渇望1 アイヴィス
「ほう、良い動きじゃな」
「そのようですね、お互いに」
私――アイヴィス・ド・ドリア――とラオコーン様が追いついた頃には、すでに戦いは始まっていた。
ノヴァクのビルをも溶かすほどの炎、KOB開発の防火アーマーと云っても受ければタダでは済まない。だが“彼”は避けきっていた。
跳ね、飛び、伏せ、退がり、進む、逃げ場のないビルの上、手品のような回避。そのトリックは努力。
「よく避ける! 躱す! 見事です。逃げ回る相手を無理強いというのもそそられますねッ!」
炎を打ち続けるノヴァクだが、観戦する私には焦りはない。
これがB型の限界。O型やAB型のように死角を補うコンビネーションが無い!
攻撃と攻撃の隙間、接近戦ではノヴァクは自身を巻き込まないようにセーブした使い方を求められる。
距離を置きたいという欲求は、ノヴァクの技に偏りを生み――“彼”はその間隙を見逃さずに飛び掛かる!
すれ違いざまにノヴァクの首に腕を引っ掛け、勢いで首の骨をねじ切る。プロレスでいうとランニング・ネック・ブリーカーやスリング・ブレイドの形。手加減なしで殺人技だ!
「……安い罠じゃなぁ」
「えッ?」
ラオコーン様の呟きに、私もハッとした。
首が骨折したと思った瞬間、ノヴァクの胴体が刀を振るい、“彼”の左腕が切断されてくるりと宙を待った!
しまった、騙された! 隻腕となった“彼”は痛みに負けず、内武功で重力を操作して大きく後退した。
「お気づきでしょうが、さっきの隙はワザとですよ。」
「……なるほど」
「KOBを抜けてからは内武功も磨いてましてね。腕力程度の技なら筋肉を斥力で支えれば耐えられます」
内武功は、外武功と比べて弾丸を防いだりすることはできないが、筋力の強化のような形で使える。
理論上は確かに首が折れる衝撃を斥力を使って散らせば防ぐことは出来るだろう、だが。
普通できることなのか? ひとつ間違えば即死する攻撃をあえて受け、その上で反撃するなんてことが人間に可能なのか? これが死のスペシャリストたるシリアルキラーの戦い方なのか!?
その罠のせいで、片や回復することができない白兵戦のスペシャリスト、片やほぼダメージの無いBO型のジンキホルダー。
この状況からのノヴァクの推測は現実と明確に合致する。すなわち、“決着が付いた”と。
「……で、あなたの能力はなんだったんですか? 一度も使いませんでしたが?」
「私は、AO型のアナグラム能力者だ」
「……? 意外ですね。OO型ではないのですか?」
回答に訝しげな表情を浮かべるノヴァク。
AO型は一般的にはあまり浸透していない呼び方だが、普通のA型のこと。
通常、血液型の抗原を人間はふたつ持ち、両親のどちらかからひとつずつ引き継ぐ。
両親からAとAを受け継ぐとAA型、AとOを引き継ぐとAO型だが、ふたつとも輸血など医療上はほとんど違いが無いため、分けられることがない。
ジンキは重力生成時に赤血球に干渉するため、血液型に応じて使える能力が変わる。
ノヴァクの云っているOO型は、特殊な能力を用いれない代わり、外武功や内武功の使用効率で勝る、正に“彼”のように徒手空拳の使いになることが多い。
続きを促すように、ノヴァクは切断された“彼”の腕を炎の能力で蒸発させる。
ジンキによる腕を繋げるタイプの回復方法は無効となり、回復するには腕を生やすしかなくなる。
「私のジンキは“皮剥”、野菜や果物の皮を剥くことができる」
剥ぐという仰々しい言葉には目を見張ったノヴァクだが、次の野菜の皮を剥くという言葉には違う方向に目を見張っただろう。
今まで“彼”の能力説明を聞いたものと同様に、ノヴァクも四コマ漫画のキャラクターのようにコミカルに聞き返す。そんな能力あるわけ無いだろう、と。
「私も最初は意味が分からなかった。お前に妻を殺されて、その上で目覚めた能力がこんなもの。
習得してからは色々な可能性を試したよ。トウモロコシ、茹で玉子、カニシャブ、タマネギはどこまでが皮か分かってちょっと関心したけどな」
そこまで云ったとき、ノヴァクが腹を抱えてうずくまった。ヒクヒクと肩が震えている。
「失礼……笑いが……もしかして私を笑い殺そうという策戦ですかぁ?」
「何でも剥いたが、その中で……この能力で、カニや茹で玉子の薄皮が剥けることの意味があった。だが、私は気付かなかった、いや、気付こうとしなかった」
ノヴァクの痙攣と引きつったような息が強くなる。私は見ていられなかった。
「あの日……お前が岬春人という男を返り討ちにしたときに悟った。
まともなジンキではお前は倒せない。だから私は無意識に自分の中にある可能性からこのジンキを選んでいた。
私の能力の対象は“野菜の皮を剥く”という認識だったが、違う。私の能力は“私自身が食べ物と認識した物体の皮を剥ぎ取る能力”だったッ!」
“彼”の宣言と同時にうずくまっていたノヴァクが体を裏返す。
全身には赤い筋が亀裂として走り、全身から音も無く表皮が剥がれ落ちていく。
指には爪だけが残り、白いスーツは見る見る赤く染まっていく。皮膚は一枚ごとに磁石に引き寄せられているように空中へと投げ出され、全身から血液が噴水のように発散される。
反射的に剥がれた皮膚を剣の炎で焼き尽くすが、次の瞬間から再び皮膚の剥離が再開していく。
「この能力は相手の一部にでも触れば発動できる。さっき首を圧し折ろうとしたときに条件を満たした。
人間の皮とは表皮だけじゃない。目には見えないが、体内の血管や臓器内にも有る。剥がれ落ちた皮膚は血管を塞き止め、体内で老廃物と混ざり合って臓器の機能を麻痺させる。
歯車のように精密な呼吸器系も邪魔物の進入から連鎖的に機能循環を止め、酸素の供給を中止する。だが皮膚の無い脳髄だけは最後までその機能を止めることは無い!」
声を発することさえもできなくなったノヴァクは、指を喉に捻じ込んで自らの皮を気管支から掻き出すが、間に合うわけがない。
ノヴァクの声無き絶叫が苦悶の表情から伝わってくる。以前、氷の岬春人をノヴァクが焼き尽くすのを見たが、あのイメージが重なった。
「内武功でも酸欠や皮膚剥離によるダメージ、血管の膨張による圧迫から来る機能不全は防げない。
超再生能力が有ったとしても、体内に溜まったお前の皮膚を取り除けるわけじゃあない。なぜならそれはお前の一部で“異物ですらない”んだからな」
ノヴァクの全身から赤が噴出する。血ではない。炎だ。サラマンダーによって生み出される太陽のような紅炎だ。
「無駄だ。既にお前の体内に蓄積した皮膚は人間が代謝で取り除ける量じゃない。致死量なんだよ」
喀血と同時に雑巾のような皮膚を吐き出し、筋繊維むき出しの人体模型のような顔でノヴァクが笑ったような気がした。
「ダ……ッバら、ッサいごの殺人……楽しまゼ……ッバァアアア!」
ノヴァクの炎が“彼”へと殺到する。
道連れにするつもりだろうが行動が遅かった。すでにラオコーン様がマントを翻している。
ラオコーン様のマントはBO型能力の“天鷹”。瞬時に亜音速まで到達する移動能力であり、それを用いてノヴァクと“彼”の間に立ちはだかった。
「キサマらは、本当に儂の野望を邪魔するのが好きじゃなあ」
やれやれ、といった表情でラオコーン様が手をかざすと、炎が裂け、闇夜に拡散していく。
防御系アナグラムの究極形、“禁断ノ刻印”である。その防御力は私が知る限り、最強の盾のエフェクト。そう、今、ラオコーン様は“A型とB型の能力を同時に使っている”。
「ら、おごぉん……あなたはぁああ……」
「ラオコーンさん、何時から……」
「文句を云うならひとりで敵を殲滅して見せろ。今儂が防がなければキサマも燃え尽きて引き分け終了じゃろうが、輝石よ」
「それは……っぐぁっ?」
“彼”――関をラオコーン様は苛立ったように目にも止まらぬ手加減たっぷりの裏拳で弾き飛ばした。
「儂がいつ、キサマに意見を求めた? 黙って止血でもしておれ」
関は屋上から落下しそうになりながらもかろうじて踏みとどまり、その疲れから戦闘不能となり、武功の応用で血を止めて呼吸を整える。
これだ。これがラオコーン様のいつもの態度だ。
唐突に割って入り、自分の目的を通そうとし、空気を読もうともしない。超自己中なナチュラルボーン侵略者。
ラオコーン様は懐からひとつの指輪を取り出した。ご自身の付けている指輪と全く同じデザインのものだ。
そのまま息も絶え絶えなノヴァクの親指に指輪を根元まで差し込み、今度は自分の人差し指の指輪を取り外し、代わりに嵌めてみせる。
「ギリギリじゃが、まあ……発動条件は満たしたな」
云いながらラオコーン様は無造作にジンキを起動させ、手元に一本の刀を出現させる。それは間違いなくゾンネ・ギフト。
今、瀕死のノヴァクのジンキであるはずの武器だ。
「ふむ、腕にしっくり来る。やはりこのエフェクトは儂に似合うな」
「……どういう、ごどぁ……?」
「キサマに質問を許した覚えはないが……ん? おい、ノヴァク……死んだのか?」
状況が分からないまま、ノヴァクはあっけなく息絶えた。多臓器不全か酸欠によって。
体液らしい体液はすべて流れ出し、全身が赤黒い塊となり、彼が誇った最強の炎の剣すらも奪い取られ、己の生涯についてなにひとつ顧みることなく、死んだ。
これが、関輝石とイワン・ノヴァクというふたりの物語の顛末だった。