海老原博人の場合
貧乏って辛い事だろうか。
物心付いた頃から、僕にはお父さんがいなかった。
それでも周りの環境に恵まれていたからか、不思議と父親の影を追いかけることはなかった。
でも、経済的にも精神的にもかなり足りない思いはあった。
子供の頃、周りの同級生達はクリスマスに最新のゲームを買って貰っていたあの時。
僕はそれよりも2世代前であろうゲームしか買ってもらえなかった。
最新のゲームをするには友達の家でやらして貰うしかない。
でもたまにしか出来ないのだから、自分の下手さ加減に友達は愛想を尽かして
やがて誘われる事はなくなった。
母は僕達兄弟を養っていくため、朝から働いている。
幸い看護師と言う職業についていたため、衣食住に困る事はなかった。
母は朝から働いているその負担からか
仕事から帰り、そそくさと飯を食べると
そのまま寝てしまう。
子供の頃、僕は母親の愛情をあまり受けてこなかったせいなのか、人に心を開けない。
上手く会話が出来ず、自分の思いを伝える所か喋る事すらをもままならない僕は
子供の頃からずっと1人だった。
学校なんてつまらなくてたまらなかった。
それでも、熱が出ない限りは無理矢理にでも行かされた。
今となっては皮肉な話である。
僕が中学2年の時
母がうつ病にかかってしまった。
そして中学3年の冬、母は薬の大量摂取による自殺未遂を起こした。
幸い発見が早かった事と、親族の助けもあり胃の洗浄としばらくの入院で事なきを得たが
片親である僕の家庭は生活保護だけで食べていける訳がなく、高校に通いながらバイトをする事になった。
週に5日、17時から21時までの労働はいくら学生の体力であってもかなり体に来るものであった。
周りの子を見ては、自分より幸せだと勝手に決めつけていた。
でも間違ってはいない。
僕より不幸な人間などいない。
いるはずがない。
毎日、そう思っては何かしらを守っていた。
このまま現実を受け止めたら、死にたくなってしまう。
いつもと変わらぬ朝が始まった。
母はまだ起きてこない、睡眠薬のせいだろうか。
昨日買ったパンを冷蔵庫から取り出し、レンジで暖める。
少しぼんやりした後、電子レンジの音が鳴ってからしばらくの間が経った後にようやく向かう。
愛想良く振る舞うテレビの芸能人を尻目に、僕はしかめっ面をしながら学校へ向かう支度をする。
ふと、心の隙間にあの人の顔が浮かぶ。
同じクラス、同じ図書委員の安城友香里さん。
地味な見た目で内向的な性格のため、クラスの中では浮いてると言うか目立たない存在でもあるというか。
でもその憂い気な表情にどこか惹かれてしまっている自分がいる。
やや危うい妄想を繰り広げながらも
制服に着替え学校に向かう。
母は依然として起きる気配がない。
僕は母の寝顔を見て時々思う。
子供の頃は休ませてくれなかったのに、今となっては自分が休むのかと。
クタクタの体だと考える事もそうなってしまうのだろう。
運命など変わる気配もないし、一生このままでいるかもしれない覚悟を決めた。
そして、靴を履き玄関のドアを開けた。
誰か僕を殺してくれないだろうか。