴女は何も心配いりませんよ」
「あの…………じゃあやっぱり、帝都での宗教集会は」
「私の指示です。大司教がミラへの信仰の尊さをみなに説くのは当たり前の事でしょう?」
「ひっ」
ベルベリーナは顔を引きつらせた。
「そういえば貴女も、ミラを邪神だと言う側の人間でしたね」
「ほ、本当にソニバーツ侯爵はあの神を崇めているのですかっ!?」
「ええ。私の忠誠はミラだけに捧げています。愛しているのは彼女だけ」
邪神ミラは多くの神々によって撃ち滅ぼされた邪悪な存在。御心に触れれば帝国に災厄が降り注ぎ、国が一つ滅ぶと帝国では語り継がれている。ゆえにミラを伝記する著書や呪いに関する書物は存在自体が禁忌とされ、ほとんどが炎の中で灰となった。
言う事を聞かない子どもにしつけるために『ミラが攫いにくるよ』と脅し文句として親が使うことも多い。
そんな存在を、ソニバーツ侯爵は「愛している」と言うのだ。
「今日は、貴女にお別れを言いに来ました」
「お別れ…………?」
「ベルベリーナ、貴女は本当に優秀な侍女でした。何も知らずに、何も考えずに、私の手となり足となってくれました。特に褒めてあげたいのは、貴女がずっとリリアナ様に無関心であったことです」
「え……?」
ベルベリーナの顔が恐怖で固まるが、ソニバーツ侯爵は気にしていなかった。
「リリアナ様は無垢で何も知らないわがままな皇女として、傍若無人の限りを尽くす。そのまま成人までいってくださったほうが、リリアナ様を傀儡のように扱えたのですが、それはまぁ行き過ぎた願望だったのでしょう。でもリリアナ様のおかげで、しばらくはカルロス皇弟の目を遠ざけることが出来て、私も皇宮内から資金を調達することが出来ましたから」
「じゃあ、もしかして……イゼッタさんが専属侍女から降ろされたのは……」
ソニバーツ侯爵は、頷かなかった。
否定もしなかった。
ただただ、銀の麗人と称される美しい笑みを浮かべているだけ。
ベルベリーナの足は、小鹿のように震えていた。
いったい、なにを喜んでいたのだろうかと、ベルベリーナは思った。強制的に空席になった専属侍女の座を手に入れて、両手をあげて喜んで、家族にも連絡して、ソニバーツ侯爵の思惑通りに皇女に無関心を貫いて、皇女の引きこもりを加速させた。
侍女として優秀だから、侯爵に目をかけてもらえたのだと誇りに思っていた。
でも違った。
駒として一番都合がいいから選ばれたのだと、知ってしまった。
────そうして、ベルベリーナは膝から崩れ落ちた。
「そんな…………っ」
「ロサミリス嬢の手引きで、もう一度イゼッタは専属侍女の座に、リリアナ様は立派な皇女に変貌しつつある。リリアナ様を使った傀儡計画は残念ながら叶いませんでしたが、それでも今まで、よく頑張ってくれましたね。ベルベリーナ」
乾いた拍手が鳴り響いた。
「逃げるも自由、ここに留まるのも自由。お好きにしなさい」
そう言い残して。
その日、ソニバーツ侯爵は皇宮から姿を消した。
生家にもいない。
誰も行方を知らず、ソニバーツ本家の使用人たちは、どうすればよいのかとうろたえている。
「あー。俺が動く前に逃げたな、あの男」
部下のいる前で舌打ちしそうになるのをこらえ、カルロス皇弟は、目の前にいる侍女を見下ろした。
皇宮内でも美人で優秀な侍女として名を馳せていた侍女が、涙で化粧をぐちゃぐちゃにして座り込んでいる。目には正気がなく、かつて好きだった人の名前を、呪詛のように呟いていた。
カルロス皇弟は、興味を失くしたと言わんばかりにベルベリーナから視線を外し、皇宮の外を見る。
帝都の空は暗く、もうすぐ雨が降りそうである。
「皇宮書庫室に無断で侵入して経典を盗み出すのを手伝ったっていう嫌疑で、とりあえず拘束すべきだったかなぁ。ま、あのときは『気味悪ロン毛男』がやったっていう証拠もなかったし、俺もまだガキだったし? これからどうするか考えるか」
「発言をお許しください…………皇弟殿下……」
「ん? なにー?」
いつものように、間の抜けた声。
「私は…………どうなるのでしょうか……」
「ま、あの『気味悪ロン毛男』に命令されたとはいえ、皇宮の金を横領したんだから罪に問わない訳にはいかないよね。横領した分の何割かはあんたの家に請求がいくと思う。怖いねー、盲目的な恋愛感情って。想い人に頼まれたんだから何が何でもやらなきゃって思い込むんだもん。そして目的が完遂されたらあっけなく捨てられて終わり。人生バッドエンド」
「…………」
「でも、あんたは『じゃじゃ馬姫』の専属侍女だから、ちょっとくらいは特別扱いしてもらえるんじゃない?」
他人事のようにそう言い、カルロス皇弟はベルベリーナの横を通り過ぎた。
「洗いざらい自白してくれたからね。ひとまず貴人牢に入れてあげる」
歩み去っていく皇弟の背後では、皇宮近衛隊がベルベリーナを拘束していた。




