絶望2 輝石
あれからどれくらいの時が立ったのだろうか。
一週間だろうか、一か月だろうか、一年だろうか。時間の感覚が無くなっている。
仕事に行かなくなり、二四時間サイクルでの生活を止め、陽が昇っても陽が落ちても訓練をしている。筋肉量が増え、成人してから体重が五割近く増すとは思わなかった。
妻との思い出が染みついた衣服は火事で全て燃えてしまったから服はすべて他の“メンバー”の服を借りており、訓練室で汗を流していた。
「せーの!」
『叩いてかぶってジャンケンポン!』
私の手はグー、アイヴィスの手がパーだと理解するのと同時にヘルメットを拾って頭を覆った。
バシリ、と絶縁合金ヘルメットに電流の流れるスタンロッドが当たった。
「……これは、本当に特訓になるのか? アイヴィス?」
「なるよー。最初より私の動きが見えるようになってるし、もしメットが取れないときでも三回に一回、外武功で止められてるじゃあーりませんか」
このきっかり一日一時間取り込まれていたゲームでは、三回に二回は防げない一撃に私の背筋は痙攣を起こし、頭髪の下には電気火傷が無数にできた。
「さあ、ガンガン行きましょう。 休んでいる間も時間は進むよ」
「……わかってるよ。ジンキを使いこなすため、だな」
アイヴィスが最初に教えてくれたのは、この世界の構造についてだった。
今現在、というか、かなり大昔から歴史に記されこそされないが、ジンキホルダーやキャリア、気功者と呼ばれる超能力者が暗躍しているらしかった。
それは妻を殺したイワン・ノヴァクと云う男や、ラオコーン、アイヴィス、そして私もそうだという。
ジンキホルダーは血管中に四種類の内の一種類、微小な“何か”を保有し、その何かはジンキと呼ばれ、血液の流れでエネルギーを生み出す。
血管の総延長は地球を二周半するというが、そこをジンキが高速で巡り、指向性のある重力となるらしい。
それが塵の機械のような大きさだからジンキ、神の企てたことのようだからジンキ、人にして鬼となるからジンキ、様々な語源が有るらしい。どうでもいいが。
そのため、血液型に応じて能力が限定されるが、私の“皮剥”はアナグラムと呼ばれるA型の能力。キーワードに沿った超能力を使える。
ラオコーンやイワン・ノヴァクはB型。魔法の力を持つ道具を生成できるビルド、らしい。
魔法を自分が扱える分だけ私自身が強くなれば性能が上がるのがアナグラム、訓練の必要なく最初から道具として機能を出し切れるのがビルド、であるらしい。
先ほどから練習している外武功は、どの血液型でも使える重力そのものをコントロールする技術。
慣れると弾丸を受け止めたり、高所から飛び降りても無傷だったり、宇宙空間でも活動できるらしいが、私は辛うじて棒に流れる電流を防ぐのがやっとだった。
「……イワンは、これと同じことができるのか」
「彼は才能もあり訓練もしました。関さんの何倍も……」
山積した問題を突き付けられたとき、訓練室に見慣れた顔の面々が入ってきた。“KOB”の構成員たちだった。
「なに? まだそんなクズに付き合ってたの、アイヴィス」
入ってきた何人かの内、先頭の戦闘的な黒装束から白い素肌を覗かせる女は、この“KOB”でも屈指の実力者とかで、多くの昆虫人間や岩石生物、ドラゴンもどきを殺しているらしい。
この世界には多くの人間ではない怪物が存在しているらしく、このKOBは世界的大企業でありながら、秘密裏に怪物たちの駆除を続けていた。
……どうでもいい。イワンは人間を殺す殺人鬼で、私はそいつを殺せればなんでもいい。
「人間をクズと呼ぶ癖をやめなさいと、何十年前から云わせるの」
「第二次大戦からでしょ? クズをクズって呼ぶのはあんたと会ったときからだから」
自分の後ろに居る仲間たちもクズと呼ぶこの女とアイヴィスが人間でないと知ったのもどれくらい前になるか。
だが、それよりも、私には重要なことがあった。
「すまないんだが、邪魔をするのをやめてもらえるか? ……ええっと」
「何よ?」
「……名前を忘れたが、君の相手をしているヒマはないんだ。こうしている間もイワンが息を……しているんだ」
私はあの日のことを思い、心から闇が広がるのを感じた。
憎悪があふれ出す。表情に出さないように抑えて笑ったつもりだったが、なぜか女は一歩たじろいだ。
これで訓練に戻れると思ったとき、女の後ろに控えていた大男が女と入れ替わるように一歩前に出た。
「……気に入らねぇな、リリさんに逆らって脅したつもり、ってのは」
「脅してなんか居ないよ、ただ、邪魔するなって……云ってるだけじゃないか」
男の身体の周りの空気が変わった。外武功。血管から重力を外に向けて放ち、引斥力を攻防の起点とする技術。
実戦準備のようだが、それにしてはひどく小さい殺意だ。私がイワンに抱いている殺意に比べれば、比較にもならない遊びのような殺意だ。
「KOBのルールは知ってるよな新入り。互いに気に食わなければ侵略する。なぜならウチは世界征服を企む秘密組織、ってヤツだからだ」
「私は君たちを侵略したいとは思ってはいない、イワン以外には興味がないんだが……ああ、そうか、君が訓練に付き合ってくれるんだね?」
意外と親切な男だ。そうだな、こんな小さな殺意で本気なわけがない。殺意ってのはもっと、こう――。
アイヴィスや女たちが距離を取ったのが合図だったはずだが、その男は、まるで私の殺意に充てられたように動きが鈍っていた。
イワンが私に向けた殺気や私がイワンに向けたい殺気に比べれば、大したことはないはずなのに。
私は外武功を発生させることもなく、相手の襟を掴みかかる。
「う、うあああああああ!?」
大男は、なぜか慌てたように私の両手を掴むことで防ぐ。それは悪手だろう。私は袖の中に仕込んでおいた野菜に向けて“皮剥”を起動する。
高速で皮を剥ぎ取る私にできるたったひとつの超能力。タネは袖の中のトウガラシ。
催涙スプレーは大概が主原料として唐辛子を使用しているが、もちろん、元のままでも強い目潰しとして使える。こう使えば指を一切使わずに奇襲として目潰しができる。
「えげつねぇ……」
「目ぇ見えない中で……あの殺意に晒されたら……フィロのヤツ、無理だろ」
女の連れていた別の男たちが呟く中、大男ことフィロは私に後ろ手に両腕を捻られ、首筋には私の土踏まずがビッタリと合わさっている。
「良い訓練になりました。フィロさんありがとうございました……非戦闘員か何かの方ですかね」
「……いや、そいつ、うちの主力戦闘員、なんだけど」
イワン以外ならこんなに容易いのに、あの怪物は――どれだけ先に行っているのだろうか。
「……ただのクズじゃなくて、使えるクズ、ってわけね」
女の発言を聞き流して私はアイヴィスに訓練の続きを促した。今日も昨日と同じ訓練を続ける。あの男の屍を見る日まで。
あの炎の中、イワンが私に云い残した残響は、いつになったら存在感を失うのだろうか。