二〇ニ四年四月三日(水)某時刻 某所
「何故だ!? 何故このタイミングでこんな事を!? しかもソレを持ち去って……一体何をする気だ!?」
炎に炙られながら、初老を超えた程度に年齢を重ねた一人の老人が声を張り上げる。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや……かな? いや、違うか。ふむ、、そうだな強いていうならば……」
炎の向こう側で、一人の男がその叫びに答えた。
「お前自身の夢を! 計画を! 今日まで築きあげてきた全ての苦労と努力を無駄にするのか!? ここまで来て裏切ると言うのか!?」
老人は狂乱気味に語りかける。
「裏切り……か。確かにその通りだが、恐らくお前の思っている裏切りでは無いさ。そしてお前の役割はこれからも変わらない。レポートに書かれている通りに続けていればいい。今まで通りにな」
そんな状態の老人をまるで意に介さず、男は淡々と問に答えた。
「安心しろ、これも全てレポートに織り込み済みだ。そしてお前にはこれといって不利益な事は起こらない。約束通り、退屈で平凡でゆっくりと朽ちていくだけだったお前の余生は劇的なものに変わるだろう。やりがいに満ち溢れた、笑って逝ける人生にな。これは俺なりの、世話になったお前への礼だ」
「そんなことを聞いているのではない! 何故、何故こんな事を!?」
「しかしまぁ、俺が言うのも何だが、こんな胡散臭い男の言葉を信じて会社まで設立したお前も相当な変わり者だよ。詐欺だったらどうするつもりだったんだ、軽率すぎる。そんなんじゃ経営者失格だ」
そう言って男は苦笑する。
「だが……俺はそんなお前に出会えてよかったと思っている。とても楽しかった、感謝している」
今まさに裏切ろうとしているとは思えない程、親愛に満ちた声色で男は老人に言葉を投げかける。
「ああそうだ。最初の問についてだが、ようやく考えがまとまったよ」
「待て!」
老人は目の前に炎の壁があることさえも忘れて、男を連れ戻そうと身を乗り出して腕を伸ばした。
「面白きこともなき世に面白く」
「は?」
突然、偉人の句を読み上げられ老人は首を傾げる。
「住みなすものは心なりけり。だが俺は、心だけでは満足出来なかったんだよ。だから行くんだ、更なる満足を求めて次の旅に。世界がもっと面白くなるようにな」
そして男は老人に背を向ける。
「待て! 待ってくれ! い……」
「面白きこともなき世を面白く」
――その言葉を最後に発し、男は炎の中へ消えていった。