Episode54.麗しき銀の麗人
イゼッタとベルベリーナの仲は相変わらずだったけれども、なんだかんだといって上手くやっている。イゼッタを専属侍女にしないかという話が、侍女長の推薦で起きているらしい。リリアナが言うには、ベルベリーナを存続させたままイゼッタを専属侍女したいのだそう。順調に行けば、イゼッタも専属侍女に返り咲けるだろう。
(リリアナ様にも家庭教師がついて、本格的な皇女教育にとりかかっている。わたくしのお仕事も納め時ね)
思えば、あっという間の一か月だった。
明日で“お友だち候補”期間も終わり。
そうすれば、念願かなって皇宮の『書庫室』に入ることが出来る。
(…………っだれ?)
「こんにちは」
銀色の長い髪を結わえた麗人が、そこにいた。
薄いほうれい線が見えつつも、若々しい顔立ち。
その口調は、相手に警戒心を抱かせないように配慮され、ゆったりとしている。
突然の登場に驚きつつも、ロサミリスはしっかりと淑女の礼を返した。
「挨拶が遅れてしまいましたね。なにぶん皇宮から離れていて、連絡を受けたのが遅かったもので」
「いいえ、とんでもありません。こうやって直接お顔を見せに来てくださったのですもの、光栄の至りですわ。ソニバーツ侯爵」
ドラクガナル・ソニバーツ。
先帝ゲオルグの代より皇族に仕え、現在は宮宰という職に就いている。先帝亡き後、現在はリリアナ唯一の後ろ盾として、彼女の教育面での責任を負っている。家庭教師などの選定を行うのも彼の役割だ。
(ご年齢は40を超えていると窺っているけれど、ずいぶんお若く見えるわね)
宮宰という立場上、ソニバーツ侯爵は社交界にほとんど顔を出さない。
そのため、ロサミリスは彼の事を名前くらいしか知らなかった。こうやって話すのも初めてである。
「ロサミリス嬢は噂に違わぬお美しさですね。神が嫉妬しそうな、吸い込まれそうな気高き青の瞳。なるほど、みなが《黒蝶の姫君》と申されるのも頷けますね」
くすりと微笑む銀の麗人。
ソニバーツ侯爵の長い指が、伸びてくる。とっさに半歩下がることで事なきをえたが、あのままいけば髪を触られていただろうか。
自慢の黒髪に触れて良いのは、家族を除けば婚約者だけだ。彼のために手触りをよくしているのであって、別の男に触らせるために毎夜の手入れを頑張っているわけではない。
あからさまに嫌がる素振りを見せれば、彼も我に返るだろう。そう思って、髪を己の手で払いのける仕草をして見せれば、ソニバーツ侯爵は近づいてこなかった。
(なんだったの、さっきの)
切り換えの早さに呆気に取られる。
あと気になったのは、彼の目だ。
硝子玉のようだと思った。
(侯爵が女性好きという話なんて、聞いたことがないけれど……)
今まで感じたことがないような、言い知れない恐怖を感じた。
(気のせい、かしら)
おかしな雰囲気を感じたのもほんの一瞬だけ。
勘違いだと思いたかったが、引っ掛かる。
「話には聞いていましたが、リリアナ様はほんとうに変わられましたね。あのように家庭教師のもとで勉学に励むお姿を見られるなんて、思ってもみませんでした」
「ええ……そうですわね」
「私は最初からリリアナ様に嫌われておりましてね。皇女としての今後を考えていかねばならないという時にも、面会拒否を言い渡されました。ええ、きっとロサミリス嬢にはリリアナ様を夢中にさせる何かがあったのでしょうね」
「…………一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「何ですか?」
「各貴族から治められる税金の帳簿の確認など、内容は多岐にわたりますが、宮宰は皇宮内で仕事をするものだと思っております。ここ一か月間、一切お姿をお見掛けいたしませんでした。どちらにいらっしゃったのかなと」
「ふふっ。自宅ですよ、仕事は家でも出来ますからね」
「そう、ですか……」
「こうして見つめられると、まるで尋問されているみたいですね」
「失礼いたしました。非礼をお詫びいたしますわ、ソニバーツ侯爵」
ロサミリスは慌てて頭を下げる。
「いえいえ、気にしていません」
彼は肩をすくめる。
ちょうどそのとき、足音が聞こえた。
(誰かこっちに来るわ。不機嫌そうな表情ですっごく早足で…………ってあれ、ジーク様じゃない!?)
ソニバーツ侯爵も気付いたらしく、軽い礼の形をとる。
近付いてきたジークは軽く目を見開いた。
「あなたは……ソニバーツ侯爵」
「お目にかかれて光栄です、ジークフォルテン卿」
ジークはロサミリスの腰をぐいっと引き寄せる。
いきなりの登場にロサミリスもパニックで、え、とか、あのっ、とかしか言葉が出てこない。
「私の婚約者と何かお話をされていたようですが、混ぜてもらってもよろしいですか?」
(わた、私の…………っ!?)
聞き間違いではなかろうか。
あの仏頂面の王こと麗しき婚約者殿が、わざわざ「私の」と強調したのだ。
(え、つまり………………えと、つまりなに!?)
上手く言葉に出てこなかったけれど、いうなればジークは、久しぶりに会えたと思ったロサミリスが別の男と話していたので、ソニバーツ侯爵に嫉妬しているのである。
ロサミリスは、耳が赤くなるのを抑えられなかった。
「これは失礼をいたしました。ですが、安心なさってください。邪魔者はこれにて退散いたしますので。では──」
「…………」
ジークが横目でソニバーツ侯爵を見つめている。
ロサミリスはというと、逞しい腕にがっちり腰を抱かれているので、気が気でなかった。
(し、心臓が持たない……っ)




