二〇ニ五年八月八日(木) 十八時三十二分四十四秒 陸上自衛軍大宮駐屯地 研究室
「――ふむ。やはりこれでは駄目か」
薄暗い研究室で白衣に身を包んだ、眼鏡の男がパソコンと格闘している。
男の名前は庵克二。日本政府に保護された、かつて庵燃料電池という会社を経営していた社長兼研究者である。
彼は一年ほど前の春先に、近い内に世界を手中に収めんと暗躍を始める予定の、あるテロ組織の情報を持って、突然日本政府に保護を求めてきた。
本人が語る所によると、彼はその組織に拉致され研究者として働かされそうになった所を、隙を突いて逃げ出して来たのだという。
だが逃げたはいいが、その組織の余りの強大さ故、国家規模の組織でなくば自分を保護しきれないと考え、日本政府に保護を求めてきた。
当初、その荒唐無稽な情報に対して、誰一人としてまともに取り合おうとしなかったが、克二が証拠の代わりにと提供したある技術の凄まじさに、政府は戦慄し、その組織の存在を認めざるを得なくなった。
政府は極秘裏に緊急対策会議を開き、庵克二を自分達に協力する事を条件に、保護することにした。
そして今、彼は特別に基地内に研究室を与えられ、陸上自衛軍の客員技術開発官として従軍するに至る。
「だが、良いデータがとれた。これならば……。さて次はもう少し出力を上げてみよう……ん? 誰だい?」
扉をノックする音が聞こえ、克二はキーボードを叩く手を止めて対応する。
「私だ、今大丈夫か?」
「ああ、君か。構わないよ。ちょっと待ってくれ、すぐロックを解除するから」
克二はそう行って内側からロックを解除し扉を開ける。
扉の向こうには三十代前後と思わる如何にも軍人といった出で立ちの、真面目そうな男が直立不動で敬礼をしていた。
「立ち話も何だし、入ってくれ。これといって出せるものがあるわけでは無いが、インスタントコーヒーぐらいはご馳走出来る」
男は一礼をし、克二の研究室に入室した。
「彼女の様子はどうだ?」
研究室に入るなりを男は克二に話しかける。
「ああ、順調だよ。あとは最終調整を残すだけだ。あと二ヶ月もすれば平均的な0歳児として、人工子宮から出産できるだろう」
「そうか」
克二は男の質問に片手間で答えながら適当に椅子と机を用意し、インスタントのコーヒーを入れ、席に座るように案内する。
「失礼」
男はそう言って着席し、克二もそれにつられるように着席した。
「結局、女性になったのだな」
男が何処か不服そうな声で話しかける。
「ああ、せっかくだし花がある方がいいと思ってね。だが、安心して欲しい。普通の人間と違い、女性だからといって男性との体力差は無い。いや、それどころか、彼女は常人を遥かに超える身体能力を持って生まれてくる」
「……そうか」
「ああ、そうだ。それともう『彼女』と呼ぶのはやめにしよう。実はもう名前は付けているんだ」
「名前?」
「ああ、流石に実験体五号じゃ可哀想だしね。『マチ』と名付けた」
「マチ?」
「ああ、万の叡智と書いて『万智』だ。私の知識の粋を集めた彼女にはぴったりの名前だろう? ……どうしたね?」
男が何故か意外そうな顔をしているので、克二は首を傾げる。
「いや、意外に普通な名前だと思っただけだ。失礼を承知で言えば君のこと、もっと奇抜な名前にするかと思っていた」
「ふふ、言ってくれるね。まぁ否定はしないよ。でも僕も色々思う所があってね。苗字の方についてはまだ考え中さ」
「苗字? それは『庵』では駄目なのか?」
今度は男の方が首を傾げる。
「僕は父親ができるような性分では無いからね。間違ってもそんな苗字は付けられないさ。なぁに、おいおい格好良い苗字を見繕うさ」
克二はコーヒーを口に付けながら、質問に答えた。
「まぁそれはさておき、何の用事だい粕谷一尉。まさかクローンの確認に来ただけではないだろう? それとも仕事終わりに世間話をしに来てくれたのかな? ああ、勿論僕はそれも大歓迎だよ」
克二はコーヒーを啜りながら、冗談交じりに会話を交わす。
粕谷一尉と呼ばれた男はその冗談には反応を示さず、無言で脇に抱えた資料二組を机に出し、一部を取って克二に手渡した。
「ほほう。これは……」
「新部隊設立に関する意見書」その資料にはそう記されている。
「以前話していた通り、近々大隊規模程度の新しい部隊が設立される。現状は陸上自衛軍隷下の独立大隊といったところだが、最終的には陸海空のどこにも属さない、独立した特殊部隊として連隊、あるいはそれ以上の規模にまで拡大される予定だ。念のため、君にも報告しに来た」
「ありがとう、助かるよ。ふむふむ、成程。部隊というよりは新しい種別の自衛軍と言った感じだね」
「その理解で問題ない。実際、限度はあるが、ある程度独自の規律を持つことも許されている」
「僕の予想じゃもう少し設立に時間がかかると思っていたんだけど、いやはや」
克二は感心したように資料に目を通していく。
「ふむふむ。教育機関、医療施設、訓練場……。すごいな、まるで一つの街のようだ。一生ここで生活できるじゃないか」
「事態が事態だからな。上も相当な危機感を抱いているということだろう」
「ふふ、しかしまぁ彼女を教育する檻にしては些か豪勢すぎやしないかい? まぁ取り扱いの難しい戦略兵器と考えれば確かにこのくらいの規模の部隊は……おっとすまない。言い方が悪かったね」
浩一郎の顔色を伺うように克二は謝罪する。
「別に構わんよ。クローン人間の作製を黙認している時点で、私が君に何かを言う資格は無い。どの様に取り繕ったところでその通り。この部隊は彼女を効率よく運用するためだけに編成される軍集団だ。対応が早かったのも、君の協力に寄るところが大きい」
浩一郎は自嘲気味に克二の発言を肯定する。
「そしてその長が君というわけか。出世おめでとう。粕谷浩一郎一等陸尉……いや、三等特佐殿とお呼びするべきかな?」
克二は恭しく頭を下げる。
「前者で結構。まだ引き受けると決めた訳ではない。そもそも私のような若輩には些か以上に大役過ぎると、先程進言してきたばかりだ」
「それはどうかな?」
キッパリと出世の話を切り捨てる浩一郎に、克二は苦笑しながら否定の言葉を発する。
「僕からすれば君ほどの男が未だこんな地位で燻っている事のほうが不思議に思えけどね。正直、その部隊の長であってもまだまだ役不足だと思っているほどさ」
「買いかぶり過ぎだ。それに役不足というのなら、むしろ君にこそ相応しい言葉だろう。私が言うのもなんだが、ここはそこまで充実した研究設備も予算もあるとも言い難い。君ほどの頭を持っているのなら研究所など引く手数多だったろうに。なのに何故こんな急ごしらえの、碌に研究員すらいない、みずぼらしい所を選んだんだ?」
浩一郎は招かれた研究室の設備を一瞥し、正直な感想と疑問を述べた。
「みずぼらしいか、成程。どうやら君にはここがそのように見えるのか」
克二は笑いながら問いに答える。
「違うというのか?」
別段間違った事は言っていないと思っていた浩一郎が首を傾げた。
「いや、間違いではないさ。ただ『設備も予算も潤沢である』と『良い研究室である』という命題は必ずしも成り立つわけではないということさ」
「どういうことだ?」
「無いものは自分で作れば良いし、機械に足りないものは人間が補えば良い。無ければ無いなりに工夫するのさ。そしてこの創意工夫、試行錯誤は必ず研究の糧になる。これは君の言う『僕に相応しい、設備も予算も潤沢な良い研究室』では得られないものだよ」
「そのような研究室を否定するわけじゃないがね」と付け足し、克二は楽しそうに自らの持論を語る。
「今日、工業的に重要な水溶液である硫酸、硝酸、王水が発見されたのは八世紀頃だと言われている。化学式さえまともに存在しなかった時代にあってこの成果、狂気の沙汰だ。敬意を通り越して畏怖さえ覚える。そんな偉大な先人を知れば、むしろ今の僕は贅沢に過ぎる。僕が良い研究室に行くのではなく、僕の居るところが良い研究室になる。そういう科学者を僕は目指しているんだ」
「その割には、ここに来てからの君は、余り良い成果をだせていないようだが」
雄弁に語る克二に対して、浩一郎は研究室に転がる無数の失敗作であろうガラクタを指さしながら、申し訳無さそうに突っ込みを入れる。
「これは手厳しい」
だが、そんな浩一郎の突っ込みに、克二は苦笑する。
「まぁ常識で考えればそうか。ここに来てからというもの、僕は判りやすい結果を残していない。確かにその通りだ」
「だが、自分にとってはそうでないと?」
今度は先回りして答えた粕谷に、克二は満足そうに無言で頷く。
「そうだね。屁理屈を承知で言わせてもらえば、あれらはね『この方法では目標とした結果にはならない』という貴重な結果を六万五千五百三十六回得た果ての偉大な成果なんだ」
克二が誇らしげにガラクタの山を指差す。
「……君はそれほどまでに試行錯誤を重ねたのか?」
想像以上に大きな数字が出てきて、浩一郎が面食らう。
「大した回数ではないよ。この程度、失敗に失敗を重ねてきた先人達の成果からすれば無視できる誤差だ。これも僕の持論だけど、研究とは望んだ結果に至る為の道を探すことでは無い、と思っているんだ」
「成功を求めるものではないと?」
「少し違う。幾千幾万幾億とある、自身が望まぬ成果に行き着く道を一つ一つ潰していくことだと思っているのさ。その果てに残った一つが成功に続く道というわけだ」
「ハズレクジを一つ一つ潰して、当たりクジだけにするということか」
「その通り! 実に分かり易い喩え話だ」
克二が嬉しそうに笑顔になった。
「……そうか」
浩一郎が、そんな克二から目を逸らすようにインスタントコーヒーに口を付ける。どこかこの男の底知れない研究心に、恐怖心を抱き始めている自分に気がついたのだ。
この男の価値観はかなりズレている。この男にとって世界とは二つしかないのだ。
目標とした結果とそれ以外の結果の二つ。そこに良し悪しは存在しない。あるいは全ての結果が、良い結果なのかもしれない。
「天才の考え、という奴か」
「天才? 僕がかい?」
天才と褒められた克二が、何故か複雑な表情をして苦笑する。
「ふふ、その評価は嬉しいけどね。僕は生まれてきてからこの方、一度足りとも自分の事を天才だなんて思った事はないよ」
「そう謙遜することも無いだろう。君を知る者であれば、誰もが認める事実だ」
「別に謙遜ではないさ。そうだな……しいて言えば、僕は人より少しばかり、物事に対して興味を持ちやすく、諦めが悪い人間だっただけのことだよ」
「諦めが悪い?」
「僕は平均的な能力しか持っていない。一度読んだ参考書を完全に記憶してしまう、卓越した記憶力は持っていないし、一を聞いて十を知る群を抜いた応用力も持ちあわせてはいない。IQパズルなんてやらせてみれば、それこそ小学生にも負けてしまうだろう」
「まさか、そんな」
今の克二からはとても想像できない事実を聞かされ、浩一郎が驚愕する。
「事実だよ。実際、同じことを何度も何度も調べたし、簡単な数式が解けなくて三日三晩悩んだこともある。英語の論文など、読み解くのに半年も掛かってしまった。才気溢れる私の学友達は皆、この程度難無くこなしていったというのにだ」
克二は自虐するように語る。その様は、確かに謙遜をしているものではなかった。
「だが現実、君は評価されている。本当に君に才が無いならばこうはならない筈だ。何か必ず秀でた点があったからこそ今の評価だろう。違うのか?」
「秀でている、とは間逆だが、人より覚えが悪かったから行わざるを得なかった反復学習が、膨大かつ強固な基礎を私に身につけさせた。そして築き上げた強固な基礎は、次の段階に進む大きな助けになった。短所と長所は表裏一体ということだね」
「……成程よくわかった」
浩一郎は納得する。
「君は確かに、天賦の才は持っていないのかもしれない。天才と言った事は忘れてくれ」
人より多くの事をこなすことで、人より大きな成果を出し続ける。それは彼の言う通り、天才というには余りにも泥臭いものだ。
むしろこの事実に対して、彼を天才と評するのは失礼とさえ思えてくる。
「だが、そこまで苦労して得た知識と技術を持って、君は一体何をしたいんだ?」
気がつけば浩一郎はこの男の行き先に興味を持っていた。
これほどの知識を持ちながら、自身の事を天才ではないと言い切るこの男は、一体どんな夢を見ているのか。どんな夢を持っていればこのような考えに至るのか、ここまでの事が出来るのか、その根源が気になったのだ。
「聞きたいのか!?」
その質問を聞いた克二が、弾かれたように身を乗り出した。
「あ、ああ……」
そして子供のように目を輝かせ始めた克二に、浩一郎は若干引き気味に答える。
「そうか! ああ、ちょっとまってくれたまえ。すぐに戻る。おかわりのコーヒーも必要だろうしな!」
そう言うと克二は鼻歌まじりに研究室の奥に消えて行き、一つの古ぼけたノートとコーヒーメーカーを持って帰ってきた。
「これだ!」
そう言ってノートを広げ浩一郎に見せる。
「これは……ロボット……なのか?」
浩一郎は思わず首を傾げた。
そこには恐らく特撮ヒーローが乗っている巨大ロボットをモデルにしたと思われる、子供の落書きが描かれていた。
「その通り! これは俺が幼稚園の頃に考えたオリジナル巨大ロボット『超合金グレートコロナ』さ! 全長二百メートル! 体重百万トン! 頭部バルカンから八十センチの砲弾を一分間に四十八発放ち、腕からは一万度のプラズマ放射! 百万度の熱にも耐え自身のバルカンすら弾き返す最強の盾『コロナシールド』を装備! そして必殺技はこの脇に携えた百万度の炎を宿した剣『コロナソード』から放つ斬撃『ビクトリーコロナ』だ!」
本当に幼稚園児が語っているかと勘違いする程のテンションで、克二はノートを掲げて自分の考えたロボットの設定を語りだす。
「こいつは五機の特殊戦闘機『コロナマシン』が空中で変形合体することで誕生するんだ。合体時間は一分三十秒。ああ、五機の『コロナマシン』も単独で戦闘を行えるぐらい、高い戦闘力を持っていてね。状況に応じて単独でも戦うんだ! そして単独で倒せない程強大な相手が現れた時、五機の『コロナマシン』が合体! どんな相手も倒す無敵のロボット『グレートコロナ』が戦場に現れる!」
そしてバシッと浩一郎の前に、ノートを叩きつけた。
「どうだ!?」
「あ、いや……」
なんと答えればいいのか分からない。そんな顔をして浩一郎は言葉を失う。
「……なんで、合体する必要があるんだ? 用途に応じて使い分けたいのなら強大ロボ一機と戦闘機五機でいいだろう」
聞いた手前、何かしらの感想を返さねばいけないと思い、浩一郎は適当に疑問を投げかけた。
「移動に便利だし、何より格好良い!」
「人型である理由は?」
「剣を振るう姿が格好良いからさ! 他には?」
「あーいや。まさか君の研究はこのロボットを作ることなのか?」
「その通り! このロボットを自ら作って、乗って、戦う! 俺の数多い夢の一つさ!」
何とも馬鹿らしい理由に浩一郎は再び言葉を失う。
当然だ。これほどの頭脳を持つ男の夢が、子供の妄想と同レベルであるなど誰も予想できない。
「誰が考えたって無理だろうそれは」
「ほう? 何故そう思う」
子供を諭すような口調で、浩一郎は克二の夢を否定する。
「こんなロボ、まずどうやって作るつもりだ? この重さでは自重で足が潰れてしまうだろうし、何よりこんな巨大な建造物を動かす動力も……」
「それは問題ない」
「は?」
ハイテンションから打って変わって、克二は静かに、だが確固たる自信を持って言い切った。
「動力の問題については既に解決している。そして二乗三乗の法則によって自重で潰れてしまう問題も、その動力のエネルギーを利用し、下半身の負荷を軽減するよう、他方向から運動エネルギーを加え続ける事で解決できる。その装置の設計も既に完了した」
理路整然と克二は浩一郎を否定し返す。
「これを応用することで、頭部バルカンから速射される八十センチ砲弾の反動に対する姿勢制御の問題と、高速変形合体の衝撃によるパーツの破損問題、強大ロボットが歩行及び戦闘を行うことによる、搭乗員を襲う揺れと衝撃の問題などについても、同時にクリア出来た。むしろ今、問題としているのはそこではないのさ」
「何?」
どう反応すればいいのか分からない為、浩一郎は取り敢えず適当に相槌を打つ。
「まず第一に武装である『コロナシールド』と『コロナソード』だ」
克二がノートに描かれたロボットの武装を指差す。
「これらは設定上、百万度の熱に耐えねばならない。だが現在、地球上に存在する高融点金属・化合物で有名な炭化タンタル、ダングステン、グラファイトの三種ですらその融点は三千五百度前後だ。まるで足りない。これが数万度となれば、その時点で全ての物質は気体どころかプラズマと化す。百万度など夢のまた夢だ。百万度の熱に耐え、かつその強度を失わず、化学変化もしにくい。そんな物質が必要なんだ」
「まさに『超合金』が必要と言うわけか」
「うむ、その通り。まぁ物質そのものより熱に対する対処を考えたほうが現実的だろう。妥協案だがね。そして第二に、建造資金と建造施設だ」
「死活問題だな」
急に現実的な問題になり、浩一郎が思わず拍子抜けする。
「ああ。まぁこれについては既に対処法を考えている。時間はかかろうが建造についてはなんとかなる。そして第三の問題。これが一番問題なんだ……」
「それら以上の問題があると?」
今までとは打って変わって、克二が絶望的な表情をする。
「ああ、俺にセンスが皆無なんだ」
「……は?」
話に着いて行けず、浩一郎は情けない返事を返してしまった。
「流石にこの落書きのままではな。何度か、こう……かっこ良く清書しようとしたんだが、その……まるで全然駄目だった。どうも俺は昔からこういうのは絶望的に駄目のようでね。一言で言うなら非常にダサい。これについてはロボットイラストレーターの門を叩いて、その卓越した技術を学ばせて貰う他ないだろう。だがたとえ技術や理論を学んだとしても、必ずしも人の心を動かせるものが作れる訳じゃない。それには持って生まれた感性、センスが必要なんだ」
誰もが無理と諦め、一笑に付する程の夢を実現させ得る程の才能を持ちながら、この男はたったそれだけの事を本気で悔しがっている。
(おかしい。そこじゃない……)
浩一郎は克二に聞こえない程の小さな声で、思わず呟いていた。
この子供がそのまま大きくなったような男は、物理法則の限界とイラストレーターとしての技術を同列に考えている。失礼かもしれないが、本来前者の問題と比べれば、後者は壁にすらならない些細な問題であるはずだ。
あるいはそんな男だからこそ、ここまでの事が出来るのかもしれないが、何にしろズレていることに変わりはない。
(こいつは持ち過ぎているんだ)
敬意を持ち過ぎている。
あらゆる技術や知識や才能、それら全てに対して。これ以上無く、最大に。
結果、平等すぎて、逆に歪んで見えてしまう。
「なぜ君はそこまで科学に……いや、あらゆる知識や技術に傾倒できるんだ? 巨大ロボットを作るという夢だけで、そこまで出来るものなのか?」
全ての技術が平等に見えてしまう程に深い、狂気に片足を突っ込んでいるのかも知れない、圧倒的な熱意。それを燃やせるこの男の原動力の源が気になった。
夢を叶える。果たしてその為だけに、人はここまで歪めるものなのだろうか。
「成程。粕谷陸尉はつまり、ここまでの事をする為には、人は夢以外に、なにか別のファクターが必要なはず。そう言いたいわけだね?」
「別にそこまでは言わないが。夢以外にも、何か理由を持っているじゃないかと思っただけだ」
本音は隠して、浩一郎が克二の確認を肯定する。
「ふむ、難しい質問だね。僕の行動を後押しする夢以外のファクターか。うーん、うまく言葉にできないが。そうだな」
克二は机に肘を置き、頭を指で小突きながら、考え込む。
「粕谷陸尉。君は人間の素晴らしさってなんだと思う?」
「なに?」
考え込んでいた克二から突然、突拍子もない質問を投げられ浩一郎は困惑する。
「まぁ心とか感情とか、人によって色々あるだろうけども。僕は『積み上げた知識や技術を高い精度で次の世代に渡せる事』が人間の素晴らしさの一つだと思うんだ」
「どういうことだ?」
「例えばだね。一匹のライオンが偶然画期的な狩りの方法を見つけたとする。だけどライオンは次の世代に、あるいは他の仲間にその方法を伝えることは難しいだろう。何故なら彼らには言葉も文字もない。その技術を次の世代に伝える術も保存する術も殆ど無い。だからどんなに素晴らしい技術も、発見も一代限りで廃れてしまう。仮にその技術が定着するにしても、それまでには何千世代の交配という、種そのものの長い進化の道程が必要になる」
「そうだな」
「だが人は違う。人は口伝で文書で他様々な方法で、その世代が高めた技術を高い精度で次の世代に託すことができる。託された側はその技術を更に高い次元に押し上げることができる。個人に許された時間では不可能であっても、二代三代と時間を掛ければ成し遂げられる」
「確かにな。武器などはその最たるモノの一つだ。つまりそれが、君が科学に傾倒する理由なのか?」
「ああ。矛盾するようだが、最新の科学技術とは生きた化石だと思っている。先人達が延々と研磨し、次の世代に託し続けた宝石の原石だ」
「原石……」
「そしてその原石は今自分達に託されている。ならば我々には、先人の期待に応え、原石を研磨し次の世代に託す義務がある。それは時に多くの人を救うものになるかも知れない。あるいは逆に多くの命を奪うものになるのかも知れない。だがそれでも、今を生きる我々が、科学と共に生きる私が、やらねばならぬ責務だと思っている」
「だから君は、ここまでの熱意を持っていられるという事か」
「そうかも知れない。まぁ格好良く言ってはみたけれどもね。実の所、ただ自分がそういうことが好き、というだけだけの事かもしれないけどね」
克二は冗談めかして笑う。
「そうか……」
きっと、先程言った事は嘘ではないだろう。この男が持つ、先人たちへの敬意は紛れも無く本物だ。
認めざるをえない。どこか歪んでいようとも、この男は確固たる信念を持った、誇りある科学者なのだ。
「おっと、もうこんな時間か。済まない。結局、無駄話に付き合わせてしまった。業務に戻らないで大丈夫かい?」
「問題ない。今日やるべき全ての業務は終えてここに来ている」
部屋の時計を見ると既に二十時を回っていた。どうやら想像以上に長話をしていたようだ。
「そうか、ならもう少しだけ世間話が出来そうだね。僕ばかり話すのも不公平だし、今度は君が話してくれないか? そうだね、例えば……君は何故、自衛軍に所属しようと思ったんだい?」
「何故そんな事を聞く? 君の劇的な人生と比べれば、なんの面白みもない話だぞ」
「僕の趣味みたいなものだよ。好きなんだ、千差万別の人の歩みが。自分以外の人生を擬似的に体験しているような気分に浸れる。二度目の生……と言うのは大袈裟か」
克二は笑いながら、空になったカップにコーヒーを注ぐ。
その様子を見た浩一郎は退室を諦め、入隊した馴れ初めを話す事にした。
「もう十年以上前か。災害に巻き込まれた事があってな。その時、自衛軍の軍人に助けられた。見事な動きで、昼夜問わず、被災地を動き回り、被災者を救助していく彼らの姿は、今でもはっきり覚えている」
「ふむ。そこで彼らに憧れたと?」
克二は大げさな程、浩一郎の話に聞き入っている。
「ああ、ありがちな理由だがな。その時は憧れるというよりただ格好良いと思っただけなのかも知れないが。ともかく高校卒業後の進路に大きな影響があったのは間違いない。決して広い門ではなかったが、なんとか大学に受かり、卒業しこの隊に配属された。以上だ」
「何の面白味もない話だ」と浩一郎はコーヒーを飲み干す。
「いやとても興味深い話だったよ。この国は自衛軍に対する風当たりが余り良くない。その中で君のような人間が居たのは大切なことだ」
克二は感感慨深く頷き、コーヒーに口をつける。
「しかし、悲しいな。それだけの事をしてもまだ、君たちは成果に対して十分に歓迎されているとは言い難い。それはさぞ、辛いことで……」
「いや、辛くはない」
「なに?」
はっきりとした否定の言葉に、今度は克二が面食う。
「我々など、歓迎されない方がいい」
「それは……何故だい?」
そこを否定されると思っていなかったのか、浩一郎の強い言葉に克二が初めて驚きの表情を浮かべた。
「簡単なことだ。我々が歓迎される状況というのは、国民に外敵の侵略による不安や、災害による生活の危機が迫っている時だ。国家として決して喜ばしい状態ではない。逆に言えば、我々が不要と思われているうちは、国民に危機が迫っていないということだ」
「……君は軍人でありながら、軍を否定するのか? 軍人として戦場で活躍し、喝采を浴び、誉を得たいとは思わないのか?」
「否定はしない。この仕事は必要なことだ。だがそれでも我々が歓迎されるような世界は御免こうむる。ましてや我々軍人が平時の世で、訓練以外で活躍したい、などと決して思ってはならない。もし、私がそのようなことをの望む軍人になってしまったのなら、その時は謹んでこの服を国家にお返しする所存だ」
浩一郎ははっきりと宣言した。
「専守防衛が旨の軍隊。だが客観的に見て、この国の軍は世界でも有数の武力を持っているのは間違いないだろう。君はそんな国の軍人であることを誇りにし、日々厳しい訓練に耐えているはずだ。その成果を全く活かす事が出来ないんだぞ? それでいいのか? やるせなくはないのか?」
何かが琴線に触れたのか、克二が矢継ぎ早に浩一郎に質問を投げかける。
「我々が武力を持つのは、あくまで国家国民を護る為、百年先の日本国の平和と安寧の為だ。命令とあらば、軍人として国民の盾となり屍山血河を築く事も、この服を死装束にする覚悟も出来ている。だが願わくば、そんな事とは無縁でありたい。臆病とも無駄とも思われても構わない。目立った活動も実績もなく、訓練のみで人知れず役目を終えて退役する。そんな軍人であれたのなら、私にとってそれ以上の成果はない」
「成程」
「『実戦経験が無い』これが陸上自衛軍軍人、粕谷浩一郎の誇りだ」
自分は実戦経験が無い素人と浩一郎は言い切る。
「甘すぎると君は笑うだろうがな」
――そう言おうとした浩一郎は今まで見たことのない、険しい、だがどこか嬉しさを宿した顔をしている克二を見て口をつぐむ。
「……正しい」
「なに?」
「お前は正しい『国民を守る為の軍人』だよ。粕谷浩一郎三等特佐」
(……なんだ、こいつ?)
突然豹変した克二に、返事も忘れて浩一郎は思わず怖気づいた。
まるで、良い遊び相手を見つけて喜んでいる子供のようだ。
「それに長年の災害救助、支援活動が評価されて、国民の我々に対する態度は発足当時より、軟化している。国民からの理解が得られているしょ……」
「――違うな」
「なんだと?」
「誰も、お前たちの必要性を真に理解などしていない」
今までの否定とは明らかに違う、明確な意志を持って克二は浩一郎の言葉を切り捨てた。
「お前たちの必要性が真に理解されるのは、『自然が生み出した脅威』から人々を救った時では無い、断じて違う。それは『人が生み出した悪意』から自国民を守った時に初めて理解されるものだ」
浩一郎が無言になる。
「くくく……。俺も耄碌したものだ。何故、気が付かなったのだ。居たじゃないか。こんな身近にもまた一人。良い、素晴らしい……。これだからいいんだ。たまらない」
克二は独り言のように何かを呟き、身を乗り出して凶悪な笑顔を浩一郎に向ける。
「断言する。いずれ必ず、お前の誇りに傷が付く時が来る。自国防衛を他国に依存する、自衛のための必要最小限の力しか持たない。国民の矜持はな、そんな状態をいつまでも許してはおかないだろう。例えそれが、どんなに平和を愛する国民であったとしてもだ」
「何故そう思う?」
「簡単なことだ。平和を語る政治家の事務所にも武器を持った警備員はいる。非武装を謳う市民も、有事の際は銃を持った警察に守られる。そうだろう? 答えは既に彼等が出している」
豹変した克二に浩一郎は圧倒されていた。
「武力なく維持できる平和なし。言葉で解決をみた紛争なし。歴史の表に争いあり。人間だけじゃない、生物最後の裁定者はいつだって戦いだった」
克二の持を前に浩一郎は反論する事すら忘れて、ただただ言葉を飲み込むことしか出来ない。
「歓喜の声に包まれて、ではないかも知れない。嫌々ながら、仕方なく、諦めの声と共に受け入れられる事になるかもしれない。だが必ず、必ずお前達の必要性が真に理解される日が来るだろう」
「お前は……」
「そしてそれは、そう遠い未来のことではないぞ――」
困惑する浩一郎を尻目に、克二は満足そうに笑顔になる。
「粕谷浩一郎!」
浩一郎を真っ直ぐに見つめたその瞳は、一体何を見ていたのか。
この数日後、庵克二は自身の研究室で、冷たくなって発見された。