Episode45.平民の母親を持った皇女
リリアナ・アスク・ロヴィニッシュは、最初から粗暴な態度が目立つような皇女ではなかった。母親の傍をぴったり寄り添い、ドレスの裾を掴んで片時も離さないほど甘えん坊。それでいて母親の言葉にはしっかり目を見て耳をすまし、行儀がよくお利口さん。転んでも泣かずに耐えるような女の子で、当時の乳母は、リリアナ皇女をとても立派な皇女として褒め称えていた。
ただ──
周りの大人たちは、リリアナを『お利口さんで行儀の良い皇女』としては認識しなかった。なぜならリリアナの母ヨルニカが、皇宮内の侍女や上位の貴族から歓迎されていないからだ。
ヨルニカは親が没落した元貴族なだけで、ただの平民であった。
朝から山羊の乳を搾り、たまの休日には町へ下りて踊り子として舞を披露し日銭を稼ぐ。
薄桃色の髪が太陽に照らされて舞い踊るサマは、まるで女神か聖なる巫女のようだとヨルニカの舞を見た人々は口を揃えた。その噂は皇宮内でも秘かな話題となり、暇を持て余した先帝ゲオルグがヨルニカを見つけだし、ほとんど攫うようにして皇宮に召し上げた。
当時40代後半だった先帝ゲオルグに対し、ヨルニカはまだ20を少し過ぎただけのうら若い娘だった。あれよあれよという間に側妃の座にあてがわれ、ヨルニカは子を生した。
このとき、ゲオルグの正妃は事態を静観した。なにせ正妃には成人間近の第一皇子フェルベッドがおり、他にも皇女や皇子をこしらえている。跡継ぎ問題が発生するとは考えにくく、正妃自身も40を過ぎようとしていたので、静かな余生を過ごしたいと考えていた。
ヨルニカの側妃問題に反発したのは正妃ではなく、皇宮内で働く仕官や正妃を慕う侍女たちだった。
誉れ高き皇の一族に平民の血が混じるとは何事かと騒ぎ立てたのだ。先帝ゲオルグは批判した仕官や侍女を次々と皇宮から追放した。おかげで一時的には事態を鎮静化できたが、ヨルニカが若くして亡くなると、彼らの不満の矛先が当時5歳だった娘に向いた。
平民の髪と皇帝の瞳を受け継ぎ、皇族としての証が欠落している皇女リリアナ。
リリアナがダンスのレッスンで失敗したり、皇女としての所作よりも魔法の勉学がしたいと言えば、ヨルニカ妃に不満を持っていた大人たちはリリアナを笑いものにした。
『しょせんヨルニカ妃は平民ですもの。その娘だって本物の皇族にはなりえないのよ』
『卑しい平民の血。半端者の皇族』
『どうしてあんな娘が第四皇女なんだ。皇族から引きずり下ろせ』
悪口を偶然聞いてしまったリリアナは、ひどい悲しみと怒りを覚えた。
二度と他人を信用してやるもんか。
怒りに任せて近くある椅子を投げ、花瓶を落とし、泣きながら奇声をあげれば侍女はみんな怖がった。
極めつけは魔法だ。
リリアナには驚くほどの魔力があった。
魔法の才能もあり、簡単な魔法ならわずか5歳で使えるようになった。
魔法を放てば、侍女たちは震えあがって怖がった。
何も言われなくなった。
実に気分が良かった。
力がある。
力を見せれば誰もバカにしてこない。
(見たか! ははっ! わらわはリリアナ・アスク・ロヴィニッシュ。誉れ高き皇帝ゲオルグの娘、第四皇女であるぞ!! 誰もわらわと母上をバカにできない、わらわには力があるのだ!!)
──そして、リリアナはひとりぼっちになった。
力を振るえば、確かにバカにしてくるような者はいなくなった。
けれど、誰も近づいてこなくなった。
仲良くしたことのある子も、リリアナを見ると怖がって去ってしまう。
正真正銘のひとりぼっち。
リリアナは部屋から出なくなり、兄や姉たちが心配して部屋まで来てくれても無視をした。
一時期、イゼッタという名の専属侍女がとても優しくしてくれて、その子とは仲良くなれそうだったけれども、その侍女もある日突然いなくなった。置手紙には辛辣なことも書かれていて、声をあげて泣いた。
再びリリアナは引きこもるようになり、新しくやってきた専属侍女には許可を出すまで声を出す事を禁じ、誰とも喋らない日々を過ごした。
おそらく、それを兄フェルベッドが見かねたのだろう。
他の兄妹なら家庭教師のもとで勉学に励んでいる年頃、リリアナは侍女と話すことすらなく、やって来る家庭教師たちを魔法で追い返していた。
このままではお荷物皇女になってしまう。
皇女殿下の話し相手として、まったく知らない貴族令嬢がリリアナの部屋にやってくるようになった。
だいたいは年上の貴族令嬢だ。いきなり抱きしめられ、「今日から私たちはお友だちよ」とニコニコ笑顔で言われた。
いきなりやってきた名前も知らない人に友だちだと言われ、リリアナは恐ろしくなった。
魔法を放つと、知らない人は悲鳴をあげて部屋から去っていった。
それを何度も繰り返した。
今日もまた、新しい貴族令嬢がリリアナの部屋を訪れた。
強めの風の魔法を浴びせれば逃げると思っていたが、どうやらこの貴族令嬢はずいぶん魔法について慣れているらしい。悲鳴をあげるどころか、すんでのところでかわしてみせたのだ。
(まぁいい。どうせこの娘──ロサミリスと言ったか? すぐに嫌になる)
イゼッタという専属侍女だって、結局は何も言わずにいなくなってしまったのだ。
ロサミリスという貴族令嬢だって、きっとすぐに「あなたの血は穢れている。皇族として相応しくないわ」とか言って去っていくに違いない。
けれども、どれだけ時間が経ってもロサミリスが部屋から出ていこうとしなかった。
布団の中で身を隠しているリリアナのほうが辛くなってきた。
(あやつ、もうかれこれ一時間以上はあそこに立っておるぞ!?)
手をブラブラしたり、視線をうろうろさせたりすることもなく。
少しだけ口角をあげて、完璧な微笑をたたえて佇んでいる。
簡単そうに見えて、一時間も何もせず同じ姿勢を保つのは大変なのだ。
(しかもなんじゃあの余裕そうな笑みはっ!? あやつ、聖母のような表情でわらわのことを見つめておるぞっ!?!?)
思わず布団から顔を出してしまう。
よくよくロサミリスという娘を見てみれば、その顔立ちがとんでもなく整っている事が分かる。
形のよい眉に理知的な青宝玉の瞳。
こぶりながらもふっくらとした唇に、透明感があってハリのある肌。
ハッとするほど艶やかで、腰までストンと落ちた黒髪も相まって、まるで《月下の女神》のようではないか。
(ふ、ふんっ。わらわは歴史書なんて興味ない……勉強なんて嫌な思い出ばかりじゃ)
夜の大神殿で神々に舞を披露したという《月下の女神》の話は、母ヨルニカが踊り子だったという事もあって、リリアナが興味を抱いた内容だった。しかし歴史を教えてくれた家庭教師に嫌味を言われしまい、それ以来勉強が嫌いになった。勉強よりも、魔法だ。魔法は凄い。どれだけ体が小さくても、魔法があれば大の男を吹き飛ばすことだってできる。
リリアナは歴史や言語よりも魔法の勉強がしたかった。
魔法の勉強をしてもいいと優しく言ってくれたのは、途中でいなくなった専属侍女と、リリアナの後ろ盾である銀の麗人だけ。
『貴女は思う通りにしてもいいのですよ。嫌いな事はしなくてもいい。思うままにやればいいのです』
そう言った銀の麗人は確かに優しかったが、笑顔がいびつな作り笑いに見えてしまい、彼のことが好きではない。
今もこれからも、二度と他人を信じずに生きていこうと、リリアナは心に固く誓っている。
(ん? あやつ、なにやら動き始めたな…………くくっ、ようやく諦めたか)
リリアナの予想に反して、ロサミリスはトランクケースから小さな人形を取り出した。
(なんじゃあの奇妙な人形)
お世辞にも可愛いとは言えない、つぎはぎだらけの人形。
小さな女の子なら泣いてしまいそうなくらい不気味さを放っている。
まさか、手作り?
(才能がなかったのか。不憫じゃな)
不気味な人形をどうするのかと思えば、なんと彼女は、風の魔法を使用して人形を宙に浮かべ、リリアナの眼前にまで持ってきたのだ。
思わず、じっと見てしまう。
魔法というのは、どちらかというと男の子が扱う。少なくともリリアナの周りに、魔法が使える女の子はいなかった。姉達の得意なものは歌やダンスであって、魔法はほとんど使えなかった。
(上手い……)
風を発生させて自在に操るだけでも、それなりの技術がいる。
だからといって、魔法の勉学だけして令嬢の作法を学んでこなかったかと言えば、そうではないのだろう。ロサミリスのあの、ピンと伸びた背筋を見れば分かる。まったく隙が無いのだ。
人形の手が伸ばされ、白い花に変わった。
「わぁ…………!」
布団に隠れることも忘れ、思わず人形に手が伸びる。
いったいどんな魔法を組み合わせているのだろう。
知りたい。
(ま、待つのじゃ。これじゃあお菓子に釣られた子どもと一緒ではないか!)
するとロサミリスの微笑う声が聞こえた。
「ようやくお顔を見ることが出来て、嬉しいですわ。リリアナ様」
恥ずかしくなって、再び布団に隠れた。
(わ、わらわは誰とも口を利かぬと決めたのじゃ!)




