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HERITERS  作者: 井本康太
8/20

二〇四四年八月十一日(木) 十一時十二分二十四秒 特設自衛軍大宮駐屯地 医務室

「……まさか本当にこれで起きるとは」

 白いベットの上、万智は顔の近くで鳴った奇妙な音で目を覚ました。

 薄い意識の中、先程まで見ていた妙に記憶に残る夢が万智の頭の中でフラッシュバックする。

「あれは……何……? 私の記憶……なの……?」

 なにか遠い日の出来事を振り返っていたような気がする。

「――って、おい」

 だが、そんな夢の余韻をぶち壊すように、目の前で一人の女性が、満面の笑みで万智にカメラを向けていた。

「……何をしている。遠山二尉」

「ハッ! 貴官の寝顔をデジカメで撮影していたであります!」

 万智の問に対して、女性はわざとらしく敬礼の姿勢を取ると、瞬時に状況の報告した。

「私が聞きたいたのは、何故貴官が私の写真を撮っているのか? ということなのだが」

「ハッ! それは勿論、貴官の寝顔写真を隊内で売りさばくた……ああっ!」

 言い切るより早く、万智は女性から目にも見えない速さでカメラをひったくった。

「何が勿論かっ!」

 そして勢い良く握りつぶして粉々に粉砕する。

「な、なんてことを。母さんの形見のデジタルカメラが……」

「あんたの母親はまだ生きとろうが!!  そもそもそのカメラ、去年の忘年会の景品じゃないですか!」

「あ、バレた? いやぁ、せっかく当たったんだし有効に活用しようかと思ってさ。てへ」

 全く悪びれる様子もなく、女性は舌をだしウィンクする。

「盗撮を『てへ』で済ましますか。この医官は。……ったく」

 そう言って万智は溜息をつきながらベッドの机を見る。

 誰かが見舞いに来てくれたのだろうか。机の上には籠に詰められたフルーツと、自分の眼鏡が置いてあった。

 万智は眼鏡を掛けると、改めて目の前に居る女性を見る。

 特設自衛軍第一師団第一特務連隊所属医官、遠山夏帆二等特尉。

 見た目は白衣に眼鏡をかけた、理知的な雰囲気を漂わせた女性。しかも顔もスタイルも文句なく良い。

 どこか上品で育ちの良ささえ感じさせる、軽くウェーブがかった焦げ茶の短髪も、とてもよく似合っている。

 総じて、外見だけならば嫌味なほどに非の打ち所がない、完璧な美人だった。モデル一本でも、十二分にやっていけるだろう。

「だが、その中身は完全に終わっている。性格はどうしようもない屑のセクハラ親父のそれ。加えて絡み酒の酒乱。ゲロ臭くなるまで酒を飲み、放送禁止用語を連呼し、合コンを粉砕。泥酔し出禁を食らった居酒屋は数知れず。その容姿に釣られ、交際した男性は多数いるがその中身が祟って、あっという間に捨てられる。遊ぶだけなら最高の女、医大主席の恥さらし」

「事実でもそういうことは本人前に言うんじゃねぇ!!」

 あんまりにもあんまりな評価に、夏帆がキャラ崩壊気味に抗議する。もっとも評判そのものは否定しないあたり、本人にも自覚はあるようだが。

「あと捨てられたんじゃない!! 相手の器が小さくて私を支え切れなかっただけだ!!」

「器なんてゲロ入れに使うだけじゃないですか。ゲロごと捨てますよ、そりゃ。医者なんですから、少しはお酒控えたらどうです?」

「ハン、医者は酒飲んでなんぼの職業よ。医者は酒に始まり酒に終わる。危なくなったら医師の適切な指導の下、点滴で生理食塩水を打ちつつ酒を飲む。医学界の常識よ」

「そんな常識があってたまるか!! つーか、あんた本当に医者か!? 医学界に謝れ!!」

 万智は頭を抱えながら、アル中の常識に突っ込みを入れる。

「はぁ……。ところで、今日は何月何日です?」

 話を反らすように万智が別の話題を振る。

「八月十一日よ。しかし貴方も変わった患者さんね。普通この場面だと『ここは……?』とか困惑するところでしょ?」

「そのタイミングが誰かさんのせいで、さっき見事に逸しましたよ」

 呆れ顔の夏帆に抗議しながら、万智は部屋に飾ってあるカレンダーを確認する。

「八月十一日……。あれは八日だから……私は三日も寝ていたのか……。――はっ!?」

 突然、万智が弾かれたように立ち上がり、警戒するように周囲を見回す。

「そうだ遠山さん!! あいつは……鳥海貴斗はどうなりましたっ!?」

 そして夏帆に詰め寄った。

「それを私に聞かれても。むしろこっちが貴方の報告待ちなのだけれど。貴方が無事なんだから、何とかしたんじゃないの?」

 取り乱し気味の万智に、夏帆は不思議そうに首を傾げる。

「無事? 私が?」

「ええ。それはもう本当に戦ったのかってくらいに。現場に倒れていた貴方は、怪我どころか服に汚れ一つ、付いてなかったそうよ」

 その言葉で万智は自身の身体の違和感に気がつく。と言うよりも、違和感が無いことに気がついた。

「私の診察でも、機械を使った精密検査でも異常はどこにも見当たらなかったわ。意識が戻らないということ以外は健康そのもの。流石の私も手の施しようがなかったから、貴方に付きっ切りだった三日間は正直かなり不毛だったわ。介護士じゃないのよ? 私は」

「そんな……」

 そんな事があるはずがない。あの時の自分は検査などするまでも無いほど、ズタボロにされていたのだ。喉を焼かれ、肩を貫かれ、更に腕も……。

「……っ!」

 と、あの時の事を思い出し、万智はとっさに自分の右腕を掴んだ。

「右腕……付いてる……」

 そして、左手で右腕を掴めたことに驚愕した。

「健常者だし、そりゃ付いてますよ」

 のんきな夏帆の言葉には耳を貸さず、万智は動作確認するように、右手の開閉と、手のひら返しを繰り返す。

「どしたの?」

「ちゃんと動く……」

「そりゃねぇ」

 一通り動かして満足したのか、万智はおもむろに籠の横に置いてあるフルーツナイフに手を伸ばす。

「万智?」

 そしてそのまま、右腕にナイフを突き立てた。

「!?」

 ナイフの冷たい感触と鈍い痛みが万智を襲い、傷口から血が滴る。

「本当に……私の腕だ……」

 付いている腕は、どうやら義手ではないようだ。痛みもするし、血も滴る。正真正銘、自分自身の健康的な腕だった。

「万智」

「へ?」

 優しい呼び声に顔を上げると、夏帆がナイフを持っている手を優しく握り、真剣な顔で万智を見つめていた。

「万智、大丈夫? 私がわかる?」

「え? 遠山さんでしょう?」

「そう、私は遠山夏帆、貴方の敵じゃないわ。ここは戦場じゃない。大丈夫だから。そのナイフを私に貸してくれる?」

「え、あの……はい、どうぞ」

 夏帆の言っている事はよく分からないが、万智は取り敢えずナイフを渡した。

「ありがとう」

 夏帆は一言礼を言い、ナイフを万智の手の届かない所に置くと、テキパキと包帯や消毒液を用意し、丁寧に応急処置を施し始めた。

「少し沁みるけど、我慢してね。取り敢えず、処置が終わったら、一緒に深呼吸をしましょう。まずは三秒深く息を吸って……」

「いや、あの。処置には感謝しますけど……。急にどうしたんですか?」

 急に態度が豹変した夏帆に、万智が訳がわからないといった表情をする。

「えーと……」

 それを見た夏帆は、何か違うと察したのか、深く考え込んだ後、恐る恐る万智に質問した。

「……貴方、自分が何をしたのか理解してる?」

「何ってその、自分の腕にナイフを……あっ」

 万智はここでようやく夏帆の行動の意味を察したのか、その表情がみるみる青ざめていく。

「ち、違っ!? これはその……そういう行為じゃなくてですね!! ちょっと確かめようとしたというか……ああ、違うんです!! その確かめるって言っても遠山さんの思っているような事をじゃなくてですねっ!! こう、思わず衝動的に腕を……うわぁあ!? これはもっと違う! えと、その! だから……」

 そして慌てて弁明をし始めた。

 だが、誤解を解こうと必死過ぎて、更に訳の分からない事になってしまっている。

「……どうやら本当に違うようね」

 だが様子を見て確信が持てたのか、夏帆はホッとしたように溜息をつく。

「お願いだからこれ以上心労をかけさせないでよ。唯でさえ手の施しようがない患者の相手をしていたんだから」

「すみません、軽率でした。まさか遠山さんがここまで気に掛けるとは思わず……」

 呑気に頭を掻きながら、万智が夏帆に謝罪をする。

「戦地帰りの兵士に目の前で自傷行為なんてされて、平然としている医者がどこにいるかっ!!」

 だがそんないまいち当事者意識の薄い万智を、夏帆が怒鳴りつけた。

「錯乱してナイフ持って暴れだしやしないかと思ったら、生きた心地がしなかったわよ!! こっちは最悪、貴方の手足を撃ちぬく事も考えていたのよ!? もちっと反省なさい!!」

「ごめんなさい! 本っっっ当にごめんなさい」

 本気で怒鳴る夏帆に、ようやく事の重大さを理解した万智が深々と頭を下げる。

「――ったく。それで? なんであんな馬鹿な真似をしたのよ?」

 呆れたように頭を抑えながら、夏帆が先程の奇行について、万智に説明を求めた。

「あーそうですね。信じて貰えないとは思うんですけど……」

 別に隠す事ではないので、万智はあの日の出来事を覚えている限り、夏帆に説明する事にした。

 右腕が焼け落ちた事、喉を焼かれた事、一歩も動けない程ボロボロにされたこと、とても鳥海貴斗を退けられたとは思えないなど、洗いざらい全て夏帆に報告した。


「――ふぅん、なるほどね。焼け落ちた筈の腕が」

 一通りの説明を聞いた夏帆は、まじまじと夏帆の右腕を確認する。

「そりゃま、確かに混乱もするか。随分と漢らしい確認方法を取ったと言わざるを得ないけど」

「言わないでください。反省してますから。それで、遠山さんはこの現象についてどう思います?」

「生えたんでしょうね、ニュルッと。きっと貴方の先祖にヒトデとかプラナリアとかが居たのよ」

「それが医者の言葉ですか」

 医者としてそれは出ないと思っていた結論をあっさりと出した夏帆に、万智は思わず肩の力が抜けた。

「そう言われてもねぇ。三度熱傷を全身広範囲。炭化による右腕喪失。肩を刃物で貫通。内蔵破裂。出血多量。はい、死亡確認、異議なし、解散。以上、医学的な結論でした。これで満足?」

「いやまぁ確かにそうなんですけど……」

「医学的には今の貴方の状態はあり得ない。となると、答えは貴方の体内の国家機密にしかないでしょうね」

「でもこんな機能、私は知りません」

「貴方が知らないだけであるんじゃない? 自分の身体の事でも分からない事があるから、医者がいるわけだし」

 夏帆は投げやり気味に答えた。

「色々不服ではあるけれど、私はそこに踏み込めない約束になっているし管轄外よ。その辺の報告は私じゃなくて連隊長になさいな。何か知っているんじゃない? ま、当初の目的だった貴方の状態についての確認は出来たわけだし、仕事の話はこれにて終了。異常が見つからなかったとは言え、今日は仕事の事は忘れて患者らしく休んでいなさい。上には私から伝えておくわ。はい、コーヒー」

いつの間に入れていたのか夏帆はコーヒーを手渡すと、デスクの電話を取った。

「あ、もしもし? いつもお世話になっております。遠山です。はい、そうです。まさにその件について何ですが、先程洲崎特曹が……。はい、問題ありません」

 電話で誰かに連絡を入れながら、夏帆は籠に盛られたリンゴを一つ手に取ると、受話器を肩で持ちナイフで皮を剥いて皿に盛りつけた。

「ありがとうございます」

 夏帆は小声で礼を言う。

「ではそのように。はい、失礼致します」

 スムーズに話が進んだのか、夏帆は意外に早く電話を切って万智に向き直る。

「ふぅ。というわけで、これで心置き無く休めるわ。養生なさい」

「お手数をお掛けしました。私自身これはブラックボックスですし、遠山さんの言うとおり、今日は様子見をさせて貰います」

「よろしい。物分かりのいい患者は助かるわ。しっかしまぁ、なんというか……」

「なんです」

 ジロジロと品定めをするような夏帆の視線に、万智は首を傾げる。

「いやね。見れば見るほど、こんな別嬪さんが蝶よ花よと愛でられることもなく、香水の変わりに硝煙の匂いを振り撒いて、血みどろになりながら軍服着込んでドンパチしてるかと思うと、つくづく世は無常だと思ってね」

「遠山さんが言いますか。その台詞を」

 黙っていれば非の打ち所の無い美人女医を見ながら万智は反論する。

「あら、私はこれでも十分、人生を謳歌してるわよ? 貴方もさっき言ってたでしょうに。結果はさておき、いろいろ経験はしてるわよ」

「ぐっ」

 確かにその手の事に関しては、夏帆のほうが一枚も二枚も上手であるのは間違いない。

「しかし全く、こんな良い娘がいるのに誰も手を出さないなんてね。うちの男衆は何をやっているのかしらね」

「硬派な方が多いのでしょう。いい事じゃないですか」

「軟派ではないかも知れないけど、別に硬派なわけではないんだよねぇ、これが。何せここじゃあ、女性ってだけで希少価値だし。知らぬは本人ばかりなり、か」

「?」

 呆れた様子の夏帆に、万智は訳が分からないとますます首を傾げた。

「まぁ流石に、あの鬼の連隊長殿の愛娘相手に面と向かって手を出す度胸がある奴は、うちにはいないということね。人間、誰しも命は惜しいし」

「連隊長にはお世話になっていますが、娘じゃありません。養子縁組はしてないですし。部屋をお借りしているだけの居候です。というか何ですか、鬼の連隊長って」

「鬼の連隊長」という言葉に、万智はムッとした表情をして眉をひそめる。

「そのまんまの意味よ。うちの連隊長、厳しいことで有名なのよ? 『行く事なかれ 特務連隊 地獄の特佐 鬼より怖い』ってね。腹すかせた狼の群れの中で羊が無防備に散歩できちゃうぐらいだしね。これはよっぼど……」

「何ですかそれはっ!!」

 途端、弾かれたように万智が勢い良く立ち上がり、夏帆の両肩を掴んだ。

「い、いや確かに連隊長は、厳しい所が多いですけど!! それはあくまで部隊を思っての事でしてねっ!! 実際私達の隊は練度が高いことで評判ですし!! そ、それに見た目とか言動で誤解されがちですけど、連隊長は厳しい以上に本当はとても優しい人なんですよっ!? 本当です!」

 そして夏帆の両肩を上下に揺すりながら、慌ててその評判を否定しだした。

「おち、落ち着いて!! わかってる、わかってるから!! 皆ちゃんと分かってるから!! あ、ちょ……万智! 痛い! 肩! 肩外れちゃう!」

 凄まじい剣幕で弁解する万智を、夏帆は必死に宥める。

 このまま放っておけば部屋から飛び出して、誤解を解く為に演説でも始めてしまいそうな勢いだ。

「ウチの部隊で本気であの人を嫌ってる人なんて居ないから!! 本当よ!」

「そ、そうですか……」

 その言葉にようやく万智は胸を撫で下ろし、ベッドに座り直した。

「はぁまったく……。これじゃ迂闊に連隊長の話題は出来ないわね」

 夏帆が小声で呟きながら、服装を整える。

「……でさ、話を戻すけども。流石にその歳で仕事を恋人にするのは、いくらなんでも早すぎるわ。『命短し恋せよ乙女』よ。その手のことに疎い貴方でも、好みのタイプぐらいはあるでしょうに」

「好みのタイプ……ですか……」

 入れられたコーヒーに口を付けながら、夏帆の言葉に万智は少し考え込む。

「ファザコン」

「ゴハッ!!」

 ボソっと呟いた夏帆の言葉に反応して、万智は飲んだばかりのコーヒーを豪快に吹き出した。

「ゲホッゲホッ!! ケホッ!! な、なななな……」

 そしてアワアワと慌て出す。

(やっべぇ。なにこの娘、超面白い)

「いきなりなんてことを言いやがりますか!!」

 そして涙目になりながら、夏帆に抗議した。

「え? 独り言だけど?」

「そんな独り言があるかっ!! この色呆け医官!!」

(判りやすいな、おい)

 万智は頭から湯気が出んばかりの勢いで捲し立てる。

「確かに昨今珍しい位、実直で真面目なナイスミドルだとおもうけどさ。いくら何でも貴方と同年代にあのレベルを求めるのは酷じゃない? ――はっ! まさか狙いは本人か!?」

「何の話かっ!? と・に・か・く!! 私はファザコンじゃないっ!! 連隊長は父親じゃない!!」

 肩で息をしながら、万智はファザコンを否定する。

「じゃあ尚の事問題ないわね、ドーンっといっちゃいなさいな。他人同士ならナニしても合法よ、合法」

「~~~っ!?」

 反論すべき言葉すら見つからないのか、万智は酸欠の金魚のように、口をパクパクさせ真っ赤になる。

(うーむ。こりゃあ暫くは男衆に勝ち目はなさそうだねぇ。がんばれ男諸君。君たちの超えなきゃいけない壁は相当に高いぞ)

 夏帆は心の中で、勝ち目の薄い同僚達にエールを送る。

「……ゴホン」

 夏帆のからかいの隙を突いて、万智は軽く咳払いをして自身を落ち着かせた。

「そもそも私は特務連隊の軍人。責任感を持って専心職務の遂行にあたり、危険を顧みず職務を完遂し、国民の負託に応える。それを誓った身です。若輩の私にはまだまだやらねばならない事がたくさんあります。唯でさえ分不相応な階級に就いているんですから、尚の事です。とてもじゃないですが、色恋沙汰にうつつを抜かしている余裕なんてありません。自分の身一つで手一杯です。連隊長にもこれ以上、迷惑は掛けたくないですし」

 万智は夏帆の忠告をバッサリと切り捨てた。

「それはそこまで貴方の人生を縛るものでは無いと思うけど。はぁ……全く、どうしてこんな娘になっちゃったのか。まぁあの人が親だししょうがない所もあるけどさ。年頃の娘なんだし、もう少しこうお洒落とか趣味とかに……ねぇ?」

「――それについては返す言葉もない。育てる身として、年頃の女性に対する理解が足りていなかったのは間違いない。せめて君のような女性にアドバイスを貰うべきだった。不自由をさせてしまったと反省しているよ」

「え?」

 返答を期待していない問に対して返答が返って来たため、夏帆は思わず面食らう。

「失礼、扉が開いていたのでノックせずに入室させてもらった。今、大丈夫かね?」

「れ、連隊長殿!?」

 声の方向には軍服を着た一人の男性が、手に資料を抱えて立っていた。

 男性は特設自衛軍第一師団第一特務連隊連隊長、粕谷浩一郎一等特佐。

 地天海事件を専門に取り扱う特務連隊、その作戦行動全てに責任を負う、最高責任者である。

 歳は五十歳前後、年齢を感じさせないガタイの良さと、鋭い眼光、年齢相応の落ち着いた雰囲気を漂わせた、如何にも歴戦の軍人といった出で立ちをしている男だ。

「も、申し訳ありません! 出すぎた発言を……」

 夏帆は弾かれたように立ち上がり敬礼をすると、頭を下げて先程の発言を詫びる。

「いや、夏帆君の言っている事は実際正しい、気にしていない。いや私は気にしないといけない身か」

 浩一郎は無表情で答え、答礼をする。

「いえ、こちらこそ大変失礼致しました。それで、連隊長殿。ここへはどのようなご用件で?」

 夏帆は念のため再度謝罪をし、要件を聞く。

「用件という程堅苦しいことではない。特曹の意識が戻ったと聞いたので、純粋にお見舞いと今回の事件に対する報告を。洲崎特曹も色々私に聞きたい事があるのでは無いかと思ってな」

 そう言ってベッドに腰掛ける万智に目を向ける。

「務めご苦労、洲崎特曹。身体の具合は大丈夫かね?」

「お気遣いありがとうございます。問題ありません、連隊長。ご心配をお掛けしました」

「ああ、座ったままで構わない、楽にしていてくれ。取り敢えず君が気になっているであろう、今回の事件についての報告だ」

 立ち上がって敬礼をしようとする万智を浩一郎は優しく制した。万智は大人しく指示に従いベッドに座り直して、真剣な表情で浩一郎の報告に耳を傾ける。

 そんな二人に気を使ったのか、いつの間にか夏帆が病室から人知れず退席していた。

「まず被害についてだが。特に被害が大きかった大宮、さいたま新都心、与野で建物全半壊合わせて約三千棟。人的被害について、現在分かっている範囲では死者二百二十四人、行方不明者三十二人、重軽傷者合わせて三千四百人だ。被害総額は概算だが一兆円以上は確実だろう」

「二百二十四人……。そんなに……」

 万智は唇を噛み締めて悔しさに震える。

「気持ちはわかるが、君が悔しがることではない。数の問題ではないが、この規模の被害で死者が五桁に乗らなかったのは十二分に奇跡だ。地天海事件でここまで死者数が少なかったのは初めてで、各国も驚いている。おかげで問い合わせの電話で回線がパンク状態だ。しばらくは対応から手が離せない」 

 浩一郎は万智を励ますように淡々と説明する。

「次に君が保護した男についてだ。残念ながら、彼は直接の関係者ではなかった」

「直接?」

「ああ、彼の名前は野村葉月。KBCグループとは何の関係も無い、中小建築会社の社長だ。だが地天海という組織の目的に賛同し、鳥海貴斗を介して組織に協力していたらしい。世界を変える選ばれた同士という名目でな。絶対守秘義務と引き換えの、多額の援助も受けていたそうだ」

「何故そんな胡散臭い話にあっさりと……」

 万智は信じられないという顔をする。

「経営不振に付け込まれたそうだ。そして何より、その胡散臭い話を信じ込ませるだけの力を彼らが持っていた、ということだろう。今回の死者のほとんどはこの会社の従業員だ。恐らく機密保持の為の粛清だろう。一部を除いて、何も知らないまま使い捨ての駒として彼らに協力していたらしい」

「そして社長だけが生き残った……。やるせないですね」

「そうだな。自業自得と言うには、彼は余りにも多くの者を巻き込んだ。罪は決して軽いものではないだろう。だが、彼なりの贖罪のつもりか、我々にはとても協力的で助かった。おかげで一つ新しい事が分かった」

「新しい事ですか?」

「ああ『伊舞理緒』これが地天海の指導者の名前だ」

「!」

 急に出てきた大物に、万智が身を乗り出す。

「指導者は日本人という事ですか?」

「それは分からない。日本人かも知れないし、日系人かも知れない。あるいは全く違う人種の可能性すらあり得る」

「伊舞理緒……」

 万智はその名前を噛みしめるように呟く。

「挨拶や指示等は全て鳥海貴斗を介して行われていたようで、性別すらも分からないそうだ。唯の偽名である可能性の方が高いだろう。新しい事実とは言ったが、結局、彼の証言は何の参考にもならなかった」

 だが万智は何故か、その名前が彼女の本名である確信があった。

 名前を聞いたことも、本人に会った事も無いはずだが、何故か奇妙な既知感を感じたのだ。

「基本的な報告は以上だ。特曹は何か報告はあるか?」

 浩一郎は万智に尋ねる。

「二点あります。まず一つですが彼は『鳥海貴斗』という名前は偽名だと言っていました。彼は自分の事を地天海三闘衆の一人『カイト』だと私に」

「三闘衆? それはまた随分と子供っぽいな」

 浩一郎が呆れながら呟く。当然だ、もしそれが部隊の名前であるならば、余りにも直球過ぎるネーミングセンスだろう。

「しかし、連隊長――」

「ああ。もしその名前がブラフで無いのなら、カイトと同規模の戦力を持った人間が、最低でも後二人は居るということになるだろう。できればそんな事は考えたはないがな。だが中東・アフリカ方面で起きた事件の事を考えると、どうやらそうはいかないらしい」

「中東?」

 苦々しい顔をする浩一郎に万智は首を傾げる。

「ああ、そうか。君は今目覚めたんだったな」

 浩一郎は手に抱えた資料をめくり、万智に見せた。

「君が意識を失っていた三日間の間に、中東、アフリカの方面で大規模な地震と火山活動が発生した。かなりの被害が出て、未だに死者行方不明者数の集計すら出来ていない。被害にあった国は自力での復興が不可能なほど政府機関が完全に壊滅し、事実上の廃国と化した」

 万智は嫌な予感を感じたのか表情を曇らせる。

「だが、自然災害にしてはいくつか奇妙な点が見つかっている。プレートの歪みも活断層も火山活動の痕跡も、その前兆すらも見つからない。そもそもそんなものとは全く無縁の、地震などまず起きようもない地域さえあった。おかげで一部の専門家からは、これは人工的に起こされた災害である、なんて眉唾ものの仮説が出ていたほどだ。……だが、どうやら眉唾とは言い切れなくなった」

「人工災害……」

 万智はカイトとの戦闘を思い出す。彼はおおよそ、人間では扱いきれないレベルの膨大なエネルギーを自在に操っていた。

 仮にあのエネルギーをそのまま災害に転用したならば、国家規模の天災の一つや二つは容易く引き起こせるだろう。

「まだまだ検証の余地はあるが、警戒しておくにこしたことはない。それで、もう一つの報告というのは?」

 押し黙る万智に気を使ったのか、浩一郎の方から残りの報告を促す。

「はい、もう一点ですが、彼は私を見て『その力はあの男の技術だ』と言っていました」

「……あの男?」

「あの男」その言葉を聞いた浩一郎の目付きが鋭くなった。

「はい、恐らくは庵克二のことでは無いかと思います」

「……」 

 浩一郎が「やっぱりか」という顔をする。

 どうやら何か思い当たる節があるらしく、浩一郎は複雑そうな顔をする。

「なるほど、分かった。それらはこちらで調べておく。貴重な情報提供感謝する。君は今日はもう休んでくれて……」

「あ、あの! 連隊長!」

 話を終えて退出しようとする浩一郎を、万智が引き止めた。

「なんだね?」 

「その……庵克二とは、一体どういう人間だったのですか?」

 そして恐る恐る質問をした。

「以前話した通りだ。地天海に拉致され、辛くも逃げてきたところを、日本政府が保護した科学者にして、数々の技術をこの国にもたらした偉大な研究者。そして、君の父親に当たる男だ」 

 浩一郎が資料を読んでいるかのような淡々とした口調で、簡潔に克二について説明した。

「いえ、そうではなく。その……性格や人間性がどんな感じだったのか。連隊長の主観で構わないので教えて頂けないでしょうか?」

「何故そんな事を知りたい?」

「その、単純な興味と言いますか。気になる……と言いますか……」

 真顔で聞き返してきた浩一郎に、万智は言葉が詰まった。

(あれ……? なんでだろう?)

 後から冷静になって考えた結果、どうしてそんなことを聞いたのかわからなくなった。

 一応、彼は万智にとって父親ではある。だが万智は今更そんな事はどうでも良いと思っていたし、これといって興味があるわけでもなかった。

 だが、何故かその名前を聞いた時、奇妙な胸騒ぎを感じたのだ。

「いえ、申し訳ありません、連隊長。今回の任務には全く関係のない私情でした。今言ったことは、ご放念を……」

 万智はそれをただの気の迷いと考え、克二についての質問を取り消した。

「――私も彼とそこまで交流があったわけではないが」

「え?」

 だが、そんな万智の言葉を遮って浩一郎は質問に答えた。

「印象としては善人とも悪人とも言い難い奇妙な男だった」

「……マッドサイエンティストだったということでしょうか?」

 万智は恐る恐る浩一郎の言葉に相槌を打つ。自分でも不思議と思うくらい、万智は浩一郎の話に聞き入り始めていた。

「そうと言えばそうだ。だが彼の研究者としての在り方や、研究に対しての姿勢は間違いなく、科学者どころか人として素直に尊敬できるものだった。模範的でまさに科学者の鏡と言っていい。ただ……」

「ただ?」

「物事の良し悪しや善悪、優先度に対する価値基準がどこかずれていた。常識や良識を持ちあわせていながらも敢えてそれらに囚われない。むしろ真っ向から踏み躙る事も良しとする、自己矛盾の塊だ。主張に整合性がまるでない。ともかく好奇心が旺盛な、子供がそのまま大人になったような男だったよ」

 浩一郎がゆっくりと思い出すように、克二という人間について語った。

「多分に私の主観交じりだが『庵克二』とはこういう人間だった」

 万智は浩一郎の言葉を咀嚼する。

 善人とも悪人とも言い難い、価値基準のズレた男、自分はその人物に覚えがある。

 どこで会ったのかは分からないが、確実に何処かで会っている……ような気がする。

「あの、あり得ないとは思うのですが……あ?」

 突然、万智は何かを感じとったのか言いかけた言葉を飲み込んで、顔を上げる。

「どうした?」

「いえ、何か胸騒ぎがし……っ!?」

 直後、基地内に警報が鳴り響いた。

「警報!?」

 部屋の外で待機していた夏帆が、慌てて入室してきた。そして素早く万智を背中で庇うと、周囲を警戒する。

「基地が攻撃を受けている訳ではないが、どうやら急を要する事態のようだ。夏帆君、特曹の事は任せる。私は状況確認に……」

 そう言い切るより早く、二人の自衛官が駆け足で入室してきた。

「粕谷連隊長! 報告です!」

 二人は浩一郎の前に立つと敬礼をする。

「何があった?」

「ハッ! 神奈川県川崎市にて、大規模な水害が発生しました!」

「!?」 

 万智と浩一郎の顔色が変わる。

「川崎駅周辺五キロ圏内が完全に水没し、被害範囲はなおも拡大中! 水害発生の原因は不明で、現在調査中。現地の消防と警察では対応しきれず応援を求めています。現在横浜、目黒、三宿の各駐屯地と厚木、横田基地が緊急で対応に当っております」

 その報告を聞いた浩一郎が首を傾げた。

「発生原因が不明? あの立地でその規模の水害ならば鶴見川か多摩川が関わっているのではないのか?」

「いいえ。鶴見川、多摩川共に水位は例年とほぼ同じで異変は見られません。川崎市の現在の気象はこちらと同じで快晴。局所的な大雨も上流での大雨も観測されておりません。勿論、ダム決壊等の人為的な事故の報告も届いていません」

「水道管かタンクの破裂や破損は?」

「たとえ水道管が破裂したとしても、この規模の水害を引き起こすのはまずあり得ないとの事です。しかし一つ気になる報告が」

「気になる報告?」

 浩一郎は嫌な予感を感じたのか顔色を曇らせる。

「はい。川崎駅構内に居た乗客の数人が『男の足元から突然大量の水が吹き出した』と証言しているとの事です」

「なんだと!?」

「!」

 その報告を聞いた万智が弾かれたように立ち上がる。

「連隊長! 私に出撃の許可を!」

 万智のその具申に、浩一郎は夏帆へ目配せをする。

 目配せを受け取った夏帆は、一瞬複雑そうな顔をする。だが、すぐに諦めたかのか、溜息をつきながら力なく首を横に振った。

「……分かった。洲崎特曹の出撃を許可する。飛行隊に連絡。一機を即出撃可能な状態にして待機させておいてくれ」

 夏帆からの許可が降りた浩一郎が、すぐに自衛官の一人に指示をだした。指示を受けた自衛官は「了解」と敬礼をし、駆け足で退出した。

「現在対応に当たっている各基地と駐屯地に連絡を。今回の水害は地天海の破壊活動の可能性あり。目撃報告にあった男がいた場合、刺激しないよう交戦はできるだけ避け、住人の避難と付近の封鎖を優先するように。こちらから専門の者を派遣しすぐに対応に当たらせる、と」

「了解」ともう一人の自衛官も駆け足で医務室から退出し、万智もそれを追うように退出しようとする。

「洲崎特曹。少し待って」

 だが、背後から夏帆に呼び止められた。

「何でしょうか? 特尉」

「貴方にこれを預けるわ」

 万智が振り向くと夏帆が眼鏡を外し、自分に差し出していた。

「は? いや、私は……」

 夏帆の行為の意味がわからず、万智が困惑する。

「いい? これは預けただけよ。預けたのだから、必ず貴方が私に返しに来るように。高かったのよ、これ?」

「……あ」

 万智は、夏帆がおちゃらけていながらも自分を真っすぐに見つめている事に気が付いた。表情にこそ出していないが、万智を見据える二つの瞳はとても心配そうな光を宿している。

「わかった?」

「……はい、了解しました。必ずお返しします。それでは」

 夏帆の真意を理解した万智は、眼鏡を受け取ると夏帆に敬礼をし、そのまま風のように医務室から退出した。


 三人が退出し、それまでの慌ただしさが嘘のように医務室が静寂に包まれた。

「――いくら異常がなかったとはいえ、君が今さっき目覚めたばかりの患者の出撃を許すとは思わなかった。てっきり叱責されるものと思っていた」

 浩一郎が独り言のように夏帆に向かって呟く。

「……確かに普通なら絶対に許可なんて出しませんよ」

 その独り言に対応するように、夏帆も浩一郎を見ないまま静かに答える。

「でもこの一分一秒を争う非常時に、ゴタゴタと私情を挟むほど、私はわからず屋ではないです。不服ではありますが、彼女がこの部隊にとってどういう存在であるかも理解しています。それに、どうせ止めたところで、あの娘は脱走してでも出撃するでしょうし。今回は大目に見ました」

 そう言って夏帆は溜息をつきながら項垂れる。

「何時も苦労をかけさせて、すまない」

「別に連隊長殿のせいではありません。攻めてきた敵が悪いんです。それに公私混同をしないのはむしろ褒められて然るべき事です。ただ……」

 夏帆が、震える拳で壁を殴りつけた。

 ゴスッという鈍い音と共に壁に軽く凹み、うっすらと血の跡が出来る。どうやら拳の皮が剥けたようだ。

「申し訳ありません、連隊長殿……」

 だが夏帆はそんな事など気にならないほど、怒りに震え、唇を噛み切らんばかりに悔しがっていた。

 浩一郎はそんな有様の夏帆に何も言わず、ただ静かに見守る。

「私が医者としてのプライドを抑えられている今の内に、業務に戻られる事をお勧めします。でないと、大っ変見苦しい、八つ当たりを貴方にお見せすることになりかねませんので……」

 夏帆は無理やり作ったぎこちない笑顔を浩一郎に向ける。

「……分かった、そうさせてもらう。拳の手当はちゃんとするように」

 浩一郎はそれ以上何も言わずに、一礼をすると医務室から黙って退出する。


 夏帆は浩一郎が退出するのを見届けると、再び深い溜息をつき、額を抑えて力なく机に突っ伏した。

「どうして貴方なのよ、万智……」

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