新しい朝
男二人とカルロを縛り上げ、口に布を咬ます。カルロは今も何やら喚いているが、聞き取ることはできない。
「二人とも驚かせてごめんね。こんな再会になるなんて」
私は、息絶えたでディエゴを見下ろして二人に謝罪した。
「リリィ…」
「アリス…大丈夫?」
「私は…平気。それより、リリィこそ…」
「私は大丈夫。もう覚悟は決まってるから」
「うぅ! ぐぅ!」
カルロがさっきよりも強く何か喚いているが無視した。アリスは酷く疲れているように見えた。ティナは…
「リリィ様かっこよかったです! 私こういうのに憧れてリナルディ家に仕えていたんですよ!」
何やら興奮を隠しきれないようだ。両手を組み、恍惚の表情を浮かべている。やはりティナも変わっている。事件前と変わらないティナの様子に少し笑みが溢れた。
「それよりリリィ様、コイツらどういたしますか?」
ティナが男達を軽く蹴る。
「そうね…人質はカルロだけで充分」
「それでは…」
ティナと二人、縛られ床に座る男二人を見下ろした。二人の男は必死に首を横に振り、何やら喚いて訴えかけてくる。
「ティナ、灯油はある?」
「はいリリィ様。ストーブ用のがたんまりと」
「店に撒いて」
「はい! かしこまりました!」
ティナはやけに嬉しそうに返事をすると、店の奥に消えていく。
「リリィ……殺すの?」
アリスが怯えた声で私にそう問いかける。
「生かしておく理由がない」
男二人は私の言葉を聞くと、目に涙を浮かべて私に何か訴えてくる。
「アリス…これは戦争なの」
「………」
「先に引き金を引いたのはコイツら。慈悲はない」
「リリィ…」
アリスは私から一歩、後ずさった。
○燃える
リリィ様を送り出してから数時間。辺りは暗くなっていた。
私は急いで車を飛ばす。アリスからの連絡ではとにかく早く迎えにきて欲しいとだけ言われた。リリィ様に何かあったのか…とにかく急ぐ。こんなことなら詳細を電話で聞いておくべきだった…
「なんだあれ…どうなっている…」
途中、灯台に程近いところから煙が上がっているのが見えた。嫌な予感がする。その煙に近づくほどに悪い予感が当たっていると分かった。
テネブラのレストランが燃えている…! 一体どうして…!
赤い炎が天高く昇っていくのが見えるところまで来た。車を降りる。
テネブラの店は轟々と燃えていた。あの中にいては誰も助からないだろう。
「リリィ様!!」
叫ぶが返事はない。
「リリィ様!! アリス! ティナ!」
お願いだ。返事をしてくれ…
「リリィ様ぁ!!!!」
そんな…こんなこと…
「リリィ様…お願いです…」
私はまた一人になってしまうのか…。また私の居場所は奪われてしまうのか…
燃える店を呆然と眺めるしかなかった。こんなことなら、やはり私も一緒にいくべきだった。リリィ様の命令を押し切ってでも。
後悔が止めどなく溢れ出す。つられて涙も溢れ出していた。
「リリィ様………」
「ローゼ」
声がした! リリィ様の声だ! 急いで辺りを見回すと、木の影にいるのが分かった。
「リリィ様!」
私は駆け寄る。リリィ様の両肩に手を置き、怪我がないか確認する。そして抱きしめた。
「よかった。無事で…」
「うん。ごめんね心配かけて」
アリスとティナ、そして縛られ口に布を咬まされたカルロが木の影から出てくる。
「二人も無事か。よかった。それにこれは…一体」
リリィ様はなんとも言えない笑顔をした。寂しそうな、けど少し嬉しそうな。
「…殺したよ。テネブラも、カルロの部下の二人も」
「え…」
「ディエゴ叔父さんも…殺した。」
「そんな…一体どう」
そう言いかけて、私はやめた。大体の予想はつく。ここで突然出てくるディエゴ様の名。それも殺したとリリィ様は言った。裏切り者はディエゴ様だったか…。
「リリィ様…大丈夫ですか?」
自分の言葉が馬鹿みたいに思えた。大丈夫なはずが無い。リリィ様はディエゴ様、ディエゴを慕っていた。いくら裏切りものとはいえ、自分の家族を殺したんだ。大丈夫な筈が、
「大丈夫。思った以上の成果だよ。裏切り者は殺せたし、カルロを捕まえた」
リリィ様は今度こそ笑った。曇りの無い笑顔だった。
リリィ様…あなたは…
「ローゼ、行きましょう」
リリィ様の言葉に我に帰る。そうだ、ディエゴや部下達がここにいたということは、ファルコーネに場所がバレている。火事を見た連中がすぐにでもここにやって来るかもしれない。
「わかりました。リリィ様。ティナ、アリスも早く」
皆を車に乗せる。燃える店を改めて眺める。
リリィ様はここで四人も…。しかも店に火を付けた。遺体の特定を遅らせる為と考えられる。
この少女は一体どこまで…
やはり…ドン・リナルディの娘なのだ。
身震いするものを感じたが、気を持ち直し車を出した。
助手席にはティナ、後部座席には私とアリス、真ん中にカルロを座らせる。
「何があったのですか? リリィ様」
ローゼは車を飛ばしながら聞いてくる。チラチラとミラー越しに私の目を見る。
「ディエゴ叔父さん、ディエゴが裏切った。父を殺したのはカルロ。母を殺したのはダンテとかいう奴みたい。知ってる?」
「いえ、残念ながら…」
「そう…まぁ…いい。コイツから聞き出す」
カルロの肩を銃で突く。カルロはすっかり反抗するのを諦めたようで静かだった。
車が街に入る。見た限り追手の姿はない。しかし何故だろう。会合場所はバレていた。ならば組員をいくらでも配置できたはず。確かに部下が二人いた。それで充分だと考えたのだろうか? まぁ…いい。あとでコイツからいくらでも聞き出せる。
「ディエゴ様…ディエゴは何故裏切ったと?」
「金だよ。色々喚いてはいたけど。結局は金。コイツに借金があったみたい」
「金…」
「…そう金。そんなことで父さんと母さんは殺されたの。馬鹿みたいでしょう。笑っちゃうよ…」
そう言ったが、涙が溢れてきた。悲しみの涙ではなく、悔し涙だ。強く、誇り高い父は、こんな薄汚い卑怯な男に殺されたのだ。それは紛れもない事実だった。今更ながら感情が爆発した。
「コイツのせいで…自分の叔父まで殺す羽目になった!!! コイツに! 家族みんなを奪われた!!」
銃を強くカルロのこめかみに当てる。カルロは動じることはなく、目を瞑っている。
「コイツの部下二人も燃える店に縛ったまま放置してきた。ローゼ、私おかしいかな? 何か間違ったことしてる?」
「…リリィ様」
「ローゼ教えて? 私間違ってる?」
「………リリィ様は間違っていないです。ディエゴもコイツらも殺されて当然です。部下を二人焼き殺した? そんなことマフィアの間じゃ日常茶飯事ですよ! リリィ様」
呆気に取られた。
「ローゼ…」
いくらマフィアと言えど、そんなことが日常茶飯事な訳はない。分かっている。分かっているが、ローゼの優しさが嬉しかった。私を慰めようと下手な嘘をつくローゼを愛しく思った。そう思うと自然と笑みが溢れた。
「…ふふふ、ローゼ、それはないよ」
「嘘じゃないですよ!」
「もういいから。ふふ」
「そうです! リリィ様は間違ってなんかないですよ!」
ティナが話に入り込んでくる。
「リリィ様本当にカッコ良かったんですよ!」
ティナが何やら興奮してローゼに喋りかける。
「(私がドン・リナルディ)って言った時なんて痺れましたよ!」
ティナが私の真似をする。本人にはそのつもりはないのだろうが、からかわれている様な気がしてとてもむず痒い。
「………やめてよティナ。恥ずかしい。あれは勢いというか…」
「…ドン・リナルディ…」
ローゼは呟くように言った。
「…気に触った? …ごめんなさい」
私は自分の発言が軽率だったのではないかと心配した。そもそも「ドン」は女には名乗れない。その名は父にだけ名乗ることを許された名だ。名誉ある男………だけに。
「…いえ。良いと思います。リリィ様は名誉ある…人です。私は…嬉しいです。また、ドン・リナルディの側につかえることができて」
「…ローゼ。ありがとう」
「いえ、…ドン・リナルディ…」
ローゼは噛み締めるように繰り返した。
父が亡き今、私がこの人たちを支える柱にならなくては。父のようにはまだ出来ないかもしれない。それでも私は責任を負った。ディエゴと部下二人を殺した時にそれは明確になった。私はもう逃げる事のできない道を歩み始めた。ドン・リナルディとしての道を。
「じゃあじゃあ! そのディエゴってリリィの叔父さんが裏切り者で、コイツと一緒になって、リリィのパパとママを殺しちゃったんだ!?」
私達はマリオッティのパン屋に戻ってきた。私の親愛なる仲間が初めて一堂に会することになった。一人、例外が縛られたまま座っているが…
「そうだよ。パティ」
「で、叔父さんを殺して、コイツを捕まえて来たんだ!」
「やるなリリィ!」
「ほんと! やったわね!」
リッキーとマチルダが万歳して喜んでいる。パティも嬉しそうだ。
「ふふ。随分と愉快なお友達が出来たんですねリリィ様」
ティナが柔和な笑みを浮かべて言う。ティナはパティに何ら違和感なく接せれるようだ。正直心配していたのだが。
「友達じゃないよ! 親友!」
「そうマブダチ!」
「戦友とも言うわね!」
「あらあら。アリス、リリィ様取られちゃうわよ?」
「………別にそんなんじゃないし」
アリスの様子がおかしい気がする。無理もないか。あんな凄惨な光景を突然見させられたんだ。普通は誰だって困惑する。私はアリスに申し訳ない気持ちになった。
「アリス?」
「っ! なに?」
「ごめんね。おどろかせちゃって…」
「…いいよ。結局はお金なんかの為にみんなを殺して…殺されて当然だよ…リリィは正しいことをしたんだよきっと」
私はテーブルの上にあるアリスの手を握る。が、
「!!」
アリスは咄嗟に私の手を振り払う。やはりそう簡単に受け入れられることではないか…
「…ごめん。リリィ。ごめん」
「……ううん。いいの…」
ティナがアリスの側まで寄って行き、肩を撫でる。こういう時のティナはとても頼りになる。アリスはしばらくの間はティナに任せることにしよう。
窓の外を見張っているローゼがチラリとこちらを見た。
「リリィ様、いえ、ドン・リナルディ」
「いいよローゼ、リリィのままで。わかっているから」
ローゼは軽く頷く。
「リリィ様、これからはどういたしましょう。ここに留まるのは危険です。どこかまた別の隠れ家に行きますか?」
「そうね…」
このまま逃げ続けるのも限界がある。だが、どうするべきだ。カルロを連れたまま逃げ続けるのは困難だ。それに部下を二人殺している。ファルコーネは躍起になって私を探すだろう。
…だが逆に考えればまだ事は明らかになっていない。あそこにいたのは死んだ四人を抜いてもカルロ、アリス、ティナ、私だけだ。ファルコーネの連中は会合場所はわかっているが、実際私がいたという決定的証拠は無い。死体も丁寧に焼いておいた。死因や身元が割れるまではしばらくの猶予があるだろう。それに仮に身元が割れてもカルロは行方不明。私が人質に取っているとドン・ファルコーネもすぐに気がつくだろう。迂闊に手出しはできない。
それにまだやるべきことが残っている。計画に賛同したというジルダ叔母さまと、母を殺したダンテという者を殺すこと、それと…
「…家に帰ろう」
皆が一様に驚く。
「リリィのお家?! 行きたい行きたい!」
「リリィ様、何を!」
「カルロの身柄はここにある。向こう側が気づいても迂闊に手は出せない。違う? ローゼ」
「それはそうでしょう…ですが危険です。相手はマフィアです。油断はできません。強引に取り戻そうとしてくるかも」
「それはないと思う。ドンの息子で後継だよ。殺される危険は犯さないはず」
「危険すぎる…私は反対です」
「私はリリィのお家行ってみたい!」
「馬鹿は黙っていろ!」
パティはブー垂れる。
「いつまでも逃げ回ってはいられない。ローゼだってわかっているでしょう?」
「…それは」
「ここで私が堂々と出てくれば相手も何かしらのコンタクトを取ってくるはず。カルロという最大のカードはこちらにある」
「そうですが油断はできません」
「それに…やっておきたいの。二人の、父さんと母さんの葬式を。きっと二人とも遺体安置所に置き去りだよ。二人に、ちゃんとお別れを言いたい。そうする為には、隠れているわけにはいかないでしょう?」
「……………」
「ローゼ」
「私はいつもリリィ様に言いくるめられていますね」
最近ではよく見るようになった困った笑顔をローゼは見せた。
「やったー! リリィのお家に行ける!」
「やったぜ! 俺用のベッドはあるかぁ?」
「私のも私のも!」
パティがぴょんぴょん飛び跳ねて喜んだ。
○新しい朝
次の日の朝、マリオッティにはお礼と、口止めをしておいた。もし、ファルコーネの連中が来ても私達のことは黙っておくようにと。マリオッティがどこまで状況を把握しているかはわからないが、「余計な事を喋るとあなたの身も危険です…」と釘を刺した。実際、私がカルロの身柄を拘束していると知れ渡ればそれは事実だ。犯人を匿っていたんだ。殺される危険性は十分にある。仮にそうならなかったとしても…裏切りは許されない。
私達はローゼの車でリナルディ家に戻った。
久々に帰る我が家はまるで幽霊屋敷のように閑散としていた。門もドアも鍵は空いていたが、荒らされた形跡はなかった。玄関を抜け、階段付近の床に残った血のシミがあの時の記憶を否が応にも呼び起こした。
「ここで父さんは…」
私は父の血のシミを撫でた。
「…はい、カルロたちと撃ち合い、一人を射殺し、ここで倒れていたようです」
ローゼの表情は悲しみとも憎しみとも取れるような。苦々しいものだった。ティナが私の肩を摩る。アリス…は俯いたままだ。
「ここがリリィのお家かぁ」
「でっけぇなぁー」
「ねぇ、リリィの部屋を見てみたいわ!」
いつもの調子のパティには本当に救われる。子どもらしいと言ってしまえばそれまでかもしれないが、パティの明るさには何度も助けられてきた。
「ふふ。階段を上がって左、一つ目の左の部屋。見てきて良いよ」
「やったぁ!」
パティはドタドタと階段を駆け上がって行く。私とローゼも階段を上がる。
「リリィ様、私とアリスは片付けを。アリス、行きましょう」
ティナはそう言って、アリスを連れて隣の宿舎の方に向かって行った。
私とローゼは階段を上がり、右の廊下へ。父達の寝室に入る。
「…………」
父と母のベッドは今でも乾いた血で真っ赤だった。私はベッドの隣まで寄ると、血を撫でる。
「母さん…」
目を閉じて振り返る。ここでのことを。ここで父を見送り。母と死別した。私は…
「私、ベッドの下で隠れて、泣いているばかりだった。…何もできなかった…」
「そんなことは」
「いいえ。何もできなかったの。本当なら、父を見送ったあと、すぐにでも母と窓から飛び降りて逃げるべきだった…」
「………」
「それが出来なかった。父が戻ってくるって神に祈って、ジッとしていることしか出来なかった。私は…」
血で染まったシーツを握りしめる。
「私は弱過ぎた」
「リリィ様、あなたのせいではありません。それはだけは決して違います」
「………」
「リリィ様…」
私はもう一度シーツを撫でる。あの時の母の温もりを思い出しながら。
「………ふんふーん」
母が最期に歌った歌を私は歌う。ローゼはただジッと私を見詰めていた。
読んで頂けただけで幸せです。ありがとうございます。