何度生まれ変わっても④
1話ラストです。
マザーはオーグの目撃情報を聞いて、エルフ数人で森の外れに見回りに行っていたらしい。
そこで、オーグと遭遇し戦闘になった。
追い払うことはできたが、マザーは深い傷を負ってしまった。
俺とウエンディは、部屋の外でマザーの治療が終わるのを待っていた。
どれくらい時間がたったか、部屋から治療にあたってくれていたエルフが出てくる。
「治療は完了した。傷自体は塞がったが、どういうわけか魔力が枯渇しかけている」
もしかしたら、もう長くないかもしれない。
そう言い残して、去っていった。
部屋に入ると、マザーはベッドに横になっていた。
「マザー!」
ウエンディが駆け寄る。
「マザーだいじょうぶ? 傷はいたむ?」
マザーは、そんなウエンディの頭をゆっくりとなでる。
そして、耳元に顔を寄せ、何事か囁いたようだ。
「え、うん。わかった……」
ウエンディは振り返ると、俺に手招きした。
「どうした?」
「マザーが、話があるって」
「俺に?」
ウエンディは頷くと、一度マザーの手を握り、部屋から出ていった。
すれ違いざま、なにかあったら呼んでねと言った。
部屋に気まずい沈黙が落りる。
俺が何事か口を開こうとしたとき。
「……こっちへ」
声が聞こえた。
心臓がぎくりと跳ねる。
「もっと、近づいて」
それは、生まれて初めて聞く、マザーの声だった。
戸惑いながら、言われた通り枕元に近づく。
「もっとも強力な魔法のことを、おぼえてる?」
「え?」
それは、想定外の話だった。
いったい何の話だ。
こんなときにまで、魔法の授業か。
「あれだろ、人間が使っていたっていう」
ウエンディから聞いた話を思い出しながら、答える。
「そう。滅んだとされている魔法」
マザーは言う。
「私はその一つを使えるの」
あれは、あなたを見つけた日のこと。
そう語りだしたのは、俺の知らない、俺がこの世界に転生してきた日の物語だった。
その日、エルフの森はオーグの襲撃を受けていた。
魔法で応戦するも、劣勢となり避難を余儀なくされた。
別の森へと逃げようとしたとき、マザーは空から落ちる光を見た。
光はすぐ近くに落ちたそうだ。
マザーは気になって、光のもとへ走った。
そこにいたのが、赤子である俺だった。
不思議な光に包まれた赤子を、マザーは抱き締めた。
そのとき、未知の魔法が頭に浮かんだ。
この赤子が、この世界の存在ではないと、直感的にわかったという。
「それじゃあ俺は……」
「そう。あなたはエルフじゃないの」
マザーが告げた事実に、俺は思ったよりショックを受けていた。
それが事実そのものへのショックなのか、秘密にされていたことへのものなのかは、よくわからなかった。
「ごほっごほ」
マザーがせき込む。
「大丈夫か」
その背をさする。
マザーの顔には、生気がなかった。
魔力が枯渇しているといっていた。
本当に、危ない状態なのかもしれない。
「俺のことはいいから、いまは安静にしなよ。ほら、ウエンディを呼んでくるから」
その場を離れかけた俺の手を、マザーは掴む。
「いいから、聞きなさい」
マザーは、そのまま、俺の体を確かめるように触る。
それは、いつも授業をさぼった俺を迎えるときと、同じ行動だった。
最後に、その手が俺の耳を引っ張る。
「身勝手な私を許してね」
そして、マザーは、最後の秘密を語った。
部屋から出ると、ウエンディが駆け寄ってくる。
「たいへんだよ。オーグがくるから、みんな避難するって。どうしよう、マザーが」
「落ち着け。ウエンディ」
両肩を押える。
「いいか。マザーにお別れを言って、他のエルフたちと一緒に逃げるんだ」
「え」
「俺はやることがあるから」
「どうして? マザーもブライも一緒にいようよ」
「だめだ。……いいから。もう、時間がない」
果たして、俺の表情から何かを読み取ったのだろう。
ウエンディは、マザーのもとへ走っていった。
俺もその背を見送ってから、逆方向へ走り出す。
さよならマザー。さよならウエンディ。
目指した場所は、いつも平原を眺めていた高台だった。
いつもは穏やかな空が、暗い雲に覆われている。
やがて、ぽつりぽつりと雨が降り出し、瞬く間に強くなった。
空に向け叫ぶ。
「おい、女神! 出てきやがれ!」
声は雨音にかき消される。
だが、届く。そんな確信があった。
《お久しぶりですね》
脳内に懐かしい声が響く。
「この、ポンコツ女神」
俺は、ずっと言ってやりたかった文句をぶつけた。
《やっと繋がりました。この世界はいかがですか》
「いかがも何も、どうなってるんだ。俺は魔法の世界なんて望んでないぞ」
《いえいえ、この世界はきちんとあなたが望んだ、結婚式の存在しない世界ですよ》
脳内にイメージが浮かぶ。
これは、この世界の歴史だろうか。
《結婚式とは愛の結びつきの究極系。すべての生き物は愛によって結ばれ、繁栄してきました》
《結婚式が存在しなくなれば、愛の結びつきは不完全となり、やがて消滅する》
《そうして、ほとんどの生き物が滅びました》
生き残ったのは、自然と共存し個体への執着を持たないエルフという種族。
そして、戦闘のみを本能とするオーグという種族。
《わずかに残った愛の残滓が魔力に変化するとは、予想外でしたが。これも進化の形のひとつですね》
「それじゃあ、この世界が魔法の世界になったのは、結婚式が存在しなくなったからだっていうのか」
《はい。すべての因果はつながっているのです。わずかな変化が歴史を、世界を変える》
「エルフとオーグが争うのも?」
《はい。すべては結婚式が存在しないためです。愛で結ばれぬのなら争うしかない。生き物の悲しい性です》
なんてこった。
それじゃあ、マザーのことも全部、俺のせいじゃないか。
結婚式の存在がこれだけ世界を変えてしまうなんて。
いったい誰が想像できただろうか。
「なあ、女神の力で、どうにかできないか。俺の、その、育ててくれた人が危ないんだ」
《残念ですが。女神は完成した世界には干渉できません》
「そこをなんとかしてくれよ……。それこそ、魔法のパワーで」
《あなた自身がどうにかすればいいじゃないですか》
だって、いまの俺には、なんの力もない。
《ふうん? なるほど、あなたはその方のせいで、力を制限されているみたいですね》
俺は、マザーの最後の話を思い出した。
「私があなたにかけた魔法は、対象の肉体を自在に変化させる魔法」
発動の条件は、対象に対して、いっさいの言葉をかけないこと。
「あなたはエルフとは異なる髪の色をしていたから」
すべては、ともに暮らすため。
「あなたを見たとき、はじめて何かを抱き締めたいと感じたの」
マザーはいつも不安だったという。
いつ、魔法が解けてしまうのか。
いつも、俺の体を確かめるように触っていたのは、そういうわけだったのか。
ただ、肉体を変化させた代償か、魔力についてはうまくいかなかった。
「魔法が使えないことで、あなたには随分つらい思いをさせたわね」
そんなの、かまわない。
俺には、ウエンディがいたし。マザーだって。
「もうじき、魔力が尽きて、私は死ぬ」
そうしたら、魔法が解けてしまう。
「これから、オーグが攻めてくるでしょう。あなたは、先に逃げなさい」
これは、エルフとオーグの争いだから、あなたが巻き込まれる必要はない。
「ウエンディには、これからつらい想いをさせるかもしれない」
きっと、大丈夫だよ。あいつは俺と違って人気者だから。
「魔力が尽きたエルフは転生するまで、長い年月がかかるの」
マザーは、最後に言った。
「ウエンディのこと、よろしくね」
空の向こうから、いくつもの黒い影が迫ってくる。
オーグの軍勢だった。
《来たようですね》
体の内側から、熱い何かがこみあげてくる。
そのエネルギーは全身に行き渡り、肉体に変化を及ぼす。
マザーの魔法が解けたのだ。
マザー。もっと、話したいことがたくさんあったよ。
魔法のことも、この世界の歴史のことも。
マザー自身のことだって、何にもしらないんだ。
腕が、足が、髪が、本来の姿に変わっていく。
俺の姿は、金髪のエルフから、黒い髪の青年になった。
そして、変化したのは肉体だけでない。
脳内に未知の魔法が浮かぶ。
《それが、転生したあなた本来の力です》
「なんだよ、この魔法は」
《わたしはウエディングの女神ですから》
大樹からエルフたちのざわめきが伝わる。
空にオーグの姿を認めたためか、避難を開始したのだろう。
さて、ウエンディたちが逃げる時間を稼がなければ。
オーグの軍勢は、もう目と鼻の先に迫っていた。
オーグの姿は羽の生えた黒い人型の獣のようだ。
悪魔みたいだな、と思った。
よかった。エルフのような見た目だったら、手加減してしまうところだった。
マザー。俺を育ててくれてありがとう。
俺はエルフとして生きてきて、よかったと思うよ。
だって、俺は今、こんなにも怒っている。
「これ以上、俺の大切なものは傷つけさせねーぞ」
オーグ達が、無数の炎の槍を放つ。
それが、開戦の合図になった。
俺は、両腕を構え、頭に浮かぶ呪文を唱える。
「響け……祝福の鐘!」
次の瞬間、見える世界が吹き飛んだ。
ウエディングベルは、衝撃波を放つ魔法だ。
「炎の槍を防げればと思ったんだが……」
俺の放った衝撃波は、炎の槍だけでなく、オーグの軍勢、そして平原のほとんどをえぐりとっていた。
「出力がおかしくないか?」
《おそらく、長年力を封じられた反動でしょう。たまりにたまった魔力が爆発したのです》
「なるほどね」
見回してみるも、オーグの影も見えない。
撤退したのだろうか。
まあ、仮に衝撃波から逃れたやつがいても、この魔法の威力を見たら逃げ出すだろう。
念のため地上のようすもみよう。
「浮かぶ花束!」
高台から飛び降り、魔法を唱える。
すると、足元に光る花びらが浮かび、落下速度を相殺する。
うまく出力を調整すれば、空中を歩くこともできそうだ。
広場は俺の魔法によってえぐられ、雨に濡れた土があらわになっていた。
やはり、オーグは影も形もない。
「ふう」
一仕事を終えた気分で、一息をつく。
ウエンディたちは、無事に逃げられただろうか。
森のようすを見に行こうとして、人影に気づいた。
「ウエンディ……」
ウエンディの目には、警戒と戸惑いの色が浮かんでいた。
足元の水たまりに、二人の姿が映る。
長く美しい金髪を持つエルフの少女と、黒髪の青年。
そうか、もう俺はウエンディの兄のブライではないのだ。
背を向け、逆方向に歩き出す。
こんな別れになるとはな。
でも、しょうがない。俺はもうエルフの森には住めないんだ。
魔法を使えないだけで、はなつまみ者だったのだ。
容姿の違う種族なんて、受け入れられるはずがない。
一歩一歩、泥に足をとられながら、歩みを進める。
「まって」
背後から声が聞こえる。
「ねえ、ブライなんでしょ」
歩く足が止まる。
「見た目が変わったて、わかるよ……」
思わず、振り向いてしまう。
「ねえ、マザーがね、死んじゃったんだよ」
ウエンディは、一歩一歩近づいてくる。
「どうして、どうしてマザーが死んじゃうの?」
魔法を操るエルフは、滅多なことで死ぬことはない。
ウエンディにとっては、はじめての身近な者との別れなのだろう。
「ねえどうして?」
ウエンディは俺にすがりつくようにして、膝をつく。
気がつけば、雨はやんでいた。
「……ウエンディ、生きてる者はいつか死ぬんだ」
仕方のないことなんだと、言い聞かせる。
「エルフは、転生するんだから恵まれているほうさ」
長い時間はかかるかもしれないが、ウエンディはきっとまたマザーに会えるだろう。
「だから、泣くな。強く生きろ」
俺は、ウエンディを抱き締めようと伸ばした腕を、寸前で止める。
俺に抱き締める資格はない。
だって、いまからもう一つ別れを経験させようとしているのだから。
「この森は、もう大丈夫だから、これまで通りみんなと一緒に生きろ」
「……どういうこと?」
「オーグたちが二度と攻めてこないように、俺がどうにかするから」
いまの俺になら、なんだってできるはずだ。
「だから、これでお別れだ」
ウエンディの肩を掴み、引き離す。
「じゃあな」
今度こそ、ここから離れなければ。
ウエンディを置いて、歩きだす。
「ねえ、いやだ、まって!」
歩みを早める。
「どうして、ブライもいっちゃうの? だめ、行かないで」
追いつこうとしているのか、足音が聞こえる。
俺は気にせず、歩みを進める。
「髪の色が違うから、いっしょにいれないの? どうして? ブライは、ブライだもん!」
悲鳴のような、叫びが聞こえる。
「くそっ」
あまりに悲痛な声に、再び振り返ってしまう。
ちょうど、泥に足を取られたのか、ウエンディは転倒した。
泥水の中に、飛び込んでしまう。
美しい髪も、顔を泥に汚れる。
「なにやってんだ」
まったく、仕方がない。
駆け寄って、助け起こそうとする。
しかし、ウエンディは俺の手をはねのける。
そして、自ら泥を体に塗りたくりはじめた。
「おい、なにしてんだよ」
制止を振り払い、されに泥を髪に塗り込むようにする。
あっという間に、美しい金髪は泥まみれになった。
「やめろ!」
腕をつかむ。
「……アクアブレア」
ウエンディが呪文を呟く。
それは、水の刃を操る魔法だ。
右腕を振るう。
そして、ウエンディの長い髪が、はらはらと落ちた。
絶句する。
ウエンディは自ら髪を切り落としたのだ。
「おい、ウエンディ」
力が抜けたように、寄りかかってくる。
俺は腕をつかんで支える。
「……関係ないもん」
俺の胸で、ウエンディは叫ぶ。
「見た目なんて関係ないもん、いっちゃだめだもん……」
涙目で叫ぶ。
「いっしょにいたいよ!」
ひとりにしないで、と叫ぶ声が聞こえる。
それは、誰の声だったか。
転生する前の、遠い記憶かも知れない。
孤独な誰かは、一緒にいてくれる誰かを求めたんじゃなかったか。
気づくと、俺はウエンディを抱き締めていた。
そうだ。俺たちは家族なんだ。
この世界で、マザーと俺とウエンディは、たしかに家族になれたじゃないか。
「ずっと、ずっといっしょに暮らすんだもん」
「……ああ。ずっと一緒だ」
耳元で泣きじゃくる声が聞こえる。
もう二度と、失うもんか。
抱き締める腕に、力をこめる。
なあ、女神。やっぱり、この世界に転生させてくれたこと、感謝するよ。
《ふふ。それでは、幸運を》
気づけば、雨上がりの空には虹がかかっていた。
家族が一緒に暮らせない世界なんて、俺がこの手で変えてやる。
空に向け、手を伸ばすと、まぶしい太陽の光が手のひらをすかす。
いまなら、なんだって掴める気がした。
これにて一区切りです。
読んでいただいた方、誠にありがとうございます。
ぜひ感想お待ちしております。