Episode16.告白されたのですか? わたくしが?
「ロサ、痩せたか?」
「そうでしょうか? 鍛錬の成果として筋肉がついていると思うので、体重は増えているような気がします」
いま、ロサミリスは婚約者殿の邸宅にお邪魔している。
好みの茶葉とニーナが買ってきてくれた帝都で大人気だという焼き菓子を持ち寄った。太りやすいので、甘さは控えめ。味の好みは似てくるもので、ロサミリスが好きだと言ったお菓子はジークも好きだ。
サヌーンから魔法武術の指導を受け始めて早二週間。ぷにぷにだった二の腕が少し細くなったので、痩せたように見えるのはそのせいかもしれない。
(だからってそんなに見つめられても照れるのよ?)
化粧いらずの肌に、吸い込まれそうなほど綺麗な深緑の瞳。
彫刻のように整ったジークに見つめられて、照れない女はいないだろう。婚約者として一緒にダンスを踊ったりするが、そのときはあまり照れたりしない。ダンスの時はスイッチが入るのだ。私生活ではそうもいかなくて、二人きりだと妙に意識してしまう。
「指、怪我してるじゃないか」
「これは護身術の練習中に」
「ここなんて皮がめくれている」
「何度も技をかけられましたから」
「痛々しい……」
(眉をひそめてすごく大怪我したみたいに言ってるけれど、たかだか擦り傷よ?)
サヌーンは飴よりも鞭が多く、教え方に抜け目がない。彼が仕事で忙しい時は、意志をしっかり受け継いだ家庭教師がロサミリスに護身術を教えていた。服で隠れているところは絆創膏だらけ。筋肉痛も強くて掴まれると少々痛い。
「ジーク様は魔力量が多いと聞いたのですけれど、魔法の修行は家庭教師から教わってるのですか?」
「魔力量は……そうだな、多いと思う。魔法は家族ぐるみの付き合いがあるシェルアリノ騎士公爵家から教わっている」
「シェルアリノ……あぁ、何度かお見掛けしたこと事がありますわ。シェルアリノ騎士公爵のご長男、オルフェン様とご親交が深いと伺っておりますが、その繋がりですか?」
「まぁな。騎士は、無駄がなく洗練された動きをする。ロンディニア公爵家の当主として、それなりの魔法武術を学んでおくのは当然だ」
騎士公爵という特別な地位を下賜されているシェルアリノ家。
かの家は騎士団を根元から下支えし、戦時中は帝国に武器提供という面で多大な貢献をしている。騎士団は法律と帝都の治安の両方を司るため、聖ロヴィニッシュ帝国内の貴族の中で、騎士公爵家は最も勢力図が大きい。
「ロサは確か量が少ないんだったな。魔力切れを起こすとひどい頭痛と吐き気、倦怠感に襲われる。そういう時はまず呼吸を落ち着かせ、緊急時用の魔力補給剤を飲むといい。騎士は携帯用のものを持っているから、あとでロサに渡そう。……まぁ、これくらいの知識はさすがに予習済みだろうな」
「そうですわね。でも本の知識よりも、実際に魔法武術を嗜んでおられる方からの助言はありがたいですわ。補給剤の存在は知っておりますが、騎士様用の携帯補給剤があるのは初めて知りました」
「これがまた苦いんだがな」
珍しく眉根をひそめて苦そうな顔をするジーク。
そんな彼の顔がおかしくて、ロサミリスは笑ってしまう。
「いい薬ほど味が悪いって言いますもの。そのご様子だと、ジーク様も補給剤を召し上がられた事があるようですね」
「魔力量が多いとな、魔法の加減が分からなくなるんだ。特に小さい頃は力の出し方が分からなくて、一気に使い切ってぶっ倒れたことがある。二時間は意識が戻らなかったそうだ」
「何となく覚えてますわ。そうそう、その場にはいませんでしたが、倒れた報せを聞いて駆け付けた覚えがあります」
「ああ。その後に補給剤を飲んだら、びっくりするほど良くなった」
そんなに便利なものだったとは。
確かに、日ごろ帝都の治安維持のために奔走している騎士にとって、すばやく体に吸収される補給剤は重宝するだろう。魔獣討伐時の魔力切れは生死を分ける問題でもあるし。
「わたくし、ぜひジーク様にも魔法武術を教えていただきたいですわ」
「それは構わないが、なぜそこまでするのか、聞いてもいいか?」
「お兄様にも聞かれましたわ」
「あのシスコ…………いやサヌーンルディア卿なら聞くのも当然だろう。そこまでして魔法武術を習う必要はない。治安の悪さを心配しているのなら、俺の家からも兵士を出そう。護衛の数は足りているのか?」
「数は足りているので結構ですが、いまシスコンって言いませんでした?」
「ロサの気持ちは出来る限り尊重したいが、やめさせたい気持ちは俺も一緒だな。見ているこっちが辛くなる」
(さらっとお兄様への発言を流したわよ、この婚約者様)
そういえば、ジークとサヌーンは何度も顔を合わせているはずなのに、話している所はほとんど見たことがない。仲が良いとは思っていなかったが、犬猿の仲かもしれない。
「なぜだ?」
「なぜってそれは、わたくし自身とジーク様をお守りするためですわ」
「俺を?」
「ええ。わたくしは守られるだけでなく、わたくしが好きな方を守りたいのです。侍女のニーナやサヌーンお兄様、お父様とお母様、それにジーク様だってそうですわよ? みなさん、わたくしが守ってさしあげたいのです」
「守るのはむしろ男である俺の役目なんだがな……」
ボソリと呟いたジークが、ふと思いつめたような表情をする。
(七度目の婚約者様はこういう表情が多いわ……六度目はもっと分かりやすい方だったのに)
顔がそっくりだからといって、性格までまるっきり同じというわけではない。
それは重々承知なのだけれど。
(仕草が本当に同じなのよね。いつ見てもドキッてしちゃうわ)
考え込むときは目線を逸らして遠くを見る。
本を読むときはよく晴れた日の野外で紅茶を飲みながら。
照れた時は耳だけ赤くなる。
苛立った時は眼力を強めて声が低くなる。
悲しい時は静かに泣く。
嬉しい時は目元が優しくなる。
「ねぇジーク様ってもしかして───」
「いたいた。こんなところいたよ。ジーク君、今日は僕と一緒に鷹狩りに行く約束じゃなかったっけ? おかげで迎えに来る羽目になったんだけど」
ロサミリスの声を、声変わりしたての低音ボイスが遮った。
扉にもたれかかるようにして立つのは、赤銅色の髪が特徴的な十五、六ほどの青年。白い騎士服姿で腰に騎士剣を差している。……なんだか見覚えがあるような……ないような……。
「なんだロサミリス嬢と一緒にいたのね。まぁ約束ギリギリまで好きな女の子と談笑したいのは分かるけど」
「いま取り込み中だ。後にしろ」
「大親友のご登場だよ? ちょっとは目をくれてもいいんじゃないのかな?」
「……」
「こっわ! 顔こっわ!! ごめんねぇロサミリス嬢、うちのジーク君ってなに考えてるか分からないし怒ると顔怖いでしょ? 怖くてもうやだって思ったら、いつでも僕に乗り換えていいからね?」
「ロサを睨むなんてありえない。口を閉じないと吹き飛ばすぞオルフェン。五年前にロサにフラれた男が何を今さら」
「そんなの子どもの頃の話でしょっ!? まだ分からなくない!?」
(そうだ、ずいぶんと背が伸びられていたから気付かなかったけれど、オルフェン様だったのね。…………それにしても五年前。わたくし、八歳の頃にオルフェン様に告白されてたのかしら……)
五年前と言えばまだ婚約者が内定していなかった時期。
しばらく思い出してみる。
「ごめんなさいオルフェン様」
「え、なに?」
「わたくし、告白された事すら覚えてませんわ……」
オルフェンの口から魂が抜けていくのが見えて、本当に申し訳ない気持ちになる。




