告げられた後に残るもの
ちょっとしんみりするかもしれないです。
「貴方に大切なことを告げに来ました。トーヤさん、貴方は貴方の人生全てをつぎ込んでも、この研究を達成することはできません」
話は三年と少し前に遡る。
俺が彼女と出会ったのはその時だ。
「くそっ、また駄目だ」
研究室の机を叩きながら、俺は芳しくない成果に対し、思わず言葉を吐き出した。
吐き出した言葉と態度から、現況が見てとれる。
俺は気持ちを切り替えるため、研究室を出て、外の自販機へと向かった。
自販機の周りには、ちらほらと人がいた。
研究生か、講師と言ったところか。
深夜近くだというのに、表情はどれも暗い。
恐らく、俺と同じように、研究が芳しくないのだろう。
どんよりと曇った表情を見ると、こちらも暗くなる。
飲料をいくつか購入し、俺は場所を変えることにした。
大学の奥も奥、程よい大きさの中庭に、俺は寝そべった。
ひんやりと夜風が頬を伝った。
「今晩は」
不意に声を掛けられ、俺は思わず飛び起きた。
傍らには、女が立っていた。
淡く亜麻色がかった髪。
それを引き立たせるような白い肌。
月明かりのような澄んだ瞳。
年の頃は俺と同じか、少し若いぐらいか。
「今晩は」
俺は挨拶を返した。
「ここ、いい場所ですね」
「だろう? いい場所なのに、あんまり人が来ない。静かでいい場所なんだ」
「お邪魔しちゃいましたね」
「うるさいのが駄目なんだ。君のような人なら大歓迎さ」
「ありがとうございます」
「君、ここの大学の子じゃないだろう?」
「分かります?」
「勘だけどね。研究者って感じじゃない。どちらかというと巫女さんって雰囲気だ」
彼女から感じた雰囲気は、研究者のそれとは違っていた。
醸し出す雰囲気が浮き世離れしているというか、あまり接したことのないものだった。
「大学に無断で入ったのは内緒にしてくださいね」
「ああ、言わないよ」
「ありがとうございます」
「ところでなんでこんな所に?」
「知りたいですか?」
「少し興味はあるね」
「実は、貴方に会いに来たんですよ。佐野トーヤさん。あ、私は浅野ユカと言います」
「え?」
浅野ユカと答えた彼女は、俺にそう答えた。
「俺に?」
俺はその思いも寄らなかった答えに、思わず数歩後退りした。
「心配しないでください。別に貴方に危害を加えようとか考えている訳ではありません」
「どういうことだい?」
彼女の言葉を全て信じたわけでは無いが、彼女から悪意を感じなかったこともあり、寧ろこのような時間に、自分の元へ訪れた理由が知りたくなった。
「トーヤさん。貴方は『告徒』という集団を知っていますか?」
「コクト? いや、初めて聞くな。その人らが俺と何か関係あるのかい?」
「告徒は、ある目的の為に存在します。彼らの歴史は古く、古くは日本の古典文学にもその記載があります。もちろん、現代にも脈々と続いてます」
「ある目的?」
「えぇ、彼らの目的はただ一つ。人々に、『絶対に叶わないことを伝える』という目的です」
「絶対に叶わないこと?」
「例えば、プロサッカー選手になれないとか、そういうことです」
彼女の話は突拍子もないことだが、不思議と続きが聞きたくなった。
嘘というには仰仰しいし、何より彼女が嘘を語っているようには見えなかったからだ。
「ふぅん。でもさ、何でそんな事が出来るんだい?」
「細かいことまでは分かりませんが、大昔、彼らのご先祖様が、神様に与えられたと聞いています」
「壮大な話だね」
「そうですね。それにしても不思議です。大学で研究に勤しむトーヤさんは、こういった類の話に興味がないか、否定的かと」
「あぁ、少しはね。でも、嘘じゃないんだろう。君が嘘をついているとはとても思えない。それに……」
「それに?」
「君もその一人なんだろう? それで、俺に伝えに来たんだ」
「よく分かりましたね」
「まぁ、この流れでその話を聞くとね」
「はい。今回のケースが、トーヤさんでした」
「それで、俺に告げに来たのは、どんな内容?」
俺が軽く尋ねると、彼女は押し黙った。
いや、黙ったというのは間違いかもしれない。
正確には、彼女は「変身」したのだ。
先程までのどこか神性を帯びたような雰囲気が一層強くなる。
どこか遠くを見るような達観した気性が、ますます濃くなるのを感じた。
俺は、「あぁ、これは本物だ」と感じた。
「佐野トーヤ、貴方は今進めている研究を絶対に完成させる事が出来ません」
俺は、その言葉を聞いた瞬間、神を見た。
例えとかではなく、彼女の後ろに、後光のような形で、正しく見た。
人によっては、ライトがそのように見えたのだろうと言うだろう。
あの時までの俺なら、そう言っていただろう。
しかし、あの言葉を聞いて、直感し、そして、受け止めた。
自然と、頰を涙が流れた。
「そうか、そうなんだな」
「辛いですが、現実で真実です」
「あぁ、分かるよ」
俺は涙を拭きながら、彼女に答えた。
それから俺は、今の研究について彼女に話した。
特に意味は無い。
ただ、彼女に聞いて欲しかったのだと思う。
この研究が多くの人を救うこと。
その中には、自分の妹がいること。
全く先の見えなかった研究に、やっと光が見えてきたこと。
今まで研究一筋だったためか、自らのしていることを、誰かに聞いてもらいたかったのだ。
そして、彼女はただただ聞いてくれた。
傾聴してくれた。
俺はそんな彼女の姿がただただ嬉しくて、また涙を流した。
頰を伝う涙を、今度は彼女が白く美しい手で拭ってくれた。
「すまないな。こんなに話を聞いてくれて」
「いえ、私もトーヤさんの想いが伝わりました。でも……」
「分かっているよ。何があっても結果は変わらない。だろう?」
「はい」
「いいんだ。でもさ、俺は研究を続けるよ」
「えっ? でも……」
「悲しむな。これは俺が決めたことなんだ。それに、別に続けちゃ駄目ってもんでも無いんだろう?」
「そうですが」
「なら、いいじゃないか。それに、今は不思議と頭が冴えているんだ。きっと、君が俺の話を聞いてくれたからだと思う」
「そんな」
「さぁ、ここで話をしていると、朝になっちゃうぞ。こんな所で時間を潰すくらないなら、君も、早く行った方がいい」
「強いんですね。トーヤさんは」
「強くは無かったよ。さっきまではね。君のお陰だ」
「ありがとうございます。それと、頑張ってください」
「あぁ、ありがとう」
「こちらこそ」
そうして、彼女との不思議な出会いは終わった。
あれから三年が経った。
結局、ユカが言ったとおり、研究は実らなかった。つまり、新薬の開発はできなかったのだ。ユカの言った「貴方の人生全部使っても」を、現に感じているわけだ。
俺は大学の中庭のベンチに座っている。
季節は春。四月もまもなく終わりだ。
桜の花びらが、地面にまばらなピンクのグラデーションを作っている。
体を通り抜ける風も、暖かさに混じって、暑さを運んできている。
五月がもうそこまでやってきているのを、五感で感じる。
「はあーっ」
俺は軽く悲壮にも感嘆にも取れる声を吐きながら、ベンチの背に、いつもより深く背中を預けた。
ここに来ると、いつもユカの言葉を思い出す。
それを思い出すために来ていると言っても過言ではないだろう。
「あら、トーヤさんじゃありませんか」
俺はその声に反応した。声のあった方を見ると、そこにはユカが立っていた。
会ったのはあの時以来、三年ぶりか。
彼女はあの時と少しも変わらず、少しも変えず、あの時の容貌と風体で、そこに立っていた。
まるで、自分だけが変わってしまったのかのような錯覚を覚える。
彼女の顔を見て、不思議と笑みが溢れた。
「つれませんね。せっかく久し振りに会えたというのに」
「ここにはたまたまか? それとも?」
「何か期待してます?」
「いいや」
「ここには本当にたまたまです。仕事の途中と言いますか」
「そうなのか。ところで、顔色悪いぞ。ちゃんと休んでるのか」
「貴方も。その様子だと、相変わらずなんですね」
「ああ」
ユカの言うとおり、俺はあれからも研究を続けた。新薬の完成にはこぎつけていないし、明確に成果といえるものもまだあげられていないが、いくつかの目処が立った。
「お身体、悪いんですか?」
「ん? あぁ」
彼女が俺の手元を見ながら、尋ねるように語りかける。
俺は、少し天を仰いだ。
「末期の病だ。あと半年ぐらいかな。もともと身体は丈夫な方じゃないが、無理が祟ったのかな」
「皮肉ですね」
「そうかもしれないな。俺が研究していた病気はさ、実は治療法が確立していないだけで、今の医療技術でも、十年以上は生きられるんだ。それにここまで頑張ってこれさ」
「ええ」
「でもな、君に告げられても、研究を続けて良かったと思っているんだ」
「そうなのですか」
「今までも、確かに研究に打ち込んでいたが、君に言われる前と後では、やっぱり違ったよ。なんというか、熱がこもっていなかったというかね」
「熱が」
「あぁ。研究だけじゃ駄目なことにも気付かされた。法律や研究支援、同じ志の仲間の存在。こういうことは、今までやってきた研究でも必要だったが、あくまで添え物だと思っていたんだ。話せば長くなるが、研究の後ろ盾ができたことで、はっきり言って、この研究は、当初の何十倍の速度で進んでいる」
「それでも」
「その先は言わないでくれ!」
彼女の言葉を半ば強制的に遮った。その後の言葉は分かっているし、聞く必要もなかった。
「なぁ、この写真を見てくれよ」
「何ですか?」
俺は、彼女にスマホの画面を見せた。画面には、女の子と白衣を着た若い研究者が写っている。
「こっちの子は、エマ。隣の白衣はキンバリー。ほら、エマって可愛いだろ?」
「そうですね。フリルが似合っています」
「逆にキンバリーは可愛げがない。こんなに綺麗なのにだ」
「損ですね、それ」
「全くだ」
「それで、なぜこれを?」
「エマも、あの病気なんだ」
「それで」
「悲しくはないんだ。俺がエマやキンバリーと知り合えたのも、ユカ、君のおかげだ」
「私の?」
「さっきも言ったとおり、この治療法は、研究を確立するだけでも、本来なら十年以上かかるような代物だった。でも、君と出会って、それからさらに直向きに取り組むことができるようになった」
「そんな謙遜して」
「そうじゃないよ。同時に自分の知らなかった分野や、世界にも目を向けることができた。二人を知ったのもその時さ。エマは病状が安定しているし、キンバリーはこの分野で、おそらく世界のトップを走っている。他にも大勢の支援者を見つけた。俺が駄目になっても、二年以内に治療法が確立されるよ」
「そうなんですね」
「あぁ、本当さ。本当に君のお陰だよ。これで大勢の人が救われる。君が俺に告げたことは、こういうことだったんだね」
「そんな、飛躍しすぎです」
「それでも多くの人が救われるよ。もちろん、君も含めてね」
「気づいていらしたんですね」
「ついさっきだけどね。分かりづらいが、首元に特有の反応が見られる」
「そういうつもりで告げたわけではありませんよ?」
「知ってる。ふっと頭に流れ込んでくるんだろう?」
「ええ」
「少なくとも俺は、俺が出来ることを真摯にやっただけだ。ユカ、君は治せよ。君は多くの人を救うことができる」
「はい」
そう言うと彼女は、軽く頭を下げた。
俺も自然と、彼女に合わせるように頭を下げた。
俺が顔を上げるのと同時に、彼女も頭を上げた。
彼女と目が合う。昔と変わらず澄んでいて、遠くを見ているような、それでいてあらゆるものを見守っているような瞳だ。
どちらがどちらにということではないが、自然とお互い、笑みがこぼれた。
彼女と俺の間を、春の風が通り抜ける。
それは、不思議と気持ちの良い、暖かい風だった。
もりやす たか と申します。
ご意見ご感想等、よろしくお願いします。