Episode19.一か月で辞めますけれど
「セロースさ……先輩」
「ん? どうしたんですか?」
「頼まれていた書類の整理、終わりました」
「え、もう!?」
セロースは信じられないと言いたげな顔をしている。
水浸しになった机の掃除を終えた後、ロサミリスは倉庫に眠っていた過去十年分の書類の整理を頼まれていた。量が膨大な上に中身を見ながら整理しないといけないので、誰も手を付けたがらなかった。
「すきま時間で一週間くらいで終わればいいかなって思ってたんですけど、リサさん仕事が早いですね」
「よく兄の手伝いで書類の整理整頓もしていましたので。あとは根性で」
サヌーンの仕事を手伝っていたのは本当だ。
あのときは本当に大変だった。
「魔獣の種類ごとに分けるって一見簡単そうなんだけど、あんなに山積みになったら誰も手を付けようとしないんですよ。いやぁ、リサさんがいて本当に助かりました。こんな頼もしい後輩だと先輩の私は楽ちんですね」
「ありがとうございます」
ペコリと頭を下げる。
「回り道しちゃいましたけど、今日の仕事にかかりましょう。本当はこれ、明日に教える予定だったんですけどね」
「はい」
「事務部の主な仕事は、毎日山のように送られてくる魔獣の生態報告書の中身をチェックして、こっちで直せるものは直す。直せないものは本人に差し戻し。ちゃんとしてるやつはうちらで分類ごとに分けて、仕事が終わる前に部署長に報告書を出す。だいたいはこんな感じですかね、質問はありますか?」
「ないです」
「うん、頼もしくてよろしい! あと、もう知ってるとは思うけどエルダさんには気をつけてくださいね」
こっそり耳打ちしてくるセロース。
「彼女、部署長補佐なんですけど、あくまで補佐なのに報告書は自分が見ますって頼まれてもいないのに勝手に見てくるんですよ! で、細かい部分に気付いてねちねち言ってくるんです。彼女にさえ認められたら、リサさんも雇用一か月のお試しどころか一年でも二年でもここにいられますよ。いま人が少なくて、ラッキーですねリサさん」
「そ、そうですね……」
情報を集めるだけ集めたら一か月で辞めるつもりです! なんて言えるはずもなく。
そそくさと、セロースから任せられた仕事を開始する。
────夕方。
(さすが騎士団内部ね。本だけでは分からない最新情報を手に入れられたわ)
ここ最近、魔獣がよく出現しているのは帝国西部にあるローフェン地方で、シェルアリノ騎士公爵家が治めている。オルフェンが言っていた。最近は領内で魔獣の出現が頻発しており、領民や畑が被害に遭っていると。
(個体としては弱小だけど、数が多い上に駆除が面倒な液状魔獣が主なのね。報告例を見ると、畑に出現するから作物がダメになったりしてるのね)
液状魔獣は直接的に人間に害は与えないが、とにかく数が多い。
魔獣は、心臓と呼ばれる核をどこかに持っている。
それを壊せば倒せるのだが、液状魔獣は全身が核で倒した瞬間にドロドロの体の一部が周辺に飛び散る。それを回収し、駆除するのがとんでもなく面倒なのだ。
(弱いけれど魔導師や魔法が扱える騎士じゃないと駆除は難しい。魔獣討伐の精鋭部隊を始めとして、普通なら討伐任務に参加しない下級騎士もこの対応に追われている。てんやわんやになる理由がよく分かるわね……)
婚約者を襲いそうな魔獣のヒントになればと思っていたのだけれど、初日の成果は液状魔獣のみ。
(意外とこういう魔獣がジーク様を襲ったりして……? でもジーク様はお強いって聞いたし、液状魔獣くらいならわたくしでもなんとか……)
まぁ六度目の人生はともかくとして、今回は生まれてから一度も魔獣を見たことがないのだけれど。
(一度くらい、サヌーンお兄様に仕込まれた魔法武術を試してみたい気がするのよね)
朝の走り込み、隙間時間の筋トレ、魔力で己の基礎能力をあげる能力上昇などなど、毎日の鍛錬を欠かしたことはない。であるからして、笑顔で手加減してくれるサヌーン以外にも技をかけたり、魔獣を倒して自信向上的なことをしてみたいとロサミリスは思っている。
(まぁいいわ。魔法武術を嗜んでるとオルフェン様に伝えてあるとはいえ、素人のわたくしがいきなり実戦するなんてありえないだろうし。そんなことよりも、報告書をさっさとエルダ先輩に渡して……)
報告書の束をとんとんと机の上でならして、立ち上がる。
「エルダ先輩」
「なにかしら」
足を組みながら、爪を磨いているエルダ。
今日一日で仕事している素振りは見られなかったが、はたしていつ自分の目標を達成しているのだろうか。
「本日分です。確認をお願い致します」
「あぁ、そう。そこに置いておいてくれるかしら」
「かしこまりました。……確認にはどれくらいの時間がかかりそうでしょうか?」
興味なさそうに視線を爪に戻したエルダが、その次の瞬間、あからさまに嫌そうな息を漏らした。
「リサさん、あなたオルフェン様のご推薦だからって調子に乗っているんじゃないの?」
「そんなことはありませんが」
「どうだか。アースヴァイン家なんて聞いたことがないけれど、どうせ落ちぶれた没落寸前の貴族の出自でしょ? 嫌なのよねぇ、あなたのように身の程を弁えない娘が誉れある騎士公爵家様の名前でここに立ってるなんて」
「さようでございますか」
何を言われようと無視だ無視だ。
どうせ一か月で辞めるのだから、小言はすべて右から左へ流すのがロサミリスの作戦。
しかし、そんなロサミリスの態度が気に食わなかったのか、エルダは口をひん曲げて睨みつけてきた。
「こう見えて私は忙しいのよ、終わるまでしばらくかかるわ。それに、私の確認が終わるまで帰っちゃダメよ」
「わたくしは親のいいつけで残業は出来ません。部署長もそれを承知です」
これは両親からの条件だ。
騎士団の内部で働くことは名誉ある事だけれど、公爵家に嫁ぐことが決まっている伯爵令嬢がやることでは無いとも言われている。ロサミリスはあの手この手の屁理屈を並べて説得したのだが、その際に提示された条件は晩餐が出る前に帰宅することだった。
オルフェンは快くそれを受け入れてくれて、部署長にも伝えてある。
部署長補佐の彼女の耳にも入っているはずだ。
「それがどうしたの?」
「いえ、ですのでわたくしは部署長に了解を得ていて……」
「それが調子に乗っているという事なの、新米のくせに。あのねぇ、あなたみたいな誰かの紹介がないと仕事させてもらえないような新米は、上司に従って黙って仕事をしていればいいの。部署長が許しても私が許さないから」
(この人、自分が何を言ってるのか分かってるのかしら)
仮にも組織の長に認められた話を、いち補佐の勝手な判断で部下を帰らせようとしないのは規律違反だ。
それに、ロサミリスは完璧に本日分の仕事を終えている。
「どうせ新米だからって大目に見てもらえるって思ってるんじゃない? 報告書をまとめるのが早かったけれど、粗がたくさんあるんじゃないの?」
「提出前に一度セロース先輩に確認していただいてます」
反抗の意を示すロサミリスに、エルダは嫌そうに眉を吊り上げる。
「ともかく私がこの報告書に判を押すまで帰ってはダメよ。分かったら、何か違う仕事がないかセロースさんにでも聞いてきなさい」




