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HERITERS  作者: 井本康太
17/20

二〇四四年八月十ニ日(金) 零時十一分九秒 地天海本部総帥執務室

「――一心、セリナちゃんが逝ったわ」

「そうですか」

 理緒は感情を感じない声で、一心に淡々とセリナ戦死の報告をする。

「理緒様は……ケホッ、これからどうなさるおつもりですか?」

 何を話すべきか分からず、すがるような視線を送ってくる理緒に気を使って、一心の方から理緒に言葉を投げ掛けた。

「そう……ね。レポート通り私が行かなきゃ行けないでしょうね。でもそんなの面倒くさいし……もういっそどかーんって、何もかもまとめて吹き飛ばしちゃいましょうか?」

「そうですか」

 自暴自棄気味な理緒の意見を一心は否定も肯定もせず、ただ静かに受け止めた。

「止めないの? 地球は間違いなくめちゃくちゃになるわよ? 人類まるごと絶滅しちゃうのよ?」

「そう……ですね……」

「いいの? 一心も死んじゃうかも知れないのよ?」

「そ……」

 一心は何か言いかけるが、唐突に口を手で抑え、その場で蹲ってしまった。

「い、いえ……」

 そしてフラフラと立ち上がると、口元を手の甲で拭いながらゆっくり顔を上げる。

 だが、ゆらゆら焦点が合わない目をしており、明らかに様子がおかしい。

「……一心?」

 そんな一心の様子に理緒が首を傾げて、机の向こうから身を乗り出した。

「グ……ガハッ!」

 次の瞬間、大きな咳と共に、一心が尋常ではない量の吐血をし膝から崩れ落ちる。

「父さんっ!?」

 理緒は面食らい、慌てて机を飛び越えると、風のように速く移動し、一心が倒れる前に抱きかかえた。

「ゴホッ! ゲホッ! ガッ……」

「ま、待ってて父さん。今薬を……っ!?」

 だが、明らかに薬ではどうにもならない症状であることを悟り、理緒が狼狽する。

(どうしよう、急がないと……。でもここじゃ設備も無いし、この出血じゃ時間も……ならばっ!)

 理緒は覚悟を決め、一心の上半身の衣服を脱がすと、胸に手を置いた。

「待ってて父さん。今から父さんの全身を解析するわ。自分の身体以外で試すのは初めてだけど、病巣ごと臓器を入れ替える。痛いかも知れないけど、我慢して――」

「やめなさい、理緒」

「――え?」

 理緒の言葉を遮って、一心が胸に当てられた手を優しく握ってどかす。

「もういい、俺はもう十分に生きた。余計なことはするな」

「と、父さん?」

「もういい、もういいんだ……。もう……眠らせてくれ」

「い、嫌だよ……」

 一心の覚悟した眼に理緒は困惑する。

「そんなの嫌だよ。だって、これから……これから世界を手に入れるんじゃない。そして一緒に世界の頂点に立つの。だから父さんには今まで以上に、私の右腕として頑張ってもらわなきゃ……」

 理緒が震える声で必死に説得しようとする。

「残念ながら、俺はそんなご大層な人間じゃない。家を支える為に必死に働いて、働き過ぎて、結果妻にも子供にも逃げられて、生き甲斐もやる気も失って、空っぽのまま定年を迎えて放り出された、唯の枯れ果てたジジイだよ」

 だが、そんな説得も一心は眉一つ動かさずに跳ね除けた。

「父さん。何を言って……」

「いいから黙って聞きなさい。お前の好きな昔話だ」

「う……」

 その強い言葉を前に、理緒は何も言えなくなる。

「あの男に出会ったのは、そんな俺が定年を迎えた最後の日、その帰路で気まぐれに寄ったバーだった。偶然隣の席に座った俺に、あいつが馴れ馴れしく声をかけてきたんだ。今思えば何とも失礼な話だが、余りにもつまらなそうな顔をして酒を飲む俺に、興味を持ったんだと。しかも何が気になったのかは知らないが、俺のこれまでの人生の話を聞きたいとまで言い出したんだ」

 一心は懐かしそうに、遠くを見るような眼で語りだした。

 それは理緒も聞いたことがなかった、一心と克二の馴れ初め話だった。

「抜け殻だった俺は、別に隠すことも無いと奴に全てを話したよ。どこか社会や世間に対する恨みを込めながらな。何も知らないこの若造に、この社会が、現実が、大人が、如何につまらないモノか、それを教えてやろうと思ったんだ。だが克二はそんな俺の話に、私自身が驚くほど真剣に耳を傾けていた。そして聴き終わった後、あいつはなんて言ったと思う?」

「な、なんて言ったの?」

「ふふ、子供のように無邪気に笑いながらこう言ったんだ――」

 誰かを真似るように、一心がらしく無く、勿体ぶった言い回しをする。

「『――とても興味深い話だった』、と」

 そしてフッと笑みを浮かべた。

「そう言った克二は礼とばかりに、今度は自分の事を語りだした。これまでの事、これからの事、そして自分の夢をな。私がこの男の名前を知ったのはこの時だ。驚いたよ、かつて世間を騒がせた神童がこんな所で油を売っていたんだからな。しかも、その神童の夢が、特撮ヒーローごっこときたもんだ」

「ヒーローごっこ?」

「ああ、いい歳した大人……しかも稀代の天才と謳われた男がこんな馬鹿みたいな夢を楽しそうに、それも本気で語るんだ。呆れを通り越して、笑うしかなかった。だが……だからなのか、あるいはただ焼きが回っただけなのか。俺はこの男のくだらない夢に賭けてみたくなったんだ」

 一心がまるで他人事のような困った笑顔を浮かべる。

「それが庵燃料電池の始まり……」

「そうだ。俺は使うあてもなかった貯金と退職金を資本金に、克二と東京の郊外に小さな会社を建てた。その時は失敗して借金苦で首を吊ろうが、構わないと思っていたよ。元より老い先短い老人だ。そうなっても死ぬのが少し早くなるだけなわけだしな。自分なりにそういう、ある程度の覚悟をしていたつもりだった。だが……会社を経営するというのは想像以上に大変なものだったよ」

 そう言いながらも、一心はどこか楽しそうに過去を振り返っていた。

「最初のうちは克二と共に自転車操業。しかもあいつは全く営業に向かないで、俺も営業などしたことなかったから、共に一から勉強する羽目になった。昼間は外を練り歩き、取引先に怒鳴られては頭を下げて、頭を下げては怒鳴られての繰り返し。汗だくになって帰ってくれば、溜まった仕事を片付ける為に残業に次ぐ残業、問題が起きれば土日返上で休日出勤。振替休日なんて勿論なし。この歳になって一体自分は何をしているのかと、何度も疑問に思い、後悔し、辞めたいと思ったよ。克二の方も、そろそろこんな生活に音を上げる頃だろうと思っていた。だが……」

「違ったの?」

「ああ……」

 一心がゆっくりと頷きながら、羨ましそうに答えた。

「……あいつは笑っていたよ。とても楽しそうにな」

「笑って……」

 理緒が信じられないという顔をする。

「同じ境遇でありながら、どこにそんなに楽しい要素があるのか、その時の俺にはさっぱり分からなかった。だからある日、聞いたんだ『お前は何がそんなに楽しいのか?』ってな。そしたらあいつはなんと言ったと思う?」

「なんて言ったの?」

 分からないと理緒は首を横に振る。

「あいつこう言ったんだ。『全て』とな」

「……へ?」

 理緒は今度こそ訳がわからなくなり、呆けた声をあげた。

 一心の話を聞く限り、楽しい要素など欠片もなかったはずだ。一部で楽しみを見出したならまだしも、全部が好きというのは訳が分からない。

「訳がわからないよな、俺もそうだった。だが克二が次に言った言葉で、俺は目が醒めたんだ」

 

『本気で挑める事は、全て楽しい』


 一心は笑いながら、克二の口調を真似するように呟く。その顔はどこか憧れの感情を含んでいた。

「その時、俺はようやくわかったんだ。何故。俺の人生がこんなにつまらなかったのかが。ずっと社会や会社、この現実がつまらないものだからだと思っていた。だが違ったんだ――」

「じゃあ、一体何が……」

「――つまらなかったのは俺の方だったんだよ」

「っ!」

 一心は自嘲気味に笑う。

「本気で人生を、今を生きていない俺が何よりもつまらない人間だった。それだけの事だったんだよ」

「父さん……」

「一時降りかかった不幸を本気を出さない理由にして、現実から逃げていた。だからそれに気がついた時……いや、自覚した時か。憧れたよ、あいつに。いや、あれは最早嫉妬に近かった。俺にはしたくても、到底出来ない生き方だったからな。だからなのか……俺はそんなあいつに一泡吹かせてやろうと、意地の悪い事を考えたんだ」

「一泡?」

「ああ、勝てないまでもせめて一泡、この茶番を、あいつが用意したエンディングとは違う結末に持っていこうと思った。あいつの頭の中にある『真のシナリオ』がどうなっていたのかは知らないが、予想外の事態に焦らせてやりたかった。子供の悪戯と同レベルの事だが、せめてこれくらいはしてやろうと、つまらない人間なりに意地を張ってな」

「それは……成功したの?」

 理緒が恐る恐る問いかける。

「……駄目だったよ」

 一心が苦笑いを浮かべた。

「え? どうして? その程度なら……」

「このままレポート通りに続けていればあいつの計画通りになる。それがわかっていても止められなかったんだ。確実に手に入る金や、社会的地位の誘惑に勝てなかった。計画外の事をして、全てが崩れ落ちるかもしれない恐怖に克てなかった」

 一心が自嘲気味な笑顔の中に、僅かな悔しさを滲ませる。

「きっとそれも、あいつの予想通りだったんだろう。ははっ……今の俺をあいつに見られたら、大根役者と笑われてしまうな。まぁ……もうどうでもいい事か……」

「待ってよ。そんな末期の言葉みたいなのは……」

「――理緒」

「っ! 何、父さん?」

 突然、馴れ初めを語っていた時とは別人のように真剣な顔をして力強く名前を呼んだ一心に、理緒が一瞬面食らう。

「お前は……普通の娘だ」

「……へ?」

 理緒が首を傾げる。

「例え超常の力を持っていたとしても。克二の植えつけた意思に引っ張られていたとしても。お前は身内の死にショックを受け、泣いてしまう程度の、どこにでもいる普通の娘だよ」

「気づいて……いたの……?」

「気づくさ。セリナだって気がついていたんだ。父親の俺がわからない訳無いだろう。カイトの時も、マオリの時も。そして……今もな」

 一心は微笑みながら答える。

「……じゃあ、わかるでしょ? 父さんまでいなくなったら、私泣くよ? すっごい泣く。だからお願い、手を離して……治療をさせてよ。私を置いて行かないでよ……」

 理緒の声の震えが大きくなっていく。

「理緒、それが普通なんだ。親はいつまでも子供の側にはいないもの。大人になっても親にべったり、では困るんだ。巣立ってもらわないと」

 一心の理緒を握る手に力が篭もる。

「理緒、お前がこれからどうするかはお前が決めろ。レポート通りにするのも、そうしないのも良しだ。自分がしたいように、後悔しないように歩め」

「父さんっ!」

 遂に堪え切れなくなったのか、理緒の瞳から大粒の涙が流れ落ち、一心の頬を濡らす。

 一心はゆっくりと理緒の瞳に手を伸ばすと、その涙を指で拭い、そのまま優しく頬に手を添えた。

「ははっ。まさかこの俺が……こんな美人の腕に抱かれて、惜しまれながら逝けるなんてなぁ。克二よ、これがお前の礼と言うのなら、少々大盤振る舞いが過ぎるんじゃないのか?」

「父さんっ……!」

 一心は理緒の、その瞳の奥にいるであろう克二に話しかけるように、遠い目つきで理緒を見つめる。

「どうせお前も逝き先は地獄だろう。俺は一足先に待っている。そしたらまた、あの日のように、くだらない話を酒の肴に、一杯やろうじゃないか。テメェには言いたい文句が山ほどあるんだ。クソ野郎……」

 一心は最後の力を振り絞るように、もう見えているのかも分からない瞳を理緒に向けて穏やかに微笑みを浮かべた。

「最後まで泣き虫で甘えん坊なのを治せなかったのは心残りだが……。やり残したのは……まぁ……そのくらいか。理緒、お前との執事ごっこも、そこそこ楽しかった……」

 頬に添えていた手が崩れ落ち、握られていた手から力が抜けていく。

「理緒……様……どうか……貴方の未来に……幸……運……を……。私は……三闘衆と……共に……地獄で……見守ってい……ます…………よ……」

 最期に理緒にエールを送ると、満足したかのように、心臓がゆっくりと鼓動を止め、一心は穏やかに息を引き取った。

「父さんっ!!」

 理緒が叫び声を上げるも、もうその声に対する返事はこない。

「うっ……。えぐっ……。父さんっ! 父さんっ!」

 理緒は一心の死を認めたくないのか、泣きながらその亡骸を強く抱きしめる。

「?」

 その時、チャリンと何かが胸に当たる感触がした。

「なに……?」

 その場所に目を向けると、金色に輝くペンダントがあった。

「これ、父さんがいつも身に着けてた……」

 理緒はおもむろにペンダントに手を伸ばすと、そのチャームを開いた。

 そこには笑顔で肩を組む克二と、複雑そうな表情を浮かべた一心が写っている写真があった。

「これ昔の二人の写真……あれ? 裏側にも……」

 よく見ると、その写真の裏にもう一枚写真が収められていた。

 理緒はその写真を引き抜くと目を丸くする。

「これ私達の……」

 それは子供の頃、皆で撮った写真だった。

 ――勢い良く前に飛び出そうとしているカイト。

 ――それを止めようとして、地面に躓いているマオリ。

 ――その二人をやれやれと眺めるセリナ。

 ――一心の影に隠れ、足にしがみ付いている自分。

 ――そんな自分を前に出そうと困った顔をしている一心。

 皆が皆、違った表情を浮かべて写真に収まっていた。

 この十数年間、一心はずっとこの写真をお守り代わりに、肌身離さず身につけていた。

 きっと一心にとって、自分達は家族同然に大切なものだったのだろう。

 だが、そんな家族が失われても、一心は涙一つ流さなかった。

 きっとそれは、泣いている自分を普段通りに支えるためだ。一心は泣くことが出来なかったのだ。

 本当は泣いて、激昂して、この茶番を仕掛けた主に、恨みの一つでも言いたかったに違いない。

 なのに――。

 理緒は黙って二枚の写真をしまいチャームを閉めると、ペンダントを握りしめる。

 そして一心の顔に手を当てると、未だ開いたままになっていた瞳を優しく閉ざす。

「――ごめんね一心。最期の最期まで心配かけさせちゃって。でも安心して、もう大丈夫よ。私はもう、泣かない」

 理緒は涙を拭うと、動かなくなった一心に向かって語りかけた。

「私は世界の頂点になんて立たないわ。だってそこには誰もいない。カイト君もマオリ君もセリナちゃんも一心もいない。私一人だけ。そんなものに、何の価値もないわ」

 理緒が名残惜しそうに一心の亡骸を床に置くと、その胸元に手を当てた。

 すると、一心の骸が燃え上がり、あっという間に灰になる。

 そしてその灰が一箇所に集まって押し固まり、光輝く青色の宝石になった。

「ブルーダイヤか……。全く……本当に一心は心配性なんだから……」

 理緒は笑いながらその宝石を手に取ると、決意を固めるように呟く。

「待っててね。みんなの仇を取ったら、私もすぐにそこにいくわ」

 理緒は宝石を握りしめると、力強く立ち上がる。

「一心、貴方の意思は私が継ぐわ。あの男が想定したエンディング。そのどちらでもない終わりを貴方に見せてあげる」


そこにはもう父親を失って泣きじゃくる娘はいない。

覚悟を決めた一人の凛々しい総帥がいた。

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