絶望3 輝石
ビルとビルの間、昆虫人間の複眼が鉄のように光った。
人に化け、人を襲い、人を食べる人類の天敵であり、KOB以外にもいくつかの集団が秘密裏に駆除しているらしい怪物。
階級は昆虫人間の中では中級、時を越えて人間と戦い続けてきた人類の天敵。
既に掛かって行ったKOB所属のジンキホルダーたちは軒並み倒されてしまったが、その目の光が弱まることはない。
その目の光は強く、とても強く、炎のように強く。炎そのものであるのだから。
B型の能力で生み出された剣に腹部を貫かれ、刃を伝う炎が内側から昆虫人間を焼き尽くすのを見て、白いスーツの殺人鬼――イワン・ノヴァク――は笑っていた。
「今日はインセイヴァーでガマンしようと思っていたんですが……殺されに来てくれたんですか」
人通りの無い表通りから、同じく人通りの無い裏通りを私は見つめた。誰の能力かはわからないが人払いが効いている。
私のすることは……特訓を積み重ねてこの日を私は待ち望んでいた私のすることは、たったひとつだ。
「どうも。お久しぶりです。KOBに入ったんですね、関さん」
「……私を覚えているのか」
「それはもちろん。殺そうとした人のことは忘れませんよ」
言葉の意味を聞き返すことはしない。この男の“ルール”はアイヴィスから教えられた。
イカれた殺人鬼ならば、必ず何かのルールを持ち合わせている。
例えば女性しか殺さない。白人しか殺さない。月曜日にしか殺さない、父親しか殺さない、など。
この男のルールは“一回につき一人しか殺さない”ことだった。聞いた瞬間、私はこれ以上は無いと思っていた憎悪をまた重ねた。
――あの日、殺すのは妻ではなく“私でも良かった”はずなのだ。
「どうして、一度に一人しか殺さない?」
「以前、そばかうどんか、選びかねている人を見たことが有ります。あなたならどうします?」
「……黙って喋れ」
「最も愚かな選択肢は、両方注文して半分ずつ食べて、両方を食べ残すということです。それは両方に失礼だ。日本のモッタイナイという概念からしてもね。
私も一人を殺せば満足できる、ならば、ふたりを殺すのは“モッタイナイ”と考えるだけですよ。
生かしておけば、こうして殺されるために現れてくれているわけですしね」
遠回しな物言いを頭が理解することを拒む。意味のないことだ。殺す。
芯から自分が熱くなっていると感じる。フラフラと倒れていたKOB構成員たち……いつぞやのフィロさんも居るな。彼らは既に眼中に無かったが自ら立ち上がり、物理的に眼中へ離脱していく。が、やはりどうでもいい。
袖の中に唐辛子は目潰しを三回は出来る量が有る。炎で防ぐことは難しくないだろうし、接近しなければ使えないが、接近する手段はいくつか考えている。
――だが、私の足は動かなかった。恐怖からじゃない。決して違う。ノヴァクの視線が私の背後の空間に向けられていることに気がついた。
「悪いね、お兄さん。僕が先約だ」
「……つくづく縁がありませんね、関さん。あなたはまた今度ということで」
背後から掛かる聞き覚えのない声に、私は後ろを振り返ろうとするが、足が後ろにも動かない。
足が文字通り凍り付いている。氷で固められている。
私を追い抜くように前に出ていくひとつの背中。法衣に編み笠、首から大玉の数珠を下げた虚無僧。
表情は分からないが、中身は若い男であることは声から察した。イワン・ノヴァクへの深い憎悪を全身から察した。
「ミサキさんのお兄さんですよね。今日は懐かしい人に会う日だ」
「僕は岬春人。弟の……源次郎の仇討ちに来た」
選手交換とばかりに戦闘は始まっていた。
岬春人を名乗った虚無僧の足元から波紋のように冷気が広がる。武器を実体化させなくとも能力を使えている。恐らくA型。
相対するイワン・ノヴァクの剣が炎を纏って冷気を払う。
「これだけ、ですか?」
「まさか、でしょ」
岬春人が編み笠を脱いで力を込める。すると一瞬のうちに編み笠は解けて反った棒のような形に変形した。笠を脱いで現れた端正な表情がニヤリと笑う。
――違う、この人はB型ジンキホルダー。編み笠から変形する武器。A型じゃない、B型だ。
「氷晶弩弓群ッ!」
現れた棒の中央を握り、弓矢を番えるように……いや、それは弓矢だった。
笠が変じた弓に氷の矢を構えて解き放つ。イワンは舌打ちし、刀を踏み台にして上へと飛び上がって避けた――上手い。
ここのような狭い路地裏ならば左右に避けることができず、弓矢の利点を最大に生かせる。外れた弓矢は地面に叩きつけられると同時に冷気をまき散らし、瞬時に道を塞いでいる!
「そのまま上へ、上へと逃げ続けてみなさい。天国までノンストップですからね」
話している間も精密機械のように岬は弓矢をワンモーションで連射する。
B型は習得時からパワーが上がることはほとんど無いが、連射速度という練度を上げることで能力を極めて行く。
イワンは炎で壁に小さな窪みを作り、足場代わりに上へ上へと避けるが、徐々にイワンの表情と周囲の空間が暗くなっていた。
外れた氷の矢が空中で氷の塊に変形し、路地の上に天蓋のように降り積もっていく。
氷の塊がお互いに重なり合って光を、そしてノヴァクの行く手を遮っているのだ。
全て計算した上でここで戦いを挑んだのか。この岬という復讐者は!
「絶対零度近くまで下がっている氷を……これほど早く、大量に操作するとは……!」
「逃げ場……あげませんから」
勝利を確信した岬の会心の笑み。
しかしながら、イワンの哄笑がその上を行く悦びを浮かべていた。
「ええ、逃げませんから」
闇に染まりつつあった路地裏が一気に明るくなった。
炎によって太陽のような光を放つノヴァクの姿に、一瞬前までそこにあったはずの氷の天井がすべて溶解した。
岬の表情に明確な絶望が浮かんでいた。
「知っていますか? 宇宙の中心まで行っても冷たさはマイナス二七三度に過ぎませんが、宇宙の片隅にある地球の最も熱いマグマの温度は六千度を超えます」
ノヴァクが炎を背負い、上空から圧し掛かるように岬春人へと襲い掛かる。
あまりの熱量に建物自体が消しゴムのようにだらしなく溶解していく。
私を縛り付けていた氷も脆くなり、溶解に巻き込まれる刹那、辛うじて後ろに跳んで避けた。
結果、一階部分が大きくえぐれてビル二本が音を立てて傾く。私はノヴァクの姿を求めて追いそうになる衝動を自制し、倒壊する破片から逃れた。
瓦礫が殺意持つ雪のように降り注ぐ中、ふたりの男が飛び出してきた。ひとりはイワン・ノヴァク。もうひとりは火達磨になって飛び出してきた……恐らく岬春人。脂が燃えている匂いがする。
死なない。顔も判別できないが間違いない。岬の中に燃える復讐の炎の方が強い。まだ岬は死なない。
「源次郎ォオオ! 兄ちゃんは、兄ちゃんは、負けねぇええ、負けないからなぁあああああ!」
岬は――恐らくノヴァクに殺された弟さんの名前を叫び――氷の塊を無数に出現させ、ノヴァクに襲い掛かる。
私自身は、イワンの死を望む一方で自分の手で殺したいという渇望で二律背反する感情が溢れるが、わかっている。
――岬よりイワンの方が、強い――
氷の弓矢は、炎の壁に遮られて届くことはない。
「今日はインセイヴァーひとりと人間ひとり、ですか。少々殺戮すぎましたね」
感情の抑揚も見せずにノヴァクは炎の剣で岬を左右に両断し、あっさりと戦いが終わった。
岬の敗因はB型能力の弱点と長所。岬の能力はパワーこそ強いが、弓矢という形でしか発動できない。
恐らく、“凍結”や“冷気”のアナグラムよりも氷の遠距離攻撃という一点では勝っていただろうが、あくまでも武器なのだ。応用が利かない。
――だが、私には、どう攻めてもノヴァクを倒すルートが見えなかった。
どう応用しても、“皮剥”では、勝てない。
「……また殺しそびれてしまいましたね。関さん」
殺す方法の分からない私と殺す気のないイワンの間へ、倒壊するビルをすり抜けて遮るようにひとつの影が降り立つ。アイヴィスだ。
「……あなたですか。アイヴィスさん。あなたはインセイヴァーよりも殺す気がしないのですが……」
「この人は殺させないわ」
「殺す気はありませんよ。今日はこの……えー……名前、なんでしたっけ? 今の人」
「岬春人だろ」
「そんな名前でしたか。今日は彼が私の相手をしてくれた。帰っていいですよ」
ふざけるな、そう叫びたかったが体が動かなかった。
妙にツヤツヤと満たされた表情でノヴァクは外武功で跳躍した。残されたのは積まれたコンクリート片と、絶望だけだったが、アイヴィスは優しさを湛えて私の腰の辺りに抱きついた。
「心配したよ。他の構成員はインセイヴァーに倒されたって聞いたし、そのあとにイワンがって聞いたから……どうしたの?」
眼球が熱い。涙が止まらなかった。何の涙かすらわからないが、止まらない。
「ちょっと関? 大丈夫? もう大丈夫だよ、大丈夫なんだよ?」
「違う、違うんだ。大丈夫じゃないんだ……私はヤツを……なんで、チクショオ……もっと強いアナグラムじゃないんだよ……」
「……関は、悪くないよ」
アイヴィスはぎゅっと強く抱いた。何度もアイヴィスは私の訓練全てに付き合ってくれていた。
筋力増加から私の衣服のサイズが変わり続ける中、彼女の姿は一切変化せず、初めてKOBの病院で出会った時のまま、少女の姿で。
訓練中、肉体を極限まで鍛え続けた暗殺技術を磨き続けてきたが、それでもノヴァクには触れることは出来ないし、武器の類では外武功を一度使わせられるかどうかも怪しい。詰んだ。
「知ってる? 蒼子さんが殺されてから……もう三年になるんだよ。頑張ったよ、関は……もう、休んでも良いんだよ」
「……やす……む?」
「記憶を操作できるジンキも有るの。
もう良いんだよ、関は……全部忘れて、普通に戻って生活していいよ。帰れるんだよ、普通に」
何度も再生を繰り返してきた記憶が脳裏に高速で駆け抜ける。妻との出会い、妻との思い出、妻の死、妻の……。
次に思うのは、妻の居ない思い出。有りもしない、私の人生に、そんなものは有りはしない。
「蒼子のことを忘れたら、私には何が残るんだ……?」
私のズボンが濡れいてた。私の涙ではない。汗に混じって別の匂いがする。アイヴィスの肩が僅かに震えていた。
「私じゃ……ダメ……なんだよね」
アイヴィスが何を云ったのか、よく聞き取れなかった。
そんな中、倒壊するビルの壁を突き破ってひとりの男が飛び出してきた。ラオコーン。
両手には何人もの人間を担いでいる。逃げそびれていたKOB構成員だろう。
「アイヴィス、UHSがそろそろ到着する時間だ。退却だ」
「でも、関が……」
「若造、野望と夢の違いを知っているか?」
両手に抱えた人々を投げ捨てながらの唐突な質問だったが、私の涙は不思議と納まり、言葉を探していた。
「……わかりません」
「夢とは叶えばいいというボンクラどもの妄想、野望とは必ず達成するという信念のことだ。
儂は儂の世界征服と云う野望のために必要なものは全て奪い取るし、そのためには駒が一枚でも多く必要だ。
キサマもその駒のひとつ、こんな所で苦戦するなんぞ、キサマは儂の野望の障害となるつもりか?」
「……蒼子のことを忘れて、あなたの野望の駒になれ、と?」
「違う! 仇を討とうという信念も捨てた駒なんぞ要らん! その誓いが夢ではなく、信念ならば必ず達成しろと云っている!」
ビルが音を立てて傾き、濛々とした粉じんの中、ラオコーンの両手の指輪が光った。
「儂は全てを手に入れるという信念を持っている故に何一つ捨てることも許されん。だが貴様の信念ならば他の全てを捨てて見せろ」
「捨て身になれば勝てる、と?」
「貴様の頭には何が詰まっている!? 捨て身なんぞせいぜい命を捨てる程度のことだろうが! それ以上にもっと捨てられるものがあろう!」
命以上に自分自身を捨てる?
ラオコーンは更に続けた言葉は、驚きながらも、反面、気が付きつつあった可能性だった。
だが、見ようとしなかった。それは不可能だと思おうとしていた。
初めて見たアイヴィスのラオコーンへの抗議、しかし当のラオコーンは満面の笑み。
「我が“野望”のため、貴様の復讐に手を貸してやろう」
復讐は、何も生み出さない。
だが、復讐を諦めれば、死んでいるのと同じだ。
命よりも大事なものを捨てることを覚悟と呼ぶならば、それが今だった。
別に読み飛ばしても問題ない設定資料
キャラクター設定
名前:岬春人
年齢:17歳(享年)
身長:162センチ 体重:65キロ
:イワンに義理の弟であった源次郎を殺されたことから復讐鬼となった男。最後までイワンへと食い下がるが惨敗。
:ジンキ名・『氷晶弩弓隊』(血液型BB)
普段は傘として持ち歩けるジンキで、その状態でも冷気を操れるが、補助的な役割。
弓に変形し、その後は冷気・氷柱の矢を連続発射する弓矢となる。
弦はなく、発射の所作だけで発射できるが、手の角度と速さで精度と連射が異なるため、熟練が必要となる。