表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
HERITERS  作者: 井本康太
6/20

二〇四四年八月八日(月)二十二時十二分五十二秒 地天海本部総帥執務室

「……様。り……様」

「う……ん」

「理緒様!」

「うわぁ!?」

 突然肩を叩かれ、理緒は弾かれたように飛び起きた。

「あわわ……。えーとっ面白きこともなき……あれ? 一心、少し老けた?」

「はぁ……」

 焦点の合わない目で、いきなり意味不明な問いを投げてきた総帥に、一心は凄まじく重い溜息をつく。

「老けるも何も私はとっくにジジイですよ。どんな夢を見ていたのかはしれませんが、いつまで寝ぼけているんですか」

「え、夢? 私……寝てたの?」

「ええ、それはもうぐっすりと。起こすのを躊躇ってしまう位、涎を垂らしながら、大っっっ変気持ちよさそうに寝ておられましたよ」

「夢……? あれが……?」

「?」

 普段なら皮肉に対する突っ込みが入るはずなのだが、らしくもなく理緒は一心の皮肉すら無視して、考えこんでしまった。

 夢というには余りにも生々しい映像。恐らく実際にあった出来事なのだろう。それも最近の出来事ではなく、一昔前に起きた出来事。

 しかしどれだけ記憶を漁ってもあんな理緒はあんな出来事に心当たりはない。まるで垂れ流しの映像を盗み見ていたかのような不思議な感覚だ。

「――様。――緒様」

(あの炎の中で叫んでいた老人は一心? ならあっちの男は庵克二? でも私は庵克二を直接は知らない。会ったこともない。じゃあこの記憶は……?)

「理緒様!」

「うわぁ!」

 再び肩を叩かれて理緒は飛び上がる。

「さっきから何をボーっとしているのですか。私の話は聞いていましたか?」

「え、ええ。確か私達に協力を願い出た組織の話だったかしら?」

「寝ていた割には重要な所はちゃんと聞いていたのですね。また一から話さないといけないかと思ってヒヤヒヤしましたよ」

「さ、流石にそれは大丈夫よ……。それで、その組織の処遇について私の判断を仰ごうとしてたのよね?」

 さっきまで見ていた良くわからない夢について、理緒は一旦頭から離す事にした。

 恐らく考えても答えは出ないだろうし、何より一心をこれ以上怒らせたくはない。

「ええ、その通りです。ではこちらが我々に協力を願い出た組織・グループの一覧になります。先程口頭でも話しましたが念のため、彼らの活動内容、活動国、思想、実績、などについてのより詳しい情報をこちらの資料にまとめました。御一読頂いた上で、どのような処遇にするかご判断頂いてもよろしいでしょうか?」

「『絶対恭順か死か、どちらか選べ』と伝えなさいな」

 机に座った理緒は椅子に寄りかかりながら、一心がよこした資料を受け取ると、そのまま放り投げた。

 放り投げられた資料はシュレッダーに掛けられたように空中でバラバラに粉砕され、炎を上げて塵になる。

「一応、丁寧にまとめたつもりなのですが、資料に不備があったでしょうか? それとも何かお気に召さないことがありましたか?」

「貴方が作ったものならば、恐らく不備はないわ。別に、ただ読む必要を感じなかっただけよ」

 紅茶に手を伸ばしながら理緒はさらりと答えた。

「どうせ、反欧米派のテロ組織ばかりでしょう? しかも規模も小さめな。私達を自分たちの聖戦だか報復だかに利用しようとしているのでしょうよ」

「確かに大方はその通りですが……。何故わかったのですか?」

 空になった理緒のカップに紅茶を継ぎ足しながら一心は尋ねる。

「まぁ私達に協力を仰ごうとしてる時点で、真っ当なことはしてない集団に決まってるわ」

「その組織の総帥が言うのも何だけどね」と理緒は苦笑しながら付け加える。

「カイト君がそっちの方面で随分と暴れてくれたからね。その行為を支持する集団と言ったら自然と数は絞られてくるわ。真っ当な国と組織ならば、そう易易とテロに屈したりはしないわ。秘密裏に交渉を持ち掛けてくる事はあるかも知れないけど、普通は同盟なり条約なりで連合軍でも作るわ。真っ当な国や組織が交渉に来るとすれば、それらを蹴散らされた後でしょう」

 理緒はそう言って注がれた紅茶に手を伸ばす。

「どのみち、彼らは自分たち以外の主義主張は絶対に認めない。事が済めばすぐに裏切るわ。利用する出事について許容できる、でも共に歩むことは愚行と断ずる。こいつらはそういう連中よ。手を組む価値なし」

「なるほど、些か穴がある理屈ではありますが御尤もです。私はてっきり資料を読むのが面倒くさかっただけかと思っておりました」

「……ねぇ一心。もう少し総帥に敬意を持ってくれてもいいのよ?」

「話の途中で居眠りをされるようではまだまだ持てませんね。今朝も結局一人では起きられず私が起こしに行ったのをお忘れですか?」

「うっ……。それについては返す言葉も無いわ……」

 項垂れながら、理緒は机にモニターを表示させる。

「お呼びですか、理緒様」

「お疲れ、セリナちゃん。今大丈夫?」

「はい、問題ありません」

 理緒の呼びかけに応え、モニターにセリナの姿が映る。

「お休みのところを急に呼び出して悪いわね。って、あら? 今日はその呼び方は~っていつものくだりはないの?」

「……理緒様、ご用件はなんでしょうか?」

「せ、セリナちゃん、どうしたの? なんだか笑顔がすごく怖いわ。休暇を邪魔したの怒ってる? ……ああ! そうだ! この前、一心が美味しいお茶菓子を用意してくれたの、お詫びに今度一緒に……ごめんなさい。すみません。もう言いません。謝るから許してください。本当にごめんなさい」

「理緒様、もう結構です。それよりもご用件の方を」

 全力で謝罪する理緒に、セリナは呆れながら要件を聞く。

「ああ、うん。ちょっと頼みたい事があってね。今どこにいるのかしら?」

「今は恐らくノヴォシビルスク上空辺りかと」

「どこよそこ。……まぁいいわ。日本にいないなら丁度いいし。――掃除をお願い。貴方ならそうね……四、五日もあれば十分済むと思うわ」

「掃除……」

 掃除の意味を察したセリナの雰囲気が、一気に重いものへと変わる。

「承知致しました。何を掃除すればよろしいでしょうか?」

「ちょっと待ってね。一心が資料を……ああ、さっき燃やしちゃったわね。じゃあ、多分大本がサーバーに……日付は……あった、送信っと。セリナちゃん、今送った資料の団体様が対象よ。初めは警告から入ろうと思ったんだけど、よく考えたらそこまで気を使う必要もなかったわ。パパっとやっちゃって頂戴」

 送信されたデータを受け取ったセリナは手際よくファイルを開き、テキパキと資料に目を通していく。

「成程、計十一組織ですか。確かにこの程度であれば、私一人で十二分に片が付くとは思いますが……」

 セリナが資料の一部を凝視しながら、深く考え込んでしまった。

「何か懸念があるのかしら?」

「懸念という程ではありません。ただ、この資料からでは該当組織の正確な所在地がわかりません。勿論、全力で持って事に当たる所存ですが、かなりの時間を取られる事になるかと思われます。遺憾ではありますが、私ならば四、五日内でこなせるはず、という理緒様の期待に応える事は難しいかと」

「あぁそんなことを気にしてたの。確かに言ったわね。別に深い意味はない適当な発言だったのだけれど……ごめんなさいね。とは言え真剣に思慮して貰った手前、その条件を取り消すのは失礼か」

 理緒は自分の軽はずみな発言を詫びる。

「格好をつけて、読まずに資料を燃やすからそういう事になるんですよ」

「いえ、理緒様がそこまで気にされることでは。私は別段気にしておりません。期限の件、四、五でなくとも問題ないのであればなんとでもなります。調査はお任せください」

「いや、いいわ。そんな調査しなくて」

「は?」

「だからそんな面倒な調査はしないでいいわ」

「それはどういうことでしょうか? 調査をしないことには拠点の場所が……」

 セリナは理緒の発言の意味を理解出来ず、首を傾げる。

「拠点の詳細な場所など調べないでいいわ。所在国は分かっているのだから国ごと消してしまいなさい」

「!?」

 その発言にセリナは思わず面食らってしまった。

「言った以上、今さら後に引けないのはわかりますが、そこまで言いますか」

「……オホン! そんな面倒事、わざわざセリナちゃんがすることないわ。時間の無駄だしね。どう? この条件を追加すれば四、五日で出来そう?」

「結論からいえば可能だと思います。しかし……よろしいのですか?」

 セリナは理緒に恐る恐る聞き返す。

「いいのよ、適当な発言をした私が悪いわ。せめて貴方の気概に応えられるぐらいの代案は出させてちょうだい」

「居眠りせず、ちゃんと話を聞いていればそんな代案出さないで済んだのですけどね」

「……ごめんなさい一心。謝る、謝るから、お説教はあとでしっかり受けるから、もう少し手加減して。今決めてるシーンなの。良いところなのよ」

 理緒は涙目になりながら、セリナに助け舟を求めて目配せをする。

「勿体無いお言葉です。ですが私の懸念はそうではなく……」

 空気を読んだセリナは何も聞かなかったことにして、そのまま話を続けることにした。

「ん? ああ、そっちのこと」

 そんなセリナの質問の真意を察したのか理緒が相槌を打つ。

「構わないわ。テロリストを支援する国や人は論外だし、テロリストを自国でどうにか出来ない国も国民も連帯責任、同罪よ。こういうのはね、必ず歪みに繋がるから綺麗さっぱり消してしまったほうがいいの。私達の目指す新しい世界の為にもね」

 理緒はキッパリと断じる。

「別に私達は人道に則ってテロとの戦いをするわけじゃないの。大義名分は要らないし、世論を納得させる必要もない。テロに対応出来るのはテロだけよ。彼らはテロリスト、私達もテロリスト。故に手段もテロになる。わかりやすくて良いでしょ?」

「理緒様がよろしいのであれば、私は従うまでです。ではそのように」

「うん、セリナちゃんよろしくね。ってどうしたの、一心? 私の顔に何かついてるのかしら?」

 複雑そうな顔で自分を見つめる一心に気が付き、理緒は首を傾げる。

「ははぁーん? さては一心、私に見惚れてるな?」

 そう言いながら理緒は上目遣いで一心を下から見上げる。

「いやぁ美人ってつらいわー。そうね、せっかくだから、今夜の晩酌に私が付き合ってあげるわ。こんな美人に酌をしてもらえるなんて一心は幸せも……ごめんなさい。スミマセン。下戸の小娘が調子に乗りました。謝ります。謝るから、そんなかわいそうな娘を見るような目で見ないでください。お願いします」

 またしても全力で謝罪する理緒に一心は溜息をつく。

「よくもまぁそこまでペラペラと舌が回るものですね。別に大した事ではありませんよ。ちょっと旧友の姿と理緒様が重なっただけです」

「旧友?」

 理緒は首を傾げる。

「気にしないでください。理緒様とは面識がありませんので」

「その旧友って、もしかして庵克二かしら?」

 探るような目つきで理緒は一心を見る。

「一心、前にも何回か同じような事を言ってたわよね。私そんなに彼に似てるかなぁ?」

 問に答えず押し黙る一心をよそに理緒は話し続ける。

「写真を見る限り、なかなかにナイスミドルなおじ様だったわね。とは言え、こう何回もオジサンに似ていると言われると、流石の私も結構ショックなのだけれど」

 理緒が少し不満の篭った声で一心に抗議する。

「そもそも彼は二十年前に貴方も会社も、全てを捨てて逃げ出したのよね? 一方的に裏切られてもなお、貴方がそれほどお熱な庵克二って、一体どんな人間だったのかしら?」

 理緒は先程夢で見た男の事を思い出しながら一心に質問する。

「どんな人間……と言われるとなかなか難しい質問です」

「難しい?」

「ええ。以前セリナにも同じ質問をされたのですが、中々うまく説明出来なかったんです。何分、掴みどころがない男でしたからね」

 セリナは別にそんなことはなかったと首を振るも、一心は深く考え込んでしまう。

「あぁ……そうですね……。言葉使いが一々大仰で、芝居がかっていて、平気で人を振り回すトラブルメーカー。純粋で、好奇心旺盛で、何時も楽しそうで、自慢気に私に実験の成果や持論を語る、そんな奴でした。まぁ、一言で言うと子供っぽい男ですよ。いや、子供そのものでしょうかね」

「……私は子供っぽい、ということかしら?」

 理緒は不服そうに一心に尋ねる。

「別にそうは言いませんが。ただ、匂いと言うか、空気と言うか、雰囲気というか……うまく言い表せませんが、何かが重なる時があるんですよ。まぁ私ももう歳ですし、ボケてきたのかもしれません。気にしないでください」

「いえ、それは無理よ、一心」

 何故か理緒は涙目で一心を見つめる。

「フォローどころかトドメよそれは!! 威厳なしでもポンコツ総帥でも構わないけれど、それは聞き逃せないわ!! 一応……じゃなくて、正真正銘私は女性よ、一心!?  いや、子供っぽいところがあるかもしれないけれど……レディーよ!!  レディー!! なのに匂いも空気も雰囲気もオジサンと言われた日にはもう死ぬしかないわ!!」

「ああ、セリナ。もし資料について不明なところがあれば何時もの回線から連絡を頼む。必要とあらば追加で調査もしておこう」

「ありがとうございます、一心様。ではその時は手をお借りします」

 対応が面倒臭くなったのか、身を乗り出して抗議する理緒を無視して、一心はセリナの相手をしだす。

「二人共スルーはやめて!! それは一番私に効くわ!! 私はおじさん臭くないわよね!? ねぇ!? そこの所をはっきり……あら?」

「どうしました、理緒様?」

 何かに気づいたのか、理緒は壁の向こう側を透視しているかのように部屋の壁を見つめている。

「この感じは……マオリ君ね」

「マオリですか? それは妙ですね。彼が今日ここに来る予定はなかったはずですが」

「何か慌てているみたい。一心、マオリ君の出迎えを――」

「理緒様!!」

 理緒が言い切るより早く、部屋の扉が勢い良く開き、息を切らしたマオリが入室してくる。

「理緒様!! 大変です!! 緊急事態です!! カイトが!! カイトが!!」

「どうしたマオリ、お前らしくもない。ノックもせず、そんなに血相を変えて。カイトがどうしたのだ?」

 嗜める声も聞こえないのか、マオリは一心を無視して理緒に詰め寄る。

「カイトがやられました!!」

「!?」

 その報告に一心とセリナは面食らい、思わず身を乗り出した。

「理緒様!! すぐに私を現地に行く許可をください!! 今ならば確実にカイトをやった相手を特定出来ます!! どうか!!」

「おい、マオリ」

 一心はなんとかマオリを宥めようとするが、冷静さをすっかり欠いてしまっている今のマオリは止まらない。

「理緒様、お願いです!! 私に許可を……」

「待て待てマオリ、気持ちはわかるが少し落ち着け。そんな報告では何が起きたか……」

「いい加減にしろ!! マオリっ!!」

 突如、執務室にセリナの怒号が響き渡る。

 モニター越しであるにも拘らず部屋の空気が震え、その凄まじい喝を受けたマオリが一瞬怯む。

「報告一つまともに出来ないのか!! 貴様、それでも三闘衆の一人か? 恥を知れ!!  事態への対処方を考えるのはお前の仕事ではない!! 貴様はさっさと、必要な報告だけして持ち場に戻れ!!」

 セリナは声を張り上げマオリを叱る。

「しかし、姉様っ!! カイトがやられたんですよ!?」

 マオリも負けじと声を張り上げる。

「だからどうした! 我らの役目を忘れたか!? 我らは理緒様の捨て駒だ!! どこでどう損耗しようと問題ではない!! 貴様個人の事情で動いた挙句、計画に狂いが出たらどう責任を取るつもりだ!! これ以上、一心様と理緒様の前で醜態を晒すな!!」

「姉様!! それではあまりにも……っ」

 らしくもなく怒号を浴びせるセリナに対し、マオリも必死に食い下がる。

「そうか……」

 セリナは諦めたように首を横に振ると、普段の落ち着きを取り戻す。

「あくまで、我儘を突き通す、というのであればそれもいいだろう。だが……覚悟は出来ているな、マオリ?」

 その代わりに、セリナから刃のように鋭い殺気が放たれた。

「……っ!!」

 部屋の温度が下がったと錯覚する程の凄まじいプレッシャーにマオリは一瞬怯む。だがすぐに覚悟を決めたのか、殺気を込めてセリナを睨み返す。

「気迫だけは一人前だなマオリ。だが私はその場所をよく知っている。お前がどこに行こうが、こちらは届くぞ。だが、お前どうだ?」

 セリナの言葉にマオリの頬から冷や汗が流れ落ちる。

「距離的に分は悪いですが、接してさえ居なければ負けはしません。ここならば環境も味方に付けられます。姉様の追跡を逃れることぐらいは出来ます」

「引き分け狙いか、良い判断だ。だがそれは二撃目からの話。初撃は確実に狙い撃てるぞ。果たして避けられるか」

「……っ」

「いくぞ」

 二人の殺気がぶつかり合い、まさに戦いが始まろうとしたその時――。

「一心」

 その雰囲気を壊すように、今まで二人を静観していた理緒が突然口を開いた。

 不思議な事にその透き通るような声は、決して大きな音量ではないにも拘らず、会議室に染みこむように響き渡り、二人の殺気をかき消した。

「何でしょうか、理緒様」

「喉が渇いたわ、ココアを入れて頂戴。そうね、ミルクと砂糖は普段より多めで。マオリ君は何か飲む? 注文があるなら言って頂戴」

「え? あ、では私も理緒様と同じものを……」

 急に話を振られたマオリは面食らって、つい同じものを頼んでしまう。

「そう、じゃあ一心、ココアを二つお願い出来るかしら? 茶請けは……貴方が適当に見繕って頂戴」

「かしこまりました。少々お待ちください」

 一心はそう言って執務室を後にする。

 理緒は一心を見送ると、暇つぶしなのか机でペン回しを始める。

 マオリとセリナはその妙な雰囲気に飲まれ、一言も言葉を発する事ができず、ただ静かに理緒のペン回しを見つめ続けるしかなかった。

 そしてそのまま、誰一人言葉を発することなく、十五分程が経過した時、扉が再びノックされた。

「大丈夫よ、入って」

「失礼します」

 一心が台車を押しながら入室してきた。

 台車には皿に盛られたお菓子と、カップが二つ、ポットが一つ置かれていた。

 一心は手慣れたようにテキパキと執務室の机を片付け、茶菓子と二つのカップをセットし、ココアを注ぐ。

「理緒様、準備が整いました」

「ありがとう、一心」

 理緒はそう言うと席を立ち、一心が整えたテーブルに座る。

「マオリ君、何してるの? 冷めちゃうわよ」

「え? あ、すみません」

 呆けた顔で立ち尽くしていたマオリは慌てて理緒の対面に座る。

 マオリが座ると、理緒は笑顔を向け、そのまま黙ってココアに口を付ける。

「うん、美味しいわ。さすが一心、これなら何時でも喫茶店を開けるわ」

「ありがとうございます。では私はここに居りますので御用があればお呼びください」

「うん、ありがとう。……さて、マオリ君」

「……はい」

 先の事で何を言われるのか、マオリは不安に震えながら、顔を上げる。

「さっき現地って言ってたわよね?」

「はい」

「私がカイト君から受けた最後の連絡は一旦日本に戻る、という内容だったのだけれど、現地というのは日本のことでいいのかしら?」

「はい、その通りです」

 理緒はまるで子供をあやす母親のように、一言一言ゆっくりと丁寧にマオリに質問をする。

「カイトのEチケットの反応がそこでなくなりました。まだ死体の確認はしておりませんが……。完全に反応が消えているところを見ると、生存は……絶望的なものかと……」

 マオリは震えながら言葉を絞り出す。

 理緒はそんな様子のマオリを一瞥すると、静かに目をつむる。何か考え事でもしているのか、指で頭をリズムよく叩いている。

「成程」

 数分後、理緒がゆっくりと目を開けた。

「……マオリ君の報告はどうやら本当のようね。確かにカイト君のEチケットが検索に引っかからない」

 考えが纏ったのか頭を叩くのを止めた理緒が、呟くような声で答えた。

「恐らく死体は出てこないでしょうね。あのカイト君を負かす程の相手となると、死体なんて消し飛んでいるでしょうし。残念ね、最期に顔だけでも見ておきたかったわ」

 理緒は話を続けながら、盛りつけられたクッキーに手を伸ばす。

「でもカイト君はよくやってくれたわ。お陰で仕事がかなり片付いた」

「我々の力を世界に知らしめること……ですか?」

「ええ、そうよ。そしてもう一つ、PEチケットの奪取よ」

「は? そちらについてはまだ……」

 理緒の言っている事の意味が分からずマオリは首を傾げる。

「ふふっ、落ち着いてマオリ君。とりあえずそこのココアでも飲んで頭を融かしましょうか。貴方らしくもなく思考が回っていないわ」

 理緒は苦笑しながらカップに残ったココアを飲み干す。

「ああ、一心おかわりは結構よ、ご馳走様。さて、話の続きをするわね」

 ココアを注ぎ足そうとする一心を手で制し、理緒は話を続ける。

「マオリ君なら少し考えればわかるはずよ。カイト君を負かす程の戦力なんてそういないわ。言ってしまえば、私達かそれ以外のチケットを持っている人間ぐらい。私達じゃないのだから答えは一つよ」

 それを聞いたマオリはハッとする。そんなことにも気がつけない程、自分は錯乱していた事を自覚したからだ。

「確かにその通りです。となるとカイトを殺ったのは庵克二か。海外逃亡したかと思っていたがまさか日本に居たとは……」

 放っておけば今にも飛び出して行きそうな程の殺気を放ちながら、マオリの顔が怒りの表情に変わる。

「まぁ彼が直接手を下したとは考えにくいわね。少なくとも、私は生きている人間へのチケット移植の成功例なんて聞いたことがないわ。彼が自分の意志を継ぐ、私や貴方達のような存在を新たに生み出したというのが自然でしょうね。どちらにせよ彼が関わっているという事に違いは無いけれど」

「……理緒様の力を持ってしても、やはりPEチケットの正確な情報はわかりませんか?」

 マオリは申し訳無さそうに、理緒に質問する。

「ごめんなさいね。さっきから何度もネットワークにアクセスして調べてはいるのだけれど。戦闘中で派手に力を解放している時ならまだしも、今はもう駄目みたい。相手も同じ権限を持っている以上、本気で情報を隠されたら、私でも掴みきれない。流石に情報を垂れ流しにしとくほど不用心じゃ無いということね」

「そうですか……」

 口惜しさにマオリの拳が震える・

「……まぁそれはさておきマオリ君。貴方に頼みたい仕事があるのだけれど大丈夫?」

「仕事……ですか?」

 理緒はそんなマオリに気を使ったのか、仕切り直しとばかりに椅子に座り直し、腕を組んだ。

「カイト君がやられてしまった以上、誰かがカイト君の仕事の引き継ぎをしなくちゃいけないの」

「あっ……」

 マオリはここで理緒の意図を察した。

「カイト君の活躍でEチケットの所在地は分かった、後は取り戻すだけ。でもセリナちゃんには既に別の仕事を頼んでしまったし、総帥の私がホイホイ現場に出るわけにも行かない。私達を除けば今動けるのはマオリ君だけなの。どう? この仕事、引き受けてくれるかしら?」

「理緒様」

 それを聞いたマオリが、理緒の前に跪く。

「その仕事、命を賭けて引き受けさせて頂きます。必ずや貴方にPEチケットを」

「ええ、期待しているわ。行きなさい、マオリ。ただし二、三日は休息をとって、自分の状態を万全にしてから取り組むように。これだけは絶対に譲れない条件よ。わかった?」

「ハッ! 承知しました、それでは」

 マオリは弾かれたように立ち上がり、理緒と一心に向かって頭を下げると、そのまま執務室を後にした。


「んーちょっと白々しすぎたかなぁ……?」

 理緒が頬を掻きながら恥ずかしそうに呟いた。

「……愚弟がご迷惑をお掛けしました」

 セリナがモニター越しに頭を下げて謝罪する。

「迷惑だなんて思ってないわ。どの道、マオリ君をあの状態で放っておくわけにはいかなかったし。多少なりとも頭を冷やしてあげる事ができて良かったわ」

 扉が閉まり、マオリが完全に退出したのを確認したセリナが、謝罪の言葉を口にする。

「事実上、マオリの切り捨て……いえ、失礼しました。もとより我らは捨て駒」

「別にマオリ君を切り捨てたつもりは無いし、貴方達を捨て駒と思ったことも無いわ。一から十までレポートに従うこともないし。無理と思えば何時帰ってきてくれても構わないわ」

 理緒は感情がない声で淡々とセリナに話しかける。

「……理緒様ならば、マオリを止めることが出来たのではないですか?」

 どこか理緒を咎めるような声で、セリナは理緒に問いかける。

「そうね」

 その感情を感じ取ったのか、理緒は強い口調でそれを肯定した。

「恐らく私が言えばマオリ君は留まってくれる。無理やり感情を押し殺して、私の言うことを聞いてくれるでしょうね。それは間違いない」

 理緒はキッパリと断言する。

「でも、それだけよ。本当に留まるだけ。恐らく他の事は頭に入らない、他のことは考えられない、それ以外の事は何も出来ない。そして溜まりに溜まった感情はいずれ爆発するわ。そうなったらもう私でも止められない」

 セリナは何も言わずに理緒の言葉に耳を傾ける。

「ならばせめてマオリ君が望み通りに、心置きなく戦えるよう、送り出してあげるのが私の役目。貴方が怒鳴ってまで止めたかった彼を行かせたこと、恨んでくれて構わないわ」

「いいえ」

 罪悪感を感じているであろう理緒に対して、今度はセリナが強い口調で否定する。

「あそこまで意思が固まっているのならば、もはやあれはマオリの私事です。横槍を入れることも出来ないでしょうし、どのような結果になろうと、全てマオリの責任です。理緒様を恨むのは筋違いです」

「そう、良かった。貴方がそう言ってくれただけで、幾分気分が楽になったわ。今度はもう目を離さない。何かあったら直ぐにあなたに知らせるわ」

 理緒は胸を撫で下しながら、どこか寂しそうな笑顔をセリナに向けた。

「一心」

「なんでしょうか、理緒様」

「なんだか疲れちゃったから私はもう寝るわ。シャワーを浴びてくるからベットメイクをお願い。ああ、セリナちゃん。頼んでおいた仕事は明日からでいいわ。今日はゆっくり休みなさい」

「かしこまりました」

「承知しました」

 二人の返事を確認した理緒はそのまま執務室を後にした。

「――では、私もこれで。それと一心様、理緒様の事ですが」

「ああ、分かっているよ。心配するな。理緒の事は私に任せておけ。――お前の方もあまり無理はするな」

「その言葉は私よりも御自身に言ってください、一心様」

 セリナはモニター越しに、震える声で一心を心配するように話し掛ける。

「何のことか分からんな」

 一心のその言葉を聞いたセリナの顔が、一瞬悲しそうに歪む。

 だが、すぐに何時もの凛々しい表情に戻り、一礼をして通信を切断した。

「む……」

 全ての通信が切れ、誰も居ない事を確認すると、一心は口に手を当てその場にうずくまる。

「ゴホッ!  ケホッ! ウッ! ハァ……」

 そして今まで我慢していたのか、一人になった執務室で一心は苦しそうに咳をした。

「面白きこともなき世を面白く、か」

 一心は天井を見上げながら、かつて友が詠んだ偉人の句を思い出す。

「なぁ克二、どこまでがお前の脚本なんだ?」


 一心が一人静かに呟いた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ