第53話
ローズはブランシュの言葉を思い出していた。
『新しい物をまず思い付く事が大変なんだから。ローズは欲しいと思う物をどんな物が説明して、開発は技術者に任せればいいんだわ』
そうは言ってもこの世界で足りないと感じてローズが再現できそうなものは多くない。
料理は洋食と言う感じで普通に美味しいく、味噌も醤油も無くて和食は食べられないが海外にでも移住したと思えば特に不満はない。
そもそも味噌も醤油も大豆を発酵させて作られていると言う事以外何も知らないし、この世界に大豆があるのかも良く分からない。
職人に任せると言っても知識がなさ過ぎだ。
まともな指示が出来なければどんな物が出来てくるか…
恐らくただ腐った豆が出来てきそうで恐い。
この世界に来て一番困ったのはスマホが無い事だが、ネットも電気もない世界でスマホなんて再現できるはずもなく、それならまず電気だろうがそれこそどう説明すれば良いのだろうか。
電気を説明する為に『雷みたいな力を火とか水とかを利用して作って電池に溜めて使う』と言うと、『電池って何?』って話になって『電池は電気を溜めるもの』と説明すると『電気って何?』と、話が初めに戻りそうだ。
友人のブランシュにさえ元の世界の事を説明しても良く分からない顔をされる事が多いのに、専門的な事を技術者に説明できる気がしない。
頭のおかしい変な女だと思われて終わりそうだ。
学校なんてさぼってばかりでろくに行ってなかったし、高校は一学期で退学したが、今になってもっと勉強しておけば良かったと後悔しかない。
そうなると、やはりファッション関係が一番再現が簡単そうだ。
この世界のドレスはいかにも貴族っぽい、胸元が大きく開いていて裾の大きく広がったプリンセスラインのロングドレスばかりだ。
何色のドレスでそれにどんな刺繍や装飾がされているかで区別されているだけで、シルエットだけ見れば見分けがつかないだろう。
いっそ大きくシルエットを変えたドレスを作ったらどうだろうか。
裾の広がりを少し抑えてAラインにしたりとか、胸下から切り替えのあるエンパイアラインとか、腰までは体に沿ってフィットさせ裾だけ広がっているマーメイドラインとか、いっそミニ丈のドレスも新しいかも知れない。
ローズは何パターンかドレスのデザイン画を紙に書いて並べた。
我ながらどれも素敵なデザインだと思うが、この世界の常識的に受け入れられない物があるかもしれないので今度ブランシュに見せて見ようと考えていた。
◇◆◇
「ローズ… 凄いわ、どれも素敵よ…」
デザイン画を見たブランシュは感嘆の声をもらした。
「本当!?」
「ええ、ドレスってロングで裾が広がった物だと思い込んでたけと、常識を覆されたわ。それにあなた絵も上手いしセンスが良い、洗練されてる。これが社交界に出回れば革命が起こるわよ」
「えー、大げさじゃないかしら?」
そうは言いつつもブランシュに絶賛され、ローズは満更でもない様子で毛先をクルクル指でもてあそんだ。
「大袈裟な事ありますか! 商会を作って、このドレスを売りましょう!」
「商会って、つまりブランドって事? 無理よ! 私裁縫も経営も出来ないわよ!」
「だから言ったじゃない、そこはプロに任せればいいのよ! あなたはこの世界で流行を作る、革新的なデザイナーになるの! 考えてみて、これって主人公っぽくない?」
ブランシュにそう言われ、ローズは自分が一流デザイナーになった姿を夢想した。
元の世界のデザインを流用するだけで、『遥かなるアルコンスィエル』の世界では服飾界で無双できる状態だ。
なんだかとっても主人公っぽい。
乙女ゲーの『遥かなるアルコンスィエル』ではこんなシナリオは一切無かったがそんな事は今更だ。
やっと自分が主人公っぽくなれる道を見つけた気がした。
「でも私、商会を作るツテとか一切無いわよ」
「私を誰だと思ってるの? 公爵令嬢なんてツテの塊よ! 全てこの私に任せなさい!」
「ブランシュ、あなたってホントにカッコイイわ」
ローズは再び自分を助けてくれるブランシュに惚れ直した。
「とりあえず二着、いや、三着ドレスを作りましょう!」
「三着? なんで?」
「ローズ用、私用とあと一着は宣伝効果の高い人にプレゼントするのよ」
「なるほどね」
やると決めたブランシュの行動は早かった。
公爵家の財力とツテをフル活用し、経営を一任するコンサルタントを皮切りにして商会本部と店舗を決め、布地などの材料の手配、そして一番重要な優秀な針子達の手配、ローズがぼーっとしている間に次々と決まって行く。
「ところで商会の屋号は何にする?」
ブランシュが訊ねるとローズは適当に答えた。
「ブランシュ・ローズ商会とかでいいんじゃない?」
「なんで私の名前が、しかも先に入ってるのよ」
「だって動いてるのはほとんどブランシュじゃない。ブランシュの商会みたいなものでしょ」
立ち上げこそ手伝ったが、ブランシュは一応ジガンテスク国に嫁ぐ予定になっているのだからいつまでも手伝うつもりはない。
そもそもこの事業もローズが主人公っぽくなれるように手伝うと約束したので手伝っているのであって、自分の儲けなど考えておらず、立ち上げに掛かった費用だけ回収できればあとはローズに全て任せるつもりだった。
それなのにブランシュの名前がメインになってはおかしいだろう。
「私がやるのは立ち上げだけよ。あとはローズがやるんだから」
「えー」
「えー、じゃないの。向こうの世界ではこう言う服飾関係の店の事はなんて言うの?」
「アパレルショップかな?」
「じゃあ決定、アパレル商会で!」
「えー!」
『アパレル』も頭文字が『ア』で、良く理由は分からないが向こうの世界ではそれが縁起か何かが良いのだろうとほとんど勢いで屋号を決定した。
ローズには不評なようだったが、商会の紋章を白い薔薇をモチーフにしたおしゃれな紋章にすると言う事で手を打って貰った。
◇◆◇
「アンバー様、突然お伺いして申し訳ありません」
「いえ、ブランシュ様ならいつでも歓迎です」
ブランシュはある目的の為にメストレ伯爵家を訪れていた。
「例の商品の名前の件、ありがとうございました」
ブランシュは『アイリス』と言う商品名を思い付いた後、手紙でアンバーに知らせていたのだ。
「気に入って頂けましたか?」
「はい、美しい名前をつけて頂きありがとうございました。製品版が出来上がりましたのでよろしければ」
アンバーから薄紫色の化粧瓶を受け取ると、そこには商品名として『IRIS ーサンブロックー』と濃紺の印字がされていた。
「商品名だけでは用途が分かりにくいとの声がありまして、『サンブロック』と表記を付け加えてみました」
「確かにその方が用途が伝わりやすいですね」
『サンブロック』つまり『日光を防ぐ』と、単純明快で分かりやすい。
「それて、ブランシュ様のご用件は?」
「不躾で申し訳ないのですが、サイズを測らせて頂けませんか?」
「え?」
ブランシュの背後に控えていたアパレル商会の針子がメジャーを取り出し、アンバーに迫った。