Episode48.元専属侍女・イゼッタ
皇宮からわずかに離れた場所にある侍女寮。
仕事を終えた侍女たちがお喋りをするこの時間帯、イゼッタ・ユーリティという侍女は、温かいスープの入ったカップを片手に持ち、外を眺めていた。
「今回の“お友だち候補”、リリアナ様と仲良くなりつつあるらしいじゃない。自分が吹っ飛ばした近衛騎士にも謝ったそうだし。ねぇイゼッタ、このままいけばあんたのリリアナ様いい感じになるんじゃない?」
「あんたのって……私がリリアナ様の専属侍女だったのは一年以上も前の事よ。まったく……」
けけけっと、嫌な笑い方をしているのはラナという少女。
イゼッタにとっては数少ない同期の一人であり、皇宮において苦楽を共にしてきた唯一の友人だ。
「ねえイゼッタ、もう一度リリアナ様の侍女に戻りたいって思ってる?」
「なんで私が……」
「だっていっつもリリアナ様のこと気にしてるじゃない?」
図星を言い当てられ、イゼッタは赤面した。
確かに彼女の言う通り、リリアナ皇女の噂話があれば思わず聞き耳を立てていた。噂話でリリアナ皇女の悪口を言われようものなら、いつも苛々してしまう。噂話をしている侍女に文句を言いたいところだったが、上下関係の厳しい侍女の世界でそんなことを言おうものなら、干されてしまう。イゼッタは爵位を持たない下級貴族の生まれだったため、何も言い返すことは出来なかった。
「前に侍女長が言ってたよ。一番リリアナ様と仲良くなれそうだったのは、あんただったって」
イゼッタは一年前、リリアナ皇女の専属侍女に抜擢された。
皇族の専属侍女は、ほぼ付きっきりでお世話をする。
住む部屋もこんな侍女寮の共同部屋ではなく、皇宮内に個室を用意してもらえる。給金は下働き侍女よりも数倍よく、待遇だって良い。
こんな名誉な仕事は、たいていが爵位持ち貴族が選ばれることが多い。だからイゼッタが選ばれたときは、今までの努力が認められたんだって、とても嬉しくなったものだ。
赴任初日、イゼッタから見たリリアナ皇女の第一印象は小生意気なガキだった。
何かあればすぐ癇癪を起すし、風の魔法を放ってくる。イゼッタは魔法が使えないので対処できず、何度か床に叩きつけられたこともあった。
でも、周りの侍女が言うほど悪い子だとイゼッタは思っていなかった。イゼッタには兄妹が多く、末の弟はとてもやんちゃ。子どもの世話に慣れていたためだろう。
(皇帝ゲオルグ様と平民であるヨルニカ妃の間に生まれた皇族、それがリリアナ様…………こんなの、誰だってリリアナ様が辛い思いをしてるって分かるんじゃないの)
リリアナ皇女が拗らせてしまったのだって、きっとそれが原因。
ヨルニカ妃も早くに亡くなってしまっている。
誰かが傍についてあげなくちゃいけないのに、誰もリリアナ皇女を見ていなかった。
なら自分がそれをしよう。
いっぱいお喋りして、色んなものを見せて、少しでもリリアナ皇女の心が軽くなるようにしてあげよう。決意を胸に抱いて、イゼッタは一生懸命リリアナ皇女と向かい合った。
けれども一か月も経たぬうちに、イゼッタは専属侍女の座をおろされた。
『リリアナ皇女殿下が苦言を呈された。馴れ馴れしい素振りをされ、非常に不愉快だったと申されたと』
当時の侍女長はそう言っていたが、侍女長自身も半信半疑だったのだろう。
イゼッタとリリアナ皇女の仲は、知る人ぞ知るくらいには有名で、皇女の引きこもりが治るのではと期待されていたのだ。
謎の交代。
現在、リリアナ皇女の専属侍女はベルベリーナという娘が務めている。案の定、ベルベリーナはリリアナ皇女に必要以上に話すことはせず、リリアナ皇女は再び殻に閉じこもってしまった。
「そうは言っても、私はもう専属侍女を交代させられちゃってるの。今さら何を言っても無理よ。それに……もしかしたら、リリアナ様が私の事を気に食わないと思ったかもしれないし」
「そんなわけないでしょ。あれだけ仲良さげだったのに」
「いいのいいの。それにほら、“お友だち候補”がリリアナ様の心を溶かしてくれるなら、それでいいの」
「でもその人、あと二週間くらいで皇宮からいなくなるんでしょ。リリアナ様、また一人よ」
「分かってるわよ! でも私じゃどうしようもないでしょ!」
思わず大きな声を出した瞬間、扉がノックされた。
イゼッタは咄嗟に口を押さえる。大きな声を出して、寮監督の機嫌を損ねたかもしれない。あの人は規則にうるさいので、目をつけられとネチネチ説教が始まる。厄介だ。
「私です」
「侍女長!」
「仕事終わりなのにごめんなさいね。イゼッタ、ちょっと急なんだけど来てほしいの。あなたにお客様よ」
イゼッタが慌てて扉を開けると、妙齢の侍女長の姿があった。
「はい、もちろんです」
「それは良かった。ラナ、イゼッタを借りていくわよ」
「どうぞどうぞどうぞ。お好きになさってくださいな」
にやにや笑って見送る友人を睨んでから、イゼッタは部屋を出る。
侍女長に連れられて案内されたのは応接室だった。
中に入ると、見覚えのない黒髪の女性がいる。
(綺麗な人……)
見惚れていると、黒色の手袋をしている事に気付いた。
(黒色の手袋なんて、珍しい……)
ぼーっとしていると、にこりと微笑まれる。
爵位持ちの貴族の令嬢であることは確かで、イゼッタは居住まいを正した。
「初めまして。あなたがイゼッタ・ユーリティさんですね。お会いできて光栄ですわ」
「えと…………」
「ああごめんなさい。わたくしの名前は、ロサミリス・ファルベ・ラティアーノ。あなたのことはリリアナ様からお聞きいたしました。ぜひお会いしたいと思っておりましたが、なかなか機会を設けられず、このような時間帯になってしまい申し訳ございません」
「あ、リリアナ様の……」
「そう。いわゆる“お友だち候補”ですわ」
年齢はイゼッタよりも二個ほど下だろうか。
ロサミリスという名の令嬢は、所作が美しく、黒い手袋を嵌めた指先までピンっと神経が通っていて、ここまで完璧な令嬢は中々お目にかかれないだろう。
でも──なぜだろう。
確かに美しいが、他の令嬢にはない『執念』のようなものが感じ取れる。
見え透いた野心や腹黒い策略家の顔を出していたならば、イゼッタは警戒していただろう。
しかし彼女の場合は地位や名誉への執念ではない。そう例えば、地面に落ちたひな鳥が天へと羽ばたかんとするように、美しくも精一杯あがいて、己が大空で羽ばたくことを渇望しているかのような。
自由と幸せへの執念。
そんなものが、彼女の深い青色の瞳に見えた気がした。
「イゼッタさん?」
「す、すみません。話を続けてください」
ソファに座り、続きを促す。
「実は、リリアナ様の勉学にお付き合いいただきたいのです。明日から」
「私がですか!? お、お言葉ですがロサミリス様、そのようなレッスンは専門の者がリリアナ様……いやリリアナ皇女殿下にご鞭撻されるはず」
「もちろん、リリアナ様が慣れれば皇宮の方がそのように手配されるでしょう。しかし今のリリアナ様は、誰にもお心を開いておられない状態。わたくしはリリアナ様と少しだけ距離を縮めることができましたが、わたくし一人の人間とだけ仲良くなるのではダメなのです。そこでもう一人、リリアナ様との会話を楽しむことが出来て、かつ、教養を身に着けている方を探していたのですわ」
「……だから、私が?」
「ええ。リリアナ様から、イゼッタさんは元専属侍女だったとお伺いいたしました。侍女の登宮試験でもトップの成績だったとか……ぜひお願い致しますわ」
「でも……ベルベリーナさんがいらっしゃるのでは」
「ベルベリーナさんにも手伝っていただきます。わたくしは、あなたにも手伝ってほしいのです」
イゼッタは侍女長を見た。
「仕事は別の者に振れば問題ないでしょう。あなたは明日から、リリアナ皇女殿下の事だけを考えてちょうだい」
「承知いたしました……」




