遭遇
○情報
「マリオッティのパンが盗まないでも食べられるなんてラッキー!」
「こらリッキー余計なこと言わないの!」
「…今なんて?」
次の日、私とローゼ、パティで朝食にマリオッティお手製のパンをご馳走になっていた。この3人で囲む食卓はなんだかヘンテコで可笑しい。私たちを取り巻く環境は良いものとは言えないが、落ち着ける場所を手に入れられたのはありがたかった。
ローゼ曰く、マリオッティは父に返し切れない恩があるらしく、また、他のファミリーとのしがらみも無い。逃げ先に選ぶならここだろうと判断したらしかった。相変わらず察しの良いことである。
「で、こいつはいつまでいるんですか?」
ローゼはパンを頬張ながら投げやりに言う。
「こいつじゃないよ! パトリシア! リリィの親友!」
いつの間にやら親友にランクアップしていた。悪い気はしなかった。
「ローゼは失礼な奴なんだな」
「リッキー! また睨まれちゃうよ!」
「親友って…、私はあなたを見たこともないんですが? それに、勝手に名前で呼ばないでください」
どうもローゼとパティの相性は良くないらしい。昨日の戦闘もあったからだろうか。今も睨み合いが続いている。
「ローゼ、パティは私の命の恩人なの。家から逃げ出して殺されそうになった所を助けてくれたんだよ。仲良くしてあげて?」
「それはありがたいと思っています。しかし、リリィ様、今の状況でどこの馬の骨とも分からないやつと一緒にいるのは危険です。しかもこんなイカれた…」
「あ、今失礼なこと言った!」
「ローゼって本当失礼な奴」
「確かに今のは聞き捨てならないわね!」
「はぁ…なんなんだこいつ…」
ローゼは大きなため息と共に頭を抱える。
「ふふふ」
私は思わず笑ってしまう。ローゼの毅然とした態度を崩す力がパティにはあるらしい。
「リリィ様、笑い事ではありません」
「それにローゼ、パティは戦力になる。昨日戦って分かったでしょ? 人を殺す事にも躊躇いがないし」
実際不思議だ。このパティの細い体のどこからあんな力が出てくるのだろう。男の喉を(噛み切る)ほどの握力も。
「リリィ様、だからこそ危険なんです。いつ何をしでかすか…」
「そんなこと友達にしないもん!」
「ローゼってしつこいな」
「そうね。モテなそう」
ローゼがキッとパティを睨む。慌てて目を逸らすパティ。
「仮にローゼの言う通りパティが裏切るとして、ここに私達がいることは知られている。このまま家に返すの? それとも殺す?」
「それは…必要とあれば…」
ローゼのこの言葉には正直驚いた。父の秘書で仕事もできると評判だったが、そんなことまで躊躇いなく出来るというのか。昨日の戦闘もだいぶ手慣れている様に見えた。ただ有能なだけで秘書を任せられていたわけではないらしい。
パティも驚いて、またローゼを睨みつける。人形達も臨戦態勢だ。私はパンを食べる手を止めた。
「ローゼ…もうやめて。私はパティを信頼している。それに…これ以上大事な人が傷つくのは見たくない…」
「………」
ローゼの手を握る。
「…ローゼ」
「…わかりました。ですが少しでも怪しい行動をしたら、次は容赦しません」
「ありがとう。ローゼ。パティも許してあげてね。ローゼは私を心配してくれているだけなんだよ」
「リリィがそう言うなら…」
「仕方ねぇな!」
「そうね。仲良くしましょう。ローゼ」
パティは握手?なのか、マチルダをローゼに差し出す。ローゼはいまいち納得していない様子だったが、マチルダの頭を握る。
「…よろしく…お願いします…」
パッと手を離し、食事を再開した。信頼し合うにはまだまだ時間がかかりそうだ。
「それでローゼ、状況は?」
皆が食事を済ませたのを見計らって私は切り出した。
「よくありません。ドン・リナルディを失った我がファミリーは分解寸前です。正式な後継者であるロイド様も行方不明。幹部や下の者達は統率を失い、他のファミリーに寝返るものや、他のファミリーの犯行を疑って事件を起こす者もいる様です。既に死傷者も多数出ている様です。それに伴って、我が組の残党狩りをうたい、事件を起こす連中も。また、この機に乗じて我々のシマを奪い取ろうとするファミリーの活動も活発化しつつある様です。この街は今無法地帯になりつつあります」
「そう……」
無法地帯。マフィアが言うのも変なのかもしれないが、マフィアは元々自警団的役割があると聞いたことがある。ファミリーがそれぞれのシマを守り、それぞれのシマを犯さないことで均衡が保たれる。だが父という我がファミリーの頭を失ったことでそのパワーバランスが一気に崩れた。
「父さんが死んだことでこんなことになるなんて」
「ドン・リナルディの力は強大でした。それに甘んじてきたことが災いしました…不覚です」
ローゼの声には悔恨が込められていた。
「…ロイドはどこに行ってしまったのだろう…」
「わかりません……ですが」
ローゼは言い淀む。
「何? ローゼ」
「先ほども言った通り、他のファミリーを疑い、事件を起こすものがいると」
「それがロイドだっていうの?!」
「噂の範囲ですが。現場でロイド様を見たとの情報があります。アルディーティの者を狙っている様です」
「ロイドが…! 生きてたんだ…良かった…」
「リリィ良かったね! お兄ちゃん生きてたんだ!」
「うん。ありがとパティ」
「…リリィ様、お言葉ですが、あくまで噂です。それを忘れないでください…」
「ええ、分かってる…」
ローゼの言いたい事もわかる。希望は簡単に絶望に変わる。だがたとえ噂話程度だろうと、家族が生きているかもしれない。もう会えないかと思っていたロイドにまた会えるかもしれない。それだけで込み上げてくるものがあった。
「でも希望が持てて良かったよ! 生きてるって信じるしかない!」
「そうそう。けどそれは置いといてさ、もっと建設的な話をしようぜ!」
「そうね! リッキーもたまにはいいこと言うぅ!」
「なぜ話に入ってくる…はぁ…大体建設的な話ってなんだ」
ローゼも諦めたか。パティの話を聞くことにしたようだ。
「そんなの、誰がリリィのパパやママを殺したかってことに決まってるじゃない!」
「そうそう! オレ達はそいつを殺すんだろ?」
「誰がやったか分からなきゃそれもできないものね!」
確かにそうだった。もっとも重要な問題はそれだ。父や母を、私たちをこんな目に合わせた張本人は一体誰なのか…。噂ではロイドはアルディーティの者たちが犯人だと考えている。
何故なのだろう…何か確証があるのだろうか…
「ローゼはどう思う?」
「リリィ様の仰っていた通り、裏切りの者がいるのは間違い無いでしょう。ただ、それを扇動した、或いは計画したのは他のマフィアだと考えられます。とても一人で出来るような犯行ではありませんから。それも力のある組織でしょう」
「やはりファルコーネかアルディーティ…」
「はい。噂によるとロイド様はアルディーティの犯行を疑っている様ですが…。確かなことは分かりません。それにそれが正しいにしろ、間違っているにしろ、ロイド様は大変危険な状況にいることは間違い無いでしょう」
「そうだね………ロイド…」
ロイドが本当にアルディーティの者たちを殺して回っているとしたら、アルディーティはロイドを必死に探す事だろう。それにもし、それが間違っていたとしたら、ロイドはアルディーティ、ファルコーネ、両ファミリーに追われる身になっているはず。そうなったら…生きているのは奇跡に近いかもしれない。
「一体どうすれば…」
ローゼと二人、頭を悩ませているとパティが立ち上がる。
「さぁ、行こう!」
「行くってどこに?」
「リリィのお兄ちゃんを探しにだよ!」
「本人に聞くのが手っ取り早いしな!」
「アルディーティがやったって証拠を持ってるかもしれないしね!」
「そうかもしれないけど、探すって言ってもどこを?」
「アルディーティの人達が沢山いるところだよ!」
「確かにこのバカの言う通りかもしれません。ロイド様の話を聞くのが一番早い。確証があるならアルディーティに狙いを絞れます」
パティはキッとローゼを睨む。
「リリィ様はここで待っていてください。リリィ様がアルディーティのシマに行くのは危険です」
「いやだよ、私もいく」
私も立ち上がりコートを羽織る。
「リリィ様…だめです。ロイド様がアルディーティに追われている今、リリィ様が見つかったらどうなるか分かりません」
「二人だけを危険に晒せない。それに報復すると決めたのは私。隠れているだけではいられない。ロイドの話を聞く責任がある」
「リリィ様…」
「議論は充分だよ。ローゼ。私は行く」
「はぁ………仕方ありませんね…ただ、私から絶対に離れないでください」
ローゼは立ち上がるとそう言った。
○遭遇
アルディーティファミリーのシマは街の中央から、東側を多く占めている。この街で一番力があるという話も嘘ではないのだろう。コンクリートでできた大きなビルがそこかしこに乱立している。街の西側にはこれだけ立派な建物はそう多くはない。
夜でも繁華街は人でごった返しているし、この中から人一人を探し出すことは不可能と言って良い。
ローゼの車に乗り街を進む。念の為、またパティに借りた男物の服で変装していた。ローゼは相変わらずスーツのままだ。パティは別れて探した方が早いと、一人街に繰り出していった。
私たちは事件が起きるのを待っていた。アルディーティのシマで事件が起きれば、それがロイドである可能性が高いと考えたからだ。しかしこの数日こうして街を巡回して待っているが、事件が起こることはなかった。
「ロイド、どこにいるんだろう…まさかもう捕まって…」
「どうなのでしょう…隠れているのかもしれません。アルディーティの奴らも警戒を強化しているはずです。そう簡単にことを起こすのは今は難しい」
「簡単に見つかるとは思っていなかったけど、これじゃいつまで経っても見つからないかも」
「…今は辛抱です」
「…そうね」
街行く人々を車窓越しに眺める。皆がいつもと変わりない生活を送っているのだろう。私たちとは違って。
「…ローゼはいいの? こんなことしてて。私たちはとても危険な道を歩んでいる。死ぬことになるかも、もしかしたら死ぬよりもっと酷い目にあうかも」
「…私は、リリィ様を守ると誓いましたから」
「父はもういない。そんな約束守らなくったって…自由に生きていいんだよ」
「…意地悪言わないでください。リリィ様。私は自分で決めたんですから」
「そう………ありがとうローゼ」
「いえ………感謝するのは私の方です。ありがとうございます。…リリィ様」
チラリとローゼを見ると僅かに微笑んでいた。ローゼの笑顔はやはり美しかった。
パァン! パァン! パァン!
突然の銃声に驚き飛び上がる。
「銃声だ! ロイドかも!」
「近いです! おそらく銀行の方です! 出します!」
「走った方が早い!」
私は車から飛び降りて銀行へ行くのに近い路地へと駆け出した。
「リリィ様!! お一人では危険です!! リリィ様!!」
ローゼの声が聞こえたが足は止まらなかった。
パァン! パァン! パァン!
走る間も銃声が続いていた。細い路地をいくつも曲がり、銀行に着く頃には息が上がっていた。
銀行は表通りに面していて、煉瓦造りの立派なその建物の前には二台の車が十メートルほどの間隔を空けて止まっていた。車の周りには男が四人血を流して倒れていた。
「くそっ!!!」
ロイドの声が聞こえた。私から見て右手の車に、ドアを開き、それを盾にする様に伏せているロイドの姿が目に入った。
「ロイド!!!」
ロイドは周りを見渡すと路地に立つ私を見つけた。
「っ!! リリィ!」
パァン! パァン!
ロイドが盾にしているドアの窓ガラスが砕け散る。
「ロイド!!」
今にも撃たれて死んでしまいそうな窮地にいるロイドに私は名前を呼び掛けることしかできなかった。
「くそっ!! リリィ! 逃げろ!」
ロイドはそう叫ぶと伏せながら潜り込むように車に乗ると猛スピードで車を出した。倒れている男達を引いていき、鈍い音がする。
パァン! パァン! パァン! パァン! カチッカチッ
私から見て左に止めてある車の影から初老の背の高いスーツ姿の男がロイドの乗る車目掛けて発砲するが、車は止まる事なく走り去って行ってしまった。
さっきまでの喧騒が嘘のように静寂が訪れた。
残された初老の男は、深いため息を一つすると銃を胸ポケットに収め、呆然としている私を見た。そして私に歩み寄ってくる。
まずい! 逃げなくては!
振り返って走り出そうとすると男の声が聞こえた。
「待ちなさい。リリィ・リナルディ」
静かな、だがその威厳のある声につい足が止まってしまった。
「私はロレンツォ・アルディーティ。ドン・アルディーティと呼ばれる者だ」
私はゆっくりと振り返る。そして男の顔をまじまじと見た。
この男がドン・アルディーティ。父や母を殺したかも知れない男。私は自分でも驚くほど素早く、迷いもなく腰に刺しておいた拳銃を取り出し、アルディーティに向けた。アルディーティに動じている様子はない。
「父と母を殺すよう指示したのはあなたですか?」
「父親に似て豪胆だな」
「答えて!」
「違う。我々は良き友人だった」
「それを証明することは」
「できない。やっていないという証拠はない」
「それで信じろと?」
「ロイドは信じていないみたいだな。復讐で我を忘れている」
「ロイドはあなたがやったと確信している」
「誰かが吹き込んだのだろう。何人もの部下が殺されている。彼には償ってもらわなければ」
その言葉には深く重い決意がこもっていた。やはり相手はマフィアのドン。身震いするものを感じる。
「では何故私を殺さないの?」
「君が殺したわけではないだろう。それに私は少女を殺して満足する趣味はない。ロイドには…それ相応の罰が待っているがな」
遠くサイレンの音が聞こえてくる。
「リリィ・リナルディ。もう行きなさい。じき警官や私の部下もやってくる。部下達が君に気づいたら黙って逃してはくれないだろう。私と違ってな」
私は拳銃を下ろした。この男が嘘を言っているとは思えなかったからだ。
「話せてよかったよ。リリィ・リナルディ。さぁ、行きなさい」
後ずさりながら、もう一度アルディーティの顔を見た。嘘をついているとは思えなかったが、真顔のこの男の真意は分からなかった。
私は振り返り、駆け出した。
○手紙
「だから危険だと言ったんです!」
ローゼの車に戻り、事件現場であったことを説明するとローゼの説教が始まった。
「無事帰ってきたのだからいいじゃない」
「アルディーティと話すなんて! 人質になっていてもおかしくないんですよ!」
「ドン・アルディーティにそのつもりはなかった。それに嘘を言っている人間の目じゃなかった」
「そんなの、当てになりません!」
「私を無事に返したのが何よりの証拠だよ。私を捕まえて人質にすればロイドを捕まえることも簡単なはずなのに、そうしなかった」
「それは…」
「アルディーティはおそらくやってない。そうなると一番怪しいのは」
「ファルコーネ…」
「そうなるね…でもどうやってそれを証明すればいいのか…」
「私が聞いてきてあげる! ファルコーネ? のとこに行って!」
「任しとけ!」
「そうよ! どんとこいよ!」
マリオッティのパン屋に戻ると、先にパティは帰ってきていた。パティにも事情を説明するとそう答えが返ってきた。パティの言葉に私たち二人は呆然とした。
「はっ…何を馬鹿な…」
ローゼは呆れ返っているようだ。
「馬鹿じゃ無いもん! わたしならファミリーの人間じゃないし、顔も知られてないから「ドン・リナルディを殺したのはあなたですか?」って聞いても変じゃない」
「変なことだらけだ! 話にならん! お前みたいなイカれた娘にそんな事教えるわけないだろ!」
「また悪口言った!!」
「ローゼは本当に口が悪いな!」
「ねぇ、どんな教育受けてきたのかしら」
「お前に言われたくない! リリィ様、この馬鹿を黙らせてください!」
私は考える。
返事をしない私を不思議そうにローゼは見つめている。
「リリィ様?」
「…いいかもしれない」
「は?」
「パティの言ったこと」
「リリィ様、何を」
「パティが会って直接聞くのは無理だよ。パティが危険すぎるし。ただパティに手紙を届けてもらうの」
「そんな…」
「内容はこう」
(私はリリィ・リナルディ。あなた達には残念かも知れないけど、私は生きている。
私はあなた達が父や母を殺したと知っている。証拠もある。私が望むのはあなた方が事実を認め、謝罪すること。
私が殺されれば、証拠を街の住民や警察、政治家、街の有力者に開示する準備をさせている。
戦争の準備をしておくことね)
「と。書く。どう?」
「リリィ様…お言葉ですが、馬鹿げてる」
「なぜ? もし心当たりがあっても無闇に私を殺せないはず。もし違ったとしたら、冤罪だもの、私に接触を図ろうとしてくる」
「残念ですが、それでは脅しにすらなりません。あまりマフィアを舐めない方が良い」
「脅すつもりはないの。ただ相手の出方を見られればいい」
パティは難しいといった表情で私たちの会話を聞いている。
「もしファルコーネが犯人だとしたらリリィ様はより危険な状況に陥ります。躍起になってリリィ様を探すでしょう。これは大きな賭けです」
「危険は元より承知の上。私は死んでも父さんと母さんの無念を晴らす覚悟だよ」
「………死なれては困ります」
「そうだよ。リリィ死んじゃやだ!」
「俺たちが守るぜ!」
「そうよ! 死なせるもんですか!」
「…ありがとう。けど、このまま黙って静観してはいられない」
ローゼは、尚も厳しい表情だった。考えうる事の限りを想像しているようだ。そして、大きなため息を一つついた。
「………リリィ様はリベルト様に似てらっしゃる」
困ったような笑顔でそう言った。
読んで頂けたら幸いです。